Tigerdream の上州まったり紀行

上毛かるたと群馬県内の神社仏閣、遺跡・史跡・古墳、資料館などの紹介。

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高崎市下小鳥町の幸宮神社。

幸宮神社 (1)
幸宮神社 (2)
幸宮神社は応永年間(1394~1428年)に魚取神社として創建したと伝わる。上野国神名帳に記載される「魚取明神」は当社とされる。

鳥居は正徳2年(1712年)の建立で、石造鳥居としては高崎市内でも古い部類に入る。

幸宮神社 (3)
幸宮神社 (4)
幸宮神社 (5)
幸宮神社 (6)
社殿は明和5年(1768年)に焼失の記録が残る。その後、安永8年(1778年)、寛政7年(1795年)に再建されているようだ。平成28年(2016年)には社殿や境内含め、大改修が行われている。

なお、社殿が鎮座しているのは「六郷村6号墳」の墳丘上になる。6号墳は全長36mの前方後円墳との記録が残るが、ほぼ開削されているようで遺構はなさそうだ(素人目には分からない)。多分、隣の下小鳥公民館の敷地と合わせると、記録くらいの領域になると思われる。

幸宮神社 (7)
境内にある石祠には応永17年(1410年)の銘があり、「御本宮」(創建時の祠)とされる。これは上記由緒を裏付けるものである。

幸宮神社 (8)
幸宮神社には高崎市の重文に指定されている算額が残されている。文政7年(1824年)の奉納で、奉納者は山田詮左衛門ほか15人。社殿内に保管されているため、日ごろは見ることが出来ない。

ところで、タイトルの「山幸彦を祀る旧魚取神社」っておかしくない? と感じるかもしれないが、幸宮神社のご祭神の一柱に彦火々出見命がおられる。これは山幸彦で知られる。旧名「魚取神社」から想像するに、兄の海幸彦(火闌降命)がご祭神ならすっきりする。海幸彦は釣針を持ち、魚を捕るのが得意。創建時は海幸彦がご祭神だった? それとも両神ともご祭神だった?

幸宮神社と名称変更された時期は分からないが、「幸」を持っている神の宮と思われる。この「幸」は海幸彦の釣針、山幸彦の弓矢を言う。

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高崎市鼻高町の少林山達磨寺。

達磨寺 (1)
達磨寺 (2)
達磨寺の開創は不詳。伝承では、当地に古くから観音堂があり、碓氷川で見つかった光る香木を納めておいたところ、延宝8年(1680年)に一良居士という行者が、その香木から達磨大師の座禅像を彫り安置したのが始まりとされる。元禄10年(1697年)に前橋城主・酒井忠挙により、前橋城の裏鬼門を護る祈願所として寺院建立を発願。心越禅師を開山とし、天湫和尚を水戸から招き達磨寺とした。

明治期に隠元禅師を中興開山とし、黄檗宗に改宗し現在に至っている。隠元はインゲン豆を日本に伝えたとされる日本黄檗宗の開祖。当然のことながら、隠元の年代とは異なるが(江戸初期の人)、開祖などを開山とすることはよくあるらしい。

総門は平成9年(1997年)の建立。中央の屋根を高くし、左右を低くした牌楼(はいろう)式と呼ばれる中国様式の山門。窟門(写真右の白壁部の門)をくぐると、女坂と呼ばれる石段を迂回して境内に行き着く道がある。

達磨寺 (3)
県道沿いのコミカルなだるま型の案内板。

達磨寺 (4)
達磨寺 (5)
急で長い石段(165段)。脇には不動明王像。

達磨寺 (6)
達磨寺 (7)
石段を登り切ったところにある鐘楼(写真は境内側から)。梵鐘は「招福の鐘」と名付けられている。

達磨寺 (8)
達磨寺 (9)
講堂。昭和2年(1927年)の建立。達磨大師を本尊として祀る研修道場。

達磨寺 (10)
達磨石。謂れなどは分からない。

達磨寺 (11)
達磨寺 (12)
霊符堂(本堂)や達磨堂に上っていく石段前にある玄武灯籠。亀に大蛇が巻き付いた様式。

達磨寺 (13)
達磨寺 (14)
本堂にあたる霊符堂。明治44年(1911年)の再建。北辰鎮宅霊符尊と達磨大師を祀り、心越禅師を安置する。北辰鎮宅霊符尊は北極星と北斗七星を神格化した方位除けの守護神。

