館林市西本町の館林山応声寺。
応声寺は徳治元年(1306年)に僧・真教が創建した長福寺が始まりといわれる。
応声寺には館林城にあった鐘が移されている。徳川綱吉が館林城主だった寛文13年(1673年)、城内や城下町に時を知らせるために造らせた鐘。
延宝8年(1680年)、綱吉が5代将軍になると子の徳松が藩主となる。しかし徳松が天和3年(1683年)に4歳で夭逝すると館林藩は廃藩、館林城は破却された。
打鐘係をしていた縁故により、鐘は応声寺に移されたという。この時、鐘の銘が消されたようで、鐘には亀裂が入っている。
ちなみに、綱吉は基本的に江戸在住であって、生涯で館林に寄ったことは、寛文3年(1663年)の将軍・家綱に随伴した日光詣での帰路のみであったという。
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