Tigerdream の上州まったり紀行

上毛かるたと群馬県内の神社仏閣、遺跡・史跡・古墳、資料館などの紹介。

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邑楽郡邑楽町秋妻のBー29墜落地点

B29墜落地点 (1)
昭和20年(1945年)2月10日、太田市の中島飛行機製作所の爆撃に飛来した118機のBー29のうち、2機が空中衝突し墜落炎上した。2機の搭乗員23名は全員が死亡した。

B29墜落地点 (2)
2機の内「Deaner Boy号」が墜落した地点(赤い目印)。もう1機の「Slicks Chicks号」は、もう少し西側(写真左側)数百mの地点に墜落。尾翼は地区の東側まで飛ばされている。

この事実を風化させることなく、平和の尊さを後世に伝えるため平成22年(2010年)に案内板などが設置されている。

現在でものどかな田園地帯が広がる秋妻地区。昼間(午後3時過ぎ)に轟音を響かせて飛来した118機のBー29。これだけでも相当怖かったと思うが、2機が墜落・炎上となるとより一層のことだったに違いない。

当日は西風が強かったようで、炎上の黒煙は秋妻地区を覆い、余所からは秋妻地区は全滅したと噂されたと言う。住民に被害がなかったのは幸いであった。

亡くなった搭乗員の遺体は丁重に供養・葬られた後、戦後アメリカに引き取られている。現在でも、秋妻地区の2つのお寺で慰霊が行われている。

関連
 「B-29・グラマン搭乗員の慰霊碑 -清岩寺-
 「Bー29墜落搭乗員の埋葬地 ー光林寺ー

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上州まったり紀行の中から「お墓・供養塔」に関するものをリスト化したもの。一応、有名人・著名人、歴史的な人物(氏族)が対象。中には、「伝」・「?」も多いけどね(笑)。


前橋市(旧郡部を除く)

大室太郎の墓(観昌寺)
岩佐直治中佐の墓(松竹院)
前橋藩酒井家家老・高須隼人の墓(正幸寺)
平敦盛の供養塔(泉蔵寺)
石田玄圭の墓
静御前のお墓?
赤穂浪士・矢頭右衛門七の母の墓(大蓮寺)
新田義貞の首級を持ち帰った(?)「覚明」の墓(宝禅寺)
中臣羽鳥連の墓(釈迦尊寺)
名馬・磨墨の墓(祝昌寺)
酒井忠世家臣・本城氏の墓(長昌寺)
初代前橋市長・下村善太郎の墓(龍海院)
剣聖・上泉信綱の墓(西林寺)
石川氏の墓(最善寺)
常盤御前のお墓?(極楽寺)
静御前のお墓?(養行寺)
萩原朔太郎のお墓(政淳寺)
淀君のお墓?(元景寺)
秋元氏歴代の墓所
德川譜代・酒井家累代の墓(龍海院)


前橋市(旧大胡町、旧宮城村、旧粕川村、旧富士見村)

大前田英五郎の墓 その2
牧野家家老・山本帯刀の墓(長興寺)
伊勢崎藩主・稲垣長茂両親の墓(長興寺)
満蒙開拓移民の父・東宮鐡男陸軍大佐の墓(金剛寺)
北爪将監の供養塔(赤城寺)
梶原景時父子の墓?(珊瑚寺)
牧野家の菩提寺(養林寺)
大胡太郎(藤原重俊)の墓(長善寺)
大前田英五郎の墓
船津傳次平の墓


伊勢崎市、佐波郡(玉村町)

金井烏洲と一族の墓
国定忠治の墓 その2(善応寺)
俳人・栗庵似鳩の墓
板垣信方の墓(常清寺)
伊勢崎藩の藩校教授・浦野神村の墓
沼田景義のご子孫の墓(泉龍寺)
那波宗広の墓(泉龍寺)
大谷義継の孫・大谷隆昌の墓(龍昌院)
跡部氏累代の墓(紅厳寺跡)
弥勒寺音次郎・音八父子の墓
福島泰蔵大尉の墓(天人寺)
村上随憲の墓(長光寺)   
那波教元の墓?(富塚円福寺)
駒井政直・親直の墓(宝幢院)
駒井氏累代の墓(竹芳寺)
斎藤宜義の墓(宝蔵寺)
小畠武堯の墓(善応寺)
伊勢崎藩家老・関當義・重嶷父子の墓(同聚院)
那波小太郎・小次郎の墓(天増寺)
稲垣氏累代の墓(天増寺)
藤原秀郷(俵藤太)の供養塔(宝珠寺)
国定忠治の墓(養寿寺)


渋川市、北群馬郡(吉岡町、榛東村)