達磨寺 (15)
達磨寺 (16)
多数のだるまが納められている。「中山秀征」「布袋寅泰」「群馬県警」「東進ハイスクール」「FC東京」などの名入りだるまも見られる。

達磨寺 (17)
達磨寺 (18)
達磨堂。大山立修氏の達磨コレクションの寄贈が縁となり、昭和61年(1986年)の開堂。

達磨寺 (19)
達磨寺 (20)
日本各地のだるまなどを展示している。

達磨寺 (21)
群馬が誇る3首相(福田赳夫、中曽根康弘、小渕恵三)の名入りだるまも。

達磨寺 (22)
達磨寺 (23)
達磨寺 (24)
十一面観音を祀る観音堂。開創当時は経蔵として建立されたが、寛政4年(1792年)に北辰鎮宅霊符尊を祀る霊符堂に改修された。現在の観音堂はこの時のものとされる。その後、霊符堂が建立され北辰鎮宅霊符尊が遷され、観音堂となっている。

達磨寺 (25)
達磨寺 (26)
観音堂周辺には130体ほどの庚申塔が建っている(百庚申)。観音堂に北辰鎮宅霊符尊が祀られた寛政4年以降に建てられ、文化年間(1804~18年)のものが多い。

達磨寺 (27)
達磨寺 (28)
百庚申の脇にある「招き猫の木」。ネコに見えなくもない?

縁起だるまは達磨寺が発祥とされる。天明3年(1783年)の浅間山の噴火に伴う飢饉で、農民の生活は困窮を極めていた。この惨状を見かねた達磨寺9世・東獄和尚は開山・心越禅師の描いた「一筆達磨座禅像」を元に木型を彫り、張り子だるまの作り方を農民に伝授した。これが現在の「縁起だるま」の発祥とされる。

達磨寺関連
 「高崎市・少林薬師塚古墳
 「高崎市・少林山天頭塚古墳
 「私は日本の文化を愛す -洗心亭-

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小栗上野介忠順 終焉の地  
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吉井藩の歴史を勉強しました -吉井郷土資料館-
合併記念の碑だった -入野碑-
埋もれた名城 -箕輪城-
見晴らしはいいけど・・・ -吉井・牛伏山-
戦国時代に想いをはせる -神流川の合戦-
あれっ? 何でこんなに混んでるの? -榛名神社-
アララギ派って? -土屋文明記念文学館-
あたり一面草ぼうぼう -上野国分寺跡-
小栗上野介の墓 -東善寺-

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高崎市箕郷町柏木沢の赤城若御子神社。

赤城若御子神社 (1)
赤城若御子神社は大化元年(645年)の創建と伝わる古社である。元は字鼓ヶ塚にあり柏木沢の総鎮守として奉祀されていたが、後に当地に遷座し覚満大神と称している。覚満とは当地の旧名のことで、覚満山本田赤城の森と言ったらしい。明治6年(1873年)に現在の赤城若御子神社になっている。

赤城若御子神社 (2)
鳥居の扁額は「覚満大明神」。

赤城若御子神社 (3)
赤城若御子神社 (4)
赤城若御子神社 (5)
赤城若御子神社 (6)
社殿の建立年などは不明だが、扁額が「赤城若御子神社」になっているので、明治期以降と思われる。

赤城若御子神社 (7)
赤城若御子神社 (8)
境内社の天満宮と胎内神社、浅間神社。浅間神社の隣の大岩はご神石かな。

赤城若御子神社 (9)
社殿裏にも境内社・末社群が並ぶ。

赤城若御子神社には社宝として源義経、弁慶の借用証が残されている。文治元年(1185年)、義経・弁慶が奥州を目指していた時に当社に参拝し、粟7斗と馬を借用したとある。

真偽は不明だが、箕郷町柏木沢から榛東村広馬場にかけては「義経街道」と呼ばれる道があり、いくつかの逸話(伝説)も残っている。榛東村広馬場の黒髪山神社には弁慶の遺書といわれる歌が残されている。(「弁慶の遺書 -黒髪山神社 その2-」参照)


