高崎市吉井町東谷の住吉神社。
当所にはもともと不動明王が祀られており、北向不動尊と称していた。言い伝えでは、奈良時代に多胡郡の郡司であった羊太夫が謀反の疑いで朝廷軍に攻められた際、朝廷軍は八束城の羊太夫を攻めあぐねたので不動明王に祈願したところ、その霊験で攻め落とすことができた。これにより朝廷軍の将が一堂を建立したという。地名から大沢不動尊と呼ばれてきた。
その後、明治初年の神仏分離に際して住吉神社と改めた。明治40年(1907年)に近隣5社を合祀している。
現在の社殿も北向である。それにしても田舎の神社(失礼!)にしては立派な社殿。拝殿は切妻で縦長。本殿は千鳥破風。
社殿奥に「住吉神社資料館」という建物があった。宝物庫兼祭具置き場といったところか。一般公開しているなら覗いてみたい。
ところで、馬庭念流8世・樋口定次が枇杷の木刀で岩を割ったという伝説があるが、その琵琶の木はこの住吉神社から切り出したといわれている。
(「高崎市吉井町馬庭・馬庭念流道場」参照)
コメント