高崎市上並榎町の新比叡山天竜護国寺。
天竜護国寺は貞観6年(864年)比叡山延暦寺座主・慈覚の創建と伝えられる。延暦寺に模して建造されたので新比叡山と称した。
関東一の大伽藍で東国一の霊場といわれ、境内には僧坊が三百余りあったといわれるが、度重なる兵火により往時の面影はない。
享和3年(1803年)に中興の祖・一元が現在の形に再建したとされる。
天竜護国寺には、醍醐天皇が延長6年(928年)小野道風に書かせたといわれる扁額が残されている(高崎市の重文)。もちろん写真の扁額ではない。
本堂左手には舟形石棺が保存されている。これは明治25年(1892年)に近くの稲荷山古墳から発掘されたもの。稲荷山古墳は都市開発により、現在は住宅地などになってしまっている。
「信玄の鍋掛け石」。武田軍が箕輪城攻略時、天竜護国寺に駐留した際にこの石に鍋を掛けて煮炊きをしたというもの。確かに、それっぽい形をしている(笑)。
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