Tigerdream の上州まったり紀行

上毛かるたと群馬県内の神社仏閣、遺跡・史跡・古墳、資料館などの紹介。

訪問ありがとうございます。クリックしてもらえるとうれしいです♫ ⇒

Tigerdreamのまったりとスペシャル系」もよろしく! 


高崎市中尾町の飯玉神社。

中尾飯玉神社 (1)
中尾飯玉神社は延暦3年(784年)の勧請・創建と伝わる。長い社歴を誇る古社である。

中尾飯玉神社 (2)
明治41年(1908年)に村内の菅原神社、諏訪神社を合祀している。当地は中尾町の天神地区と言い、菅原神社は「中尾の天神さま」と親しまれていた。

中尾飯玉神社 (3)
中尾飯玉神社 (4)
社殿は氏子の三吉野検校が多額の寄付をし、天保年間(1831~45年)に再建されている。三吉野検校は当地に生まれ、不幸にも目の病を得て失明したものの勉学への志を失わず、江戸や京で学び帰郷後には多くの門弟を育てている。

中尾飯玉神社 (5)
中尾飯玉神社 (6)
社殿に彫刻が施され荘厳な装いを見せているのは、検校や氏子の敬神崇祖の念をよく表している。

中尾飯玉神社 (7)
一ノ鳥居前の双体道祖神。風化が進んでいるので、覆屋的なものを掛けてやった方がいいと思う。

江戸時代には歴代高崎藩主(酒井家・戸田松平家・安藤家・大河内松平家など)の崇敬を受けたという。

このエントリーをはてなブックマークに追加


高崎市矢島町の神動山眼聖寺。

眼聖寺 (1)
眼聖寺は康永3年/興国5年(1344年)覚日法印の開山。康永は北朝、興国は南朝の年号。

眼聖寺 (2)
山門に花鳥風月の天井絵が描かれている。

眼聖寺 (3)
眼聖寺 (4)
本堂は文政7年(1824年)の建立とされる。昭和に入ってから数度の改修・改築を経ている。

眼聖寺 (5)
眼聖寺 (6)
眼聖寺 (7)
弘法大師(空海)御作とされる毘沙門天像を祀る毘沙門堂。事実なら平安時代初期の像になる。県内には弘法大師作と伝わる仏像はいくつかあるけど・・・。

眼聖寺 (8)
眼聖寺 (9)
境内の不動明王像。比較的新しそうだ。

ところで、高崎市元島名町にも同名の神動山眼聖寺がある。どちらも高野山真言宗(真言宗の中にも様々な宗派がある)。矢島町と元島名町は隣接しており、2つの眼聖寺は距離的にも1km位しか離れていない。

眼聖寺2 (1)
元島名町の神動山眼聖寺。由緒は分からないが、矢島町の眼聖寺と同じ?

眼聖寺2 (2)
眼聖寺2 (3)
本堂は平成13年(2001年)の新築。

眼聖寺2 (4)
境内の六地蔵は昭和55年(1980年)の奉納。

眼聖寺2 (5)
境内には子供用の遊具が設置されている。境内はそこそこ広いので、近隣の子ども達の遊び場になっているのかな。

矢島町と元島名町の眼聖寺の関係は分からないが、同じ宗派で同じ山号・寺号なので本院と分院なのかなぁ。偶然ってことはないと思うが。

このエントリーをはてなブックマークに追加


高崎市岩鼻町の北向き子育て観音。

岩鼻北向観音 (1)
岩鼻北向観音 (2)
岩鼻北向観音 (3)
岩鼻北向子育て観音(正式名称がある?)の由緒は不明。お堂前の灯籠の銘は文政3年(1820年)だったので、江戸期には既に当地に根付いていたようだ。

岩鼻北向観音 (4)
岩鼻北向観音 (5)
岩鼻北向観音 (6)
お堂の彫刻は立派だ。作者などは分からない。

岩鼻北向観音 (7)
ご本尊の如意輪観音。如意輪観音は安産・子育てに御利益があるとされ、女人講(子育てや安産祈願)の本尊としても信仰されてきた。

毎年8月20日に「岩鼻町子育観世音大祭」が開催され、約3500発の花火が打ち上げられる。昨年(2018年)がお祭が復活して92年とあったので、大正15年(1926年)頃に復活したようだ。

