Tigerdream の上州まったり紀行

上毛かるたと群馬県内の神社仏閣、遺跡・史跡・古墳、資料館などの紹介。

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藤岡市岡之郷の無量山光蓮寺。

光蓮寺 (1)
光蓮寺は正保元年(1645年)僧・大徳の開基と伝わる。

光蓮寺 (2)
光蓮寺 (3)
山門、本堂の建立年などは分からない。

光蓮寺 (4)
山門前の六地蔵は昭和63年(1988年)建像。

光蓮寺 (5)
同じく山門前の文殊菩薩像。まだ新しそうだが、文殊菩薩と言うと釈迦如来の脇侍(左脇侍、右脇は普賢菩薩)のイメージが強いが、最近は独尊として祀らるケースを多く見かける。文殊菩薩の「智慧」から、学業成就のご利益があるとされるからかな。

光蓮寺 (6)
境内に碑が並んでいるよう見えたが、すべて英霊のお墓であった。先の大戦で散った英霊を、墓地ではなく境内で慰霊している。先の大戦に関していろいろ意見もあるかと思うが、祖国のために散った英霊には感謝しかない。

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藤岡市藤岡の福聚山天龍寺。

天龍寺 (1)
天龍寺は天正19年(1591年)芦田(藤岡)城主・芦田(依田)康勝の室・了源院が栗須村の長源寺を城下に移したのが始まり。文禄2年(1593年)に一宇を建立し天龍寺と改称している。なお、長源寺跡は天龍寺の境外堂(祖師堂)となっている。
(祖師堂は「日蓮の聖跡・長源寺跡 -祖師堂-」参照)

慶長5年(1600年)に康勝が大坂で不始末を犯し改易となると寺運も衰えたが、正保4年(1648年)に日自により再興されている。

天龍寺 (2)
天龍寺 (3)
山門は嘉永4年(1851年)の建立。

天龍寺 (4)
天龍寺 (5)
本堂も嘉永4年の建立とされる。現在の本堂見ると、近年の再建もしくは改築と思われる。

天龍寺 (6)
天龍寺 (7)
天龍寺 (8)
「庚申尊」の扁額の掛かったお堂。中を見ても何なのか分からなかった。中央の御簾内は青面金剛か馬頭観音だろうか。

天龍寺 (9)
天龍寺 (10)
鬼子母神堂の由緒は不明だが、鬼子母神は法華経の守護神として日蓮宗・法華宗の寺院で祀られることが多い。

天龍寺 (11)
芦田康勝の室・了源院の墓。了源院は寺地を寄進し長源寺を当地に移し、芦田氏の祖・光徳の室(蘭庭院)の菩提を弔った。芦田氏の菩提寺である光徳寺は曹洞宗のため、法華教に深く帰依していた了源院は長源寺を移したのだろう。

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藤岡市下栗須の祖師堂。

下栗須祖師堂 (1)
祖師堂は文永8年(1271年)日蓮宗開祖・日蓮が佐渡島に配流される際に宿泊した長谷川長源の屋敷跡。日蓮に帰依した長源夫妻は屋敷を寺(長源寺)とした。

下栗須祖師堂 (2)
下栗須祖師堂 (3)
天正19年(1591年)に芦田(藤岡)城主・芦田(依田)康勝の室・了源院が城下に社地を寄進し、長源寺を移している。長源寺は文禄2年(1593年)に天龍寺と改称。旧長源寺跡地に一堂を建立し、日蓮の聖跡として護持してきたのが祖師堂である。現在のお堂は大正14年(1925年)の建立。

下栗須祖師堂 (4)
境内に建つ日蓮像。文永11年(1274年)に赦免された日蓮は佐渡島からの帰還途上、再度長源宅に寄るとお寺になっていたことを悦び、長源寺所蔵の大黒天像(福聚大黒天)を開眼した。その大黒天像も天龍寺に移され宝物となっている。

下栗須祖師堂 (5)
下栗須祖師堂 (6)
境内のお堂内には荼枳尼天らしき仏像があった。文殊菩薩じゃないと思うけど(自信なし)。

下栗須祖師堂 (7)
長谷川長源夫妻の墓。長源の元姓は栗生というが、日蓮が鎌倉に帰る途中まで送った際に、長谷川という川の名にちなみ姓にするよう日蓮から勧められ長谷川としたという。