男性助産師・石田伍助の供養塔
白井長尾氏累代の墓(空恵寺)
角田無幻道人の遺髪塚
絵師・根本常南の墓
白井長尾氏家臣・飯塚大学の石堂
宮大工・岸豊後守積保の墓
堀口藍園の墓
高橋蘭斎の墓(遍照寺)
吉田芝渓の墓
伝・桃井直常の墓 その2(金剛寺跡)
伝・桃井直常の墓
新田一門・大島氏の墓
永岡形部左衛門の墓(興禅寺)
三原田城主・永井氏累代の墓(興禅寺)
山崎石燕の墓と鳥酔翁塚(雙林寺)
養蚕家・馬場重久の墓
里見義秀の供養塔?(金蔵寺)
本多廣孝の墓(源空寺)
木暮足翁の墓(真光寺)


高崎市(旧郡部を除く)

新田義重の墓?(永福寺)
熊の墓(妙音寺)
高崎五万石騒動中総代・山田勝弥の墓
高崎五万石騒動大総代・小島文次郎の墓(大森院)
高崎五万石騒動大総代・佐藤三喜蔵の墓(普門寺)
高崎五万石騒動大総代・高井喜三郎の墓
七士殉職供養塔
小栗上野介忠順の養嗣子・又一忠道の墓
軍師・山本勘助の子孫の墓(大雲寺)
稲川政右衛門の墓(常安寺)
根津政直の墓(常安寺)
お染の墓(木部町安楽寺)
木部範虎の墓(心洞寺)
木部白満の墓(光台寺)
岩鼻代官・吉川栄左衛門の墓(岩鼻町観音寺)
内村鑑三家の墓(若松町光明寺)
飯盛り女の墓(九品寺)
江原源衛左門重久の墓(慈眼寺)
井上保三郎の墓(荘厳寺)
長野氏累代の墓 その2(来迎寺)
徳川忠長の墓(大信寺)
元ロシア人兵士の墓(龍廣寺)
村上鬼城の墓(龍廣寺)
倉賀野城主・金井秀景の墓(永泉寺)


高崎市(旧群馬町、旧箕郷町、旧榛名町、旧吉井町、旧新町、旧倉渕村)

義民・三木市右衛門の墓
竹本百合太夫の墓
竹本土佐太夫の墓
長野業盛夫人・藤鶴姫の墓
榛名山座主・快尊、忠尊、快承の墓
長野業正の長男・吉業の墓(善龍寺)
由良国繁の墓?(金龍寺)
木部姫の供養塔(御沼オカミ神社)
織田信長、細川興秋の供養塔(弥勒寺)
火打金鍛冶職人・中野孫三郎の墓
土師清大夫の墓(浄泉寺)
大和郡山藩柳沢家2代・柳沢信鴻の継室の墓(宝勝寺)
福田赳夫元首相の墓(徳昌寺)
小串氏の墓所(地勝寺)
吉井藩代官・橳島家3代の墓(法林寺)
菅沼定利の墓(玄太寺)
奥平貞訓の墓(仁叟寺)
井伊直政の継父・松下源太郎の墓(龍門寺)
内藤昌豊・昌月父子の墓(善龍寺)
伝・長野業盛の墓
長野業正の墓(長純寺)
長野氏累代の墓(長年寺)
小栗上野介の墓(東善寺)


安中市

中山道坂本宿 下の本陣・金井家の墓(青松寺)
金井忠兵衛の墓
安中忠政の墓(全性寺)
医学者・荒木寅三郎の墓
山田三川の墓(龍昌寺)
新島襄の祖父と弟の墓(妙光院)
安中草三郎の妻・歌の墓?(東光院)
安中忠親の墓(桂昌寺)
安中忠清の墓(久昌寺)
下曽根氏累代の墓(信照寺)
詩人・大手拓次の墓
伊勢義盛の墓?(常楽寺)
碓氷定光の供養塔(金剛寺)
依田政知と後閑信純の墓(長源寺)
磯貝雲峰の墓(自性寺)
高崎藩主松平康長の娘・露姫の墓(実相寺)
大道寺政繁の墓(補陀寺)
簗瀬八幡平の首塚
太山融斉と柏木義圓の墓(西廣寺)
妖怪・チャンコロリンの墓(大泉寺)
小野栄重の墓(南窓寺)
井伊直政正室・唐梅院の墓(大泉寺)
伝佐々木盛綱夫妻の墓(松岸寺)
伝赤穂藩士・大野九郎兵衛の墓(松岸寺)


富岡市、甘楽郡(甘楽町、下仁田町、南牧村)

