高崎市片岡町の七士殉職供養塔。

七士殉職供養塔
七士殉職供養塔は昭和10年(1935年)の大水害の際に殉職した、高崎第15連隊の兵士を供養するため、翌昭和11年(1936年)に建てられた。

台風による集中豪雨で、烏川の上流域と碓氷川支流の九十九川流域で山津波(土石流)が発生、さらには烏川、碓氷川の堤防が決壊。高崎市の家屋被害は、流失6棟、全壊3棟、半壊4棟、床上浸水818棟、床下浸水712棟という甚大なものとなった。

この水害の救助活動中に高崎第15連隊第11中隊の兵士10人が濁流にのまれ、うち7人が殉職するという悲劇が起こった。7人はいずれも県内出身者で、22歳、23歳の若い兵士であった。

7人の葬儀には県知事、高崎市長をはじめ、小学生や市内の関係団体など約5000人が参列し、兵士たちの死を悼んだ。

現在も花が手向けられており、高崎市民がいかに7人の死を悲しんだかが伝わってくる。