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藤岡市岡之郷の水宮神社。

水宮神社 (1)
水宮神社 (2)
水宮神社は延宝7年(1679年)の創建。ご祭神は罔象女神(みつはのめのかみ)。水の神(水神)である。ご神体として「白蛇の骨格」を秘蔵する。

水宮神社 (3)
手水舎の水は、御荷鉾山系の流水を地下40mから汲み上げているらしい。

水宮神社 (4)
水宮神社 (5)
水宮神社 (6)
社殿は昭和53年(1978年)の新築。拝殿前の灯籠は昭和58年(1983年)の奉納。

水宮神社 (7)
水宮神社 (8)
境内社の稲荷神社。

水宮神社 (9)
境内の大ケヤキは、樹高30m、胸高周囲7.5m、根回り20.6mで、樹齢は約700年以上と推定される。神社創建以前から、地域の崇敬を受けてきたのだろう。

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藤岡市中栗須の神明山源水寺。

源水寺 (1)
源水寺は寛文3年(1663年)僧・堯山の開山。神明山との山号から、すぐ隣の神明宮の別当寺として創建されたと推定される。(神明宮は「藤岡市中栗須・神明宮」参照)

源水寺 (2)
源水寺 (3)
本堂は平成14年(2002年)の再建。

源水寺 (4)
比較的新しい六地蔵。

源水寺 (5)
歴代住職の墓。1番奥は開基の堯山かな。一部石畳が割れてしまっているので、早く直した方がいいと思う。

ちょっと見落としたみたいだが、「むすぶより まつ歯にひゞく 清水かな」の芭蕉句碑があったようだ。正確には「泉かな」らしいが、水辺に多く句碑が建てられていくうちに「清水」と誤記されたらしい。源水寺(もしくは神明宮)に清水が湧いており、源水寺の寺号もそこからきているのかもしれない。

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藤岡市上戸塚の天田山水宮寺。

水宮寺 (1)
水宮寺は応安7年(1374年)僧・妙心の開基。応安は南北朝期の北朝側の元号。慶安年間(1648~52年)に神流川の氾濫で本堂・庫裡などが流出したが、澄旭上人により中興開基されている。

勝手な想像だが、中興された際に水宮寺となったのではないだろうか。神流川の怒りを鎮める意味合いで「水宮」と名付けたのでは?

水宮寺 (2)
水宮寺 (3)
本堂は寛保2年(1742年)再度水害を被災、宝暦5年(1755年)には火災により全焼したが、宝暦12年(1762年)に再建されている。現在の本堂は昭和53年(1978年)の新築。

水宮寺 (4)
六地蔵は平成10年(1998年)の建立。

水宮寺 (5)
寛保2年の水害被害の供養として庚申塔を100体建立。そのうち数10体が現存しているとのことだったが、石仏類しか見当たらなかった。

水宮寺 (6)
境内の巨樹もバッサリ剪定されている。剪定のレベルではないかな。

寛保の水害、宝暦の火災時の住職・祐厳法印は本堂再建に尽力しただけでなく、地域の水難を防ごうと明和4年(1767年)に、寺の南を流れる笹川沿いに長さ368間(約670m)の堤防を築いている。

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藤岡市下栗須の瑠璃光山西勝寺。

西勝寺 (1)
西勝寺の創建は不詳だが、開基の僧・盛誉が明暦2年(1656年)に入寂しているので、創建は江戸時代初期と考えられる。

西勝寺 (2)
西勝寺 (3)
山門は参道から少しズレたところにある。現在の参道は後の付け替えと思われる。

西勝寺 (4)
西勝寺 (5)
本堂は文政・天保初期(1818~40年頃)に2度にわたり火災で焼失。天保13年(1842年)に再建されている。

西勝寺 (6)
西勝寺 (7)
本堂隣の薬師堂は万治万年(1658年)の建立。現在のものは再建されていると思われる。本堂と同じころかな。

西勝寺 (8)
参道の途中に下栗須公会堂がある。西勝寺入口にそれを示す看板が立っているが、よく見ると書き直しているのが分かる。下には「オウム信者 この街から出て行け オウム絶対阻止」とうっすら残っている。写真を拡大して見てもらえると読めると思う。