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高崎市箕郷町柏木沢の八幡宮。
柏木沢地区には複数の八幡宮があり、字名から今宮八幡宮と呼ばれる。

今宮八幡宮 (1)
今宮八幡宮は文永元年(1264年)に京都・石清水八幡宮の分霊を勧請と伝わる。

今宮八幡宮 (2)
今宮八幡宮 (3)
鳥居は宝暦9年(1759年)の建立。訪問時は七夕飾りが鳥居に彩りを添えていた。

今宮八幡宮 (4)
今宮八幡宮 (5)
今宮八幡宮 (6)
社殿の建立年などは分からないが、昭和29年(1954年)に瓦葺きに改修されている。社殿前の灯籠は平成6年(1994年)の奉納。扁額の揮毫は衆議院議員・小渕優子。政治資金や後援会の問題以来、あまり名前を聞かないが。

今宮八幡宮 (7)
今宮八幡宮 (8)
石堂内にいるのは阿弥陀如来さま。

今宮八幡宮 (9)
中央の馬頭観音は203cmあり、旧箕郷町では2番目の大きさ。幕末の造立。

今宮八幡宮 (10)
女人講(二十二夜講)の如意輪観音の刻像塔。

平成27年(2015年)10月には「750年祭」が行われ、上小塙町・烏子神社の太々神楽が奉納されたという。


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高崎市箕郷町柏木沢の八幡宮。
柏木沢地区には複数の八幡宮があり、字名から向滝八幡宮と呼ばれる。

向滝八幡宮 (1)
向滝八幡宮 (2)
向滝八幡宮は文永元年(1264年)に京都・石清水八幡宮の分霊を勧請と伝わる。

向滝八幡宮 (3)
向滝八幡宮 (4)
参道の先は鎮守の森といった風情。拝殿前には縁起の良い松が覆う。灯籠は大正10年(1921年)の奉納。

向滝八幡宮 (5)
向滝八幡宮 (6)
向滝八幡宮 (7)
社殿は天明3年(1783年)に再建されている。現在の社殿?

向滝八幡宮 (8)
境内社の石尊大権現。両脇に大天狗と小天狗を従えている。石尊大権現は大山の山岳信仰と修験道が融合した神仏習合の神。優れた力を持った仏僧、修験者などが死後大天狗になるといわれる。

向滝八幡宮 (9)
向滝八幡宮 (10)
社殿裏に剣を持つ武人(?)不動明王(?)が線刻されている碑があった。詳細は不明。

元和5年(1619年)には、高崎城主・安藤重信より社領(田畑)寄進されるなど崇敬されていた。

この記事は、基本的に群馬郡誌(大正14年:1925年)の記述を参考にしている。しかし箕郷町誌(昭和50年:1975年)には明和6年(1769年)の創建とある。そうすると一部記載内容に年代的齟齬が生じるが、素人ブログなのでご容赦を。

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高崎市箕郷町柏木沢の妙法山不動寺。

不動寺 (1)
不動寺 (2)
不動寺は延慶年間(1308~11年)良栄法印の開山といわれる。山門は平成11年(1999年)の新築。

不動寺 (3)
山門の龍の彫刻。

不動寺 (4)
不動寺 (5)
本堂も平成11年(1999年)の新築。

不動寺 (6)
不動寺 (7)
境内の南滝不動尊。現在のお堂は平成4年(1992年)の建立。

不動寺の南方、初瀬川と唐沢川が合流するあたりに、高さ7、8mの南滝と呼ばれる滝があった。この南滝辺りに不動明王を安置した不動堂があり、行者が滝行などを行っていた。昭和30年代後半の河川改修により南滝がなくなり、お堂は不動寺境内に移されている。

1月と3月の不動縁日には、護摩供祈願が行われる。

不動寺 (8)
不動寺 (9)
不動寺 (10)
同じく境内の柏木天満宮。菅原道真を祀っていると思われるが、由緒などは分からない。

不動寺は船尾山楊沢寺(息災寺とも)の一寺(坊)跡に開創されている。楊沢寺は平常将に焼き討ちされたが、坊(大寺院に付属する子院や塔頭)が3000もあったとされる。現在の柳沢寺(榛東村)で、五重塔があることで知られる。
(「五重塔がある! -柳沢寺-」参照)