花火を「煙火」と書くあたりに歴史を感じる。岩鼻には群馬の森を中心に、昭和20年(1945年)までは旧陸軍の弾薬製造工場があったので、それも関連してるのかな。

このエントリーをはてなブックマークに追加


高崎市岩鼻町の赤城神社。

岩鼻赤城神社 (1)
岩鼻赤城神社 (2)
岩鼻赤城神社の創建は不詳だが、三夜沢赤城神社から豊城入彦命の分霊を勧請したもの。

岩鼻赤城神社 (3)
岩鼻赤城神社 (4)
二ノ鳥居は合祀された稲荷神社のもの。稲荷神社は寛政6年(1794年)に江戸幕府代官・吉川栄左衛門が岩鼻陣屋を設立した際、管内農桑業の幸福を祈念し坂上北(字名)に創建。坂上北は岩鼻陣屋があった場所。現在は日本火薬の社宅やクラブがある辺り。明治28年(1895年)岩鼻赤城神社に合祀されている。

岩鼻赤城神社 (5)
二ノ鳥居には大きく「山本大膳源雅直」の名が。山本大膳は第4代の岩鼻代官。

岩鼻赤城神社 (6)
岩鼻赤城神社 (7)
拝殿は昭和41年(1966年)に瓦屋根への葺き替えなど改修されてる。

岩鼻赤城神社 (8)
拝殿前の狛犬はすっかりすり減って、可愛い子犬の石像のようになっている。

岩鼻赤城神社 (9)
本殿は神明造りで、棟持柱が建物の外に独立している。これは全国的に非常に珍しい建築様式である。本殿は昭和60年(1985年)に屋根を銅板に葺き替え、平成9年(1997年)に土台補強を行っている。

岩鼻赤城神社 (10)
神楽殿。

岩鼻赤城神社 (11)
社殿裏の大ケヤキ。ご神木かな。

岩鼻赤城神社 (12)
岩鼻赤城神社 (13)
境内社の巣黒神社。元の鎮座地が旧陸軍の火薬製造場用地となったため、明治13年(1880年)岩鼻赤城神社境内に遷座している(合祀ではないようだ)。今の群馬の森、日本化薬、高崎量子応用研究所(旧原研高崎)の一帯が火薬製造場だった(量子応研のところは後の拡張域)。

関連
 「社有地なので入れない? -岩鼻陣屋跡-
 「岩鼻代官・吉川栄左衛門の墓 -高崎岩鼻・観音寺-
 「ダイナマイト発祥の地 -群馬の森・ダイナマイトの碑-

このエントリーをはてなブックマークに追加


高崎市上大類町の瑠璃光山安楽寺。

瑠璃光山安楽寺 (1)
安楽寺は明徳2年(1391年)伝燈阿闍梨法印権大僧都・恵蔵の開山と伝わる。すごい高僧なのかな。肩書きがすごい。

瑠璃光山安楽寺 (2)
瑠璃光山安楽寺 (3)
門前に庭園が造られており、東屋の他に村上鬼城の句碑(遠山の 焼け移りけり 月おぼろ)があった。

瑠璃光山安楽寺 (4)
瑠璃光山安楽寺 (5)
山門には立派な鯱(しゃちほこ)が乗っている。

瑠璃光山安楽寺 (6)
瑠璃光山安楽寺 (7)
本堂は明暦年間(1655~58年)の建立と群馬郡誌(大正14年:1925年)にあるが、現在の本堂を見ると近年再建されているようだ。まあ、常識的に考えれば、明暦年間の木造本堂が残っているのは難しいね。

瑠璃光山安楽寺 (8)
瑠璃光山安楽寺 (9)
瑠璃光山安楽寺 (10)
境内の薬師堂。薬師如来像は厨子の中らしく、見えなかった。

慶安2年(1649年)に徳川3代将軍・家光からご朱印26石1斗を賜ったとの記録が残る。

このエントリーをはてなブックマークに追加


高崎市八幡原町の八幡山円福寺。院号は頼朝院。

円福寺 (1)
円福寺は江戸時代初期に円光寺と長福寺が合併し円福寺となっている。合併開基の乗慶法印の入寂は慶安4年(1651年)。

前回の「八幡原若宮八幡宮」でも書いたが(「源頼朝の創建? -八幡原若宮八幡宮-」参照)、源頼朝が浅間山麓での巻き狩りからの帰途に病にかかり、当地を鎌倉になぞらえた土地にすれば病は治ると占いで出たため、八幡宮を勧請したら快癒したとされる。病に伏せった頼朝が休んだのが長福寺といわれる。浅間の巻き狩りは建久4年(1193年)なので、長福寺の創建はそれ以前となる。