そう言えば、藤岡市にオウム真理教が道場(?)を作って、地元と揉めていたのを思い出した。道場があったのは下栗須地区だったんだ。オウムは根付くことなく撤退したけど、当時は大変だったろうな。

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藤岡市本郷の葵八幡宮。
多野藤岡地方誌(昭和57年:1976年発行)に葵御前にまつわる伝説が載っていたので再訪した。(以前の訪問記は「葵御前を祀る? -葵八幡宮-」参照)

葵八幡2 (1)
葵八幡の由緒は不詳だが、葵御前を祀るといわれる。社の両側に板碑があり、向かって右のものに応長元年(1311年)の銘が読み取れる。大正時代に葵八幡宮の周りから多数の人骨が発掘されており、板碑はその墓標とのこと。

葵八幡2 (2)
いまでも墓石らしきものが残っている。ひとつには年代的には新しいが、江戸時代の享保(1716~36年)の文字が読み取れた。

葵八幡2 (3)
社の裏側に井戸があり、井戸の底のは四方に横室があるという。埋葬施設なのか。

前回の椿社神社(「文覚上人の創建? -椿社神社-」参照)に書いた、文覚上人が苦行した場所といわれるのが葵八幡宮の井戸付近といわれているので、この井戸のことかも。

で、ここからが「葵御前伝説」。
源義賢(木曽義仲の父)に従い東国まで来た葵御前は、当地で乳飲み子がはしかにかかり進退に窮し、橋の下に身を潜めていた。しかし追手に捕まり、郎党とともに惨殺され切り干しにされた(なんと無残な)。

葵八幡2 (4)
葵御前が隠れた橋は小石橋で葵八幡宮入口の堀にかかっているとあったが、現在は堀はなく境内にそれらしき石があった。「長さ5尺、幅4尺、厚さ8寸(約190cm✕151cm✕30cm)の1枚石」とあるので、ちょうど寸法的にはぴったりだ。

地元の人は、昔からはしかが流行するとこの橋の下をくぐり、病気が軽くなるのを祈ったという。

橋から2町(約450m)西方に、葵御前が乗ってきた牛が死んだので埋めたといわれる牛伏塚がある。と言うことだが、見つけられなかった。

ところで、伝説では葵御前は切干しにされたとあるが、付近では大根や甘藷(さつまいも)などを切干しにしない家訓が、現在も残っているという。

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藤岡市本郷の椿社(つばきもり)神社。

椿社神社 (1)
椿社神社 (2)
椿社神社 (3)
椿社神社は建久年間(1190~98年)に文覚上人が神明宮を創建したことに始まるという。その後、天正3年(1575年)高山吉重が再興したとされる。元は隣村にあたる神田(じんだ)に鎮座していたが、現在地へ遷座する際に椿社神社と改めている。

高山氏は桓武平氏良文流の秩父氏の一族で、当地の御厨(みくりや)を管理(所領)していた。その家系からは、高山長五郎(養蚕家)や高山彦九郎(勤皇家)などが出ている。

椿社神社 (4)
杉並木にの覆われた参道は、季節に関係なく心地よい。

椿社神社 (5)
椿社神社 (6)
椿社神社 (7)
社殿前の狛犬は平成19年(2007年)の奉納。社殿はこじんまりとしており、いかにも「村の鎮守」と言ったところ。平成7年(1995年)に改修されている。

椿社神社 (8)
改修により役目を終えた瓦が置かれている。

椿社神社 (9)
明治42年(1909年)に椿社神社に合祀された各地の神社のお社が保存されている。合祀された神社は、「紡ぎ」が転じたといわれる積木神社、上野国志に「瓶酒明神」と記載される瓶酒神社などがある。

椿社神社 (10)
神楽殿。現在も神楽が行われてるかは知らないが、地域的に養蚕神楽だと思う。

ところで、椿社神社(元の神明宮)を勧請したのは僧の文覚上人とされるが、なぜお寺ではなく? と思う。口碑では、浅間山の噴火(天仁元年:1108年)などで土地が荒れ、穀物が採れないことを憂いた上人が苦行をするとともに、食物の神・豊受姫神を勧請したという。

