Tigerdreamの上州まったり紀行

上毛かるたと群馬県内の神社仏閣、遺跡・史跡・古墳、資料館などの紹介。

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渋川市北橘町真壁の渋川市北橘総合支所2Fにある渋川市埋蔵文化財センター。

渋川市埋蔵文化財センターは、平成25年(2013年)の開館。3部屋(展示室)の小規模なもの。オレが行った時は2部屋のみの展示だった(第3展示室は空っぽだった)。

渋川市埋蔵文化財センター (1)
第1展示室入り口前に、金井東裏遺跡から発見された「甲を着た古墳人」のレプリカが展示されている。

渋川市埋蔵文化財センター (2)
従来未公開だった浅田遺跡3号墳出土の鹿角装鉄剣が展示されていた。

渋川市埋蔵文化財センター (3)
渋川市埋蔵文化財センター (4)
同じく浅田3号墳から出土の鶏形埴輪と土器。

渋川市埋蔵文化財センター (5)
渋川市埋蔵文化財センター (6)
渋川市埋蔵文化財センター (7)
中ノ峯古墳出土の鉄刀など。

渋川市埋蔵文化財センター (8)
渋川市埋蔵文化財センター (9)
渋川市埋蔵文化財センター (10)
榛名山の噴火により埋没した中筋遺跡の復元模型と出土物。

渋川市埋蔵文化財センター (11)
渋川市埋蔵文化財センター (12)
同じく、榛名山の噴火により埋没した黒井峯遺跡の出土物。ちなみに、6世紀初頭の噴火で埋没したのが中筋遺跡で、6世紀中頃の噴火で埋没したのが黒井峯遺跡。

渋川市埋蔵文化財センター (13)
金井丸山古墳出土の鉄剣3振。

渋川市埋蔵文化財センター (14)
渋川市埋蔵文化財センター (15)
空沢遺跡の出土物。首飾りは46号墳。

市役所支所庁舎内のため、平日しか見学できないの難だが、渋川市内の貴重な出土品を見ることができる。オレは昼休み時間に行ってしまい、ちょっと迷惑を掛けた。でも、文化財保護課の職員さんが快く対応してくださり感謝。

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渋川市北橘町小室の厄除け観音別所堂。

厄除け観音別所堂 (1)
当所は平安時代からの寺院跡で、往事は十三仏を祀るお堂や塔が建っており、この観音堂はその中で唯一現存するものだといわれる。寺院の中心(本堂など)は、この観音堂から西方に残る真常庵跡だという。

厄除け観音別所堂 (2)
現在の観音堂は昭和48年(1973年)の建立で、半分は地区の生活共同館(公民館みたいなもの?)となっている。

厄除け観音別所堂 (3)
鰐口は弘化5年(1848年)に、女性7名の女人講が奉納したもの。

厄除け観音別所堂 (4)
本尊の観音像は60cm弱(一尺二寸五分)の木像で、厄除けの霊験あらたかと近郷近在はもとより、遠方からも御利益を求めて多くの参拝者が訪れるという。ただ、残念ながら平安時代の木像とは、とても思えない。

現在も地域の方々からの信仰が厚く、1月の例大祭では露店が多数出店し大いに賑わうという。

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上州まったり紀行の中から「古民家・西洋建築」などに関するものをリスト化したもの。古民家、養蚕農家、農村歌舞伎舞台、武家屋敷、明治・大正・昭和初期の西洋風建築など。歴史的な建築物に関するものだけど、神社・お寺や教会は含まない。


前橋市(旧郡部を除く)

旧安田銀行担保倉庫
群馬会館
群馬県庁昭和庁舎
上泉郷蔵
旧関根家住宅
臨江閣
敷島浄水処理場・旧管理事務所
萩原朔太郎生家
旧国立原蚕種製造所前橋支所


前橋市(旧大胡町、旧宮城村、旧粕川村、旧富士見村)

阿久沢家住宅


伊勢崎市、佐波郡(玉村町)

境島村・養蚕農家群
田島弥平旧宅
いせさき明治館


渋川市、北群馬郡(吉岡町、榛東村)

小室郷蔵
上三原田の歌舞伎舞台
津久田の人形舞台
鏡の森歌舞伎舞台
旧入沢家住宅
伊香保(水沢)街道野田宿・森田宗家
旧ハワイ王国公使別邸


高崎市(旧郡部を除く)

