Tigerdreamの上州まったり紀行

上毛かるたと群馬県内の神社仏閣、遺跡・史跡・古墳、資料館などの紹介。

訪問ありがとうございます。クリックしてもらえるとうれしいです♫ ⇒

Tigerdreamのまったりとスペシャル系」もよろしく! 


上州まったり紀行の中から「古墳・遺跡」に関するものをリスト化したもの。古墳に行くのが(見学するのが)主目的でない場合も含んでるけどね。


前橋市(旧郡部を除く)

今井神社古墳
正円寺古墳
桂萱大塚古墳
新田塚古墳
金冠塚古墳
亀塚山古墳
天神山古墳
天川二子山古墳
遠見山古墳
愛宕山古墳
荒砥富士山古墳
大室公園・前二子古墳
大室公園・中二子古墳
大室公園・後二子古墳
大室公園・小二子古墳
大室公園・M-1号古墳
八幡山古墳
蛇穴山古墳
宝塔山古墳
総社二子山古墳・保渡田二子山古墳


前橋市(旧大胡町、旧宮城村、旧粕川村、旧富士見村)

鏡手塚古墳
壇塚古墳
堀越古墳
上庄司原2号古墳&4号古墳
上庄司原1号古墳
九十九山古墳


伊勢崎市、佐波郡(玉村町)

十二所古墳
玉村町15号墳
一ノ関古墳
台所山古墳石棺
梨ノ木山古墳
お富士山古墳
雷電神社古墳
鶴巻古墳
権現山
軍配山古墳


渋川市、北群馬郡(吉岡町、榛東村)

いなり塚古墳
中ノ峯古墳
八木沢清水縄文時代住居跡
金井古墳
小室敷石住居跡
将軍塚古墳
虚空蔵塚古墳
中筋遺跡
黒井峯遺跡
滝沢古墳
三津屋古墳
南下古墳群・E号古墳&F号古墳
南下古墳群・C号古墳&D号古墳
南下古墳群・B号古墳
南下古墳群・A号古墳
滝沢石器時代遺跡


高崎市(旧郡部を除く)

五霊神社古墳
桜塚古墳
少林山薬師塚古墳
少林山天頭塚古墳
八幡原A号及びB号石槨
剣崎長瀞西古墳
将軍塚古墳
上小塙稲荷山古墳
普賢寺裏古墳
不動山古墳
浅間山古墳
大鶴巻古墳
安楽寺古墳
三島塚古墳
若田原遺跡
観音塚古墳
山ノ上古墳
観音山古墳


高崎市(旧群馬町、旧箕郷町、旧榛名町、旧吉井町、旧新町、旧倉渕村)

長井石器時代住居跡
恩行寺古墳
南高原1号古墳
片山1号古墳
金古愛宕山古墳
御穴塚古墳
多胡薬師塚古墳
保渡田薬師塚古墳
保渡田八幡塚古墳
総社二子山古墳・保渡田二子山古墳


安中市

龍的塚古墳
簗瀬二子塚古墳


富岡市、甘楽郡(甘楽町、下仁田町、南牧村)

高瀬26号古墳
粘土山古墳
伊勢塚古墳
太子堂塚(旅寝塚)古墳
北山茶臼山古墳
天王塚古墳
田篠しの塚古墳
堂山稲荷古墳
笹森古墳


藤岡市、多野郡(神流町、上野村)

原古墳
胴塚稲荷古墳
霊符殿古墳
諏訪古墳
戸塚神社古墳
平地神社古墳
中大塚縄文時代敷石遺構
平井地区1号古墳
皇子塚古墳
譲原石器時代住居跡
伊勢塚古墳
白石稲荷山古墳
七輿山古墳


太田市(旧郡部を除く)

巌穴山古墳
稲荷山古墳
塚廻り古墳群第4号古墳
茶臼山古墳
茶臼山古墳


太田市(旧新田町、旧尾島町、旧藪塚本町)

長楽寺遺跡1号墳跡
中原生品神社・敷石住居跡
長円寺古墳
北山古墳
西山古墳


桐生市

愛宕塚古墳
天神古墳
中塚古墳
普門寺遺跡


みどり市

岩宿遺跡


館林市、邑楽郡(大泉町、板倉町、邑楽町、千代田町、明和町)

筑波山古墳
米山薬師古墳
堂山古墳
古海原前1号古墳
城之内古墳
山王山古墳


沼田市、利根郡(みなかみ町、片品村、川場村、昭和村)

梨の木平敷石住居跡
深沢遺跡配石遺構
矢瀬遺跡


吾妻郡(中之条町、長野原町、草津町、嬬恋村、東吾妻町、高山村)

四戸の古墳群
中山敷石住居跡

このエントリーをはてなブックマークに追加


吾妻郡東吾妻町三島の四戸の古墳群。

四戸の古墳群 (1)
三島四戸地区には20基以上の古墳が点在し、昭和39年(1964年)にそのうち4基の調査がなされている。高麗尺を使用した6世紀末から7世紀前半の築造と推定されている。

四戸の古墳群 1号墳 (1)
四戸の古墳群 1号墳 (2)
1号墳は天井石はなく、細長い石室が剥き出しの状態。

四戸の古墳群 1号墳 (3)
全長約6m、埋葬部長さ約2.5m、幅約1m。安山岩を用いた乱石積の袖無型横穴式石室。

四戸の古墳群 2号墳 (1)
2号墳。横から見ると円墳と思われるが規模は不明。

四戸の古墳群 2号墳 (2)
四戸の古墳群 2号墳 (3)
石室は全長約5.2m、玄室約2.3m、幅1.3m、高さ1.6m。安山岩を用いた乱石積の袖無型横穴式石室。

