太田市世良田町の普光庵跡。
世良田東照宮の境内にある。

普光庵は、長楽寺5世・月船琛海のために11世・牧翁了一が建てた塔所(たっちゅう)。塔所ってのは、禅寺で祖師や高僧の死後に、その弟子が師のために建てた墓所や庵のこと。

普光庵跡 (1)
普光庵跡 (2)
月船琛海は延慶元年(1308年)に京都・東福寺にて没し、牧翁了一が分骨したもの。

普光庵は所在不明となっていたが、昭和12年(1937年)に枯木の根を掘った際、月船琛海の石櫃と6人の弟子の骨臓器(壺)が発見された。これにより、ここが月船琛海の塔所であることが判明している。

長楽寺には普光庵以外に、大光庵、正伝庵、万象庵、互融庵、龍興庵など、多数の塔所があったらしい。しかし現存するものはない。幕末(弘化2年:1845年)の世良田村絵図を見ると、現在の世良田小のあたりに塔所が描かれている。

多分、世良田東照宮(社殿)や新田荘歴史資料館の辺りにも、埋もれているに違いない。

ちなみに、普光庵跡の真ん中に置かれている宝篋印塔のかけらのようなものは、何かはまったく不明。