高崎市下小鳥町の首塚(枉寃旌表之碑)。

首塚 (1)
高崎環状線を走っていたら、「史跡 首塚入口」という案内板が目に入った。えっ、首塚?? まったくの初耳だったので、寄ってみることにした。首塚は環状線からちょっと入った所にあった。

首塚 (2)
枉寃旌表之碑(おうえんせいひょうのひ)というのが建っている。江戸時代初期高崎藩主・松平丹波守康長のころ、下小鳥村のほとんど罪もない村人たちが藩の役人武士たちに殺戮されたという言い伝えをもとに明治34年(1901年)建立された慰霊碑だという。

要約すると、藩主・役人武士がひどい政策を行ったため住民が反発し、それを武士が住民全員を惨殺するという挙にでたという。時に元和3年(1617年)のこと。但しこの事件は口伝で、それを裏付ける資料は見つかっていない。

藩主・松平康長は戸田家の出身で、徳川家康の異父妹・松姫と婚姻し、松平姓を賜ったとされる(戸田松平家)。康長は事件のあったといわれる前年(元和2年:1616年)に高崎藩に移封されたが、翌年(事件の年)には信濃松本藩に移されている。

たった1年で移封されていることから、考えようによっては事件の責任を取らされてのこととも考えられる。松平という家康の親戚筋のため、ことを荒立てずに処理された?

権力者側が行ったことが記録に残らないようにすることはできたが、さすがに伝承として伝わることまでは防げなかったということかな。まあ、真相は藪の中ではあるが・・・。

ちなみに、康長は実直で穏やかな人柄だったといわれていることを付記しておく。