高崎市吉井町長根の友儀山観蔵院地蔵寺。
観蔵院の創建は不明だが、境内に残る延文年間(1356~60年)の板碑から、鎌倉時代には寺があったと推定される。(延文は北朝の年号、同時期の南朝年号は正平)
堂宇は正徳年間(1711~25年)に焼失し、現在は無住となっている。
観蔵院には地蔵尊が安置されており、地域住民に信仰されていたということで、平成19年(2007年)に地蔵尊が建立されている。
板碑は高さ110cm、幅35cm、月輪径29cmの緑泥片岩製で延文3年(1358年)の銘が刻まれている。主尊の梵字金剛界大日如来の種子が月輪の中に力強く刻まれ、1行17字で5行85文字の長い銘文が記されている。
吉井町長根の折茂地区は奈良時代の織裳郷の古名につながる地で、機織部(はたおりべ)が居住した地とされる。機織部は古代日本において機織りの技能を持つ一族や渡来人のことで、観蔵院の近くには新羅系渡来人によって創建されたと伝わる辛科神社がある。
(「高崎市吉井町神保・辛科神社」参照)
コメント
コメント一覧 (4)
ご自分(ご家族・ご一族)のルーツを探すのは素晴らしいことだと思います。是非吉井町を訪れてみてはいかがでしょうか。多胡碑に書かれる羊太夫なども機織部(折茂さん・織茂さん・織裳さん)と関係があるとされています。
古にルーツを持つ素晴らしい家系ですね。
古代多胡郡における羊太夫と機織部は関連があると思います。多胡姓は羊太夫の
流れをくむとされますので、多胡さんの多い地域には何がしかの羊太夫伝説が残って
います。機織(織茂さん)も古代から多胡郡における重要な氏族だったと思われます。
記事を興味深く拝見させて頂きました。
私は織茂と申します。織裳の異形だと言われております。
先祖のルーツは高崎市吉井町織裳だと伝わっています。
私の近隣にら多胡の姓も多く何か関係があるのかもしれません。