Tigerdream の上州まったり紀行

上毛かるたと群馬県内の神社仏閣、遺跡・史跡・古墳、資料館などの紹介。

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高崎市箕郷町富岡の飯玉神社。

富岡飯玉神社 (1)
富岡飯玉神社 (2)
富岡飯玉神社は天文年間(1532~55年)の創建と伝わる。箕輪城主・長野業正の崇敬厚く、その後業正の弟・直業が下館に住んで常に崇拝したという。直業は富岡城主。また直業は小塙髙成と改名し、小塙7村を領有したともいわれる。

鳥居は文化2年(1805年)の建立。扁額の揮毫は源(岩松)徳純。

富岡飯玉神社 (3)
社殿の建立年などは不明。

富岡飯玉神社 (4)
富岡飯玉神社 (5)
社殿裏の境内社・末社群。

由緒は箕郷町誌(昭和50年:1975年)から調べたが、群馬郡誌(大正14年:1925年)では寛永6年(1629年)の創建となっている。

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高崎市箕郷町富岡の道場山真福寺。

真福寺 (1)
真福寺の由緒は不詳。現状を見ると観音堂(写真)以外何もないので、既に廃寺になっている? それとも観音堂以外移転している?

箕郷町誌(昭和50年:1975年)には写真入りで真福寺が載ってるので、それ以降に変化があったようだ。

真福寺 (2)
真福寺 (3)
観音堂は「箕郷三観音」と言われ、旧箕郷町三観音堂のひとつとされる。

真福寺 (4)
観音堂に掲げられている歌の奉納額。明治16年(1883年)に西群馬郡金敷平村の方が奉納。金敷平村は現在の箕郷町金敷平。

真福寺 (5)
観音堂の裏に石仏群が並んでいる。庚申塔が2基あり、1基は寛政12年(1800年)の造立で市川米庵の書。もう1基は安政7年(1860年)の造立で安中藩の儒者・太山融斎の書。

真福寺 (6)
青面金剛像と薬師如来像。薬師如来像には安永9年(1780年)の銘がある。

真福寺 (7)
真福寺 (8)
地蔵菩薩像と並び、阿弥陀三尊の梵字を刻んだ板碑がある。紀年銘はないが、総高95cmは旧箕郷町では唯一の大型板碑。ただ、残念ながら上から28cmのところで折れてしまっている(補修されているけど)。

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高崎市井出町の意玉山大円寺。

大円寺 (1)
大円寺は正慶年間(1332~33年)僧・慶運が現在の元井出に創建。その後、元和から寛永2年(1615~25年)の間に井出集落の移動が行われ現在地の移転している。その後、宝暦9年(1759年)に僧・寛良が中興している。

大円寺 (2)
大円寺 (3)
大円寺 (4)
本堂は明和年間(1764~72年)に井堤神社境内に建立。井堤神社は大円寺のすぐ隣にある。(「景行天皇の創建? ー井堤神社ー」参照)

中興時の宝暦9年の建立との記録もあるようだ。昭和59年(1984年)に大改修が行われている。明治初年の神仏分離で、明確に境内が分離されたのだと思う。本尊の地蔵菩薩像は弘法大師の作と伝わる。

大円寺 (5)
本堂に掲げられている「長野業盛奮闘の図」。永禄9年(1566年)の箕輪城落城時自刃した長野業盛の遺骸は、移転前の大円寺に葬られたとされる。移転時にお墓は元井出に残されている。(「伝・長野業盛の墓」参照)

箕輪城内で自刃した業盛の遺骸をなぜ井出の僧がと思うが、業盛が井出で自刃したとの伝説もあるので。なんとなく関連性がある? と考えてしまう。
(「長野業盛伝説 ー落合観音堂ー」参照)

大円寺 (6)
大円寺 (7)
境内の阿弥陀堂。木彫阿弥陀如来坐像を祀る。檜の寄木造りで像高85cm。鎌倉時代中期のものと推定される。越後国から運ばれてきたと伝わる。

大円寺 (8)
参道の供養塔。天保15年(1844年)の建立。着色は建立時のものではなく最近のようだ。多分随時行われているのだと思う。

大円寺 (9)
境内の宝塔は享保20年(1735年)の建立。

大円寺 (10)
境内の長谷観音。詳細不明。

大円寺 (11)
境内の一角に馬頭観音がまとめられている。なんとなく長野業盛伝説(上記落合観音堂)との関連性を考えてしまう。考えすぎかな。

大円寺 (12)
大円寺 (13)
大円寺 (14)
墓地に如意輪観音形の墓石が40基以上ある。宝永5年(1708年)、寛保2年(1742年)などの銘があるものもあるが、無銘・無戒名も多い。確認出来た戒名に「童女」とあったので、幼くして亡くなった女の子や女性の墓石として用いられたのだろうか。

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高崎市井出町の井堤神社。

井堤神社 (1)
井堤神社 (2)
井堤神社の創建年は不詳。上野国上名帳の「大井明神」とされる。伝承では景行天皇(第12代)が東国へご巡幸の際、当地に清泉が湧出するのを見て社を建てさせ「井堤の社」と名付けたとされる。

ちなみに景行天皇の即位は西暦51年とされる。景行天皇は有名な日本武尊の父。

井堤神社 (3)
鳥居前の大灯籠は日露戦争戦勝記念として明治40年(1907年)の造立。

井堤神社 (4)
水鉢は高崎市住吉町の神成伝吉の奉納。伝吉は井出出身で「村伝」の初代店主。

井堤神社 (5)
井堤神社 (6)
社殿の建立年などは不明。社殿前の灯籠は天明2年(1782年)の奉納。

井堤神社 (7)
井堤神社 (8)
本殿には素晴らしい彫刻が施されている。ただ保護金網の目が細かくて、上手く写真が撮れなかったのは残念。

井堤神社 (9)
社殿裏の境内社、末社群。古峯神社など。

井堤神社 (10)
境内はずれの青面王・一石庚申塔。嘉永5年(1852年)の造立。道路沿いにあったものを平成26年(2014年)に移動。

日本書紀によれば、景行天皇は日本武尊の死を悲しみ、追慕して東国巡幸に出たとされる。景行天皇53年(西暦103年)のこと。群馬にはなじみの豊城入彦命の子・彦狭島王、孫・御諸別王を東国(関東)に派遣したのも景行天皇とされる。

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高崎市保渡田町の落合観音堂。

落合観音堂 (1)
落合観音堂の創建年は不詳だが、箕輪城落城時の長野業盛に関する伝承がある。

永禄9年(1566年)の箕輪城落城時、城から脱出した業盛は傷馬に鞭を打ち落合まで落ち延びてきた。当地(観音堂)から東南の井野川畔といわれる。そこで馬を処分した業盛は井出野にて自刃。

その後、落合付近では災いが多発。旅の僧が「畜馬の霊障がある」と言うので調べると、砂中から馬の亡骸と朽ちた鞍が見つかった。そこで村人は相談のうえ小宇を建立し馬頭観音を祀った。その結果、災いは起らなくなったという。

現在の観音堂は嘉永2年(1849年)の建立、明治23年(1890年)の改築。

落合観音堂 (2)
落合観音堂 (3)
本尊の馬頭観音は一寸八分(約5.5cm弱)。厨子の前に馬頭観音像らしきものが見えるが、前立像的なものかな。一寸八分より大きいし。ただ厨子が開いていて、中には板碑の一部が置かれている。本尊は別の場所に安置されている? 本尊は1月2日のみご開帳される。

落合観音堂 (4)
床下の軽石はイボを取る効果があるといわれ、治ると倍にして返す風習がある。

落合観音堂 (5)
落合観音堂 (6)
落合観音堂 (7)
社務所らしき建物の中には釈迦誕生像らしき像や古い位牌などが見られる。詳細は不明。

落合観音堂 (8)
落合観音堂 (9)
多くの石仏が並べられている。

一般的には、長野業盛は箕輪城内・御前曲輪の持仏堂にて自刃したとされ、城外に落ち延びたとはされていない。ただ、その遺骸はどういう経緯か高崎市井出町に葬られている。当地の僧により葬られたとされるが、その明確な根拠はなく、あくまで「伝」業盛の墓となっている。(「伝・長野業盛の墓」参照)

井出野にて自刃という落合地区の伝承も含め、想像力を働かせて歴史を考えるのもおもしろい。

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高崎市箕郷町生原の慈眼山龍昌寺。

箕郷町・龍昌寺 (1)
龍昌寺は川浦四郎左衛門が川浦家の菩提寺として龍善寺5世・大安堯覚を開山として招き創建。大安堯覚の入寂が万治3年(1660年)なので、創建は江戸初期となる。

川浦氏は地元の有力者で、生原厳島神社に祀られている弁天さまを発見したとされる。(「高崎市箕郷町生原・厳島神社」参照)

