Tigerdream の上州まったり紀行

上毛かるたと群馬県内の神社仏閣、遺跡・史跡・古墳、資料館などの紹介。

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渋川市白井の金光山玄棟院春日寺。

玄棟院 (1)
玄棟院は天正3年(1575年)白井城主・長尾憲景が開基、雙林寺10世・操芝英旭禅師の開山。寺名は憲景の法名・梁雄玄棟院殿から。

玄棟院 (2)
玄棟院 (3)
本堂と庫裏が合体したような造りになっている。本堂部分は平成24年(2012年)、庫裏部分は平成16年(2004年)に大改修が行われている。

玄棟院 (4)
玄棟院 (5)
鐘楼は昭和58年(1983年)の建立。

玄棟院 (6)
本堂脇の閻魔大王は、長尾憲景の護持仏と伝えられる。

玄棟院 (7)
玄棟院 (8)
玄棟院 (9)
境内の山水庭園はきれいに整備されており、池には立派な錦鯉がわんさと泳いでいる。ところで、長尾憲景の築園とされる「信玄造り」といわれる枯山水庭園があるということだが、どこにあるのだろう。

玄棟院 (10)
玄棟院 (11)
探してみると、本堂裏にこぢんまりとした枯山水庭園があった。これが長尾憲景築園の庭園なのかは不明。

玄棟院 (12)
玄棟院は高台にあるため、吾妻川や市街地を下に、背景には榛名山という素晴らしい景色が見られる。

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吾妻郡東吾妻町大戸の畔宇治(くろうじ)神社。

畔宇治神社 (1)
畔宇治神社は文永元年(1264年)に近江国(滋賀県)堅田郷の白鬚神を勧請したといわれる。ちなみに、畔宇治は地名。

畔宇治神社 (2)
畔宇治神社 (3)
畔宇治神社 (4)
畔宇治神社 (5)
鳥居前の石灯籠は、文政9年(1826年)に大戸の大富豪・加部安左衛門が寄進したもの。(加部家については「富豪・加部安左衛門の屋敷跡 -大運寺-」参照)

畔宇治神社 (6)
畔宇治神社 (7)
鳥居をくぐり石段を下ると、そこは国道406号線。

畔宇治神社 (8)
畔宇治神社 (9)
旧道に面していた神社だったが、新道の開通により鳥居と社殿が分かれてしったということ。国道を渡り細い道に入って行く。

畔宇治神社 (10)
社殿は木々に覆われ、いかにも鎮守の森と言った感じの趣き。

畔宇治神社 (11)
畔宇治神社 (12)
二ノ鳥居は比較的新しく、平成12年(2000年)の建立。

畔宇治神社 (13)
畔宇治神社 (14)
社殿は文永10年(1273年)に建立され、天正10年(1582年)には真田信之が改修している。現在の社殿は寛政6年(1794年)の再建。

国道406号を走っていると、東吾妻町の重文である石灯籠を示す案内板が見える。これを頼りに行くと、鳥居と石灯籠しかない。事前に調べて行ったので社殿は国道の反対側にあることを知っていたが、知らなかったら神社はどこだ? ってなっていたかな。

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吾妻郡東吾妻町本宿の吉岡神社。

吉岡神社 (1)
吉岡神社 (2)
吉岡神社の創建は不詳だが、口碑では和銅元年(708年)に田口朝臣益人の勧請と伝わる。田口益人は武内宿禰の末裔とされる貴族・歌人で、上野国守に任じられ赴任してきたといわれる。

吉岡神社 (3)
吉岡神社 (4)
鳥居前の太鼓橋。彫刻は虎かな。だいぶ風化してきている。

吉岡神社 (5)
石灯籠は天保4年(1833年)の奉納。

鳥居の先に社殿らしきものが見えなかったが、そんなに遠くないだろうと歩いて進む。ところが、これが大失敗だった。

吉岡神社 (6)
田んぼの中を数百m歩いても何も見えない。それどころか、どんどん山道になってくる。

吉岡神社 (7)
吉岡神社 (8)
しばらくすると、参道らしき石段が見えてきた。しかし、ちょっときつそうだったので。下の写真の道をそのまま進む。行かれる場合は、クルマで登って行くことをお勧めする。すれ違えない(と思われる)が、道はしっかりしているので。

吉岡神社 (9)
吉岡神社 (10)
息が切れかかったころに、やっと神門が見えてきた。随神像はなく、ご神体を表すような御幣と言うか紙垂と言うかがあるだけ。

吉岡神社 (11)
吉岡神社 (12)
吉岡神社 (13)
吉岡神社 (14)
社殿は戦火で荒れ、野火で全焼していたが、天正7年(1579年)に加辺半左衛門が再建している。加辺半左衛門って、大戸の大富豪・加部家の人かな?

