高崎市吉井町小棚の雲光山弥勒寺。

弥勒寺 (1)
弥勒寺は鎌倉時代末に桂澗清輝和尚の開山と伝わる。

弥勒寺 (2)
弥勒寺 (3)
弥勒寺 (4)
山門は平成7年(1995年)の新築。

弥勒寺 (5)
巨大延命地蔵尊は、甘楽町出身の実業家・長岡今朝吉氏が父親の7回忌供養のために、甘楽町にある「造石法華経供養遺跡」の石造地蔵尊坐像を模刻・造立したもの。
(「組石造りの地蔵像 -法華経供養遺跡-」参照)

弥勒寺 (6)
長岡家は細川藤孝(幽斎)の長男・忠興とガラシャ(玉)の次男・興秋の末裔だそうで、興秋の供養塔が建っている。

弥勒寺 (7)
織田信長が細川幽斎に九曜の紋章を授けたことから、織田信長の供養塔もある。

長岡家の祖先にあたるという細川興秋は、慶長10年(1605年)人質として江戸に向かう途中に出奔し、その後慶長19年(1614年)の大坂の冬の陣では豊臣方に加担したため、戦後忠興の命により切腹したというのが一般的。

しかし興秋は大学と名を改め甘楽町造石に落ち着き、先祖の供養のため造石の地蔵菩薩坐像を造ったという。確かに、地蔵菩薩の中には「細川」「忠興」「興秋」「義輝」の文字が刻まれている。

「義輝」は室町幕府13代将軍・足利義輝のことだけど、細川藤孝は12代将軍・義晴の御落胤という説がある。そうすると、義輝と藤孝は兄弟となる。ついでに言うと、15代将軍・義昭も兄弟になる。長岡家家系縁起(長岡家墓所にあった)では、この説を採用していた。

まあ、歴史の通説はともかく、実業家として成功した今朝吉氏が、ご先祖の供養を立派に行ったということ。

弥勒寺 (8)
弥勒寺 (9)
延命地蔵の裏(西側)にある長岡家の墓。光り輝く今朝吉氏の像もあった。