吾妻郡東吾妻町原町の普光山善導寺。

東吾妻町・善導寺 (1)
善導寺は貞治年間(1362~68年)に岩櫃城主斎藤氏家老・秋間備前守が創建したといわれる。岩櫃城廃城後に現在地に移っている。

東吾妻町・善導寺 (2)
東吾妻町・善導寺 (3)
東吾妻町・善導寺 (4)
本堂は平成元年(1989年)の再建。

善導寺は吾妻太郎行盛の子・斎藤憲行(秋間斎藤氏の養子になった)の5代末裔・斎藤憲広(岩櫃城主)の怨念により、本堂の工事が仕上がるたびに火災に見舞われたという。

それは岩櫃城が武田信玄、真田幸隆などに攻められた際、善導寺の住職が岩櫃城に秘密の水源があることを武田方に話してしまい、それを断たれたことが原因で岩櫃城は落城したから。

住職は脅されて話したのだが、憲広は善導寺が裏切ったと思い、以後上記のように火災が発生するようになった(善導寺の怪火)。永禄年間(1558~70年)、慶長4年(1599年)、寛文3年(1663年)、享和3年(1803年)、天保8年(1837年)、明治35年(1902年)に火災で焼失している。

現在の本堂は平成元年(1989年)の新築。87年ぶりに本堂が再建された。現在は斎藤氏を祀る斎藤堂(小祠)があるので大丈夫!?

東吾妻町・善導寺 (5)
東吾妻町・善導寺 (6)
参道を歩いて行くと、吾妻線の踏切がある。踏切を超えると、今度は国道145号のバイパスが頭上を通っている。

参道を公共交通が横切ってしまったのも、斎藤憲広の呪いか(笑)。

*長福寺の記事でも書いたが、吾妻氏の系譜には諸説あり、斎藤氏の岩櫃城最後の城主説に関しても資料により違っていたりする。オレは斎藤憲広としたが、斎藤基国という名で書かれているものもあることを付記しておく。 (「吾妻太郎行盛の墓 -長福寺-」参照)