伊勢崎市柴崎町の萬松山泉龍寺。

泉龍寺 (1)
泉龍寺は大洞元年(806年)に柴崎山玉泉寺として創建される。応永元年(1394年)那波城主・那波宗広が白崖宝生を招いて中興開山。

泉龍寺 (2)
泉龍寺 (3)
長い参道の脇には松などが植えられており心地が良い。

泉龍寺 (4)
泉龍寺 (5)
本堂は東向きで、訪問した夕方ではもろ逆光。そのため写真が暗い。本堂の写真を撮るなら、午前中に行った方が良い。

泉龍寺 (6)
境内の延命地蔵と薬師如来の石像。作風から応永年間(1394~1437年)頃の造立とされる。

泉龍寺 (7)
中央が泉龍寺中興開基の那波宗広の墓。
那波氏は鎌倉幕府において、源頼朝を内政面で支えた大江広元の子孫。広元の子・宗元(政広)が那波郡を治め那波氏を名乗っており、宗広は広元の玄孫と考えられる。

宗広の子・教元の墓といわれる宝篋印塔が、同じ伊勢崎市富塚町の円福寺にある。
(「那波教元の墓? -富塚円福寺-」参照)

向かって右は那波顕宗の墓。
顕宗は戦国末期の武将。宗広とは系統が異なる(宗広の叔父の系統)。顕宗は上杉、北条、織田(滝川一益)、武田などが覇を争った上野国で翻弄され、天正18年(1590年)上杉軍の一員として仙北一揆の鎮圧中に戦死。以後、那波氏は資料に見られなくなるため、顕宗の代で断絶したといわれる。

向かって左の宝篋印塔は、宝暦5年(1757年)に建立された宗広の供養塔。

ちなみに、毛利元就で有名な毛利氏も大江広元の末裔である。