前橋市千代田町3丁目の一谷山妙安寺。

妙安寺 (1)
妙安寺は親鸞門下の一谷成然房が鎌倉時代に下総国猿島郡三村庄に開基したと伝わる。成然房は親鸞聖人の教えに共鳴した北関東の門弟24人のひとりで、その遺跡寺院を「親鸞聖人二十四輩」という。

妙安寺 (2)
その後、酒井氏とともに移転を続け、慶長6年(1601年)前橋に移っている。

慶長8年(1603年)には、徳川家康の命により親鸞自刻とされる御真影(木像)を東本願寺に奉安している。それにより「御里御坊」の称号を与えられている。

妙安寺 (3)
妙安寺の梵鐘は、高さ86cm、口径54cmで小ぶりのほっそりとしており、各区に4段4列の乳を配した南北朝時代のものと推定されている。

徳川家康がなぜ親鸞像を東本願寺に遷させたかというと、本願寺の後継者争いに乗じて本願寺の勢力を弱めるため。これにより本願寺は東西に分裂。

後には東西本願寺による御影像論争が起き、両本願寺がそれぞれ自分たちの御影像が本物であると主張しあい、対立をさらに深めていく。まさに、家康の思惑通り進んだことになる。家康が本願寺教如(東本願寺初代)を崇拝していたという論もあるが、これは当時(戦国末期)の宗教教団の実情を知らない戯言である。