前橋市高井町の石田玄圭の墓。

石田玄圭の墓
石田玄圭は江戸時代の医師、和算家。名は恒。号は一徳子、斑亭。著作に「暦学小成」などがある。

三浦無窮に医学を学び、群馬郡で開業。医師のかたわら、江戸に出て藤田貞資(さだすけ)に和算を学ぶ。藤田貞資は関流の和算家なので、石田玄圭も関流ということになる。

天明7年(1787年)に八幡八幡宮、文化8年(1811年)榛名神社に算額を奉納している(門人と連名)。

文化14年(1817年)死去。