旧井上房一郎邸
豊田屋旅館
茶舗水村園・小見家住宅
洗心亭
上豊岡の茶屋本陣


高崎市(旧群馬町、旧箕郷町、旧榛名町、旧吉井町、旧新町、旧倉渕村)

明治天皇行在所
旧下田邸書院&庭園


安中市

旧松井田役場
旧安中藩武家長屋
旧安中藩郡奉行役宅
旧碓氷社本社事務所
板鼻本陣跡
五料の茶屋本陣
旧碓氷郡役所
新島襄旧宅


富岡市、甘楽郡(甘楽町、下仁田町、南牧村)

富岡市社会教育館
旧茂木家住宅
七日市藩陣屋跡
松井家住宅
甘楽町歴史民俗資料館(旧小幡組繭倉庫)


藤岡市、多野郡(神流町、上野村)

高山社2代目社長・町田菊次郎生家
旧多野会館
旧黒澤家住宅
高山社跡


太田市(旧郡部を除く)

旧金山図書館


太田市(旧新田町、旧尾島町、旧藪塚本町)

中島知久平邸
旧世良田村役場


桐生市

近代化遺産建造物群
矢野本店&有鄰館
桐生倶楽部会館
桐生市・旧配水事務所
桐生明治館
彦部家住宅


みどり市

今泉嘉一郎の生家
桐原郷蔵
ながめ余興場


館林市、邑楽郡(大泉町、板倉町、邑楽町、千代田町、明和町)

外池商店
旧二業見番組合事務所
分福酒造店舗
旧秋元別邸
旧上毛モスリン事務所
旧館林藩の武家屋敷
田山花袋の旧居


沼田市、利根郡(みなかみ町、片品村、川場村、昭和村)

上発知の歌舞伎舞台
猿ヶ京関所跡
旧鈴木家住宅
高平の書院
旧土岐邸洋館
旧生方家住宅
雲越家住宅
奥利根民俗集古館
旧大庄屋役宅書院
旧戸部家住宅


吾妻郡(中之条町、長野原町、草津町、嬬恋村、東吾妻町、高山村)

三国街道中山宿
白井屋
町田家住宅
冨澤家住宅
旧吾妻第三小
四万温泉・積善館

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渋川市北橘町小室の郷蔵。

郷蔵 (1)
郷蔵 (2)
郷蔵は江戸時代、年貢を一時的に貯蔵するために造られたもので、小室郷蔵の建設年は不明だが、他村の例などから寛延2年(1749年)以前と考えられている。

現在の郷蔵は平成16年(2004年)の修理・復元。間口3間半、奥行3間半で土壁造り。旧北橘村地区ではこの郷蔵のみが現存し、県内でも6例が残るだけの貴重なものである(渋川市のHPから)。

ところで、過去に前橋市・上泉郷蔵とみどり市・桐原郷蔵を訪問したのだが、その際に調べた郷蔵の数が微妙に違う。

前橋市のHPでは「現在残っているものは少なく県内には3例があるだけです」。みどり市のHPでは「群馬県内に現存する郷蔵は4つが文化財指定を受けている」。

まあ細かいところを突つく気はないのだが、前橋市HPに従えば県内の郷蔵には行き尽くしたことになるが、みどり市・渋川市HPに従えばまだ行ってない郷蔵があることになる。と言うことで調べてみると、片品村に「幡谷郷蔵」と「上而郷蔵」があり、いずれも村の重文に指定されていた。

上泉、桐原、小室、幡谷、上而で5つ。みんな違うぞ(笑)。

関連
 「江戸時代の年貢貯蔵庫 -上泉郷蔵-
 「江戸時代の年貢貯蔵庫 その2 -桐原郷蔵-

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渋川市北橘町上箱田の石田伍助の供養塔。

石田伍助の供養塔
石田伍助は旧北橘村に2名いたとされる男性助産師。取り上げられた子どもたちが「産子(うぶこ)」として、明治43年(1910年)に建立したもの。台座には建立に関わった192名の名前が刻まれている。

