邑楽郡明和町中谷の阿妻山教学院。

教学院 (1)
教学院 (2)
教学院 (3)
教学院の由緒は不明だが、本堂は平成6年(1994年)に新築されているようだ。

教学院 (4)
教学院 (5)
享保3年(1718年)に起こった館林騒動の代表者3名の供養碑がある。館林藩主・松平清武が館林城の再築費用を賄うため領民に重税を課したことから生活が困窮した領民が一揆を起こしたもの。

領民は年貢の減免を求め江戸藩邸に強訴、結果として年貢は半減されたが、翌享保4年(1719年)3名の名主が斬首された。中谷村(明和町)の恩田佐吉、中野村(邑楽町)の竹岸武兵衛、田谷村(館林市)の小池藤左衛門。

領民は3名の死を悼み、館林小桑原の密蔵寺に供養碑を建てたが、城下に近く破壊されてしまったため、密かにこの教学院に再建している。

ちなみに藩主の松平清武は江戸幕府6代将軍・家宣の異母弟。家光の孫でもある。当時の館林は徳川綱吉の子・徳松死後、天領となっていた。

普通なら、こういう騒動を起こすと幕府から目を付けられるものだが、6代将軍は兄、7代将軍は甥という関係から、2万7千石だった清武は最終的には5万4千石に加増されている。