下仁田戦争・水戸天狗党戦死者の墓
小幡氏歴代の墓(興巌寺)
小幡藩織田家家老・吉田玄番家累代の墓(宝勝寺)
横尾丹波守吉泉の墓
稲部市五郎種昌の墓(金剛院)
橋本暮村の墓(伝宗寺)
高田大和守憲頼の墓(陽雲寺)
伝・庭屋氏累代の墓
七日市藩主・前田家御宝塔
富岡製紙工女の墓 その2(海源寺)
高橋道斎の墓(常住寺)
お菊の墓 その2
前田利家側室・明運尼の墓(永心寺)
長岡家歴代党首のの墓
お菊の墓(宝積寺)
小幡氏歴代の墓(宝積寺)
七日市藩歴代藩主の墓(長学寺)
富岡製紙工女の墓(龍光寺)
織田信雄の墓


藤岡市、多野郡(神流町、上野村)

義民・馬之助の墓(興春寺)
僧・実相の墓(光源院)
伝足利義輝の孫・木喰覚海上人の墓(光源院)
高山社2代目社長・町田菊次郎の墓(龍田寺)
芦田康勝の室・了源院の墓(天龍寺)
長谷川長源夫妻の墓(祖師堂)
道忠禅師の供養塔(浄法寺)
木地師の墓 その2(泉龍寺)
木地師の墓(宝蔵寺)
土屋山城守高久の墓
松井宗直の墓 その2(光徳寺)
松井宗直の墓(源性寺)
高山遠江守重栄の墓(興禅院)
高山長五郎の墓(興禅院)
山内上杉氏累代の墓(円満寺)
菊川英山の墓(成道寺)
算聖・関孝和の墓(光徳寺)
芦田氏累代の墓(光徳寺)
長井正實の墓、依田信守・信政の墓(天陽寺)
義民 堀越三右衛門の墓


太田市(旧郡部を除く)

勾当内侍の墓(太田市・大圓寺)
新田義興の供養塔(太田・東光寺)
矢場氏累代の墓(恵林寺)
新田義忠の墓?(浄光寺)
新田義興の墓?(威光寺)
新田氏累代の墓(円福寺)
新田義貞の供養塔(金龍寺)
呑龍上人の墓・新田義重の墓(大光院)


太田市(旧新田町、旧尾島町、旧藪塚本町)

石田三成の娘・辰姫の墓(東楊寺)
初代古河公方・足利成氏の墓(東雲寺)
岩松守純・豊純父子の供養塔(長楽寺)
栄朝禅師の無縫塔(長楽寺)
世良田義季の墓?(長楽寺)
長楽寺5世・月船琛海の墓所(普光庵跡)
「日本の飛行機王」中島知久平の墓(徳性寺)
横瀬泰繁の墓?(龍得寺)
茂呂権蔵の墓(太田・普門寺)
長慶天皇の陵墓?(長慶寺)
伝・藪塚氏の墓
津軽藩代官・足立氏の墓(東楊寺)
勾当内侍の墓と新田義貞の首塚(花見塚公園)
悪源太義平の墓?(清泉寺)
岩松尚純夫妻の墓(尚純萩公園)
源義国の墓所?(義国神社)
伝・新田義重夫妻の墓
世良田義季累代の墓(長楽寺)


桐生市

大関・秀ノ山(9代横綱)の墓(定善寺)
高山彦九郎の長男・儀助の墓(定善寺)
楳本法神の墓(桐生市黒保根町・医光寺)
小田原の機利者・山上郷右衛門の供養塔(常廣寺)
桐生市名誉市民・森喜作氏の墓(大蔵院)
由良氏四天王・高橋英元の墓(祥雲寺)
下村昌伯の墓(龍泉院)
細川内膳の墓(文昌寺)
桐生氏累代の墓(西方寺)
由良成繁の墓(鳳仙寺)
彦部家の墓所(福厳寺)
伝・新田義貞の首塚(善昌寺)


みどり市

名誉県民・長谷川四郎元衆議院の墓(世音寺)
岡登景能の墓(国瑞寺)
山田氏および里見兄弟の墓


館林市、邑楽郡(大泉町、板倉町、邑楽町、千代田町、明和町)

奇人・秋妻十兵衛の墓(光林寺)
細谷秀国の墓所(五位堂)
初代・紫峰庵夫雪の墓(授楽寺)
大谷休泊の墓
原田種政の墓?(龍興寺)
館林騒動・三義人の供養碑(教学院)
浮世絵師・北尾重光の墓(覚応寺)
徳川四天王・榊原康政の墓(善導寺)
榊原康政の孫・松平忠次の生母の墓(善長寺)
戸泉鋼作の墓(大道寺)
生田萬父祖の墓(大道寺)
田山花袋の姉の墓(常光寺)
新田義貞四天王・篠塚伊賀守重廣の墓(大信寺)
千代田町長・大谷典三氏の墓(舞木円福寺)
赤井照光の墓(光恩寺)
伝・児島高徳の墓(高徳寺)
富岡秀信の供養塔(龍泉院)
田中正造の墓(雲龍寺)
楠木正成の首塚?(楠木神社)
徳川四天王・榊原康政の墓(善導寺)
「お辻」の供養塔(善長寺)


