吾妻郡中之条町横尾の桃瀬の水牢跡。

桃瀬の水牢跡 (1)
水牢は人を水の中に入れる水責めの一種で、おもに年貢の取立てに使われたといわれる。

水牢は吾妻郡の東部(東吾妻町や中之条町)にのみ残っている。きちんとした資料はないみたいだが、岩櫃城主の斉藤氏が行っていたのを、その後吾妻郡東部を勢力圏に入れた、真田氏も引き継いだようだ。

桃瀬の水牢跡 (2)
桃瀬の水牢跡 (3)
水牢は8ヶ所残っているようだが、ここが1番原型を残しているという。以前、池の薬師の水牢跡(東吾妻町)に行ったことがある。
(「澄んだ水とは裏腹に・・・ -水牢跡-」参照)

「天下の義人 茂左衛門」で有名な杉木茂左衛門の直訴などにより真田沼田藩は真田信利の時に改易になった。茂左衛門資料館(?)でも、信利の悪行が紹介されている。
(「天下の義人 茂左衛門」参照)

で、オレも信利ってしょうもないヤツだなぁ~って思ってるんだけど、水牢が残っているのは吾妻郡東部のみ。利根・沼田方面には残ってない。また、資料の裏付けもない。ということで、一部には岩櫃城主・斎藤氏の時代にのみ行われていたという説もあるらしい。

まあ、よく分かんないけど、農民やその家族が入れられていたことは事実だと思うので、やっぱり悪領主が出てきちゃうと悲惨だよね。