でもそれなら、御厨(みくりや)を管理する高山氏が、その守護のために神田(地名)に豊受姫神(神明宮)を勧請したとする方が、素人的にはそれっぽく感じるのだが・・・。

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藤岡市小林の小林山寿楽寺。
寿楽寺 (1)
寿楽寺は寛永13年(1636年)芦田氏の元家臣・水沼寿楽斎副茂の開基。元々は神流川の近くにあったが、度重なる洪水により文化年間(1804~18年)に現在地へ移転している。

寿楽寺 (2)
門前には平成22年(2010年)建立の仁王像が鎮座する。

寿楽寺 (3)
寿楽寺 (4)
寿楽寺 (5)
参道の恵比寿さん、七福神、文殊菩薩像。文殊菩薩が乗っている獅子が、そう見えないのはご愛敬?。

寿楽寺 (6)
寿楽寺 (7)
観音様が慈悲の眼で見守っている。

寿楽寺 (8)
寿楽寺 (9)
本堂は昭和30年(1955年)の新築建立。屋根の鬼瓦は「名工」として名高い山口茂氏の手による(平成12年:2000年)。

寿楽寺 (10)
庭園も平成22年(2010年)に整備されたようだ。余り広くない境内に、これでもかっ! ってくらい詰め込んでいる印象。

寿楽寺 (11)
比較的新しい石仏群に混じって、昔からの石仏も残されている。全体的に新しいものばかりなので、何かホッとする感じ。

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藤岡市小林の大塔寺天満宮。

大塔寺天満宮 (1)
大塔寺天満宮 (2)
大塔寺天満宮は享保11年(1726年)に、小林大塔寺村の人々が太宰府天満宮から菅原道真の分霊を勧請したと伝わる。明治時代に藤岡諏訪神社に合祀されたが、昭和18年(1943年)に分祀され再び現在地に戻っている。

現在の鳥居は昭和56年(1981年)の建立。

大塔寺天満宮 (3)
大塔寺天満宮 (4)
拝殿に見えるのは覆屋で社殿は中にある。社殿は勧請時に建立され、「一間社流れ権現破風造り」と呼ばれる江戸中期に形成された神社様式。切妻造りの屋根の正面に千鳥破風を付け、軒を唐破風にしている。

社内には木造の神像が安置されており、その後ろの神璽の木箱に安永7年(1778年)と書かれている。

最近では昭和63年(1988年)補修・改築されているようだが、約300年の歴史を誇る貴重な社殿である。

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高崎市(旧郡部を除く)