沼田市、利根郡(みなかみ町、片品村、川場村、昭和村)

加沢平次左衛門の墓
海野輝幸と嫡男・幸貞の墓(海野塚)
会津藩白虎隊・町野久吉の墓
伝・真田熊之助の墓 その2(天桂寺)
伝・真田熊之助の墓
上杉謙信の供養塔(如意寺)
土岐家旧藩主の墓石(東禅寺)
発智為時の墓(東光禅寺)
薄幸の女流歌人・江口きちの墓(桂昌寺)
伝・真田信利の墓(弥勒寺)
名胡桃城代・鈴木重則の墓?(正覚寺)
真田信政三男・信武の墓(成孝院)
真田信政二男・信守の墓(舒林寺)
沼田平八郎景義の墓(沼田大明神)
真田信政側室・浜松の局の墓(東源寺)
加藤清正の孫・藤枝正良の墓(妙光寺)
真田信吉側室・慶寿院の墓(妙光寺)
真田信吉の墓(天桂寺)
真田信之正室・小松姫の墓(正覚寺)
新田義宗の墓?(雲谷寺)


吾妻郡(中之条町、長野原町、草津町、嬬恋村、東吾妻町、高山村)

僧・空閑の墓
富豪・加部家の墓(大運寺)
吾妻太郎行盛の墓(長福寺)
小渕恵三元首相の墓(林昌寺)
平九の墓(皇大神宮)

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邑楽郡邑楽町秋妻の秋妻山光林寺。

光林寺 (1)
光林寺は天長2年(825年)恵海上人の開創で、永仁5年(1297年)時宗2代・遊行上人である他阿(真教上人)の中興開山。

光林寺 (2)
光林寺 (3)
現在の本堂は昭和53年(1978年)の建立。

光林寺 (4)
光林寺 (5)
境内の観音堂。昭和54年(1979年)に改修されている。祀られている子安観音は行基の作と伝わる。

光林寺 (6)
馬頭観音や百番供養塔など。

光林寺 (7)
聖観音像。

光林寺 (8)
無縁墓の中に「奇人秋妻十兵衛」と呼ばれた築地十兵衛の墓がある。文政11年(1829年)に没した十兵衛さんは数々の奇行のため「奇人」と呼ばれていた。ただその奇行といわれているものを見る限りでは、生真面目な人だったという印象。多少融通が利かない面もあったようだが。

最期は、突然の雷の中、皆が逃げろと言うのに「雷様は鳴るのが商売、オレは田の草刈りが商売」と逃げなかった。すると腰のキセルに落雷し亡くなったという。

光林寺 (9)
墓地の一角にあるBー29搭乗員の埋葬地跡。
昭和20年(1945年)2月10日、太田市の中島飛行機製作所の爆撃に飛来した118機のBー29のうち2機が空中衝突し、光林寺の西南600mの地点に墜落。乗員23名が犠牲となった。死亡した23名は光林寺の墓地に手厚く埋葬された。

戦後まもなく進駐軍が遺体を引き取りにきたが、丁重に葬られていた事に驚き、大変感謝していたという。以降、光林寺では毎年お盆にBー29搭乗員の冥福を祈っている。

同じ秋妻の清岩寺にもBー29搭乗員の慰霊碑がある。
(「B-29・グラマン搭乗員の慰霊碑 -清岩寺-」参照)

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邑楽郡邑楽町秋妻の玉取神社。

玉取神社 (1)
玉取神社 (2)
玉取神社は天長2年(825年)藤原綱義の創建。祖先の藤原鎌足が房崎の浦で竜宮から玉を取り得て日本の宝としたので、鎌足を玉取大明神として崇敬したという伝説によるという。

鎌足が竜宮から玉を得て日本の宝とした? 初めて聞いた。ご祭神の天児屋命は中臣氏(藤原氏)の祖とされ、藤原氏の氏神である春日4神の1神。春日神社にしなかったのは、それなりの理由があるんだろうけど。

鳥居は明治40年(1907年)の建立。

玉取神社 (3)
鳥居前にあるのは海軍から下付された「浮標水雷缶」。簡単に言えば機雷。昭和初期に各地の神社や公共地に、廃兵器となった機雷(魚雷含む)や砲弾などが無償で下付されている。戦意高揚の意味もあったのだろう。

