伊勢崎市馬見塚町の飯玉神社。

馬見塚飯玉神社 (1)
馬見塚飯玉神社 (2)
馬見塚飯玉神社の創建は明らかではないが、応永年間(1394~1412年)那波城主・那波掃部輔によって那波総社・飯玉神社(伊勢崎市堀口町)の分霊を奉祀したと伝えられる。

那波掃部輔ってよく分からないが、年代的に那波教元、宗元あたりか? この宗元は大江広元の子で大江氏系那波氏の祖である宗元ではなく、広元5代目の子孫(大江氏系那波氏以前に、藤姓那波氏があるが、全くの別系統)。

那波教元の墓と伝えられる宝篋印塔が、伊勢崎市富塚町の円福寺にある。
(「那波教元の墓? -金剛山円福寺-」参照)

馬見塚飯玉神社 (3)
馬見塚飯玉神社 (4)
馬見塚飯玉神社 (5)
馬見塚飯玉神社はすぐ東の延命寺境内にあったが、明治期の神仏分離により現在地に遷座している。(延命寺は「伊勢崎市馬見塚町・住吉山延命寺」参照)
現在の社殿は、平成9年(1997年)の改築。併せて境内地を拡張している。

元々、上社と下社があり、明治11年(1878年)の一村一社令により下社が上社に合祀されている。