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中之条町、長野原町、草津町、嬬恋村、東吾妻町、高山村

高山村「田んぼアート」2019
東吾妻町・萩生浅間神社
源頼朝も参拝 -須賀尾諏訪神社-
東吾妻町・佐奈神社
源義家が戦勝祈願 -一宮神社-
東吾妻町・五町田三島神社
東吾妻町・松谷神社
真田信利寄進の鳥居 -川戸浅間神社-
岩櫃城主・斎藤憲行の創建 -岩井白山神社-
鹿島のご神水 -植栗鹿島宮-
富豪・加部安左衛門寄進の石灯籠 -畔宇治神社-
源頼義・頼朝も参拝した古社 -吉岡神社-
東吾妻町・平五良観音の大杉
東吾妻町・四戸の古墳群
東吾妻町・行沢の木造馬頭観音立像
東吾妻町・新巻菅原神社
東吾妻町・岩井の背高地蔵
東吾妻町・三島鳥頭神社
神代杉 -矢倉鳥頭神社-
東吾妻町・福聚山応永寺
東吾妻町・太田神社
東吾妻町・へそ岩
東吾妻町・小泉白鳥神社
東吾妻町・奥田白鳥神社
東吾妻町・柏原の宝篋印塔
代官・岡上景親の創建 -岩久保観音堂-
岡上生祠 -岡崎榛名神社-
高山村「田んぼアート」2018
ハート形土偶出土地
高山村「田んぼアート」2017
中之条町・北向三十三番観世音
若山牧水の歌碑 -旧大岩学校-
僧・空閑の墓
明治時代の小学校建築 -旧五反田学校-
伊勢の森 -中之条町・伊勢神宮-
東吾妻町・大宮巌鼓神社
立派な天文台だ! -ぐんま天文台-
「ぐんまちゃんと」と「くまモン」 -高山村・田んぼアート-
茅葺の本堂 -長徳寺-
小渕恵三元首相の銅像 -中之条町ツインプラザ-
富豪・加部安左衛門の屋敷跡 -大運寺-
吾妻太郎行盛の首級を祀る -川戸神社-
斎藤憲広の怨念? 善導寺の怪火 -東吾妻町・善導寺-
武田勝頼の御殿を移築? -顕徳寺-
県内最古の教会建築 -名久多教会-
三国街道中山宿
北向観世音 -福蔵寺-
中之条町・桃瀬の水牢跡
妙全杉 -龍沢寺-
浅間山天明の大噴火の供養石地蔵 -雲林寺-
現在も残る草軽電鉄の駅舎 -北軽井沢駅舎-
北軽の滝 -浅間大滝 & 魚止めの滝-
吾妻太郎行盛の墓 -長福寺-
日本名水百選「箱島湧水」
草津温泉・伊勢宇橋の碑
草津温泉・泣き燈籠
日本国道最高地点 -国道292号渋峠付近-
エメラルドグリーンの酸性湖 -草津白根山・湯釜-
藤原秀郷(俵藤太)が戦勝祈願に植えた杉 -中山三島神社-
高山村・中山敷石住居跡
源頼朝が植えた高野槇 -泉龍寺-
小渕恵三元首相の墓 -林昌寺-
観音を巨木が囲む清見寺 -清見寺-
中之条祇園の絵馬 -稲荷石稲荷神社-
南北朝期の宝篋印塔 -宗本寺-
日本武尊を祀る その2 -吾嬬神社-
第四十五番の金銅善光寺三尊仏 -善福寺-
明治時代の旅人宿 -白井屋-
通称「カクイチ」 -町田家住宅-
嵩山を祀る里宮 -吾妻神社-
八ッ場ダム広報センター -やんば館-
未来のエネルギー? -吾妻バイオパワー-
東吾妻町・甲波宿禰神社
歌人若山牧水 ここに休む -高山村・牧水歌碑-
甦るヨーロッパの古城 その3 -ロックハート城-
甦るヨーロッパの古城 その2 -ロックハート城-
甦るヨーロッパの古城 -ロックハート城-
草津温泉・白旗源泉と頼朝宮
平九塚と皇大神宮
木曽義仲の「残党」の伝説 -武具脱の池-
草津温泉の碑 その3
草津温泉の碑 その2
草津温泉の碑
草津ビジターセンター
草津温泉・西の河原公園   
芸術家ねぇ~(笑) -片岡鶴太郎美術館-
日本相撲協会・草津相撲研修道場
日本武尊を祀る -白根神社-
酸性河川の中和施設 -草津中和工場-
草津温泉の動物園 -草津熱帯園-
日本温泉三大薬師 -光泉寺-
草津温泉の学習 -草津温泉資料館-
草津の恩人・ベルツ博士 -ベルツ記念館-
イチロー・松井の実使用品を展示 -ベースボールスター博物館-
日本最古の養蚕農家住宅 -冨澤家住宅-
眠る男??? -伊参スタジオ公園-
嵩山(たけやま)が御神体 -親都神社-
中之条のシンボル -嵩山(たけやま)-
見事なまでの廃れっぷり -薬王園-
変化する水面(みなも) -四万川ダム/奥四万湖-
病魔退散の薬王水 -薬王寺-
四万温泉・日向見薬師堂
水量が多くて良く見えませんでした -四万の甌穴-
中之条町・歴史と民俗の博物館Musee(ミュゼ)
埋没した寺院 -延命寺跡-
生死を分けた15段 -鎌原観音堂-
嬬恋郷土資料館
火山について楽しく学べる? -浅間火山博物館-
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吾妻郡高山村中山の田んぼアート。