吉岡神社 (15)
大正12年(1923年)建立の神楽殿。

吉岡神社 (16)
弘法大師が杖を刺したのが育ったといわれるホオノキ。

永承7年(1052年)源頼義が陸奥征討(前九年の役と思われる)の途上に、建久4年(1193年)には源頼朝一行が浅間巻狩りの際に参拝している。また、頼朝が「美しき岡なり」と言ったので、吉岡山となったという。ちなみに、源頼義は有名な八幡太郎義家の父親。

神仏混淆時代は「吉岡薬師」と呼ばれていた。それは、源頼朝の守り本尊である薬師如来像が納められているから。ただ拙い記憶だと、頼朝の守り本尊は「聖観音」だった気がする(自信はない)。

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吾妻郡東吾妻町五町田の平五良(へいごろう)観音の大杉。

平五良観音の大杉 (1)
平五良観音堂境内にそびえる大杉は、高さ約30m、目通り約5mで、樹齢は約400年と推定される。

平五良観音の大杉 (2)
以前の大杉は、その根元から2本に分かれた「夫婦杉」の様相を呈していたが、大正時代に落雷により片方の根元が痛み傾いてしまったので、残念ながら伐採されている。残った1本の幹は現在も樹勢・枝振りが良く、ひときわ美しい姿を保っている。

平五良観音の大杉 (3)
平五良観音の大杉 (4)
平五良観音の大杉 (5)
観音堂・観音様の由緒は分からないが、お堂を囲むように石仏・仏塔がまとめられている。

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上州まったり紀行の中から「古墳・遺跡」に関するものをリスト化したもの。古墳に行くのが(見学するのが)主目的でない場合も含んでるけどね。


前橋市(旧郡部を除く)

今井神社古墳
正円寺古墳
桂萱大塚古墳
新田塚古墳
金冠塚古墳
亀塚山古墳
天神山古墳
天川二子山古墳
遠見山古墳
愛宕山古墳
荒砥富士山古墳
大室公園・前二子古墳
大室公園・中二子古墳
大室公園・後二子古墳
大室公園・小二子古墳
大室公園・M-1号古墳
八幡山古墳
蛇穴山古墳
宝塔山古墳
総社二子山古墳・保渡田二子山古墳


前橋市(旧大胡町、旧宮城村、旧粕川村、旧富士見村)

鏡手塚古墳
壇塚古墳
堀越古墳
上庄司原2号古墳&4号古墳
上庄司原1号古墳
九十九山古墳


伊勢崎市、佐波郡(玉村町)

十二所古墳
玉村町15号墳
一ノ関古墳
台所山古墳石棺
梨ノ木山古墳
お富士山古墳
雷電神社古墳
鶴巻古墳
権現山
軍配山古墳


渋川市、北群馬郡(吉岡町、榛東村)

いなり塚古墳
中ノ峯古墳
八木沢清水縄文時代住居跡
金井古墳
小室敷石住居跡
将軍塚古墳
虚空蔵塚古墳
中筋遺跡
黒井峯遺跡
滝沢古墳
三津屋古墳
南下古墳群・E号古墳&F号古墳
南下古墳群・C号古墳&D号古墳
南下古墳群・B号古墳
南下古墳群・A号古墳
滝沢石器時代遺跡


高崎市(旧郡部を除く)

五霊神社古墳
桜塚古墳
少林山薬師塚古墳
少林山天頭塚古墳
八幡原A号及びB号石槨
剣崎長瀞西古墳
将軍塚古墳
上小塙稲荷山古墳
普賢寺裏古墳
不動山古墳
浅間山古墳
大鶴巻古墳
安楽寺古墳
三島塚古墳
若田原遺跡
観音塚古墳
山ノ上古墳
観音山古墳


高崎市(旧群馬町、旧箕郷町、旧榛名町、旧吉井町、旧新町、旧倉渕村)

長井石器時代住居跡
恩行寺古墳
南高原1号古墳
片山1号古墳
金古愛宕山古墳
御穴塚古墳
多胡薬師塚古墳
保渡田薬師塚古墳
保渡田八幡塚古墳
総社二子山古墳・保渡田二子山古墳


