甘楽郡甘楽町庭谷の五輪塔群。
庭谷城主・庭屋氏代々の墓石と伝えられている。

庭谷の五輪塔 (1)
6基の五輪塔はいずれも直線的で豪壮な軒型をしており、鎌倉時代末から室町時代初期の特徴がみられる。石材は、向かって1番右・2番目・4番目が鏑川岸に露出する凝灰岩で、その他は天引砂岩である。

向かって右から4番目は建武3年(1336年)、3番目のものは観応元年(1350年)の銘が刻まれている。観応は北朝の元号(南朝は正平)なので、当時は既に北朝の勢力下にあったと考えられる。

古くに移動され窮屈な配置となっていたが、平成12年(2000年)に当所に再移動し、覆屋が架けられた。

庭屋氏についてはよく分からないが、小幡氏の一族のようだ。豊臣秀吉による小田原攻めの時、国峯城と庭谷城の守備をしていたのが、庭谷城主・庭屋左衛門大夫兼行といわれる。

庭谷の五輪塔 (2)
庭谷の五輪塔 (3)
五輪塔群は庭屋氏開基と伝えられる庭谷山慶恩寺の如来堂前にある。本堂は平成2年(1990年)の新築。

庭谷の五輪塔 (4)
庭谷の五輪塔 (5)
如来堂には阿弥陀如来像が鎮座していた。

この五輪塔群は甘楽町の重文に指定されているため、現地に解説板が設置されており、また甘楽町のHPにも解説がある。ところが、その内容が違うのだ。どっちを信用しようかと迷ったが、とりあえず現地解説板の内容を元に書いてある(深い意味はない)。