高山村田んぼアート2019
恒例の田んぼアートだが、今年の題材は「何これ?」。左は傘を持ったネズミ? 右はタヌキ? 隣で見ていた女の子(小学校低学年くらい)も「タヌキ?」と言っていたので、オレと意見が一致(苦笑)。

高山村のHPでも2019年の作品について記載なし(2018年から更新されていない)。

「傘を持ったネズミ」と言えばストリートアーティスト・バンクシーが有名だが、関連がある? 左がネズミなら右は「ネコ」なのかも。頭上に「?」がついているのも、何か意味があるのかな。

2014年から「ぐんまちゃん」が続いていたが、ライセンス契約が5年で終わったのかも。どうせなら、高山村のキャラクター「ひかるくん」「つぼみちゃん」「いぶきちゃん」にすればいいのに(「つぼみちゃん」は2018年に登場)。知名度アップになるのに。

梅干し (1)
田んぼアートを見た後は、道の駅「中山盆地」で梅干しを買って帰るのも恒例。いつのもように「織姫」と「南高梅」の梅干しを買って帰ってきた。

関連
 「高山村『田んぼアート』2018
 「高山村『田んぼアート』2017
 「『ぐんまちゃん』と『くまモン』 -高山村・田んぼアート

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伊勢崎市、玉村町

伊勢崎市・東村46号墳跡
騎馬武者伝説 -頼光塚-
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本格的な古代寺院跡 -上植木廃寺跡-
伊勢崎市・上植木の建長石仏
伊勢崎市・島村諏訪神社
伊勢崎市・島村の板倉
日本基督教団島村教会 & 島村めぐみ保育園本館
伊勢崎市境島村・「島村蚕種業績之地」碑
伊勢崎市境島村・島村沿革碑
旧伊勢崎市立境島小学校
伊勢崎市境島村・新地地区養蚕農家群
世界遺産・田島弥平旧宅
田島弥平顕彰碑
伊勢崎市境島村・宝性寺
金井烏洲と一族の墓
安達盛長の創建 -国定赤城神社-
国定忠治の墓 その2 -善応寺 その2-
伊勢崎市・八斗島稲荷神社
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空海も修行した? -満善寺-
旗本・跡部氏の崇敬社 -宮子神社-
良い福を授ける -飯福神社-
赤堀の総鎮守 -大雷神社-
地域を守ったご神木 -堀下飯玉神社-
義経馬殿塔 -正観寺-
馬見塚の鎮守様 -馬見塚飯玉神社-
例幣使御小休所 -延命寺-
群馬八郎満胤がご祭神 -八郎神社-
夜泣き地蔵 -浅間山大噴火の供養地蔵-
伊勢崎市・華蔵寺公園遊園地
伊勢崎市・華蔵寺公園
伊勢崎の英霊殿 -伊勢崎招魂碑-
平安時代創建の古刹 -華蔵寺-
玉村町15号墳
伊勢崎藩の郷校 -嚮義堂-
伊勢崎藩の藩校教授・浦野神村の墓
玉村町・文安銘の五輪塔
玉村宿・木島本陣跡
伊勢崎市・一ノ関古墳
伊勢崎市・台所山古墳石棺
玉村八幡宮の別当寺 -神楽寺-
伊勢崎の吞龍さま? -本光寺-
