邑楽郡千代田町赤岩の赤岩山光恩寺。

光恩寺 (1)
光恩寺は雄略天皇が穴穂宮のために、勅して全国に建立せられた九ケ寺のひとつとされる。雄略天皇は「宋書」に記される倭王・武に否定される天皇である。在位は457~79年とされている。

また推古天皇33年(625年)、高麗王より大和朝廷に貢された恵潅僧正が当地に来往し、光恩寺を開いたともいわれている。まあ、いずれにしても、相当な古刹ということ。

光恩寺 (2)
光恩寺 (3)
弘仁5年(814年)には弘法大師が諸国遊化のおり当地に留まり、密教の道場として再興開山したと伝えられる。後に兵火により堂宇を失うが、元亨元年(1321年)後醍醐天皇が宇都宮公綱に命じ再建し、「赤岩山光恩寺」の称号を下賜したという。

光恩寺 (4)
阿弥陀三尊像が治められている阿弥陀堂。昭和53年(1978年)の再建。再三の火災により三尊像の由緒は不明だが、その様式から鎌倉時代の制作と推定されている。また永享12年(1440年)の火災の際には、三尊像自ら難を逃れたといわれ「堂山焼出しの弥陀」との異名もある。

光恩寺 (5)
光恩寺境内にある堂山古墳。全長約80m、高さ8mほどの前方後円墳で、2段に土盛りがされている。江戸時代に石室(横穴式)から金銅装頭椎大刀などが出土したと伝えられ、埴輪片も見つかっている。

光恩寺 (6)
光恩寺 (7)
堂山古墳の後円部にある梵鐘。撞座に金剛界五仏の種子を配し、乳の間には梵字百字真言が鋳出されている。元禄16年(1703年)の銘がある。

光恩寺 (8)
堂山古墳の前方部にある赤井照光の墓。赤井照光は館林城を築いた人物として有名である。
 「きつねの尾曳伝説 -館林城址-
 「きつねの尾曳伝説 その2 -尾曳稲荷神社-

照光は「わが骨は堂山に埋めよ」と言い遺し、子の左衛門が遺言通りここに埋葬したという。

光恩寺は雄略天皇の御代の創建とすると、1500年を超える歴史があることになる。また弘法大師が来たり、後醍醐天皇から称号を下賜されたりと、由緒も凄いね。