高崎市西横手町・明徳元年銘の宝篋印塔
中尾総鎮守 -中尾飯玉神社-
弘法大師御作の毘沙門天像 -眼聖寺-
高崎市岩鼻町・北向子育て観音
高崎市岩鼻町・赤城神社
高崎市上大類町・瑠璃光山安楽寺
源頼朝ゆかりの寺 -円福寺-
源頼朝の創建? -八幡原若宮八幡宮-
高崎市東中里町・火雷若御子神社
源義家の創建・新田義重の建立 -柳原馬頭観音堂-
高崎市宿大類町・熊野神社
高崎市矢島町・彦島神社
熊の墓 -妙音寺-
高崎の鬼門鎮護 -五霊神社-
高崎市山名町・山ノ上地蔵尊
高崎市山名町・来迎阿弥陀画像板碑
高崎五万石騒動義人堂
酒井家次の開基 -向雲寺-
足利尊氏の守護仏を祀る -延養寺-
群馬県立歴史博物館 企画展とテーマ展示
祝・世界記憶遺産登録 上野三碑再訪
群馬県立歴史博物館 リニューアル後初訪問
井戸から出てきた八幡菩薩像 -井戸八幡宮-
新町宿から購入した灯籠 -大八木諏訪神社-
正観寺遺跡群 祭祀巨石
古鏡を祀る -鏡宮神社-
高崎市最大・最古の板碑 -妙典寺-
高崎五万石騒動中総代・山田勝弥の墓
高崎五万石騒動大総代・小島文次郎の墓 -大森院-
高崎五万石騒動大総代・佐藤三喜蔵の墓 -高崎・普門寺-
高崎五万石騒動大総代・高井喜三郎の墓
水戸黄門腰掛石 -山名八幡宮 その2-
信玄の鍋掛け石 -天竜護国寺-
上中居総鎮守 ひいらぎさま -上中居諏訪神社-
下小鳥村の首塚 -枉寃旌表之碑-
八幡八幡宮の別当寺 -大聖護国寺-
彼岸桜の老樹が護る -桜塚古墳-
高崎市・少林山薬師塚古墳
高崎市・少林山天頭塚古墳
高崎市・八幡原A号及びB号石槨
高崎市・剣崎長瀞西古墳
七士殉職供養塔
帝国陸軍特別大演習 -山名御野立所跡-
防火の神様 -高崎南町・愛宕神社-
群馬県出身の殉国の英霊を祀る -群馬県護国神社-
菊地町のウナギ伝説 -抜鉾神社-
酒井雅楽頭から拝領した松 -萩原の大笠松-
彦狭島王の墳墓? その2 -将軍塚古墳-
小栗上野介忠順の養嗣子・又一忠道の墓
軍師・山本勘助の子孫の墓 -大雲寺-
和田氏の菩提寺 -興禅寺-
高崎・和田の三石
高崎最古の五輪塔 -玄頂寺-
お染の墓 -高崎市木部町・安楽寺-
木部範虎の墓 -心洞寺-
木部白満の墓 -光台寺 その2-
山名氏館跡??? -光台寺-
乃木稀典揮毫の忠魂碑と東条英機揮毫の忠霊塔
稲川政右衛門の墓 -常安寺 その2-
豊岡藩陣屋跡 -常安寺-
源頼義・義家父子の建立 -若宮八幡宮-  
群馬シンフォニーホール
ここに泉あり -群馬音楽センター-
藩主のお宝 -頼政神社 その2-
六郷・長野郷の総鎮守 -烏子稲荷神社-
「すさのお」とは読めない -進雄神社-
行き止まりの高架橋 -岩鼻軽便鉄道跡-
ダイナマイト発祥の地 -群馬の森・ダイナマイトの碑-
群馬県立歴史博物館
旧井上房一郎邸 -高崎市美術館-
高崎市綿貫町・普賢寺裏古墳
高崎市綿貫町・不動山古墳
高崎市倉賀野町・浅間山古墳
高崎市倉賀野町・大鶴巻古墳
七仏薬師如来 -安楽寺-
岩鼻代官・吉川栄左衛門の墓 -高崎岩鼻・観音寺-
古き良き時代の旅館 -豊田屋旅館-
税金バベルの塔 -高崎市役所-
内村鑑三家の墓 -高崎若松町・光明寺-
高崎市民の憩いの場 -高崎公園-
徳川忠長自刃の部屋 -長松寺-
井伊直政の伯母のお寺 -恵徳寺-
高崎の総鎮守 -高崎神社-
茶舗・水村園 -小見家住宅-
旧威徳寺の内陣があるけど・・・ -光徳寺-
ネオ・ゴシック風教会 -高崎聖オーガスチン教会-
群馬で唯一建物が残る城址 -高崎城址-
土蔵のような外観 -高崎あら町・諏訪神社-
倉賀野の総鎮守 -倉賀野神社-
飯盛り女の墓 -九品寺-
江原源衛左門重久の墓 -慈眼寺-
上野国七之宮 -小祝神社-
彦狭島王の墳墓? -三島塚古墳-
天狗が守る神社 -琴平神社-
井上保三郎の墓 -荘厳寺-
八幡霊園内にあります -若田原遺跡-
長野氏ゆかりの屋敷址 -北新波砦址-
長野氏累代の墓 その2 -来迎寺-
徳川忠長の墓 -大信寺-
中曽根康弘資料館
私は日本の文化を愛す -洗心亭-
こんな所にあったのね -中山道一里塚-
山田徳蔵氏のコレクション -山徳記念館-
浦島太郎のいる庭園 -徳明園-
深山幽谷の趣 -洞窟観音-
坂上田村麻呂の開基 -清水寺-
元ロシア人兵士の墓 -龍廣寺-
高崎という地名の由来 -龍廣寺-   
源氏ゆかりの社 -八幡(やわた)八幡宮-
上豊岡の茶屋本陣
見事な山門の天井絵 -養報寺-
倉賀野城主・金井秀景の墓 -永泉寺-
水上交通の要 -倉賀野河岸跡-
山名氏の祖・義範の創建 -山名八幡宮-
歌聖・藤原定家を祀る -定家神社-
佐野の舟橋歌碑
いざ鎌倉へ -常世神社-
戦時中の教科書を見よう -高崎市歴史民俗資料館-
懐中電灯を貸してくれる資料館 -観音塚考古資料館-
群馬の石舞台? -観音塚古墳-
源三位を祀る -頼政神社-
最後の上野三碑 -山ノ上碑-
上野三碑 -金井沢碑-
社有地なので入れない? -岩鼻陣屋跡-
高崎市・観音山古墳