四戸の古墳群 4号墳 (1)
四戸の古墳群 4号墳 (2)
4号墳は天井石はなく、石室が剥き出しの状態。全長約4.2m、埋葬部長さ約2m、幅約70cm。安山岩を用いた乱石積の袖無型横穴式石室。

四戸の古墳群 3号墳 (1)
四戸の古墳群 3号墳 (2)
3号墳は盛り土が失われ、天井石が剥き出しの状態。右側の側壁は崩れそうだ。天井石や奥壁は安山岩の巨岩を使用しており、1号・2号・4号より規模が大きい円墳。石室は全長約7m、埋葬部長さ3.5m、幅1.2m、高さ1.6m。

四戸の古墳群 3号墳 (3)
南側から見ると背後に岩櫃山がよく映えている。

1号、2号、4号はほぼ隣接しているが、3号墳は少し離れた1段高い所に位置しており、基本的にはすべて同構造と思われる。3号墳は道沿いにあるので見つけやすいが、他は道が細く分かりづらいところにある。

また、平成30年(2018年)に上信自動車道吾妻西バイパス建設事業に伴う埋蔵文化財の発掘調査が行われ、弥生時代終わりから古墳時代にかけての住居跡や新たに1基の古墳が発見されている。直刀や鉄鏃の副葬品も確認されている。

このエントリーをはてなブックマークに追加


吾妻郡東吾妻町矢倉の行沢(なめさわ)の木造馬頭観音立像。

行沢の馬頭観音立像 (1)
観音堂は吾妻線の線路脇にある。石垣のすぐ下は線路。

行沢の馬頭観音立像 (2)
参道と言えるのか分からないが、線路には遮断機はおろか踏切もない。過去に何も起きてないからこうなのだろうが、ちょっと怖い。裏から廻る道もあるのかな。

行沢の馬頭観音立像 (3)
行沢の馬頭観音立像 (4)
堂内の木造馬頭観音立像。寄木造りで像高178.5cm、台座も含めた総高は190cmの三面六臂像。頭部は怒髪で、目と口を大きく開けている。肩・胸を強く張り、衣文の彫りは深く、力強い観音像となっている。ただ、六臂に見えないので、一部紛失している?

行沢の馬頭観音立像 (5)
像の写真が見づらいうえ、文章で書いても分からないだろうから、堂内に飾られていた写真。でもやっぱり分からないな。

作者ははっきりしないようだが、鎌倉時代の作とされている。元は中之条の海蔵寺にあったが、戦国時代に当地に移されたといわれる。

このエントリーをはてなブックマークに追加


吾妻郡東吾妻町新巻の菅原神社。

新巻菅原神社 (1)
新巻菅原神社 (2)
新巻菅原神社の創建は不詳。創建地は旧新巻村字菅原で、明治10年(1877年)に現在地に移転、同時に村内の神社を合祀している。

新巻菅原神社 (3)
長く急な石段を登ると境内。境内は縄文時代の集落である柳沢遺跡の一部にあたる。昭和58年(1983年)の発掘調査では、竪穴式住居跡や大量の土器・石器が出土している。

新巻菅原神社 (4)
新巻菅原神社 (5)
新巻菅原神社 (6)
新巻菅原神社 (7)
社殿は昭和10年(1935年)の建築。

新巻菅原神社 (8)
神楽殿は昭和35年(1960年)の改築で、例祭では太々神楽が奉納される。新巻の神楽は明治30年(1897年)代に発足したと伝えられる。

新巻菅原神社 (9)
昭和57年(1982年)に伊勢神宮に神楽を奉納した祈念碑。

新巻菅原神社には石槌山から出土したという「石棒」がご神体として祀られている。片麻岩製で、長さ1.5m、太さ46.5cm。古代の祭祀用と考えられる。東吾妻町の重文になっているが、町のHPにも写真がない。

新巻菅原神社 (10)
石段から見えた山。名前は分からないが、ゴツゴツした岩肌などが良い雰囲気だ。岩櫃山や中之条町の嵩山など、この辺の山はこういう感じの山が多い。

このエントリーをはてなブックマークに追加


吾妻郡東吾妻町岩井の背高地蔵。

岩井の背高地蔵
岩井の背高地蔵は、正徳5年(1715年)岩井村山根の田中八兵衛・十兵衛が中心となって建立された。地蔵尊は高さ2.5mで、台座も含めると4.1m。

田中八兵衛・十兵衛のことはよく分からないが、岩井の分限者とされる。分限者は簡単に言えばお金持ち。

昭和47年(1972年)に県道拡張のため道の反対側から移転している。現在は十字路になっているが、当時は岩井から中之条への渡船場道と、金井・川戸方面へと渋川方面への三本辻であった。昔も現在も往来する人々の安全と住民の安寧を願い見守っている。

地蔵尊が建っているところは道端で、しかも2m位の高台となっており、非常に目立つ。見守っているという表現がぴったりの場所である。

このエントリーをはてなブックマークに追加


吾妻郡東吾妻町三島の鳥頭神社。

三島鳥頭神社 (1)
三島鳥頭神社 (2)
三島鳥頭神社 (3)
三島鳥頭神社の創建は不詳。主祭神は日本武尊なので、何がしかの伝説があるのかな。また、数多くの杉の木に年代を感じる。