玉取神社 (4)
社殿前の狛犬は平成12年(2000年)、灯籠は平成17年(2005年)の奉納。

玉取神社 (5)
玉取神社 (6)
玉取神社 (7)
社殿は平成17年(2005年)の新築建立。

玉取神社 (8)
玉取神社 (9)
覆屋内に境内社が3社祀られているが、中央の稲荷社しか分からない。

玉取神社 (10)
玉取神社 (11)
社殿右に塚のような小丘に石宮が祀られている。途中の石碑には石尊大権現とあるが、富士塚(浅間神社)ではないかと思う。

鎌足の玉の話が気になったのでいろいろ調べてみたら、秋妻地区に伝わる「玉取姫伝説」というのがあった。

秋妻村に住む美しい玉取姫が竜宮に玉を取りに行った。首尾良く玉を得て帰ろうとした時、龍神に追いかけられ運悪く門の閾(しきい)に躓き倒れてしまった。このとき、持っていた小剣で乳房の下を切り玉を隠して持ち帰った。しかし姫はこの傷が元で亡くなってしまった。村民は深く悲しみ、それ以来門を建てる家はないという。

この伝説が由緒になっているのだろうが、鎌足はどこから出てきたのだろうか? ついでに、似たような話で「海女の玉取り物語」というのがあった。鎌足の2男・不比等が主人公のようだ。「玉取伝説」は藤原氏に関連があるのかな。興味のある方は下記をどうぞ。
 「海女の玉取物語」(さぬき市観光協会)

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邑楽郡邑楽町藤川の四祀開神社。

四祀開神社 (1)
四祀開神社 (2)
四祀開神社の創建年は不詳だが、下野国御厨(足利市)の皇大神宮の天照大神と豊受大神を勧請、後に木花開耶姫命、彦火火出見命の2神を合祀し四祀開神社としたという。

元は字村東にあって、一時は猪開神社(読みは同じ「ししかい」)としていたが、明治11年(1878年)に四祀開神社に復称している。その後、大正7年(1918年)現在地へ遷座している。

鳥居は遷座時の大正7年(1918年)の建立。

四祀開神社 (3)
四祀開神社 (4)
四祀開神社 (5)
社殿の建立年などは分からないが、おそらく大正7年(遷座時)だと思われる。

四祀開神社 (6)
境内右手の建物。何だろう?

四祀開神社 (7)
四祀開神社 (8)
境内の富士塚。右側の碑には「33度」、左側の塔には「50度」の登頂と書かれている。どっちもすごい。

猪開神社となっていた頃、村里に猪の群れが集まり農作物を荒らすことが度々あった。しかし鎮守のご加護と思い、村人は猪を射止めたりその肉を食べる者はいなかったという。猪が多くいたので「猪開神社」になっていたのかな。また、藤川地区では現在でも猪肉を食べないという(真偽不明)。

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邑楽郡邑楽町篠塚の籠宮稲荷神社。

籠宮稲荷神社 (1)
籠宮稲荷神社は正平2年(1347年)当地に居住した細谷右馬助秀国が、丹後国(京都府)の元伊勢籠神社から分霊を勧請し、籠宮神社として創建。館の鬼門除けとした。
(「細谷秀国の墓所 ー五位堂ー」参照)

秀国は新田義貞に従い参陣していたが、義貞討死後も再起を図ろうと丹後国に身を潜めていたことに関係すると考えられる。帰郷した秀国は正平3年(1348年)には出家、籠宮山泉福寺を創建し新田氏一族や家臣の菩提を弔った。後の安永2年(1773年)には伏見稲荷を泉福寺を勧請し、農民生活の守護神とした。

明治期に入り神仏分離令により稲荷神社は泉福寺から離れ、籠宮神社に遷されている。

籠宮稲荷神社 (2)
籠宮稲荷神社 (3)
昭和13年(1938年)に現在の社殿を建立した際に、籠宮神社と稲荷神社の両神併祀となっている。この時に籠宮稲荷神社となったと思われる。

社殿前の狐像は昭和31年(1956年)の奉納。

籠宮稲荷神社 (4)
奥殿には籠宮神(向かって左)と稲荷神(同右)の二座が鎮座している。写真では稲荷神しか写ってないけど。

籠宮稲荷神社 (5)
籠宮稲荷神社 (6)
敷地内(境内?)には御嶽神社がある。鳥居は平成11年(1999年)の建立。

籠宮稲荷神社 (7)
石段脇には青面金剛像。宝永4年(1707年)の造立。

泉福寺 (1)
泉福寺 (2)
泉福寺は正平3年(1348年)の創建後、戦国時代に兵火にかかり衰退したが、寛永2年(1625年)に再興されている。その後、明治初年の神仏分離の波の中、廃寺となっている。昭和41年(1966年)には火災で焼失。現在は消防団分署などとなっており、残された石仏などで当時を偲ぶのみである。