安中市

龍的塚古墳
簗瀬二子塚古墳


富岡市、甘楽郡(甘楽町、下仁田町、南牧村)

高瀬26号古墳
粘土山古墳
伊勢塚古墳
太子堂塚(旅寝塚)古墳
北山茶臼山古墳
天王塚古墳
田篠しの塚古墳
堂山稲荷古墳
笹森古墳


藤岡市、多野郡(神流町、上野村)

原古墳
胴塚稲荷古墳
霊符殿古墳
諏訪古墳
戸塚神社古墳
平地神社古墳
中大塚縄文時代敷石遺構
平井地区1号古墳
皇子塚古墳
譲原石器時代住居跡
伊勢塚古墳
白石稲荷山古墳
七輿山古墳


太田市(旧郡部を除く)

巌穴山古墳
稲荷山古墳
塚廻り古墳群第4号古墳
茶臼山古墳
茶臼山古墳


太田市(旧新田町、旧尾島町、旧藪塚本町)

長楽寺遺跡1号墳跡
中原生品神社・敷石住居跡
長円寺古墳
北山古墳
西山古墳


桐生市

愛宕塚古墳
天神古墳
中塚古墳
普門寺遺跡


みどり市

岩宿遺跡


館林市、邑楽郡(大泉町、板倉町、邑楽町、千代田町、明和町)

筑波山古墳
米山薬師古墳
堂山古墳
古海原前1号古墳
城之内古墳
山王山古墳


沼田市、利根郡(みなかみ町、片品村、川場村、昭和村)

梨の木平敷石住居跡
深沢遺跡配石遺構
矢瀬遺跡


吾妻郡(中之条町、長野原町、草津町、嬬恋村、東吾妻町、高山村)

四戸の古墳群
中山敷石住居跡

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吾妻郡東吾妻町三島の四戸の古墳群。

四戸の古墳群 (1)
三島四戸地区には20基以上の古墳が点在し、昭和39年(1964年)にそのうち4基の調査がなされている。高麗尺を使用した6世紀末から7世紀前半の築造と推定されている。

四戸の古墳群 1号墳 (1)
四戸の古墳群 1号墳 (2)
1号墳は天井石はなく、細長い石室が剥き出しの状態。

四戸の古墳群 1号墳 (3)
全長約6m、埋葬部長さ約2.5m、幅約1m。安山岩を用いた乱石積の袖無型横穴式石室。

四戸の古墳群 2号墳 (1)
2号墳。横から見ると円墳と思われるが規模は不明。

四戸の古墳群 2号墳 (2)
四戸の古墳群 2号墳 (3)
石室は全長約5.2m、玄室約2.3m、幅1.3m、高さ1.6m。安山岩を用いた乱石積の袖無型横穴式石室。

四戸の古墳群 4号墳 (1)
四戸の古墳群 4号墳 (2)
4号墳は天井石はなく、石室が剥き出しの状態。全長約4.2m、埋葬部長さ約2m、幅約70cm。安山岩を用いた乱石積の袖無型横穴式石室。

四戸の古墳群 3号墳 (1)
四戸の古墳群 3号墳 (2)
3号墳は盛り土が失われ、天井石が剥き出しの状態。右側の側壁は崩れそうだ。天井石や奥壁は安山岩の巨岩を使用しており、1号・2号・4号より規模が大きい円墳。石室は全長約7m、埋葬部長さ3.5m、幅1.2m、高さ1.6m。

四戸の古墳群 3号墳 (3)
南側から見ると背後に岩櫃山がよく映えている。

1号、2号、4号はほぼ隣接しているが、3号墳は少し離れた1段高い所に位置しており、基本的にはすべて同構造と思われる。3号墳は道沿いにあるので見つけやすいが、他は道が細く分かりづらいところにある。

また、平成30年(2018年)に上信自動車道吾妻西バイパス建設事業に伴う埋蔵文化財の発掘調査が行われ、弥生時代終わりから古墳時代にかけての住居跡や新たに1基の古墳が発見されている。直刀や鉄鏃の副葬品も確認されている。

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吾妻郡東吾妻町矢倉の行沢(なめさわ)の木造馬頭観音立像。

行沢の馬頭観音立像 (1)
観音堂は吾妻線の線路脇にある。石垣のすぐ下は線路。

行沢の馬頭観音立像 (2)
参道と言えるのか分からないが、線路には遮断機はおろか踏切もない。過去に何も起きてないからこうなのだろうが、ちょっと怖い。裏から廻る道もあるのかな。

行沢の馬頭観音立像 (3)
行沢の馬頭観音立像 (4)
堂内の木造馬頭観音立像。寄木造りで像高178.5cm、台座も含めた総高は190cmの三面六臂像。頭部は怒髪で、目と口を大きく開けている。肩・胸を強く張り、衣文の彫りは深く、力強い観音像となっている。ただ、六臂に見えないので、一部紛失している?