現在は「保健師助産師看護師法」の第3条に、「この法律において『助産師』とは、厚生労働大臣の免許を受けて、助産又は妊婦、褥婦若しくは新生児の保健指導を行うことを業とする女子をいう」と規定されており、男性は助産師資格を取得できない。当然、助産師国家試験の受験資格も「女性」のみとなっている。

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渋川市北橘町小室の宝篋印塔。

井上家墓地の宝篋印塔 (1)
井上家の古い墓地に、五輪塔や板碑など中世の石造物がまとまっている。

井上家墓地の宝篋印塔 (2)
井上家墓地の宝篋印塔 (3)
その中に応永15年(1408年)銘のある宝篋印塔がある。高さ99.5cmだが、中央の石質が違うように見えるので、数多くあったものから整理し1基にしたと思われる。他の五輪塔なども同様ではないか。

但し、笠の部分の耳状突起の反りや相輪の形状などは、室町時代の特徴をよく表している。

井上家墓地の宝篋印塔 (4)
双体道祖神も2基ある。こちらは年代的にはもっと新しい。

当該宝篋印塔の由緒などは不明であるが、かつて当地に寺院があったといわれている。

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渋川市赤城町樽のいなり塚古墳。

いなり塚古墳 (1)
いなり塚古墳 (2)
いなり塚古墳は墳丘径約20mの2段築造の円墳と考えられている。墳丘には河原石による葺石と幅1mほどのテラス面が見られる。築造は6世紀中期の榛名山噴火による軽石堆積から間もない頃と考えられ、利根川上流域の後期古墳とされる。

石室は現存全長6.14mの自然石乱積の袖無型横穴式。埋葬部入口の天井には楣石が突出し、奥壁は2石の巨石から構成されている。石材には輝石安山岩の転石や壊石が使用され、壁面には赤色顔料が塗布されている。