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邑楽郡邑楽町篠塚の五位堂。

五位堂 (1)
五位堂の由緒は不詳。細谷秀国が新田義貞の鎌倉幕府倒幕の恩賞として「従五位右馬助」に叙任され、人々が秀国のことを五位殿と呼んでいたことに由来すると伝わる。

細谷氏は新田宗家5代・政氏の長男・国氏が細谷に領地を得たことから細谷氏を名乗っている。ちなみに、新田宗家は政氏の5男・基氏が継いでいる。基氏の孫が歴史に名高い義貞である。

秀国は細谷氏の祖・国氏の孫で、新田義貞(宗家8代)とは「はとこ」の関係。延元3年(1338年)の義貞討死後も再起を図ろうと丹後国(京都府)に身を潜めていたが、正平2年(1347年)帰郷している(北朝では貞和3年)。太平記に「天下の人傑、武略の名将」と評されるほどの人物。

五位堂 (2)
五位堂 (3)
堂内には阿弥陀如来像を中心に千一体仏が安置され、子授け仏として信仰を集めている。現在でも木製の小さな仏像を借り受け、子宝に恵まれると返す習わしがある。

五位堂 (4)
秀国の墓所(?)。邑楽町教育委員会設置の五位堂の標柱の側面に墓所とあったので。写真の塚のようなものがそうなのかな。

ただ、五位堂のすぐ隣に細谷家累代の墓地があり、この中にあるかなぁとも思った。立派な宝篋印塔も数基あったし。

五位堂 (5)
五位堂と細谷家墓地を覆うように大きなシラカシがある。樹高18.5mで根回りは6.6mの巨木。幹は4本に分かれ、幹周りは最大2.6m。

細谷館跡 (1)
細谷館跡 (2)
五位堂から北に数百mのところに、秀国にが帰郷後に居住した館跡がある。細谷館や右馬助館と呼ばれる。

遺構は東西160m、南北130mに及び、末裔が天正18年(1590年)に帰農するまで、在地武士の本拠となっていた。年代的に由良氏に従い北条方となっていたようだ。

細谷館跡 (3)
県道沿いに塁濠跡が残り、中世豪族の屋敷構えをよく伝えている。

細谷氏、ならびに秀国に関して何も知らなかったので、この記事を書くにあたっていろいろ調べたことで、非常に勉強になった。

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邑楽郡邑楽町篠塚の大国神社。

篠塚大国神社 (1)
篠塚大国神社 (2)
篠塚大国神社は元禄16年(1703年)当地を開拓した16人によって造立された大黒天石像を発祥とする。明治12年(1879年)大国主命を祭神とし大国神社と改称している。

平成6年(1994年)町道拡幅のため現在地へ遷座している。

篠塚大国神社 (3)
中央が創建時からの大黒天石像と思われる。

篠塚大国神社 (4)
篠塚大国神社 (5)

篠塚大国神社 (6)
平成6年(1994年)に大国神社とともに遷された十九夜観音(如意輪観音)と青面金剛。十九夜観音は寛政9年(1797年)、青面金剛は元禄16年(1703年)の造立。

篠塚大国神社 (7)
少し離れたところに馬頭観音があった。農耕馬の供養塔だろうか。ところで「先祖」って書いてあるけど何だろう。

当地は字名を大黒と言うらしいが、大黒天を祀ったことからの命名なのかな。

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邑楽郡邑楽町篠塚の龍谷山正泉寺。

正泉寺 (1)
正泉寺 (2)
正泉寺は永禄2年(1559年)龍泉院3世・窈山正精和尚の開山。龍泉院(大泉町)は小泉城主・富岡秀信が同氏の菩提寺として創建した寺。
(「富岡氏の菩提寺 -龍泉院-」参照)

山門は平成11年(1999年)の建立。

正泉寺 (3)
正泉寺 (4)
本堂は平成25年(2013年)の建立。

正泉寺 (5)
六地蔵は平成2年(1990年)の建立。

正泉寺 (6)
正泉寺 (7)
境内の観音堂。十九夜観音(如意輪観音)を祀る。十九夜は月待信仰のひとつ。十九夜講は女人講が多く、安産や子どもの成長などを祈るもの。江戸時代中期造立の十九夜観音を平成22年(2010年)に修復している。

一般的には如意輪観音って、一面六臂で右手を頬にあて、右膝を立て両方の足の裏を合わせて座る(輪王座)容姿を思い浮かべるが、この観音像は千手観音のように見える。左手に宝戟、右手に錫杖らしき物を持っているところなど、どう見ても・・・。