三島鳥頭神社 (4)
三島鳥頭神社 (5)
社殿は明治45年(1912年)に改修されている。このときに、現在の境内が整備されたようだ。

三島鳥頭神社 (6)
三島鳥頭神社 (7)
拝殿、本殿ともに彫刻が施され、特に本殿の木鼻、蝦虹梁など見事なものだ。田舎(失礼!)の神社にしてはと思ってしまった。

三島鳥頭神社 (8)
春・秋の例祭では太々神楽が奉納される。秋には獅子舞も奉納される。太々神楽は大正元年(1912年)から、獅子舞は嘉永5年(1852年)からの歴史がある。

三島鳥頭神社 (9)
昭和4年(1929年)刊行の「吾妻郡誌」には「老杉約100株林立し」とあるが、さすがに減ってしまったようだ。それでも多数の杉が神域を護っているといった雰囲気だ。(きちんと数えれば100本くらいあるのかな)

このエントリーをはてなブックマークに追加


吾妻郡東吾妻町矢倉の鳥頭神社。
「神代杉」のある神社と言えば分かるかもしれない。以前、神代杉を見に来たときに、何と神社をスルーしていた。なので改めて訪問。

矢倉鳥頭神社 (1)
矢倉鳥頭神社 (2)
矢倉鳥頭神社の創建は不詳だが、建久年間(1190~98年)ともいわれる。

矢倉鳥頭神社 (3)
享保7年(1722年)に作られた鳥居の礎石。昭和62年(1987年)の鳥居改修工事時に掘り出したもの。

矢倉鳥頭神社 (4)
参道脇の力石。大玉が98kgで小玉が47kg。岩島地区には多くの力石が残されており、古くから力比べや奉納競技が行われていたと考えられる。

矢倉鳥頭神社 (5)
矢倉鳥頭神社 (6)
矢倉鳥頭神社 (7)
矢倉鳥頭神社は古くから時の領主の崇敬を受けており、吾妻太郎行盛、真田昌幸・信幸(信之)父子らが社殿改修や寄進をしている。

現在の社殿は明和11年(1767年)の建立とされる。

矢倉鳥頭神社 (8)
幣殿に掛けられている鬼瓦。改修前の拝殿に乗っていたものと思う。

矢倉鳥頭神社 (9)
神楽殿。

矢倉鳥頭神社 (10)
神武天皇遥拝所。明治40年(1907年)の設置で、平成元年(1989年)の再建。

矢倉鳥頭神社 (11)
神代杉。以前の訪問時(2011年)と比べると背が低くなったような気がするし、解説版もきれいになったような気がする(内容が同じかは覚えていない)。

一応、神代杉について。日本武尊が東征のみぎり自ら手植えしたと伝わる。寛保2年(1742年)に旅人の失火で半枯の状態になる。その後、天明2年(1783年)浅間山噴火による熱泥流の被害も受けたが、龍得寺住職・円心が危険を顧みず10mの高所から切り倒し全焼の危機を救った。当地の人々が代々修復を重ね、今にその姿を伝えている。
(以前の訪問記は「日本武尊が植えた杉? -神代杉-」参照)

このエントリーをはてなブックマークに追加


吾妻郡東吾妻町岩下の福聚山応永寺。

応永寺 (1)
応永寺は岩櫃城主・斎藤氏により建立された。斎藤氏の当地入部には諸説あるが、一説に応永12年(1405年)に斎藤憲行が当地に入部とあり、時の元号と寺名が一致することからこのあたりの創建かな。斎藤氏の滅亡により衰退していたが、大永7年(1527年)に無庵禅師が中興したという。

応永寺 (2)
応永寺 (3)
応永寺 (4)
応永寺 (5)
立派な山門。仁王像が鎮座している。

応永寺 (6)
応永寺 (7)
応永寺 (8)
山門の天井絵。中央の龍を挟んで両側に天女。

応永寺 (10)
応永寺 (11)
応永寺 (12)
本堂扉の家紋は左は五七桐と思うが、右は見たことない。2つともお寺と関連があるのだろうが、まったく分からない。

応永寺 (13)
水難慰霊塔。昭和10年(1935年)9月の2つの台風による集中豪雨での被災者を慰霊するもの。吾妻郡では土石流や山崩れが発生。吾妻川も水位が最大6mも上昇。人的被害、住宅被害(全壊や流出など)が発生した。

この被害は吾妻郡に限らず、群馬県内で死者・行方不明、負傷者合わせ400名を超える甚大な被害が発生した。高崎市でも烏川、碓氷川で堤防が決壊。救助活動中の高崎15連隊の兵士7名が犠牲になっている。(「七士殉職供養塔」参照)

応永寺 (14)
灑水(しゃすい)観音。右手に灑水杖を持つ。

応永寺 (15)
本堂前の枝垂れ桜。季節がらしょうがない。

応永寺 (16)
応永寺 (17)
応永寺 (18)
境内の五葉松。直径約10m、高さ約2mで、傘を広げたような形をしていることから傘松と呼ばれている。約340年前に9世住職・石山和尚が沼田から当寺へ転住の際に持って来て植えたといわれる。

応永寺は花の名所で、春には山門前を中心に桜を始めとして菜の花などが咲き乱れる。傘松しか調べてなかったので・・・。春になったら、もう一度行ってみようかな。

このエントリーをはてなブックマークに追加


高崎市(旧郡部を除く)

高崎市東中里町・火雷若御子神社
源義家の創建・新田義重の建立 -柳原馬頭観音堂-
高崎市宿大類町・熊野神社
高崎市矢島町・彦島神社
熊の墓 -妙音寺-
高崎の鬼門鎮護 -五霊神社-
高崎市山名町・山ノ上地蔵尊
高崎市山名町・来迎阿弥陀画像板碑
高崎五万石騒動義人堂
酒井家次の開基 -向雲寺-
足利尊氏の守護仏を祀る -延養寺-
群馬県立歴史博物館 企画展とテーマ展示
祝・世界記憶遺産登録 上野三碑再訪
群馬県立歴史博物館 リニューアル後初訪問
井戸から出てきた八幡菩薩像 -井戸八幡宮-
新町宿から購入した灯籠 -大八木諏訪神社-
正観寺遺跡群 祭祀巨石
古鏡を祀る -鏡宮神社-
高崎市最大・最古の板碑 -妙典寺-
高崎五万石騒動中総代・山田勝弥の墓
高崎五万石騒動大総代・小島文次郎の墓 -大森院-
高崎五万石騒動大総代・佐藤三喜蔵の墓 -高崎・普門寺-
高崎五万石騒動大総代・高井喜三郎の墓
水戸黄門腰掛石 -山名八幡宮 その2-
信玄の鍋掛け石 -天竜護国寺-
上中居総鎮守 ひいらぎさま -上中居諏訪神社-
下小鳥村の首塚 -枉寃旌表之碑-
八幡八幡宮の別当寺 -大聖護国寺-
彼岸桜の老樹が護る -桜塚古墳-
高崎市・少林山薬師塚古墳
高崎市・少林山天頭塚古墳
高崎市・八幡原A号及びB号石槨
高崎市・剣崎長瀞西古墳
七士殉職供養塔
帝国陸軍特別大演習 -山名御野立所跡-
防火の神様 -高崎南町・愛宕神社-
群馬県出身の殉国の英霊を祀る -群馬県護国神社-
菊地町のウナギ伝説 -抜鉾神社-
酒井雅楽頭から拝領した松 -萩原の大笠松-
彦狭島王の墳墓? その2 -将軍塚古墳-
小栗上野介忠順の養嗣子・又一忠道の墓
軍師・山本勘助の子孫の墓 -大雲寺-
和田氏の菩提寺 -興禅寺-
高崎・和田の三石
高崎最古の五輪塔 -玄頂寺-
お染の墓 -高崎市木部町・安楽寺-
木部範虎の墓 -心洞寺-
木部白満の墓 -光台寺 その2-
山名氏館跡??? -光台寺-
乃木稀典揮毫の忠魂碑と東条英機揮毫の忠霊塔
稲川政右衛門の墓 -常安寺 その2-
豊岡藩陣屋跡 -常安寺-
源頼義・義家父子の建立 -若宮八幡宮-  
群馬シンフォニーホール
ここに泉あり -群馬音楽センター-
藩主のお宝 -頼政神社 その2-
六郷・長野郷の総鎮守 -烏子稲荷神社-
「すさのお」とは読めない -進雄神社-
行き止まりの高架橋 -岩鼻軽便鉄道跡-
ダイナマイト発祥の地 -群馬の森・ダイナマイトの碑-
群馬県立歴史博物館
旧井上房一郎邸 -高崎市美術館-
高崎市綿貫町・普賢寺裏古墳
高崎市綿貫町・不動山古墳
高崎市倉賀野町・浅間山古墳
高崎市倉賀野町・大鶴巻古墳
七仏薬師如来 -安楽寺-
岩鼻代官・吉川栄左衛門の墓 -高崎岩鼻・観音寺-
古き良き時代の旅館 -豊田屋旅館-
税金バベルの塔 -高崎市役所-
内村鑑三家の墓 -高崎若松町・光明寺-
高崎市民の憩いの場 -高崎公園-
徳川忠長自刃の部屋 -長松寺-
井伊直政の伯母のお寺 -恵徳寺-
高崎の総鎮守 -高崎神社-
茶舗・水村園 -小見家住宅-
旧威徳寺の内陣があるけど・・・ -光徳寺-
ネオ・ゴシック風教会 -高崎聖オーガスチン教会-
群馬で唯一建物が残る城址 -高崎城址-
土蔵のような外観 -高崎あら町・諏訪神社-
倉賀野の総鎮守 -倉賀野神社-
飯盛り女の墓 -九品寺-
江原源衛左門重久の墓 -慈眼寺-
上野国七之宮 -小祝神社-
彦狭島王の墳墓? -三島塚古墳-
天狗が守る神社 -琴平神社-
井上保三郎の墓 -荘厳寺-
八幡霊園内にあります -若田原遺跡-
長野氏ゆかりの屋敷址 -北新波砦址-
長野氏累代の墓 その2 -来迎寺-
徳川忠長の墓 -大信寺-
中曽根康弘資料館
私は日本の文化を愛す -洗心亭-
こんな所にあったのね -中山道一里塚-
山田徳蔵氏のコレクション -山徳記念館-
浦島太郎のいる庭園 -徳明園-
深山幽谷の趣 -洞窟観音-
坂上田村麻呂の開基 -清水寺-
元ロシア人兵士の墓 -龍廣寺-
高崎という地名の由来 -龍廣寺-   
源氏ゆかりの社 -八幡(やわた)八幡宮-
上豊岡の茶屋本陣
見事な山門の天井絵 -養報寺-
倉賀野城主・金井秀景の墓 -永泉寺-
水上交通の要 -倉賀野河岸跡-
山名氏の祖・義範の創建 -山名八幡宮-
歌聖・藤原定家を祀る -定家神社-
佐野の舟橋歌碑
いざ鎌倉へ -常世神社-
戦時中の教科書を見よう -高崎市歴史民俗資料館-
懐中電灯を貸してくれる資料館 -観音塚考古資料館-
群馬の石舞台? -観音塚古墳-
源三位を祀る -頼政神社-
最後の上野三碑 -山ノ上碑-
上野三碑 -金井沢碑-
社有地なので入れない? -岩鼻陣屋跡-
高崎市・観音山古墳