しかし訪問時は雑草が生い茂り、石室開口部も覆われてしまっていたので、覗き込むことは断念。

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伊勢崎市、玉村町

伊勢崎市・島村諏訪神社
伊勢崎市・島村の板倉
日本基督教団島村教会 & 島村めぐみ保育園本館
伊勢崎市境島村・「島村蚕種業績之地」碑
伊勢崎市境島村・島村沿革碑
旧伊勢崎市立境島小学校
伊勢崎市境島村・新地地区養蚕農家群
世界遺産・田島弥平旧宅
田島弥平顕彰碑
伊勢崎市境島村・宝性寺
金井烏洲と一族の墓
安達盛長の創建 -国定赤城神社-
国定忠治の墓 その2 -善応寺 その2-
伊勢崎市・八斗島稲荷神社
源頼義の創建 -長沼八幡宮-
渕名氏の氏神 -渕名神社-
伊勢崎市・三柱神社
小此木盛光の創建 -境小此木・菅原神社-
安達景盛の創建 -境下武士・三社神社-
利根川・島村の渡し
俳人・栗庵似鳩の墓
伊勢崎市・上西根の五輪塔
弥勒寺音次郎奉納の木組み灯籠 -勝山神社-
伊勢崎市・郷学五惇堂跡
いせさき市民のもり公園
板垣信方の墓 -常清寺-
香林の木像如意輪観音坐像 -曦観音堂-
伊勢崎市・十二所古墳
新田三談林のひとつ -能満寺-
伊勢崎市・上蓮の阿弥陀・地蔵石仏
那波宗元の勧請 -戸谷塚諏訪神社-
鎌倉権五郎景正を祀る -五郎神社-
上植木の鎮守様 -上樹神社-
渕名実秀の娘・妙真尼の開基 -妙真寺-
上杉謙信が戦勝祈願 -千本木神社-
伊勢崎市・今井山西光寺
伊勢崎市今泉町・法長寺
火防観音 -法養寺-
旧境町最古の宝篋印塔と五輪塔 -宝存寺-
那波総社 -堀口飯玉神社-
空海も修行した? -満善寺-
旗本・跡部氏の崇敬社 -宮子神社-
良い福を授ける -飯福神社-
赤堀の総鎮守 -大雷神社-
地域を守ったご神木 -堀下飯玉神社-
義経馬殿塔 -正観寺-
馬見塚の鎮守様 -馬見塚飯玉神社-
例幣使御小休所 -延命寺-
群馬八郎満胤がご祭神 -八郎神社-
夜泣き地蔵 -浅間山大噴火の供養地蔵-
伊勢崎市・華蔵寺公園遊園地
伊勢崎市・華蔵寺公園
伊勢崎の英霊殿 -伊勢崎招魂碑-
平安時代創建の古刹 -華蔵寺-
玉村町15号墳
伊勢崎藩の郷校 -嚮義堂-
伊勢崎藩の藩校教授・浦野神村の墓
玉村町・文安銘の五輪塔
玉村宿・木島本陣跡
伊勢崎市・一ノ関古墳
伊勢崎市・台所山古墳石棺
玉村八幡宮の別当寺 -神楽寺-
伊勢崎の吞龍さま? -本光寺-
五智如来石仏 -花台寺-
玉村町・梨ノ木山古墳
玉村八幡宮の元宮 -角渕八幡宮-
柴宿の歴史的景観の名残りをとどめる -柴町八幡神社-
沼田景義のご子孫の墓 -泉龍寺 その2-
那波宗広の墓 -泉龍寺-
伊勢崎唯一の神社神門 -今村神社-
玉村の地名のもとになった龍神伝説 -満福寺-
玉村太郎の館跡 -観照寺-
大谷吉継の孫・大谷隆昌の墓 -龍昌院-
新田一族・今井清義隠遁の地 -浄蓮寺-
谷島信氏の館跡 -伊勢崎市・徳蔵寺-
長持形石棺が保存されている -お富士山古墳-
浦島太郎伝説 -龍神宮-
跡部氏の菩提寺 -紅厳寺跡 その2-
宮子の笠塔婆 -紅厳寺跡-
伊勢崎・雷電神社&雷電神社古墳
弥勒寺音次郎・音八父子の墓
すばらしい本殿の彫刻 -平塚赤城神社-
群馬県内最大級の馬頭観音 -西光寺-
福島泰蔵大尉の墓 -天人寺-
石剱稲荷大明神 -瑳珂比神社-
道標を兼ねた二十二夜塔 -愛染院-
村上随憲の墓 -長光寺-
弁天池に鎮座 -瑳珂比弁天宮-
旗本・久永氏陣屋跡 -大東神社-
6世紀末の帆立貝形古墳 -鶴巻古墳-
那波教元の墓? -富塚円福寺-
駒井政直・親直の墓 -宝幢院-
駒井氏累代の墓 -竹芳寺-
みかえり不動尊 -長安寺-
石造美術群 -下植木赤城神社-
日本一(?)の大鰐口 -万徳寺(石山観音)-
石田三成の妖怪退治 -退魔寺-
上野国五之宮 -大国神社-
連取の松 -菅原神社-
斎藤宜義の墓 -宝蔵寺-
織機・養蚕の神様を祀る -倭文神社-
雷の神様を祀る -火雷神社-
エレガントな洋館 -いせさき明治館-
小畠武堯の墓 -善応寺-
伊勢崎の鎮守社 -伊勢崎神社-   
伊勢崎藩主・稲垣長茂の屋敷門 -同聚院-
那波小太郎・小次郎の墓 -天増寺 その2-
稲垣氏累代の墓 -天増寺-
浮島に鎮座 -白龍神社-
鳥居がいっぱい -小泉稲荷神社-
藤原秀郷(俵藤太)の供養塔 -宝珠寺-
家鴨(アヒル)塚 -称念寺-
源頼朝の勧請 -玉村八幡宮-
日航例幣使街道と玉村宿 -玉村町歴史資料館-
伊勢崎赤堀歴史民俗資料館
国定忠治の墓 -養寿寺-
霊験あらたか? -伊勢崎・権現山-
琴を弾くから「ことはにクン」 -相川考古館-
時を告げる大正ロマン -伊勢崎・時報鐘楼-
滝川一益も見た風景 -軍配山古墳- 

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伊勢崎市境島村の諏訪神社。
利根川の北側(旧境町側)にある。

島村諏訪神社 (1)
島村諏訪神社 (2)
島村諏訪神社は天正年間(1573~93年)武田家家臣・粟原太郎左衛門が諏訪大社の分霊を勧請したと伝わる。利根川の洪水による大正3年(1914年)の前島地区全戸移転に伴い、現在地へ遷座している。