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邑楽郡邑楽町篠塚の長柄神社。

長柄神社 (1)
長柄神社 (2)
篠塚長柄神社は邑楽郡司で長柄郷を開拓した事代主神の子孫(とされる)・長柄首が、先祖である事大主神を祀ったのが始まりという。事代主神は大国主神の子。上野国神名帳記載の長柄明神(邑楽郡の一宮)とされる。

その後、平安時代となり近隣各地に藤原長良を祭神とする長良神社が創建されると、元慶5年(881年)藤原長良を合祀し、近郷の首座として崇敬された。この元慶5年を創建とする説もある。

元弘3年(1333年)新田義貞の倒幕挙兵に応じた篠塚伊賀守重廣が、出陣に際し戦勝祈願をしている。

長柄神社 (3)
鳥居横の猿田彦大神と恵比寿神。恵比寿神と事代主神を同一神とする説もある。

長柄神社 (4)
参道は桜の木が林立し、桜の季節は気持ち良いことだろう。

長柄神社 (5)
境内入口にエドヒガン(桜)の古木がある。樹齢約400年とされ、樹高15m、幹は2本に別れ、幹周りは2.2m~2.5m。

長柄神社 (6)
長柄神社 (7)
長柄神社 (8)
社殿は安永8年(1779年)の建立。本殿は平成12年(2000年)に改修されている。拝殿前の灯籠がひとつ崩れているけど、どうしたのだろう?

長柄神社 (9)
長柄神社 (10)
長柄神社 (11)
本殿の彫刻は素晴らしい。

長柄神社 (12)
神楽殿。長柄神社には里神楽が伝承されており、邑楽町の無形民俗文化財に指定されている。

関連
 「新田義貞四天王・篠塚伊賀守重廣の菩提寺 -邑楽町・大信寺-

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邑楽郡邑楽町中野の前原浅間神社。

前原浅間神社 (1)
前原浅間神社 (2)
前原浅間神社は弘安10年(1287年)中野景継が富士山の浅間神社本宮の分霊を勧請し創建。

中野氏は新田氏一族の大島次郎景継が佐貫庄中野郷に勢力を張り、中野氏を称したのが始まり。その景継に男子が生まれなかったことから、浅間大神に祈願したところ男子(景春)が誕生したことによる。

景春は新田義貞に従い、延元3年/建武5年(1338年)越前・灯明寺畷にて新田義貞が討死した際に殉死している。ちなみに、景春の菩提を弔うために奥方が開創したのが谷中観音である。(「邑楽町中野・谷中観音」参照)

一の鳥居は平成12年(2000年)の建立。

前原浅間神社 (3)
鳥居の大注連縄は氏子役員さんが手作りしたもの。

前原浅間神社 (4)
前原浅間神社 (5)
二の鳥居や社殿他建っているのは浅間神社古墳の墳丘上。浅間神社古墳の詳細は分からないが円墳のようだ。ただ、すぐ後ろに東武小泉線が通っているので、削られている可能性もある。

前原浅間神社 (6)
前原浅間神社 (7)
前原浅間神社 (8)
社殿(と言うか覆屋)はこじんまりしている。境内は広くはないが、ベンチが置かれているなど、地域の方々がくつろげるできるようになっている。社殿前の狛犬は平成12年(2000年)の奉納。狛犬にも役員さんが作った注連縄がかけられている。

平成12年に鳥居の建立、狛犬奉納など、境内整備が行われたようだ。

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邑楽郡邑楽町中野の蛭沼薬師堂。

蛭沼薬師堂 (1)
蛭沼薬師堂 (2)
蛭沼薬師堂の由緒は不詳。現在の薬師堂は昭和57年(1982年)の建立。以前のお堂を昭和37年(1962年)に屋根替えをした際に、天明3年(1783年)改築の棟札が発見されている。

お堂前の灯籠は平成10年(1998年)の奉納。

蛭沼薬師堂 (3)
灯籠にご開帳記念の奉納とあったので、本尊の薬師如来像は秘仏になっているようだ。薬師如来は人々のあらゆる病苦を救い、殊に眼病を治癒する効験のある仏で、今も近隣住民のみならず遠方からの参拝者も多い。

蛭沼薬師堂は時宗・遊行上人巡国の砌り御小休所としたところだという。遊行上人とは時宗における指導者に対する敬称。初代・遊行上人はもちろん開祖の一遍。当代は74代。

蛭沼薬師堂 (4)
薬師堂の横に五輪塔・宝篋印塔がまとめられている。不完全なものが多い。年代的には応永(1394~1428)、正長(1428~29年)の銘がある。近隣からここに集められたのだと思う。