このエントリーをはてなブックマークに追加


高崎市東中里町の火雷若御子神社。

火雷若御子神社 (1)
火雷若御子神社 (2)
火雷若御子神社は火雷神社(玉村町)の分霊を勧請したものだが、その年代は不詳。ただ「上野国神名帳」に「従五位上 火雷若御子明神」と記載されているので、それなりの古社だと思う。

火雷若御子神社 (3)
火雷若御子神社 (4)
火雷若御子神社 (5)
主祭神は火産霊命だが、後に保食命(宇気母智命)を合祭した際、中里神社に改称されたが(こちらも年代不明)、明治28年(1895年)に火雷若御子神社に復称している。

火雷若御子神社 (6)
火雷若御子神社 (7)
拝殿内には明治38年(1905年)奉納の絵馬が2枚あった。1枚目の題材は分からないが、2枚目は明治天皇かな。

火雷若御子神社 (8)
火雷若御子神社 (9)
拝殿には「神楽殿」の扁額が掲げられているが、神楽殿は取り壊されたようだ。跡地を示す看板が立っている。

火雷若御子神社 (10)
境内に芭蕉の句碑があった。「稲妻に さとらぬ人の 尊さよ」。神社名にちなんだ句を選定したのかと思ったが、句意は「稲妻を見て何かを悟ったような顏で物言う人より、何も思わずに無心でいる人の方が尊いのだ」みたいな感じ。

火雷若御子神社 (11)
ご神木の大ケヤキ。

ところで、「若御子」と付いている意味は不明。調べると、「上野国神名帳」には当社以外にも「諏訪若御子」「抜前若御子」「赤城若御子」「榛名若御子」「倭文若御子」「白羅根若御子」など多数あり。

このエントリーをはてなブックマークに追加


高崎市南大類町の柳原馬頭観音堂。

柳原馬頭観音堂 (1)
柳原馬頭観音堂の創建は不詳。言い伝えでは寛治3年(1089年)源義家東征の際、当地で義家の乗った馬が蹄を痛め進めなくなってしまった。そこで義家は京都・清水観音を遙拝、その快癒を祈願したところ柳叢(叢は草むらの意)の上に馬頭観音が現れ、馬の蹄は平癒した。感激した義家は、仮堂を建立し馬頭観音を安置し柳の木を植え奥羽に向かった。

その後、義家の孫にあたる新田義重が壮麗な殿堂を造営し、人々は柳原観音堂と称し参詣する人が絶えなかったという。

ちなみに、後三年の役は寛治元年(1087年)に終結しているけど、まあ誤差の範囲かな。

柳原馬頭観音堂 (2)
柳原馬頭観音堂 (3)
現在の観音堂は嘉永5年(1852年)の建立。馬頭観音像は厨子の中のようだ。白馬の置物は享保20年(1736年)江戸・日本橋ねずみ屋製作と胎内に書かれている。鰐口には明暦2年(1656年)の銘がある。

柳原馬頭観音堂 (4)
柳原馬頭観音堂 (5)
柳原馬頭観音堂 (6)
柳原馬頭観音堂 (7)
柳原馬頭観音堂 (8)
観音堂には見事な彫刻が施されている。特に、龍の巻き付いた海老虹梁は躍動感あふれる傑作だ。また、柱や梁のすべての彫刻に寄付者の住所と名前が線刻されている。

柳原馬頭観音堂 (9)
観音堂の奥には聖徳太子の碑。大正11年(1922年)の建碑。

群馬県内には源義家の創建と伝わる神社(八幡神社など)が多数ある。東征のおり県内を通過したとの確証はないが、新田氏の勢力範囲内にそういう伝承が多く残っているのだと思う。なんと言っても八幡太郎義家は源氏の象徴的な棟梁なので。

このエントリーをはてなブックマークに追加


高崎市宿大類町の熊野神社。

宿大類町熊野神社 (1)
宿大類町熊野神社 (2)
宿大類熊野神社は慶長年間(1596~1615年)の創建と伝わる。現在の鳥居は昭和53年(1978年)の建立。

宿大類町熊野神社 (3)
鳥居をくぐると、そこは宿大類児童公園。公園の向こう側が境内になっている。元は熊野神社の境内の一部だったと思う。それを考えると、それなりの規模の神社だったはずである。