島村諏訪神社 (3)
島村諏訪神社 (4)
島村諏訪神社 (5)
社殿は現在地に遷座した大正13年の建立。近年、社殿屋根を瓦葺きから銅板葺に改修している。

木々に囲まれた境内で、玉垣があるわけでもなく玉砂利が敷いてあるわけでもない、余計なものはなくシンプルな村の鎮守といった様。

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伊勢崎市境島村の板倉。

島村の板倉 (1)
島村の板倉は天明2年(1782年)の建設。四方板囲い(落とし羽目板式)の高床造りで床は板張り。正面9尺(約2.72m)、奥行き6尺(約1.81m)。正面右側は小さな3室に仕切られ、中央と左側はそれぞれ1室ずつになっている。最大90俵の穀物が入る。

なんでこんな写真しかないかと言うと、個人宅内にあるから。横を通る路地からの撮影。個人宅にあるという情報を持ち合わせていなかったのでしょうがない。ちょうど地元の方が通りかかったので聞いてみたら、戸をガチャガチャやってくれたのだが「閉まってるね」。

島村の板倉 (2)
と言うことで、伊勢崎市HPから写真を借用。

不定期だが島村地区の文化財遺産を巡る行事があるようで、そういう時は中に入らせていただき見学できるようだ。

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伊勢崎市境島村の日本基督教団島村教会と島村めぐみ保育園本館。

日本基督教団島村教会・めぐみ保育園 (1)
日本基督教団島村教会・めぐみ保育園 (2)
明治初期に蚕種輸出のため横浜を訪れた蚕種業者により島村にキリスト教がもたらされ、明治20年(1887年)に田島善平氏の自宅内に美以教会島村講義所が建てられ島村教会が設立された。明治30年(1897年)に現在地に教会堂が建てられた。

昭和25年(1950年)に2階部分とめぐみ保育園本館を増築。昭和34年(1959年)に礼拝堂北正面に講壇を拡大。

日本基督教団島村教会・めぐみ保育園 (3)
日本基督教団島村教会・めぐみ保育園 (4)
日本基督教団島村教会・めぐみ保育園 (5)
2階建て部分から右側が教会(堂)で、左側が島村めぐみ保育園本館。島村めぐみ保育園は昭和25年(1950年)開園。現在は平成20年(2008年)に建設された新館で保育は行われている。

日本基督教団島村教会・めぐみ保育園 (6)
日本基督教団島村教会・めぐみ保育園 (7)
島村めぐみ保育園の別館。昭和28年(1953年)の建築。島村教会(めぐみ保育園本館)と道を挟んで東側にある。現在も一部使われている。

島村教会教会堂、島村めぐみ保育園本館、別館が国の有形登録文化財に指定されている。

この辺は、ちょうど伊勢崎市と深谷市の境界で、島村教会(めぐみ保育園本館)は伊勢崎市、めぐみ保育園別館は深谷市となる。

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伊勢崎市境島村の「島村蚕種業績之地」碑。

島村蚕種業績地之碑
昭和16年(1941年)に結成された「島村蚕種共同組合」の蚕種製造所の跡地に「島村蚕種業績之地」碑が建っている。

島村は江戸末から明治期に蚕種の一大産地であったが、時代の変化とともに養蚕は下火になり、島村蚕種協同組合は昭和63年(1988年)に解散。現在、蚕種製造所跡地は住宅地なっており、碑が建っている場所は小さな公園となっている。

碑文は「利根川の清流に培われ、三百年の伝統を誇りし島村蚕種の灯、今ここに消ゆ」と、悲しい言葉で始まる。碑文の最後は「願わくば郷土の若人達よ、一致協力産業の振興に努め、再び島村の名を天下に轟かされん事を」(句読点はオレが追加)。