蛭沼薬師堂 (5)
蛭沼薬師堂 (6)
蛭沼薬師堂 (7)
境内は地区公民館になっているが、その横に荒神神社が鎮座している。詳細不明。

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邑楽郡邑楽町中野の愛宕神社。

中野愛宕神社 (1)
中野愛宕神社の創建は不詳。

中野愛宕神社 (2)
中野愛宕神社 (3)
少し高い位置に質素な覆屋が建つ。古墳(塚)なのかもしれないが、まったく分からない。本殿の造営は江戸末くらいかな(勝手な見た目)。

中野愛宕神社 (4)
由緒か何かが書いてあるようだが、漢文なのでさっぱり読めない。ただ弘化4年(1848年)とあるのは確認できた。創建年なのか? ただ碑文の最後に書かれているので碑の建立年かも。

中野愛宕神社 (5)
石碑の後ろになにか石塔がある。小さい五輪塔に見えなくもないが、みんな違う石のようだ。何だろう?

年代不明だが、愛宕神社には獅子舞が奉納されていたようだ。ある年、日旱が続き雨が降らなかったが、愛宕神社の獅子頭に祈願したところ、たちどころに雨が降ったといわれる。一寸先も見えないほどの強雨で、人々が雨宿りをしている間に獅子頭は消えていた。「獅子が天に昇り雨を降らせてくれた」と人々は語り合ったという。

この話には後日談がある。数日後、川下の木戸村で獅子頭が拾い上げられたとの話を聞きつけ引き取りに行ったが、獅子頭に根が生えたとか言われ返してもらえなかった。これを機に、木戸村で獅子舞が始まったといわれる。

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邑楽郡邑楽町中野の長良神社。

中野長良神社 (1)
中野長良神社 (2)
中野長良神社は文禄2年(1594年)邑楽郡の総鎮守・瀬戸井長良神社(千代田町)の御幣を奉蔵し創建。中野村の鎮守とした。
(「邑楽郡長良神社の本宮 -瀬戸井長良神社-」参照)

中野長良神社 (3)
社殿は参道に対して、方向が少しずれている。多分、鳥居から参道が後に曲げられたんだと思う。道路整備か何かだろう。昭和55年(1980年)に境内整備が行われた旨の記念碑があった。

中野長良神社 (7)
狛犬は大正11年(1922年)の奉納。かなり台座が高い。見上げる感じの狛犬は、余り見たことがない。

中野長良神社 (4)
中野長良神社 (5)
中野長良神社 (6)
社殿の建立年などは分からないが、老朽化が進んでいるようだ。

中野長良神社 (8)
特に本殿覆屋側面は板が外れ、穴が空いている状態。銅板葺きの屋根も相当痛んでいる。

長良神社は館林・邑楽から隣接する栃木県・埼玉県まで60社近くあるとされる。藤原長良の遺徳の賜物かと思うが、そんな長良神社であっても地方の神社は改修もままならないようだ。まあ、どこも同じようなものだけど。

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邑楽郡邑楽町中野の谷中観音。

谷中観音 (1)
延元3年(1338年)越前・灯明寺畷にて新田義貞が討死。側近として従っていた中野藤内左衛門景春も後を追い自害。景春の自害を聞いた奥方は出家し、妙言法尼と号し景春の菩提を弔った。妙言法尼は興国2年(1341年)に「西の谷の沼尻の辺りに如意輪観音を祀るべし」との神夢により、押落(字名)に一庵を結び如意輪観音像を安置し景春の冥福を祈り続けた。

注)延元、興国は南朝の年号。北朝では延元3年は建武5年、興国2年は暦応4年

やがて荒廃したが、慶長3年(1598年)中野家家臣末裔の金井左五衛門、神藤外記が現在地にお堂を建立、如意輪観音像を移している。

現在のお堂は昭和53年(1978年)の建立。解体した旧堂からは明治元年(1868年)の棟札が発見されている。

谷中観音 (2)
お堂前の灯籠は平成10年(1998年)の奉納。彫刻は獅子かな。

谷中観音 (3)
本尊の如意輪観音像は秘仏で、午年(うまどし)の5月にご開帳される。ちなにみ、景春の兜の守り本尊が如意輪観音とされる。

谷中観音 (4)
境内の如意輪観音像。平成18年(2006年)の建立。本尊(秘仏)に対する「写し本尊」の位置づけのようだ。

谷中観音 (5)
谷中観音 (6)
谷中観音 (7)
観音堂の裏手に「馬多楽神」「神明宮」「聖天山」が祀られている。馬多楽神は分からない。

谷中観音 (8)
境内に遊具が設置されているが、なