安中市松井田町八城の八塔石紅地蔵。

八塔石紅地蔵 (1)
八塔石紅地蔵 (2)
八塔石紅地蔵は元禄12年(1669年)、小幡藩の税が高いことを江戸幕府に訴えて、死罪は免れたが村を追放された14ヶ村代表8名の恩を忘れないために建立された。

紅地蔵と呼ばれる所以は、村の女人が地蔵に紅をつけて病気平癒を祈願したところ、たちまち全快したことから、それ以後紅をつける者が後を絶たず、ついに全身紅粉に染まってしまったことから紅地蔵と呼ばれることになった。

当時の小幡藩主は織田信久。信久は大和宇陀藩から養子に入っているが、信長次男・信雄の孫にあたる。

信久の治世は64年の長きに渡り、この間に新田開発や治水工事に尽力して藩政を安定化させたが、これを合わせ5割もの年貢増徴を行った上に、労働課役などによる領民の負担を増やしたため、領民の不満は大きく、直訴につながった。