高崎市箕郷町生原の満行山善龍寺。
善龍寺には内藤昌豊・昌月父子の墓(内藤塚)がある。
(「内藤塚 -善龍寺-」参照)

長野吉業の墓 (1)
長野吉業の墓 (2)
本堂裏にある長野吉業(よしなり)とその長子・福田五郎左衛門の墓。
(写真右が吉業、左が五郎左衛門の墓)
吉業は箕輪城主・業正の長男といわれている。箕輪城落城時の城主・業盛は吉業の弟。

一般的には、吉業は天文15年(1546年)の河越夜戦の傷が元で16歳の若さで死去したといわれている。当然、男の子はいない。ところが、善龍寺の解説板では永禄6年(1563年)に武田軍との戦いで吉業、五郎左衛門ともども討死したとある。吉業38歳、五郎左衛門18歳。

なお、五郎左衛門は善龍寺の開基ということになっている。当時は神明山善龍寺。武田信玄の箕輪城攻めの際焼失し、その後内藤昌豊が再興した際、現在の満行山になったという。

まあ、通説とお寺の由緒が異なるということはよくあり、それぞれに謂れがあるので、あんまり気にしないけどね。