円福寺 (2)
本堂は昭和4年(1929年)に火災で焼失、昭和13年(1938年)に再建されている。

円福寺 (3)
殿鐘には「西上州八幡山頼朝院長福寺願主法印乗舜」の銘がある。長福寺が八幡山頼朝院で、そのまま円福寺に引き継がれたことが分かる。

円福寺 (4)
円福寺 (5)
境内は庭園風に整備されており、一部の木には雪吊が施されている。まあ、この辺では余り雪は降らないと思うけど。

円福寺 (6)
境内の宝塔。享保15年(1718年)の銘があった。

円福寺 (7)
本堂裏には小さい円墳が残されている。

円福寺 (8)
円福寺 (9)
円福寺 (10)
円墳上には観音堂がある。観音様のいわれは分からないようだ。

円福寺 (11)
観音堂への石段脇には、多数の石仏が並んでいた。

明治末までは八幡原に「頼朝塚」と呼ばれる高さ4~5mの丘陵があり、丘上には古碑が建っていたという。その後、開墾され畑になったので碑は円福寺に移されている。と言うことなので探してみたが、見つからなかった。当時、既に碑文は読めないほど風化していたというので、見つけても読めないから分からないか。

このエントリーをはてなブックマークに追加


高崎市八幡原町の若宮八幡宮。

八幡原若宮八幡宮 (1)
八幡原若宮八幡宮 (2)
八幡原若宮八幡宮 (3)
八幡原若宮八幡宮は建久年間(1190~98年)に源頼朝が鶴岡八幡宮の分霊を勧請したと伝わる。八幡原の地名の元になった古社である。鳥居は平成28年(2016年)の建立。

八幡原若宮八幡宮 (4)
八幡原若宮八幡宮 (5)
八幡原若宮八幡宮 (6)
八幡原若宮八幡宮 (7)
余り広くない境内に、質素な社殿が建っている。いかにも鎮守の森といった雰囲気が漂う。

八幡原若宮八幡宮 (8)
神楽殿がある。この辺でも養蚕神楽が行われていたようだ。現在も行われいるかは分からない。

八幡原若宮八幡宮 (9)
八幡原若宮八幡宮 (10)
社殿裏の様子が古墳を思わせる。円墳のようだが、社殿で半分くらい削られている。

ところで、口碑によると源頼朝が浅間山麓での巻き狩り(建久4年:1193年)からの帰途に病にかかり、当地を鎌倉になぞらえた土地にすれば病は治ると占いで出たため、八幡宮を勧請したら快癒したとされる。