箕郷町・龍昌寺 (2)
入口には回国供養塔や庚申塔が建っている。

箕郷町・龍昌寺 (3)
境内は狭く、しかも本堂前には樹木が有りよく見えない。小さな池もあったけど、どうしても上手く写真が撮れなかった。

箕郷町・龍昌寺 (4)
箕郷町・龍昌寺 (5)
朱色のお堂があったが、中は物置同然になっており詳細不明。上郊(かみさと)村誌(昭和51年:1976年)によると、寺域に朱鳥居と稲荷堂があると書いてあったのでその名残かな。鳥居はなかったと思う。

ちなみに、旧上郊村は昭和32年(1957年)昭和の大合併で、生原地区のみが箕郷町へ編入、他の中里、保渡田、井出地区は群馬町へ編入している。まあ、結局は平成の大合併(平成18年:2006年)で箕郷・群馬の両町は高崎市へ編入合併しているので、現在は旧上郊村はすべて高崎市となっている。

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高崎市箕郷町生原(おいばら)の厳島神社。

生原厳島神社 (1)
生原厳島神社 (2)
生原厳島神社は享保年間(1716~36年)の創建。生原の原新田地区は水利の便が悪く、近くにあった唯一の湧水池を貴び、水の神・市杵島姫命を祀ったといわれる。

鳥居は安永5年(1776年)の建立。扁額は弁財天。ご祭神の市杵島姫命は本地垂迹では弁天さまに比定される。

生原厳島神社 (3)
灯籠は天明6年(1786年)に当地の川浦氏の奉納。

生原厳島神社 (4)
中は見られなかったが、高さ18cmの弁天さまが納められている。この弁天さまは、川浦氏が新田開墾時に石臼を2つ合わせたものを掘りあて、その中に入っていたといわれる。

川浦氏についてはよく分からないが、新田開発の中心的な役割を果たしているようなので、名主的な存在だったのかな。

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高崎市箕郷町生原(おいばら)の北野神社。
生原地区には北野神社が2つあるが、原新田(字名)にある北野神社。

生原(原新田)北野神社 (1)
原新田北野神社は生原北野神社より分霊を勧請して創建。

伊香保街道の整備で榛名登山客などの往来が増え、街道沿いに休憩所や民家が集まり生原地区が次第に東側に発展し、原新田集落が形成された。戸数も増えたので、新たに生原北野神社より分霊を勧請したようだ。よって創建は江戸時代の初期から中期くらいかな。
(生原北野神社は「小林源太郎の社殿彫刻 ー生原北野神社ー」参照)

生原(原新田)北野神社 (2)
鳥居がなく境内に地区集会所があるので神社らしくない佇まい。境内側から見ると灯籠があるので、かろうじて神社と認識できる。灯籠は安永2年(1773年)の奉納。

生原(原新田)北野神社 (3)
生原(原新田)北野神社 (4)
生原(原新田)北野神社 (5)
社殿の建立年などは不明。

生原(原新田)北野神社 (6)
生原(原新田)北野神社 (7)
境内社の古峯神社と秋葉大権現、御嶽山大権現、愛宕大神の石碑。

地区が大きくなったから分社を造るということは、北野神社が生原地区の鎮守さまの位置づけなのかな。

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高崎市箕郷町柏木沢の八坂神社。

柏木沢八坂神社 (1)
柏木沢八坂神社の創建年は不詳。永禄9年(1566年)武田信玄の箕輪城攻めの際に焼失。安永4年(1775年)に再建されている。鳥居は昭和12年(1937年)の建立。

柏木沢八坂神社 (2)
柏木沢八坂神社 (3)
鳥居から入ると社殿は左側にある。正確な方角は分からないが、鳥居は西面、社殿は南面かな。

明治30年(1897年)に再度火災で焼失。同年再々建されている。

柏木沢八坂神社 (4)
柏木沢八坂神社 (5)
拝殿前に木くずが落ちていたので、上を見ると屋根裏が剥がれかけている。地域の神社はなかなか修理もままならないね。

柏木沢八坂神社 (6)
閑院宮載仁親王が大正2年(1913年)に相馬原の陸軍演習場へお成りの際、当社に参拝している。その記念碑。

閑院宮載仁親王は伏見宮家から閑院宮家を継ぎ、皇族軍人や貴族院議員として活躍された。昭和20年(1945年)の終戦直前に薨去。閑院宮家は春仁王が継承したが、戦後GHQの政策により閑院宮家など11宮家は皇籍離脱・臣籍降下されている。閑院宮家は春仁王で絶家となっている。

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高崎市箕郷町善地の駒寄神社。

駒寄神社 (1)
駒寄神社は文久元年(1861年)地元の堀田彦右衛門、剣持与惣次ら7名の世話人が、月波神社の分霊を勧請したもの。以前は分霊月波神社とか別院月波神社と呼ばれていた。平成17年(2005年)榛名神社の分霊も迎え駒寄神社となっている。駒寄は字名。
(月波神社は「高崎市箕郷町善地・月波神社」参照)