宿大類町熊野神社 (4)
宿大類町熊野神社 (5)
現在の社殿の建立年などは分からないが、かなり老朽化している。

宿大類町熊野神社 (6)
拝殿の屋根は瓦がずれ落ち、今にも崩れそうだ。当然、社殿周りへの立ち入は禁止。地元の鎮守的な神社はどこも資金不足で、すぐに修理できないんだろうな。

宿大類町熊野神社 (7)
宿大類町熊野神社 (8)
境内右奥の鳥居。

江戸時代、高崎藩主は厄年になると宿大類熊野神社で祈祷し、また旱魃などの時も当社に参り祈誓したというが、現状の社殿の状況を見るとちょっと残念。

このエントリーをはてなブックマークに追加


高崎市矢島町の彦島神社。

彦島神社 (1)
彦島神社 (2)
彦島神社は大永7年(1527年)の創建と伝わる。

彦島神社 (3)
彦島神社 (4)
彦島神社 (5)
元は諏訪神社で、明治40年(1907年)に地区内各社を合祀した際に彦島神社と改称している。そのため、主祭神は建御名方神である。

彦島神社 (6)
なぜか、灯籠などが境内の隅っこに置かれている。社殿前には新しい狛犬が置かれているので、隅に追いやられたのか?

このエントリーをはてなブックマークに追加


上州まったり紀行の中から「お墓・供養塔」に関するものをリスト化したもの。一応、有名人・著名人、歴史的な人物(氏族)が対象。中には、「伝」・「?」も多いけどね(笑)。


前橋市(旧郡部を除く)

大室太郎の墓(観昌寺)
岩佐直治中佐の墓(松竹院)
前橋藩酒井家家老・高須隼人の墓(正幸寺)
平敦盛の供養塔(泉蔵寺)
石田玄圭の墓
静御前のお墓?
赤穂浪士・矢頭右衛門七の母の墓(大蓮寺)
新田義貞の首級を持ち帰った(?)「覚明」の墓(宝禅寺)
中臣羽鳥連の墓(釈迦尊寺)
名馬・磨墨の墓(祝昌寺)
酒井忠世家臣・本城氏の墓(長昌寺)
初代前橋市長・下村善太郎の墓(龍海院)
剣聖・上泉信綱の墓(西林寺)
石川氏の墓(最善寺)
常盤御前のお墓?(極楽寺)
静御前のお墓?(養行寺)
萩原朔太郎のお墓(政淳寺)
淀君のお墓?(元景寺)
秋元氏歴代の墓所
德川譜代・酒井家累代の墓(龍海院)


前橋市(旧大胡町、旧宮城村、旧粕川村、旧富士見村)

大前田英五郎の墓 その2
牧野家家老・山本帯刀の墓(長興寺)
伊勢崎藩主・稲垣長茂両親の墓(長興寺)
満蒙開拓移民の父・東宮鐡男陸軍大佐の墓(金剛寺)
北爪将監の供養塔(赤城寺)
梶原景時父子の墓?(珊瑚寺)
牧野家の菩提寺(養林寺)
大胡太郎(藤原重俊)の墓(長善寺)
大前田英五郎の墓
船津傳次平の墓


伊勢崎市、佐波郡(玉村町)

金井烏洲と一族の墓
国定忠治の墓 その2(善応寺)
俳人・栗庵似鳩の墓
板垣信方の墓(常清寺)
伊勢崎藩の藩校教授・浦野神村の墓
沼田景義のご子孫の墓(泉龍寺)
那波宗広の墓(泉龍寺)
大谷義継の孫・大谷隆昌の墓(龍昌院)
跡部氏累代の墓(紅厳寺跡)
弥勒寺音次郎・音八父子の墓
福島泰蔵大尉の墓(天人寺)
村上随憲の墓(長光寺)   
那波教元の墓?(富塚円福寺)
駒井政直・親直の墓(宝幢院)
駒井氏累代の墓(竹芳寺)
斎藤宜義の墓(宝蔵寺)
小畠武堯の墓(善応寺)
伊勢崎藩家老・関當義・重嶷父子の墓(同聚院)
那波小太郎・小次郎の墓(天増寺)
稲垣氏累代の墓(天増寺)
藤原秀郷(俵藤太)の供養塔(宝珠寺)
国定忠治の墓(養寿寺)


渋川市、北群馬郡(吉岡町、榛東村)

男性助産師・石田伍助の供養塔
白井長尾氏累代の墓(空恵寺)
角田無幻道人の遺髪塚
絵師・根本常南の墓
白井長尾氏家臣・飯塚大学の石堂
宮大工・岸豊後守積保の墓
堀口藍園の墓
高橋蘭斎の墓(遍照寺)
吉田芝渓の墓
伝・桃井直常の墓 その2(金剛寺跡)
伝・桃井直常の墓
新田一門・大島氏の墓
永岡形部左衛門の墓(興禅寺)
三原田城主・永井氏累代の墓(興禅寺)
山崎石燕の墓と鳥酔翁塚(雙林寺)
養蚕家・馬場重久の墓
里見義秀の供養塔?(金蔵寺)
本多廣孝の墓(源空寺)
木暮足翁の墓(真光寺)


高崎市(旧郡部を除く)