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高崎市西横手町の宝篋印塔。

明徳の宝篋印塔
宝篋印塔は明治5年(1872年)に廃寺となった西福寺跡にあり、明徳元年(1390年)の銘がある。明徳は北朝の元号。

高さ2.9mと県内でも最大級の大きさで、笠が2つある二重式宝篋印塔、あるいは須弥壇式宝篋印塔と呼ばれる形をしている。この形は、群馬県と埼玉県北部にのみ分布する特殊な形式である。

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高崎市中尾町の飯玉神社。

中尾飯玉神社 (1)
中尾飯玉神社は延暦3年(784年)の勧請・創建と伝わる。長い社歴を誇る古社である。

中尾飯玉神社 (2)
明治41年(1908年)に村内の菅原神社、諏訪神社を合祀している。当地は中尾町の天神地区と言い、菅原神社は「中尾の天神さま」と親しまれていた。

中尾飯玉神社 (3)
中尾飯玉神社 (4)
社殿は氏子の三吉野検校が多額の寄付をし、天保年間(1831~45年)に再建されている。三吉野検校は当地に生まれ、不幸にも目の病を得て失明したものの勉学への志を失わず、江戸や京で学び帰郷後には多くの門弟を育てている。

中尾飯玉神社 (5)
中尾飯玉神社 (6)
社殿に彫刻が施され荘厳な装いを見せているのは、検校や氏子の敬神崇祖の念をよく表している。

中尾飯玉神社 (7)
一ノ鳥居前の双体道祖神。風化が進んでいるので、覆屋的なものを掛けてやった方がいいと思う。

江戸時代には歴代高崎藩主(酒井家・戸田松平家・安藤家・大河内松平家など)の崇敬を受けたという。

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高崎市矢島町の神動山眼聖寺。

眼聖寺 (1)
眼聖寺は康永3年/興国5年(1344年)覚日法印の開山。康永は北朝、興国は南朝の年号。

眼聖寺 (2)
山門に花鳥風月の天井絵が描かれている。

眼聖寺 (3)
眼聖寺 (4)
本堂は文政7年(1824年)の建立とされる。昭和に入ってから数度の改修・改築を経ている。

眼聖寺 (5)
眼聖寺 (6)
眼聖寺 (7)
弘法大師(空海)御作とされる毘沙門天像を祀る毘沙門堂。事実なら平安時代初期の像になる。県内には弘法大師作と伝わる仏像はいくつかあるけど・・・。

眼聖寺 (8)
眼聖寺 (9)
境内の不動明王像。比較的新しそうだ。

ところで、高崎市元島名町にも同名の神動山眼聖寺がある。どちらも高野山真言宗(真言宗の中にも様々な宗派がある)。矢島町と元島名町は隣接しており、2つの眼聖寺は距離的にも1km位しか離れていない。

眼聖寺2 (1)
元島名町の神動山眼聖寺。由緒は分からないが、矢島町の眼聖寺と同じ?

眼聖寺2 (2)
眼聖寺2 (3)
本堂は平成13年(2001年)の新築。

眼聖寺2 (4)
境内の六地蔵は昭和55年(1980年)の奉納。

眼聖寺2 (5)
境内には子供用の遊具が設置されている。境内はそこそこ広いので、近隣の子ども達の遊び場になっているのかな。

矢島町と元島名町の眼聖寺の関係は分からないが、同じ宗派で同じ山号・寺号なので本院と分院なのかなぁ。偶然ってことはないと思うが。

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