駒寄神社 (2)
鬱蒼とした森(と言うか山林)の中に鎮座している。

駒寄神社 (3)
駒寄神社 (4)
駒寄神社 (5)
質素な作りの社殿だが、地域の鎮守として崇敬されている。

駒寄神社 (6)
県道沿いの庚申塔と百番供養塔。案内板もあったのだが、ちょっと高い所にあり登れなかったので読めなかった。

駒寄神社は月波神社からさらに奥に行った旧箕郷町の最北端になる。神社前の県道をそのまま行けば榛名湖に至る。当時は月波神社まで参拝に行ったのだろうが、けっこう難儀だったので地域の神社として月波神社を勧請したのだろう。

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高崎市箕郷町善地の月波神社。

月波神社 (1)
月波神社 (2)
月波神社は安閑天皇元年(531年)の勧請と伝わる。上野国神名帳記載の「月波明神」に比定される古社である。

月波神社 (3)
月波神社 (4)
二の鳥居の扁額は「月並神社」になっている。当社は元は榛名神社の参道で、榛名神社の月並(月次の意味)祭り時に遙拝したことから、月並神社の名になったとされる。

月波神社 (5)
月波神社 (6)
梅林にはさまれた参道を過ぎ県道を渡ると、1段高いところが境内。立派な割拝殿(かな?)。

月波神社 (7)
月波神社 (8)
年代は分からないが愛嬌のある狛犬。阿形(写真上)は昔のアニメでこんな風貌のキャラを観たことがあるようなないような。

月波神社 (9)
月波神社 (10)
月波神社 (11)
社殿は正保4年(1647年)建立といわれる。その後、幾度かの改修を経て現存する社殿は元文元年(1736年)の建立とされる。拝殿の扁額も「月並神社」。

月波神社 (12)
月波神社 (13)
拝殿の龍と麒麟の彫刻。

月波神社 (14)
月波神社 (15)
本殿彫刻。題材は分からない。

月波神社 (16)
境内の十三重塔。初詣時に塔の小さな穴へ米粒を入れると、ご利益があるといわれている。

延暦年間(782~806年)に豊城入彦命の末裔とされる車持氏が、坂上田村麻呂の蝦夷討伐に参戦。その功績により「善知」の姓を授かったことから、当地を「善地」と呼ぶようになったといわれる。

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高崎市箕郷町下芝の竜宮神社。

竜宮神社 (1)
竜宮神社は箕郷町上芝字竜の宮の龗(オカミ:雨かんむりの下に口をよこ並びで3つ、その下に龍)神社からの勧請と伝わる。龗は水神・淤加美神(おかみのかみ)のこと。
*龗(オカミ)は場合によっては文字化けする可能性有り

鳥居は正徳3年(1713年)の建立。

竜宮神社 (2)
竜宮神社 (3)
明治期に西明屋の東向八幡宮に合祀されたが、昭和23年(1948年)に再度分離されている。

竜宮神社 (4)
境内の道祖神は天保年間(1831~45年)の造立。

竜宮の名称から、浦島太郎伝承との関係があるのかと思ったが、水の神を祀る神社のようだ。稲の豊作や雨の恵みを願い感謝するということ。

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高崎市箕郷町下芝の下芝山万福寺。

万福寺 (1)
万福寺の創建は数度の火災により古記録が失われたため不詳だが、開山の英伝法印の入寂が永正2年(1505年)とされるので、それ以前の創建と考えられる。

現在の本堂は安永7年(1778年)の再建。

万福寺 (2)
万福寺 (3)
青柳紋右衛門友忠が祖先供養のために百番霊場を巡拝(巡礼)、建立した宝篋印塔。安永4年(1775年)の造立。中には仏像が。青柳家は長野氏家臣の家柄。

万福寺 (4)
百番霊場巡拝供養塔。六角形の多宝塔型で安永5年(1776年)の造立。これも青柳紋右衛門友忠の造立と考えられる。

一般的に西国33札所巡拝などの諸国巡拝達成記念に建てられる供養塔。百番は西国33ヶ所、板東33ヶ所、秩父34ヶ所の100霊場。先の宝篋印塔は祖先のために建て、供養塔は地域の方々のために建てたということかな。

