太田市東金井町の金井山永福寺。

永福寺 (1)
永福寺 (2)
永福寺 (3)
永福寺の創建年代は不明だが、寺伝によると応永24年(1417年)横瀬貞氏が祖父の追善供養のため再建したといわれる。その後荒廃したが、文明15年(1483年)沼田迦葉山・大盛宗隆によって再興されている。

永福寺 (4)
高さ99cm、幅26cmの名号角塔婆。東西の2面には「南無阿弥陀佛」の六字名号が刻まれている。造立年代は鎌倉時代後期から室町時代初期で、造立者は当時この地を支配していた薗田氏と考えられている。

名号角塔婆は浄土信仰に基づく供養塔で、薗田成家と関わりのある限定された地域(太田市北東部、桐生市川内地区から大間々町)で建てられている。

薗田成家は京都に巡回警護に上がった際、法然の弟子となり智明と名乗り、桐生市川内町に崇禅寺を開創、浄土宗を広めている。(「智明上人の開創 -崇禅寺-」参照)

永福寺 (5)
永福寺 (6)
永福寺には「上州太田七福神」の寿老人が祀られている。寿老人は延命を司る南極の寿星が化身したもので、髭をたくわえ唐風の着衣を着けた老人である。

永福寺を再興したという横瀬貞氏は、横瀬氏の実質的な祖・時清の子である。横瀬氏は後に下剋上により岩松氏を廃し、戦国大名・由良氏として自立する。戦国時代の横瀬氏(由良氏)は、新田義貞の3男・義宗の家系を自称している。