熊の墓(妙音寺)
高崎五万石騒動中総代・山田勝弥の墓
高崎五万石騒動大総代・小島文次郎の墓(大森院)
高崎五万石騒動大総代・佐藤三喜蔵の墓(普門寺)
高崎五万石騒動大総代・高井喜三郎の墓
七士殉職供養塔
小栗上野介忠順の養嗣子・又一忠道の墓
軍師・山本勘助の子孫の墓(大雲寺)
稲川政右衛門の墓(常安寺)
根津政直の墓(常安寺)
お染の墓(木部町安楽寺)
木部範虎の墓(心洞寺)
木部白満の墓(光台寺)
岩鼻代官・吉川栄左衛門の墓(岩鼻町観音寺)
内村鑑三家の墓(若松町光明寺)
飯盛り女の墓(九品寺)
江原源衛左門重久の墓(慈眼寺)
井上保三郎の墓(荘厳寺)
長野氏累代の墓 その2(来迎寺)
徳川忠長の墓(大信寺)
元ロシア人兵士の墓(龍廣寺)
村上鬼城の墓(龍廣寺)
倉賀野城主・金井秀景の墓(永泉寺)


高崎市(旧群馬町、旧箕郷町、旧榛名町、旧吉井町、旧新町、旧倉渕村)

竹本土佐太夫の墓
長野業盛夫人・藤鶴姫の墓
榛名山座主・快尊、忠尊、快承の墓
長野業正の長男・吉業の墓(善龍寺)
由良国繁の墓?(金龍寺)
木部姫の供養塔(御沼オカミ神社)
織田信長、細川興秋の供養塔(弥勒寺)
火打金鍛冶職人・中野孫三郎の墓
土師清大夫の墓(浄泉寺)
大和郡山藩柳沢家2代・柳沢信鴻の継室の墓(宝勝寺)
福田赳夫元首相の墓(徳昌寺)
小串氏の墓所(地勝寺)
吉井藩代官・橳島家3代の墓(法林寺)
菅沼定利の墓(玄太寺)
奥平貞訓の墓(仁叟寺)
井伊直政の継父・松下源太郎の墓(龍門寺)
内藤昌豊・昌月父子の墓(善龍寺)
伝・長野業盛の墓
長野業正の墓(長純寺)
長野氏累代の墓(長年寺)
小栗上野介の墓(東善寺)


安中市

中山道坂本宿 下の本陣・金井家の墓(青松寺)
金井忠兵衛の墓
安中忠政の墓(全性寺)
医学者・荒木寅三郎の墓
山田三川の墓(龍昌寺)
新島襄の祖父と弟の墓(妙光院)
安中草三郎の妻・歌の墓?(東光院)
安中忠親の墓(桂昌寺)
安中忠清の墓(久昌寺)
下曽根氏累代の墓(信照寺)
詩人・大手拓次の墓
伊勢義盛の墓?(常楽寺)
碓氷定光の供養塔(金剛寺)
依田政知と後閑信純の墓(長源寺)
磯貝雲峰の墓(自性寺)
高崎藩主松平康長の娘・露姫の墓(実相寺)
大道寺政繁の墓(補陀寺)
簗瀬八幡平の首塚
太山融斉と柏木義圓の墓(西廣寺)
妖怪・チャンコロリンの墓(大泉寺)
小野栄重の墓(南窓寺)
井伊直政正室・唐梅院の墓(大泉寺)
伝佐々木盛綱夫妻の墓(松岸寺)
伝赤穂藩士・大野九郎兵衛の墓(松岸寺)


富岡市、甘楽郡(甘楽町、下仁田町、南牧村)

下仁田戦争・水戸天狗党戦死者の墓
小幡氏歴代の墓(興巌寺)
小幡藩織田家家老・吉田玄番家累代の墓(宝勝寺)
横尾丹波守吉泉の墓
稲部市五郎種昌の墓(金剛院)
橋本暮村の墓(伝宗寺)
高田大和守憲頼の墓(陽雲寺)
伝・庭屋氏累代の墓
七日市藩主・前田家御宝塔
富岡製紙工女の墓 その2(海源寺)
高橋道斎の墓(常住寺)
お菊の墓 その2
前田利家側室・明運尼の墓(永心寺)
長岡家歴代党首のの墓
お菊の墓(宝積寺)
小幡氏歴代の墓(宝積寺)
七日市藩歴代藩主の墓(長学寺)
富岡製紙工女の墓(龍光寺)
織田信雄の墓


藤岡市、多野郡(神流町、上野村)

道忠禅師の供養塔(浄法寺)
木地師の墓 その2(泉龍寺)
木地師の墓(宝蔵寺)
土屋山城守高久の墓
松井宗直の墓 その2(光徳寺)
松井宗直の墓(源性寺)
高山遠江守重栄の墓(興禅院)
高山長五郎の墓(興禅院)
山内上杉氏累代の墓(円満寺)
菊川英山の墓(成道寺)
算聖・関孝和の墓(光徳寺)
芦田氏累代の墓(光徳寺)
長井正實の墓、依田信守・信政の墓(天陽寺)
義民 堀越三右衛門の墓


太田市(旧郡部を除く)

勾当内侍の墓(太田市・大圓寺)
新田義興の供養塔(太田・東光寺)
矢場氏累代の墓(恵林寺)
新田義忠の墓?(浄光寺)
新田義興の墓?(威光寺)
新田氏累代の墓(円福寺)
新田義貞の供養塔(金龍寺)
呑龍上人の墓・新田義重の墓(大光院)


太田市(旧新田町、旧尾島町、旧藪塚本町)