お年寄りや身体の弱い方などが、この供養塔をお参りすることで、100ヶ所巡拝したことと同じご利益が得られるとされるので、江戸時代に全国的の造立されている。

万福寺 (5)
観音菩薩と地蔵菩薩。平成2年(1990年)の造立。

万福寺 (6)
墓地の五輪塔。赤城型といわれるもので高さ145cm。「并諸檀那奉逆修応永廿八年拾月」の銘がある。逆修なので生前造立。また、応永28年は1414年。と言うことは、応永年間には万福寺は創建されていたということかな。

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門松 (9)
明けましておめでとうございます。
みなさまにおかれましては、健やかな新年をお迎えのことと、お慶び申し上げます。

ブログ生活も丸10年を過ぎ、11年目に突入。「上州まったり紀行」「まったりとスペシャル系」の2本体制にしてからも6年目に入る。我ながらよく頑張っているなぁ~と感心するしかない。

さらにはホームページ(HP)「TigerdreamーNET」も、やはり6年目に入る。昨年はコンテンツの変更も含め、大リニューアルも実施。まあ、すべて自己満の域を出ないものだけど。

今年も「上州まったり紀行」で群馬県内の神社仏閣、遺跡・史跡などを紹介しつつ、「まったりとスペシャル系」には好き勝手書いていく。HPも色々いじっていきたい。

と言うことで、今年もブログ・HPをよろしくお願いいたします。みなさんにとって2020年が良い年であることを祈念いたします。

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2019年、令和元年も残すところわずかとなった。恒例の「上州まったり紀行Award(アワード)」を発表して、1年の締めくくりとしたいと思う。

今年は169ヶ所(件)の記事をアップすることができた。総数では1700ヶ所(件)を超えた。ただ、今年も利根・沼田、館林・邑楽方面には足を伸ばせなかった。何とか来年はとは考えている。でも、やっぱり近場が増えるね。

と言うことで、個人的偏見で2019年のベスト5を発表する・・・前に、番外編から。興味を引かれた(と言うか面白い)「伝説」からみのもの。

番外編1 乃久里神社(多野郡上野村)
日本武尊の妃・弟橘姫の遺髪を祀っている。地元で疫病が流行した際、神の怒りと感じた住民がご神体(遺髪)の穢れを浄めるために川に流したという。これが神流川の名前の由来にもなっている。

番外編2 義輝山光源院(藤岡市篠塚)
室町幕府13代将軍・足利義輝の孫とされる木喰覚海上人が開山した。さらにはその場所が、新田義貞四天王のひとり・篠塚伊賀守重廣の館跡だという。

番外編3 養命寺(藤岡市上日野)
同所の小柏氏の開基だが、小柏氏は平清盛の嫡孫・維盛の子という維基の末裔とされる。維盛は平家が没落する原因となった富士川の合戦と倶利伽羅峠の合戦の総大将。後に一ノ谷の合戦前後に逃亡。その後の消息には諸説あるが不明。

では、2019年のベスト5。

5位 福聚山応永寺(吾妻郡東吾妻町)
岩櫃城主・斎藤氏により建立された応永寺。立派な山門に素晴らしい天井絵が施されている。また、境内の五葉松も素晴らしい。

4位 総社歴史資料館(前橋市総社町)
「放光寺」の文字瓦や軒丸瓦などの実物が見られる。放光寺は世界遺産「上野三碑」のひとつである山ノ上碑の碑文に登場する。しかしその所在に諸説あったが、この発見により「放光寺=山王廃寺」とほぼ確定した。

3位 御倉御子神社(藤岡市浄法寺)
安閑天皇の御代に設置された屯倉の守護のためという創建逸話もさることながら、その参道が大変だった。急な石段が途中で終わり、その先は岩場が剥き出し。「ここより石段がありません。あなたの好きな道を撰び登坂してください」との案内板。

2位 柳原馬頭観音堂(高崎市大類町)
観音堂の彫刻が本当に素晴らしい。龍の巻き付いた海老虹梁は躍動感あふれる傑作。源義家(八幡太郎)の創建、新田義重の社殿造営という歴史(史実かは?)も面白い。

1位 成田山不動堂(富岡市富岡)
お堂の側面のみならず正面扉などにも施された漆喰彫刻。あまり漆喰彫刻を見る機会は少ないので、非常に貴重な物だと思う。ただ一部剥落が進んでいるので、早急な対策・保護をお願いしたいとも感じた。

もちろん、これら以外にも印象に残った場所はたくさんあり、新しい発見もあった。また、秋ころからは図書館に行き、種々の地方誌の閲覧を始めた。先人が記録に残してくれたからこそ、いまこうやって訪問できることのありがたさも実感。


今年も「上州まったり紀行」をご覧いただきありがとうございました。2020年も引き続きよろしくお願いいたします。

みなさん、良いお年をお迎えください。

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