安中市中後閑の後閑城址。

後閑城址 (1)
後閑城は室町時代の嘉吉元年(1441年)に依田忠政が築城したといわれる。その後は後閑氏の居城となったが、天正18年(1590年)廃城となっている。後閑氏は先祖を新田義貞の末弟・四郎義重と称しているようだが、後閑氏の出自は諸説ある。

現在は堀切、郭、虎口門、櫓台など、当時の形状を生かした後閑城址公園として整備されている。

後閑城址 (2)

後閑城址 (3)
本丸跡には百庚申が建っている。これは寛政9年(1797年)から3年余りかけて旧後閑城家臣と称する上原、安藤、中島氏が発起人となり安中藩士や近隣の人々に働きかけて建てたものである。総数は128基。

後閑城址 (4)
二の丸跡には物見櫓が再現されている。

後閑城址 (5)
後閑城址 (6)
後閑城址 (7)
後閑城址 (8)
自然の地形を利用し、山頂の本丸(主郭)から四方の尾根に各郭を配し、尾根途中に堀切を入れ各郭を分断している。東・西郭は段々畑状に広がり、広大な城域をもっている。

城址公園化に際して相当整備したのであろうが、土塁、堀切など非常にきれいに残っている。

後閑城址 (9)
後閑城址 (10)
特に本丸からは浅間山、妙義山の眺望がすばらしい。

これだけの規模の山城を依田氏が築城し、その後も後閑氏という弱小領主が保持していたことは、にわかには信じがたいことである。