五智如来石仏 -花台寺-
玉村町・梨ノ木山古墳
玉村八幡宮の元宮 -角渕八幡宮-
柴宿の歴史的景観の名残りをとどめる -柴町八幡神社-
沼田景義のご子孫の墓 -泉龍寺 その2-
那波宗広の墓 -泉龍寺-
伊勢崎唯一の神社神門 -今村神社-
玉村の地名のもとになった龍神伝説 -満福寺-
玉村太郎の館跡 -観照寺-
大谷吉継の孫・大谷隆昌の墓 -龍昌院-
新田一族・今井清義隠遁の地 -浄蓮寺-
谷島信氏の館跡 -伊勢崎市・徳蔵寺-
長持形石棺が保存されている -お富士山古墳-
浦島太郎伝説 -龍神宮-
跡部氏の菩提寺 -紅厳寺跡 その2-
宮子の笠塔婆 -紅厳寺跡-
伊勢崎・雷電神社&雷電神社古墳
弥勒寺音次郎・音八父子の墓
すばらしい本殿の彫刻 -平塚赤城神社-
群馬県内最大級の馬頭観音 -西光寺-
福島泰蔵大尉の墓 -天人寺-
石剱稲荷大明神 -瑳珂比神社-
道標を兼ねた二十二夜塔 -愛染院-
村上随憲の墓 -長光寺-
弁天池に鎮座 -瑳珂比弁天宮-
旗本・久永氏陣屋跡 -大東神社-
6世紀末の帆立貝形古墳 -鶴巻古墳-
那波教元の墓? -富塚円福寺-
駒井政直・親直の墓 -宝幢院-
駒井氏累代の墓 -竹芳寺-
みかえり不動尊 -長安寺-
石造美術群 -下植木赤城神社-
日本一(?)の大鰐口 -万徳寺(石山観音)-
石田三成の妖怪退治 -退魔寺-
上野国五之宮 -大国神社-
連取の松 -菅原神社-
斎藤宜義の墓 -宝蔵寺-
織機・養蚕の神様を祀る -倭文神社-
雷の神様を祀る -火雷神社-
エレガントな洋館 -いせさき明治館-
小畠武堯の墓 -善応寺-
伊勢崎の鎮守社 -伊勢崎神社-   
伊勢崎藩主・稲垣長茂の屋敷門 -同聚院-
那波小太郎・小次郎の墓 -天増寺 その2-
稲垣氏累代の墓 -天増寺-
浮島に鎮座 -白龍神社-
鳥居がいっぱい -小泉稲荷神社-
藤原秀郷(俵藤太)の供養塔 -宝珠寺-
家鴨(アヒル)塚 -称念寺-
源頼朝の勧請 -玉村八幡宮-
日航例幣使街道と玉村宿 -玉村町歴史資料館-
伊勢崎赤堀歴史民俗資料館
国定忠治の墓 -養寿寺-
霊験あらたか? -伊勢崎・権現山-
琴を弾くから「ことはにクン」 -相川考古館-
時を告げる大正ロマン -伊勢崎・時報鐘楼-
滝川一益も見た風景 -軍配山古墳- 

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上州まったり紀行の中から「古墳・遺跡」に関するものをリスト化したもの。古墳に行くのが(見学するのが)主目的でない場合も含んでるけどね。


前橋市(旧郡部を除く)

今井神社古墳
正円寺古墳
桂萱大塚古墳
新田塚古墳
金冠塚古墳
亀塚山古墳
天神山古墳
天川二子山古墳
遠見山古墳
愛宕山古墳
荒砥富士山古墳
大室公園・前二子古墳
大室公園・中二子古墳
大室公園・後二子古墳
大室公園・小二子古墳
大室公園・M-1号古墳
八幡山古墳
蛇穴山古墳
宝塔山古墳
総社二子山古墳・保渡田二子山古墳