確かに、綿貫町から八幡原町に向かう旧例幣使街道の井野川に架かる橋は鎌倉橋だし、その先の緩やかな坂道は鎌倉坂と言う。

このエントリーをはてなブックマークに追加


中之条町、長野原町、草津町、嬬恋村、東吾妻町、高山村

東吾妻町・萩生浅間神社
源頼朝も参拝 -須賀尾諏訪神社-
東吾妻町・佐奈神社
源義家が戦勝祈願 -一宮神社-
東吾妻町・五町田三島神社
東吾妻町・松谷神社
真田信利寄進の鳥居 -川戸浅間神社-
岩櫃城主・斎藤憲行の創建 -岩井白山神社-
鹿島のご神水 -植栗鹿島宮-
富豪・加部安左衛門寄進の石灯籠 -畔宇治神社-
源頼義・頼朝も参拝した古社 -吉岡神社-
東吾妻町・平五良観音の大杉
東吾妻町・四戸の古墳群
東吾妻町・行沢の木造馬頭観音立像
東吾妻町・新巻菅原神社
東吾妻町・岩井の背高地蔵
東吾妻町・三島鳥頭神社
神代杉 -矢倉鳥頭神社-
東吾妻町・福聚山応永寺
東吾妻町・太田神社
東吾妻町・へそ岩
東吾妻町・小泉白鳥神社
東吾妻町・奥田白鳥神社
東吾妻町・柏原の宝篋印塔
代官・岡上景親の創建 -岩久保観音堂-
岡上生祠 -岡崎榛名神社-
高山村「田んぼアート」2018
ハート形土偶出土地
高山村「田んぼアート」2017
中之条町・北向三十三番観世音
若山牧水の歌碑 -旧大岩学校-
僧・空閑の墓
明治時代の小学校建築 -旧五反田学校-
伊勢の森 -中之条町・伊勢神宮-
東吾妻町・大宮巌鼓神社
立派な天文台だ! -ぐんま天文台-
「ぐんまちゃんと」と「くまモン」 -高山村・田んぼアート-
茅葺の本堂 -長徳寺-
小渕恵三元首相の銅像 -中之条町ツインプラザ-
富豪・加部安左衛門の屋敷跡 -大運寺-
吾妻太郎行盛の首級を祀る -川戸神社-
斎藤憲広の怨念? 善導寺の怪火 -東吾妻町・善導寺-
武田勝頼の御殿を移築? -顕徳寺-
県内最古の教会建築 -名久多教会-
三国街道中山宿
北向観世音 -福蔵寺-
中之条町・桃瀬の水牢跡
妙全杉 -龍沢寺-
浅間山天明の大噴火の供養石地蔵 -雲林寺-
現在も残る草軽電鉄の駅舎 -北軽井沢駅舎-
北軽の滝 -浅間大滝 & 魚止めの滝-
吾妻太郎行盛の墓 -長福寺-
日本名水百選「箱島湧水」
草津温泉・伊勢宇橋の碑
草津温泉・泣き燈籠
日本国道最高地点 -国道292号渋峠付近-
エメラルドグリーンの酸性湖 -草津白根山・湯釜-
藤原秀郷(俵藤太)が戦勝祈願に植えた杉 -中山三島神社-
高山村・中山敷石住居跡
源頼朝が植えた高野槇 -泉龍寺-
小渕恵三元首相の墓 -林昌寺-
観音を巨木が囲む清見寺 -清見寺-
中之条祇園の絵馬 -稲荷石稲荷神社-
南北朝期の宝篋印塔 -宗本寺-
日本武尊を祀る その2 -吾嬬神社-
第四十五番の金銅善光寺三尊仏 -善福寺-
明治時代の旅人宿 -白井屋-
通称「カクイチ」 -町田家住宅-
嵩山を祀る里宮 -吾妻神社-
八ッ場ダム広報センター -やんば館-
未来のエネルギー? -吾妻バイオパワー-
東吾妻町・甲波宿禰神社
歌人若山牧水 ここに休む -高山村・牧水歌碑-
甦るヨーロッパの古城 その3 -ロックハート城-
甦るヨーロッパの古城 その2 -ロックハート城-
甦るヨーロッパの古城 -ロックハート城-
草津温泉・白旗源泉と頼朝宮
平九塚と皇大神宮
木曽義仲の「残党」の伝説 -武具脱の池-
草津温泉の碑 その3
草津温泉の碑 その2
草津温泉の碑
草津ビジターセンター
草津温泉・西の河原公園   
芸術家ねぇ~(笑) -片岡鶴太郎美術館-
日本相撲協会・草津相撲研修道場
日本武尊を祀る -白根神社-
酸性河川の中和施設 -草津中和工場-
草津温泉の動物園 -草津熱帯園-
日本温泉三大薬師 -光泉寺-
草津温泉の学習 -草津温泉資料館-
草津の恩人・ベルツ博士 -ベルツ記念館-
イチロー・松井の実使用品を展示 -ベースボールスター博物館-
日本最古の養蚕農家住宅 -冨澤家住宅-
眠る男??? -伊参スタジオ公園-
嵩山(たけやま)が御神体 -親都神社-
中之条のシンボル -嵩山(たけやま)-
見事なまでの廃れっぷり -薬王園-
変化する水面(みなも) -四万川ダム/奥四万湖-
病魔退散の薬王水 -薬王寺-
四万温泉・日向見薬師堂
水量が多くて良く見えませんでした -四万の甌穴-
中之条町・歴史と民俗の博物館Musee(ミュゼ)
埋没した寺院 -延命寺跡-
生死を分けた15段 -鎌原観音堂-
嬬恋郷土資料館
火山について楽しく学べる? -浅間火山博物館-
澄んだ水とは裏腹に・・・ -水牢跡-
残念ながら枯死寸前 -原町の大ケヤキ-
日本武尊が植えた? -神代杉-
苦労して登ったわりには・・・ -仙人窟-
国定忠治終焉の地 その3 -とまどいの松-
国定忠治終焉の地 その2 -処刑場跡-
国定忠治終焉の地 -大戸関所跡-

このエントリーをはてなブックマークに追加


吾妻郡東吾妻町萩生の浅間神社。

萩生浅間神社 (1)
萩生浅間神社 (2)
萩生浅間神社 (3)
萩生浅間神社は長享2年(1488年)富士山より勧請。上野国神名帳に記載されている「従三位 浅間明神」に比定されている。

萩生浅間神社 (4)
萩生浅間神社 (5)
拝殿は権現造り。近年改築(修復)されているようだ。

萩生浅間神社 (6)
繭玉が奉納されていた。日付は昭和37年(1962年)。

萩生浅間神社 (7)
輝神征四海と記された石塔。何だろう?