石田三成の娘・辰姫の墓(東楊寺)
初代古河公方・足利成氏の墓(東雲寺)
岩松守純・豊純父子の供養塔(長楽寺)
栄朝禅師の無縫塔(長楽寺)
世良田義季の墓?(長楽寺)
長楽寺5世・月船琛海の墓所(普光庵跡)
「日本の飛行機王」中島知久平の墓(徳性寺)
横瀬泰繁の墓?(龍得寺)
茂呂権蔵の墓(太田・普門寺)
長慶天皇の陵墓?(長慶寺)
伝・藪塚氏の墓
津軽藩代官・足立氏の墓(東楊寺)
勾当内侍の墓と新田義貞の首塚(花見塚公園)
悪源太義平の墓?(清泉寺)
岩松尚純夫妻の墓(尚純萩公園)
源義国の墓所?(義国神社)
伝・新田義重夫妻の墓
世良田義季累代の墓(長楽寺)


桐生市

大関・秀ノ山(9代横綱)の墓(定善寺)
高山彦九郎の長男・儀助の墓(定善寺)
楳本法神の墓(桐生市黒保根町・医光寺)
小田原の機利者・山上郷右衛門の供養塔(常廣寺)
桐生市名誉市民・森喜作氏の墓(大蔵院)
由良氏四天王・高橋英元の墓(祥雲寺)
下村昌伯の墓(龍泉院)
細川内膳の墓(文昌寺)
桐生氏累代の墓(西方寺)
由良成繁の墓(鳳仙寺)
彦部家の墓所(福厳寺)
伝・新田義貞の首塚(善昌寺)


みどり市

名誉県民・長谷川四郎元衆議院の墓(世音寺)
岡登景能の墓(国瑞寺)
山田氏および里見兄弟の墓


館林市、邑楽郡(大泉町、板倉町、邑楽町、千代田町、明和町)

初代・紫峰庵夫雪の墓(授楽寺)
大谷休泊の墓
原田種政の墓?(龍興寺)
館林騒動・三義人の供養碑(教学院)
浮世絵師・北尾重光の墓(覚応寺)
徳川四天王・榊原康政の墓(善導寺)
榊原康政の孫・松平忠次の生母の墓(善長寺)
戸泉鋼作の墓(大道寺)
生田萬父祖の墓(大道寺)
田山花袋の姉の墓(常光寺)
新田義貞四天王・篠塚伊賀守重廣の墓(大信寺)
千代田町長・大谷典三氏の墓(舞木円福寺)
赤井照光の墓(光恩寺)
伝・児島高徳の墓(高徳寺)
富岡秀信の供養塔(龍泉院)
田中正造の墓(雲龍寺)
楠木正成の首塚?(楠木神社)
徳川四天王・榊原康政の墓(善導寺)
「お辻」の供養塔(善長寺)


沼田市、利根郡(みなかみ町、片品村、川場村、昭和村)

加沢平次左衛門の墓
海野輝幸と嫡男・幸貞の墓(海野塚)
会津藩白虎隊・町野久吉の墓
伝・真田熊之助の墓 その2(天桂寺)
伝・真田熊之助の墓
上杉謙信の供養塔(如意寺)
土岐家旧藩主の墓石(東禅寺)
発智為時の墓(東光禅寺)
薄幸の女流歌人・江口きちの墓(桂昌寺)
伝・真田信利の墓(弥勒寺)
名胡桃城代・鈴木重則の墓?(正覚寺)
真田信政三男・信武の墓(成孝院)
真田信政二男・信守の墓(舒林寺)
沼田平八郎景義の墓(沼田大明神)
真田信政側室・浜松の局の墓(東源寺)
加藤清正の孫・藤枝正良の墓(妙光寺)
真田信吉側室・慶寿院の墓(妙光寺)
真田信吉の墓(天桂寺)
真田信之正室・小松姫の墓(正覚寺)
新田義宗の墓?(雲谷寺)


吾妻郡(中之条町、長野原町、草津町、嬬恋村、東吾妻町、高山村)

僧・空閑の墓
富豪・加部家の墓(大運寺)
吾妻太郎行盛の墓(長福寺)
小渕恵三元首相の墓(林昌寺)
平九の墓(皇大神宮)

このエントリーをはてなブックマークに追加


高崎市大八木町の慈眼山妙音寺。

妙音寺 (1)
妙音寺は元和9年(1623年)の創建。正徳3年(1713年)に融通寺を合併した際に、現在の妙音寺に改称している。

妙音寺 (2)
山門前のペンギンの石像。意味合いは不明だが、可愛いからOK?

妙音寺 (3)
本堂は延享4年(1747年)の建立。大正4年(1915年)に屋根の葺き替え、昭和61年(1986年)に大改修を行っている。

妙音寺 (4)
妙音寺 (5)
観音堂には十一面観音を祀る。観音堂も延享4年の建立で、昭和61年に改修されている。

妙音寺 (6)
寛保2年(1742年)建像の釈迦如来坐像。寛保2年と言えば、台風による利根川の氾濫などで関東一円に大被害をもたらしている。その供養も兼ねての建像かな。

妙音寺 (7)
上記の釈迦如来坐像と並ぶようにある石塔には「先玉尊霊」とある。明治3年(1870年)8月の銘があり、山門前に出没した熊を村総出で退治した記念碑兼熊の墓(慰霊碑)だという。

当時のこの辺の山野は想像できないが、普通に熊が出る環境だったんだね。

このエントリーをはてなブックマークに追加

↑このページのトップヘ