前橋市(旧大胡町、旧宮城村、旧粕川村、旧富士見村)

鏡手塚古墳
壇塚古墳
堀越古墳
上庄司原2号古墳&4号古墳
上庄司原1号古墳
九十九山古墳


伊勢崎市、佐波郡(玉村町)

東村46号墳跡
丸塚山古墳
十二所古墳
玉村町15号墳
一ノ関古墳
台所山古墳石棺
梨ノ木山古墳
お富士山古墳
雷電神社古墳
鶴巻古墳
権現山
軍配山古墳


渋川市、北群馬郡(吉岡町、榛東村)

いなり塚古墳
中ノ峯古墳
八木沢清水縄文時代住居跡
金井古墳
小室敷石住居跡
将軍塚古墳
虚空蔵塚古墳
中筋遺跡
黒井峯遺跡
滝沢古墳
三津屋古墳
南下古墳群・E号古墳&F号古墳
南下古墳群・C号古墳&D号古墳
南下古墳群・B号古墳
南下古墳群・A号古墳
滝沢石器時代遺跡


高崎市(旧郡部を除く)

五霊神社古墳
桜塚古墳
少林山薬師塚古墳
少林山天頭塚古墳
八幡原A号及びB号石槨
剣崎長瀞西古墳
将軍塚古墳
上小塙稲荷山古墳
普賢寺裏古墳
不動山古墳
浅間山古墳
大鶴巻古墳
安楽寺古墳
三島塚古墳
若田原遺跡
観音塚古墳
山ノ上古墳
観音山古墳


高崎市(旧群馬町、旧箕郷町、旧榛名町、旧吉井町、旧新町、旧倉渕村)

長井石器時代住居跡
恩行寺古墳
南高原1号古墳
片山1号古墳
金古愛宕山古墳
御穴塚古墳
多胡薬師塚古墳
保渡田薬師塚古墳
保渡田八幡塚古墳
総社二子山古墳・保渡田二子山古墳


安中市

龍的塚古墳
簗瀬二子塚古墳


富岡市、甘楽郡(甘楽町、下仁田町、南牧村)

高瀬26号古墳
粘土山古墳
伊勢塚古墳
太子堂塚(旅寝塚)古墳
北山茶臼山古墳
天王塚古墳
田篠しの塚古墳
堂山稲荷古墳
笹森古墳


藤岡市、多野郡(神流町、上野村)

原古墳
胴塚稲荷古墳
霊符殿古墳
諏訪古墳
戸塚神社古墳
平地神社古墳
中大塚縄文時代敷石遺構
平井地区1号古墳
皇子塚古墳
譲原石器時代住居跡
伊勢塚古墳
白石稲荷山古墳
七輿山古墳


太田市(旧郡部を除く)

巌穴山古墳
稲荷山古墳
塚廻り古墳群第4号古墳
茶臼山古墳
茶臼山古墳


太田市(旧新田町、旧尾島町、旧藪塚本町)

長楽寺遺跡1号墳跡
中原生品神社・敷石住居跡
長円寺古墳
北山古墳
西山古墳


桐生市

愛宕塚古墳
天神古墳
中塚古墳
普門寺遺跡


みどり市

岩宿遺跡


館林市、邑楽郡(大泉町、板倉町、邑楽町、千代田町、明和町)

筑波山古墳
米山薬師古墳
堂山古墳
古海原前1号古墳
城之内古墳
山王山古墳


沼田市、利根郡(みなかみ町、片品村、川場村、昭和村)

梨の木平敷石住居跡
深沢遺跡配石遺構
矢瀬遺跡


吾妻郡(中之条町、長野原町、草津町、嬬恋村、東吾妻町、高山村)

四戸の古墳群
中山敷石住居跡

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伊勢崎市東小保方町の東村46号墳跡。

東村46号墳 (1)
東村46号墳は消滅し位置が不明確となっていたが、公園造成に先立つ調査で、その位置が再確認された。

東村46号墳 (2)
46号墳は調査部分からの推定だが、全長約40mの前方後円墳と考えられる。前方部北側から円筒埴輪や人馬などの形象埴輪の破片が数多く確認された。(写真は解説板の古墳イメージ部分の拡大)