萩生浅間神社 (8)
萩生浅間神社 (9)
東吾妻町の神社の多くは山麓にあり、巨樹が林立しており、鎮守の森といった雰囲気・趣きを漂わせている。

萩生浅間神社の春・秋の例祭には獅子舞と雅楽が奉納される。

このエントリーをはてなブックマークに追加


吾妻郡東吾妻町須賀尾の諏訪神社。

須賀尾諏訪神社 (1)
須賀尾諏訪神社 (2)
須賀尾諏訪神社 (3)
須賀尾諏訪神社の創建は不詳。天慶2年(939年)に再建されたと伝わるので、創建はそれ以前と考えられる。また、建久4年(1193年)に源頼朝が浅間山麓での巻狩りの際に参拝したという。

須賀尾諏訪神社 (4)
須賀尾諏訪神社 (5)
社殿は享保14年の建立(その後の再建屋修築などは不明)。石敷の参道に対し社殿が少し横を向いている。

本殿は覆屋内で見えないが、三社に別れており、中央に八幡宮、右殿は諏訪神社、左殿は浅間神社となっている。これは建久4年に源頼朝が参拝した時に、鶴岡八幡宮と浅間神社を勧請し合祀したからといわれる。

須賀尾諏訪神社 (6)
神楽殿は大正6年(1917年)の建設。春秋の例祭に神楽が奉納される。

須賀尾諏訪神社 (7)
須賀尾諏訪神社 (8)
境内には杉やケヤキの古木が多く、幹周りが6m規模のものもある。

須賀尾諏訪神社 (9)
写真では分かりづらいが、剣を持った武人が線刻されている。勝手に想像するに日本武尊かな。弘化4年(1848年)の銘があった。

このエントリーをはてなブックマークに追加


吾妻郡東吾妻町大柏木の佐奈神社。

佐奈神社 (1)
佐奈神社 (2)
佐奈神社の創建は不詳だが、上野国神名帳に「従五位上佐奈明神」と記載される古社である。ご祭神(主神)は建御名方神と八坂刀売神なので、諏訪大社からの勧請? ちなみに佐奈は旧字名。

佐奈神社 (3)
佐奈神社 (4)
こじんまりとした社殿。

佐奈神社 (5)
佐奈神社 (6)
神楽殿。表と裏で印象がまったく異なる。境内までの高さを利用した2階建て。

佐奈神社 (7)
佐奈神社 (8)
鎮守の森といった風情で、巨木が林立している。古来からケヤキの巨木が多く、明治23年(1890年)に枯れてしまったため伐採したケヤキは、幹周囲が30尺(約9m)以上あったと鳥居手前の碑に書いてあった。

樹齢は定かではないが、こういうケヤキの存在が佐奈神社の歴史の長さの証かな。

このエントリーをはてなブックマークに追加


吾妻郡東吾妻町金井の一宮神社。

金井一宮神社 (1)
金井一宮神社 (2)
一宮神社は貞観3年(861年)に甘楽郡・抜鉾大明神(貫前神社)の分霊を勧請し、川戸村・金井村両村の鎮守として祀ったのが始まりという。

真新しい鳥居は平成28年(2016)の建立。

金井一宮神社 (3)
ご神橋を渡ると、社殿は右側にある。参道が直角に曲がっている。

金井一宮神社 (4)
金井一宮神社 (5)
金井一宮神社 (6)
徳治年間(1306~07年)に、吾妻太郎行盛が武運長久のために社殿を再建したといわれる。現在の社殿は昭和43年(1968年)の改築。

金井一宮神社 (7)
明治5年(1872年)奉納の算額。高橋富比の門人による。

金井一宮神社 (8)
3つの巨石からなる磐座。

源義家が奥州征討(後三年の役)のおり、当社で戦勝祈願をしたという。その際、宝物の剣を乞請けし、奥州平定の帰路に剣を返納するとともに、太刀・矢の根(鏃)など多数の品を奉納したといわれる。これらの品は現存しているらしい。

ところで、一宮神社の西方約1kmの川戸地区内から、奈良・平安時代の竪穴住居や掘立柱建物などが発掘されており、「吾妻郡衙」跡と推定される。また、100mくらいのところには金井廃寺遺跡がある。複数の巨大礎石が確認されていることから、古代の巨大寺院跡と推定されている。

