館林市西本町の愛宕神社。

愛宕神社 (1)
館林愛宕神社は文武天皇4年(700年)に山城国(京都)愛宕神社の分霊を勧請したと伝わる。西暦700年は、天武天皇崩御による元号が定められなかった期間(686~701年)。

愛宕神社 (2)
愛宕神社 (3)
鎌倉幕府5代執権・北条時頼が社殿を造営。慶長7年(1602年)には館林城主・榊原康政が社殿を修復、寛文9年(1699年)には徳川綱吉が同じく社殿を修復するなど、歴代館林城主の崇敬を受けた。ただ、厳密には寛文9年には綱吉は既に将軍に就任しており、館林は天領になっている。

現在の社殿は、近年の新築建立と想われる。

愛宕神社 (4)
本殿は拝殿とは分離されており、上毛古墳綜覧記載の館林町第1号古墳上に鎮座している。古墳自体は径15.2m、高さ4mの円墳。

愛宕神社 (5)
愛宕神社 (6)
拝殿の右手に青石地蔵板碑がある。秩父産の緑泥片岩を使用しており、石の色が青く見えることから青石と呼ばれている。

この板碑は頂部が欠けているが202cm、800kgの大きさである。写真では分かりづらいが、上半分に地蔵像が刻まれている。下部には銘文が刻まれており、文永10年(1273年)に12人の子どもたちが父の13回忌に建立したとある。

この青石地蔵板碑は、画像板碑として群馬県内でも有数のものとされている。