東村46号墳 (3)
東村46号墳 (4)
当然のことながら、古墳を偲ばせる遺構は何もない。

東村46号墳 (5)
公園の名称は頼光塚公園。名前の由来は、公園から約150m北側にある頼光塚からとっている。旧東村に現存する石造物の中でも最古の部類で、しかも不思議な伝説が残る貴重な文化財だからという。(頼光塚は「騎馬武者伝説 -頼光塚-」参照)

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伊勢崎市東小保方町の頼光塚。

頼光塚 (1)
頼光塚は鎌倉後期から南北朝期の造立と推定される凝灰岩製の笠塔婆。笠石はなく、形状も後世の改変加えられている部分がある。

頼光塚 (2)
総高70cmで、薄肉彫りの蓮華座に乗る如来が刻まれている。斜めに大きく割れており、これにまつわる伝承が残されている。

「昔、この塚の脇の道に馬に乗った武者が毎晩現れ、通行人を脅かしていた。ある晩、松島利太夫というものがここへ来て武者の現れるのを待った。しばらくすると武者が現れたので、利太夫は太刀をひらめかせて斬りかかり、武者を斬り捨てた。それきり音もなく武者の姿は消えていた。翌朝になると、そこにはひとつの斬られた石だけが残っていた」

少し離れて見ると盛土になっているので、元々「頼光塚」は墓の名称だったのではないかと思う。つまり笠塔婆は墓標的な意味合い。それがいつの頃からか、笠塔婆を頼光塚と呼ぶようになった(勝手な推定)。

個人的には「頼光塚の上に建つ割れた笠塔婆」だと思うが、どうだろう。

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伊勢崎市波志江町の愛宕神社。

波志江愛宕神社 (1)
波志江愛宕神社の創建は不詳だが、波志江村の古墳山頂に祀られた火産霊神を愛宕明神と称したことが始まりとされる。大正2年(1913年)波志江金蔵寺と土地交換を行い当地に遷座している(金蔵寺は愛宕神社の数百m南にある)。

波志江愛宕神社 (2)
境内の端(北側)にも鳥居がある。旧鳥居を遷したものか。

波志江愛宕神社 (3)
波志江愛宕神社 (4)
波志江愛宕神社 (5)
社殿は平成11年(1999年)の建立。

波志江愛宕神社 (6)
社殿脇には宝塔。由緒などは分からない。

波志江愛宕神社 (7)
宝塔の両脇には扁額が残されている。右は旧鳥居のものと思われる扁額。

波志江愛宕神社 (8)
明治41年(1908年)に愛宕神社に合祀された「近戸大明神」と「赤城大神」の扁額が残されている。

波志江愛宕神社 (9)
神楽殿は平成26年(2014年)の改修。

波志江愛宕神社 (10)
伊勢崎市の重要有形民俗文化財に指定されている波志江祇園祭りは愛宕神社を中心に開催される。江戸時代後期に始まった祇園祭りは、旧波志江村の組ごとに10基屋台が曳き回される。波志江は水の便が悪く、雨乞いのために屋台を作ったのが祭りの始まりという。そのため、毎年の開催ではなく節目ごとの開催のようだ。

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伊勢崎市三和町の丸塚山古墳。

丸塚山古墳 (1)
丸塚山古墳 (2)
丸塚山古墳は全長81mの規模を誇り、後円部径58m、同高さ8mに対し、前方部前幅26m、同くびれ部幅41m、同長さ27m。後円部に対して前方部が幅、長さ、高さともに規模の小さい帆立貝式と呼ばれる前方後円墳である。5世紀後半の築造と推定される。

大正12年(1923年)、昭和30年(1955年)の2度にわたり発掘調査が行われている。その結果、箱形石棺が3個発見されている。石材は凝灰岩が2個、緑泥片岩が1個。時代を変え3人が埋葬されていたことになる(多分最初に1人、後に2人)。

ところで、古墳回りを一周したのだが、どこから見ても素人目には前方後円墳に見えない。また、開口部があるかなと思い墳丘に近づこうとしたが、周濠跡が田畑になっておりどうしても近寄れない。ちょっと残念だった。

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