行沢の馬頭観音立像 (5)
像の写真が見づらいうえ、文章で書いても分からないだろうから、堂内に飾られていた写真。でもやっぱり分からないな。

作者ははっきりしないようだが、鎌倉時代の作とされている。元は中之条の海蔵寺にあったが、戦国時代に当地に移されたといわれる。

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吾妻郡東吾妻町新巻の菅原神社。

新巻菅原神社 (1)
新巻菅原神社 (2)
新巻菅原神社の創建は不詳。創建地は旧新巻村字菅原で、明治10年(1877年)に現在地に移転、同時に村内の神社を合祀している。

新巻菅原神社 (3)
長く急な石段を登ると境内。境内は縄文時代の集落である柳沢遺跡の一部にあたる。昭和58年(1983年)の発掘調査では、竪穴式住居跡や大量の土器・石器が出土している。

新巻菅原神社 (4)
新巻菅原神社 (5)
新巻菅原神社 (6)
新巻菅原神社 (7)
社殿は昭和10年(1935年)の建築。

新巻菅原神社 (8)
神楽殿は昭和35年(1960年)の改築で、例祭では太々神楽が奉納される。新巻の神楽は明治30年(1897年)代に発足したと伝えられる。

新巻菅原神社 (9)
昭和57年(1982年)に伊勢神宮に神楽を奉納した祈念碑。

新巻菅原神社には石槌山から出土したという「石棒」がご神体として祀られている。片麻岩製で、長さ1.5m、太さ46.5cm。古代の祭祀用と考えられる。東吾妻町の重文になっているが、町のHPにも写真がない。

新巻菅原神社 (10)
石段から見えた山。名前は分からないが、ゴツゴツした岩肌などが良い雰囲気だ。岩櫃山や中之条町の嵩山など、この辺の山はこういう感じの山が多い。

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吾妻郡東吾妻町岩井の背高地蔵。

岩井の背高地蔵
岩井の背高地蔵は、正徳5年(1715年)岩井村山根の田中八兵衛・十兵衛が中心となって建立された。地蔵尊は高さ2.5mで、台座も含めると4.1m。

田中八兵衛・十兵衛のことはよく分からないが、岩井の分限者とされる。分限者は簡単に言えばお金持ち。

昭和47年(1972年)に県道拡張のため道の反対側から移転している。現在は十字路になっているが、当時は岩井から中之条への渡船場道と、金井・川戸方面へと渋川方面への三本辻であった。昔も現在も往来する人々の安全と住民の安寧を願い見守っている。

地蔵尊が建っているところは道端で、しかも2m位の高台となっており、非常に目立つ。見守っているという表現がぴったりの場所である。

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吾妻郡東吾妻町三島の鳥頭神社。

三島鳥頭神社 (1)
三島鳥頭神社 (2)
三島鳥頭神社 (3)
三島鳥頭神社の創建は不詳。主祭神は日本武尊なので、何がしかの伝説があるのかな。また、数多くの杉の木に年代を感じる。

三島鳥頭神社 (4)
三島鳥頭神社 (5)
社殿は明治45年(1912年)に改修されている。このときに、現在の境内が整備されたようだ。

三島鳥頭神社 (6)
三島鳥頭神社 (7)
拝殿、本殿ともに彫刻が施され、特に本殿の木鼻、蝦虹梁など見事なものだ。田舎(失礼!)の神社にしてはと思ってしまった。

三島鳥頭神社 (8)
春・秋の例祭では太々神楽が奉納される。秋には獅子舞も奉納される。太々神楽は大正元年(1912年)から、獅子舞は嘉永5年(1852年)からの歴史がある。

三島鳥頭神社 (9)
昭和4年(1929年)刊行の「吾妻郡誌」には「老杉約100株林立し」とあるが、さすがに減ってしまったようだ。それでも多数の杉が神域を護っているといった雰囲気だ。(きちんと数えれば100本くらいあるのかな)

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吾妻郡東吾妻町矢倉の鳥頭神社。
「神代杉」のある神社と言えば分かるかもしれない。以前、神代杉を見に来たときに、何と神社をスルーしていた。なので改めて訪問。