「田島弥平旧宅」が世界遺産(富岡製糸場と絹産業遺産群)に登録され、島村の名は再び世に広まることになったが、それは養蚕のおかげなのは皮肉なことか。

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伊勢崎市境島村の島村沿革碑。

島村沿革碑
島村沿革碑は、島村の起源や地理、利根川との関わり、養蚕業を発展させた歴史が記されている。明治32年(1899年)の建碑。

利根川の流れに翻弄された(200年で16回も流れが変わった)島村の様子を未来に残そうと、明治30年(1897年)に古老が絵図などを持ち寄り起案。

「島邨沿革碑」の題字は山県有朋の揮毫。碑文の文字は金井之恭(金井烏洲の4男)による。どういう経緯で山県有朋に頼んだのか(書いてくれたのか)不明だが、渋沢栄一が仲介したのかも。島村と渋沢の出身地・血洗島(深谷市)は隣村なのと、渋沢と金井烏洲は交友があったので。

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伊勢崎市境島村の旧境島小学校。

旧境島小 (1)
伊勢崎市立境島小は明治6年(1873年)に島村小として開校。市町村合併に伴い境町立島小、伊勢崎市立境島小と名称は変わったが、現伊勢崎市内では3番目に古い歴史ある小学校である。現在の校舎は平成5年(1993年)の落成。しかし児童数の減少により平成28年(2016年)3月31日を以て143年の歴史に幕を閉じだ。

旧境島小 (2)
旧境島小の校章は、桑の葉・蛾・繭の3つを組み合わせたもの。養蚕が盛んだった島村らしい。

旧境島小 (3)
現在は「田島弥平旧宅案内所」として活用されている(1階西側)。案内所は隣接する「福祉交流館しまむら」にあったが、手狭なため移転。

田島弥平旧宅の解説パネル、所蔵資料の展示や映像情報などが見られる。田島弥平旧宅を訪れる前の事前学習的な面を含んでいる。オレは先に旧宅を訪れ、さらにその周辺を散策し、最後に旧境島小に行ったので中には入らなかった。

旧境島小 (4)
校庭の隅に「二宮金次郎」の銅像があった。昔の小学校にはよくあったのだが、オレの通っていた小学校にはなかったので、近くで見るのは初めてと言っていいくらい。

旧境島小 (5)
校舎の前に「島を守った赤レンガ」というのがあった。「前島」地区は利根川の乱流により中州に位置する状態となってしまい、度重なる洪水に悩まされていた。そのため、住民総出でレンガ塀の土手を築き堤防とした。ところが、明治42年(1909年)の大雨による洪水でレンガ塀は決壊し、大正3年(1914年)から前島地区は新地への移転を余儀なくされた。小学校も大正4年(1915年)に移転している。

写真のレンガは、昭和57年(1982年)の洪水で岸に打ち上げられた当時のレンガ塀の一部。記念のため境島小へ運ばれ残されている。

以前紹介した宝性寺も旧前島地区にあったもので、同様に移転している。
(「伊勢崎市境島村・宝性寺」参照)

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伊勢崎市境島村新地の養蚕農家群。

田島弥平旧宅
世界遺産・田島弥平旧宅がある境島村の新地地区には、同様の養蚕農家建築が多数ある。そのいくつかを紹介。(田島弥平旧宅は「世界遺産・田島弥平旧宅」参照)

桑麻館 (1)
桑麻館 (2)
田島弥平の本家にあたる田島武平宅。屋号は桑麻館。
文久3年(1863年)の建築で、木造2階建て入母屋造り、桟瓦葺き。田島武平は弥平とともに、島村養蚕業の指導者として活躍した。

進成館
田島乙三郎宅。屋号は進成館。
江戸時代末(幕末)の建築で、木造2階建て入母屋造り。桟瓦葺きで総櫓。

有鄰館 (1)
有鄰館 (2)
田島平内宅。屋号は有鄰館。
明治元年(1868年)の建築で、木造2階建て切妻造り。桟瓦葺きで3つ櫓。

栄盛館
田島定吉宅。屋号は栄盛館。
文久元年(1861年)の建築で、木造2階建て切妻造り。桟瓦葺きで3つ櫓。

對青廬 (1)
對青廬 (2)
田島林平宅。屋号は對青廬(たいせいろ)。
慶応2年(1866年)の建築で、木造2階建て切妻造り。桟瓦葺きで総櫓。

すべて田島家だが、みな親戚だという。

当主の名前は建築当時の方。これらの養蚕農家群は、田島弥平旧宅のように文化財指定されているわけでもなく、現在もご子孫が居住されているため、敷地内への立ち入りは不可です。敷地外から、かつ節度をもって見学させてもらいましょう。

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