藤岡市牛田の天保飢饉の碑。
昭和20年(1945年)4月に建てられた「積木神社之跡」の碑。碑の裏側に天保8年(1837年)の穀類の価格が刻まれていることから、「天保飢饉の碑」と呼ばれている。碑の高さは260cm、幅107cm、厚さ13cmの緑泥片岩製。(写真は表側、裏側の写真は・・・、ない)
天保飢饉は、天保4年(1833年)に始まり、天保6~8年にかけて最大規模化した飢饉。主な原因は天保4年(1833年)の大雨による洪水や冷害による大凶作。
「天保飢饉の碑」によれば、金一両につき米2斗、麦4斗、小麦3斗、豆5斗であったという。平年の相場が金一両で米1石であるとされるので5倍もの高騰価格ということになる。(1石=10斗)
このような農作物の高騰は、各地で一揆や打ちこわしを引き起こした。有名なのが、天保8年(1837年)大坂の大塩平八郎の乱。また、群馬でも国定忠治は私財をなげうち貧民救済にあたったと言われている。
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