これらのことを総合すると、一宮神社と金井廃寺は「吾妻郡衙」の中核をなした寺社だったのではないかと考えられる。そうすると、当地に上野国一宮・抜鉾大明神を勧請し、一宮神社としたのもうなずける。

このエントリーをはてなブックマークに追加


吾妻郡東吾妻町五町田の三島神社。

五町田三島神社 (1)
五町田三島神社は、約500年前に伊豆国三島神社の分霊を勧請し、現在地に社殿を建立したと伝わる。昭和4年(1929年)の吾妻郡誌記載なので、西暦1400年代の創建か。

鳥居は明治31年(1898年)の建立。

五町田三島神社 (2)
五町田三島神社 (3)
社殿は明治末から大正年間の再建。

五町田三島神社 (4)
東吾妻町の神社の多くに神楽殿がある。松谷神社の記事でも書いたが、養蚕(繭の豊穣)祈願のための神楽奉納が盛んだったのではないかと思う。(「東吾妻町・松谷神社」参照)

五町田三島神社 (5)
五町田三島神社 (6)
五町田三島神社 (7)
境内から奇岩が見えた。方向は渋川市の小野子・村上(旧小野上村)あたりだと思う。名のある奇岩かもと調べてみたけど分からなかった。

このエントリーをはてなブックマークに追加


吾妻郡東吾妻町松谷の松谷神社。

松谷神社 (1)
松谷神社 (2)
松谷神社は元々荒魂神社で、明治40年(1907年)に地区内の諏訪神社などを合祀し松谷神社と改称している(荒魂神社の創建は調べられなかった)。

松谷神社 (3)
参道を進むと社殿は右側にある。大きな石灯籠2基は平成18年(2006年)の奉納。

松谷神社 (4)
松谷神社 (5)
松谷神社 (6)
社殿は明治40年の合祀時に改築・整備されたが、平成17年(2005年)に屋根を銅板に吹き替えている。

松谷神社 (7)
松谷神社 (8)
神楽殿は平成18年(2006年)の新築。旧神楽殿もまだ隣に残っている。

松谷神社 (9)
境内の「神楽講創立百年紀念碑」。碑の裏に「昭和58年建立」とあったので、100年前は明治16年(1883年)。神楽は武蔵国・御獄神社から伝えられている。

米のとれない山間地では、養蚕は生計を得るための重要な産業であったため、人々は神仏に繭の豊穣を祈願した。「養蚕御祈祷」「蚕守護」などの御札や繭の作柄安定を祈願する奉納神楽などが催されることになった。松谷神社(荒魂神社)は古来から養蚕祈願の参拝者が多く、特に春の例祭時は「立錐の余地なし」と吾妻郡誌は綴っている。

旧岩島村(松谷はその大字)は養蚕集落としての一面もある(他は宿場、麻の産地)。地域には屋根の上に櫓がついた養蚕農家住宅を現在も見ることができる。

このエントリーをはてなブックマークに追加


吾妻郡東吾妻町川戸の浅間神社。

川戸浅間神社 (1)
川戸浅間神社は徳治2年(1307年)岩櫃城主・藤原行光の創建と伝わる。鎌倉時代後期に既に岩櫃城が築城されていたかは「?」だけど。代々真田氏の崇敬厚く、一の鳥居は延宝元年(1673年)真田信利(信直)の寄進。

川戸浅間神社 (2)
川戸浅間神社 (3)
七澤山から流れる渓流にかかるご神橋を渡ると、参道両側の杉木立が迎えてくれる。

川戸浅間神社 (4)
川戸浅間神社 (5)
二の鳥居から社殿周りにも杉の巨木が林立している。そのせいで、境内は昼間でも薄暗い。

川戸浅間神社 (6)
川戸浅間神社 (7)
口碑では吾妻太郎行盛が社殿を再建したとの伝説もあるが、当地が真田氏の領地になってから整備が進んだようだ。真田幸隆が斎藤氏を滅亡させたのは永禄8年(1565年)。

川戸浅間神社 (8)
ご神木(?)の高野槙。

一の鳥居を寄進した真田信利は無理な検地による課税で住民を苦しめたが、その際にも川戸浅間神社の社領を安堵したという。それくらい、真田氏は代々崇敬していたようだ。
(真田信利については「伝・真田信利の墓 -迦葉山弥勒寺 その2-」参照)

このエントリーをはてなブックマークに追加

↑このページのトップヘ