矢倉鳥頭神社 (1)
矢倉鳥頭神社 (2)
矢倉鳥頭神社の創建は不詳だが、建久年間(1190~98年)ともいわれる。

矢倉鳥頭神社 (3)
享保7年(1722年)に作られた鳥居の礎石。昭和62年(1987年)の鳥居改修工事時に掘り出したもの。

矢倉鳥頭神社 (4)
参道脇の力石。大玉が98kgで小玉が47kg。岩島地区には多くの力石が残されており、古くから力比べや奉納競技が行われていたと考えられる。

矢倉鳥頭神社 (5)
矢倉鳥頭神社 (6)
矢倉鳥頭神社 (7)
矢倉鳥頭神社は古くから時の領主の崇敬を受けており、吾妻太郎行盛、真田昌幸・信幸(信之)父子らが社殿改修や寄進をしている。

現在の社殿は明和11年(1767年)の建立とされる。

矢倉鳥頭神社 (8)
幣殿に掛けられている鬼瓦。改修前の拝殿に乗っていたものと思う。

矢倉鳥頭神社 (9)
神楽殿。

矢倉鳥頭神社 (10)
神武天皇遥拝所。明治40年(1907年)の設置で、平成元年(1989年)の再建。

矢倉鳥頭神社 (11)
神代杉。以前の訪問時(2011年)と比べると背が低くなったような気がするし、解説版もきれいになったような気がする(内容が同じかは覚えていない)。

一応、神代杉について。日本武尊が東征のみぎり自ら手植えしたと伝わる。寛保2年(1742年)に旅人の失火で半枯の状態になる。その後、天明2年(1783年)浅間山噴火による熱泥流の被害も受けたが、龍得寺住職・円心が危険を顧みず10mの高所から切り倒し全焼の危機を救った。当地の人々が代々修復を重ね、今にその姿を伝えている。
(以前の訪問記は「日本武尊が植えた杉? -神代杉-」参照)

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吾妻郡東吾妻町岩下の福聚山応永寺。

応永寺 (1)
応永寺は岩櫃城主・斎藤氏により建立された。斎藤氏の当地入部には諸説あるが、一説に応永12年(1405年)に斎藤憲行が当地に入部とあり、時の元号と寺名が一致することからこのあたりの創建かな。斎藤氏の滅亡により衰退していたが、大永7年(1527年)に無庵禅師が中興したという。

応永寺 (2)
応永寺 (3)
応永寺 (4)
応永寺 (5)
立派な山門。仁王像が鎮座している。

応永寺 (6)
応永寺 (7)
応永寺 (8)
山門の天井絵。中央の龍を挟んで両側に天女。

応永寺 (10)
応永寺 (11)
応永寺 (12)
本堂扉の家紋は左は五七桐と思うが、右は見たことない。2つともお寺と関連があるのだろうが、まったく分からない。

応永寺 (13)
水難慰霊塔。昭和10年(1935年)9月の2つの台風による集中豪雨での被災者を慰霊するもの。吾妻郡では土石流や山崩れが発生。吾妻川も水位が最大6mも上昇。人的被害、住宅被害(全壊や流出など)が発生した。

この被害は吾妻郡に限らず、群馬県内で死者・行方不明、負傷者合わせ400名を超える甚大な被害が発生した。高崎市でも烏川、碓氷川で堤防が決壊。救助活動中の高崎15連隊の兵士7名が犠牲になっている。(「七士殉職供養塔」参照)

応永寺 (14)
灑水(しゃすい)観音。右手に灑水杖を持つ。

応永寺 (15)
本堂前の枝垂れ桜。季節がらしょうがない。

応永寺 (16)
応永寺 (17)
応永寺 (18)
境内の五葉松。直径約10m、高さ約2mで、傘を広げたような形をしていることから傘松と呼ばれている。約340年前に9世住職・石山和尚が沼田から当寺へ転住の際に持って来て植えたといわれる。

応永寺は花の名所で、春には山門前を中心に桜を始めとして菜の花などが咲き乱れる。傘松しか調べてなかったので・・・。春になったら、もう一度行ってみようかな。

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高崎市東中里町の火雷若御子神社。

火雷若御子神社 (1)
火雷若御子神社 (2)
火雷若御子神社は火雷神社(玉村町)の分霊を勧請したものだが、その年代は不詳。ただ「上野国神名帳」に「従五位上 火雷若御子明神」と記載されているので、それなりの古社だと思う。

