吾妻郡東吾妻町原町の密教山顕徳寺。

顕徳寺 (1)
顕徳寺は元和2年(1616年)に真田家家臣・出浦対馬守が潜龍院を移築して開基したといわれる。

顕徳寺 (2)
顕徳寺 (3)
天正10年に武田勝頼が織田、徳川、北条に攻められ、さらに身内からも裏切り者が続出した際、真田昌幸が勝頼を岩櫃城に迎え入れるために岩櫃城搦手付近に御殿を建てた。

結果的に勝頼は小山田信茂の進言もあり岩殿山城を目指したが、信茂は元々裏切るつもりだったため、勝頼は追い詰められ天目山にて自刃して果てた。迎えるべき主を失った御殿は、昌幸配下の祢津潜竜斎昌月なる者がもらい受け、潜龍院という山伏修験寺となった。

前置きが長くなったが、その潜龍院が元和2年に移築され顕徳寺となったが、本堂は移築時のものだと伝えられている。但し、移築後顕徳寺は焼失し再建されているとか、潜龍院自体が焼失しており、建物は移築されていないとか、諸説あるらしい。

ちなみに、潜龍院跡(つまり勝頼御殿跡)には石垣などが残っており、面積もかなり広いらしい。