火雷若御子神社 (3)
火雷若御子神社 (4)
火雷若御子神社 (5)
主祭神は火産霊命だが、後に保食命(宇気母智命)を合祭した際、中里神社に改称されたが(こちらも年代不明)、明治28年(1895年)に火雷若御子神社に復称している。

火雷若御子神社 (6)
火雷若御子神社 (7)
拝殿内には明治38年(1905年)奉納の絵馬が2枚あった。1枚目の題材は分からないが、2枚目は明治天皇かな。

火雷若御子神社 (8)
火雷若御子神社 (9)
拝殿には「神楽殿」の扁額が掲げられているが、神楽殿は取り壊されたようだ。跡地を示す看板が立っている。

火雷若御子神社 (10)
境内に芭蕉の句碑があった。「稲妻に さとらぬ人の 尊さよ」。神社名にちなんだ句を選定したのかと思ったが、句意は「稲妻を見て何かを悟ったような顏で物言う人より、何も思わずに無心でいる人の方が尊いのだ」みたいな感じ。

火雷若御子神社 (11)
ご神木の大ケヤキ。

ところで、「若御子」と付いている意味は不明。調べると、「上野国神名帳」には当社以外にも「諏訪若御子」「抜前若御子」「赤城若御子」「榛名若御子」「倭文若御子」「白羅根若御子」など多数あり。

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高崎市南大類町の柳原馬頭観音堂。

柳原馬頭観音堂 (1)
柳原馬頭観音堂の創建は不詳。言い伝えでは寛治3年(1089年)源義家東征の際、当地で義家の乗った馬が蹄を痛め進めなくなってしまった。そこで義家は京都・清水観音を遙拝、その快癒を祈願したところ柳叢(叢は草むらの意)の上に馬頭観音が現れ、馬の蹄は平癒した。感激した義家は、仮堂を建立し馬頭観音を安置し柳の木を植え奥羽に向かった。

その後、義家の孫にあたる新田義重が壮麗な殿堂を造営し、人々は柳原観音堂と称し参詣する人が絶えなかったという。

ちなみに、後三年の役は寛治元年(1087年)に終結しているけど、まあ誤差の範囲かな。

柳原馬頭観音堂 (2)
柳原馬頭観音堂 (3)
現在の観音堂は嘉永5年(1852年)の建立。馬頭観音像は厨子の中のようだ。白馬の置物は享保20年(1736年)江戸・日本橋ねずみ屋製作と胎内に書かれている。鰐口には明暦2年(1656年)の銘がある。

柳原馬頭観音堂 (4)
柳原馬頭観音堂 (5)
柳原馬頭観音堂 (6)
柳原馬頭観音堂 (7)
柳原馬頭観音堂 (8)
観音堂には見事な彫刻が施されている。特に、龍の巻き付いた海老虹梁は躍動感あふれる傑作だ。また、柱や梁のすべての彫刻に寄付者の住所と名前が線刻されている。

柳原馬頭観音堂 (9)
観音堂の奥には聖徳太子の碑。大正11年(1922年)の建碑。

群馬県内には源義家の創建と伝わる神社(八幡神社など)が多数ある。東征のおり県内を通過したとの確証はないが、新田氏の勢力範囲内にそういう伝承が多く残っているのだと思う。なんと言っても八幡太郎義家は源氏の象徴的な棟梁なので。

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高崎市宿大類町の熊野神社。

宿大類町熊野神社 (1)
宿大類町熊野神社 (2)
宿大類熊野神社は慶長年間(1596~1615年)の創建と伝わる。現在の鳥居は昭和53年(1978年)の建立。

宿大類町熊野神社 (3)
鳥居をくぐると、そこは宿大類児童公園。公園の向こう側が境内になっている。元は熊野神社の境内の一部だったと思う。それを考えると、それなりの規模の神社だったはずである。

宿大類町熊野神社 (4)
宿大類町熊野神社 (5)
現在の社殿の建立年などは分からないが、かなり老朽化している。

宿大類町熊野神社 (6)
拝殿の屋根は瓦がずれ落ち、今にも崩れそうだ。当然、社殿周りへの立ち入は禁止。地元の鎮守的な神社はどこも資金不足で、すぐに修理できないんだろうな。

宿大類町熊野神社 (7)
宿大類町熊野神社 (8)
境内右奥の鳥居。

江戸時代、高崎藩主は厄年になると宿大類熊野神社で祈祷し、また旱魃などの時も当社に参り祈誓したというが、現状の社殿の状況を見るとちょっと残念。

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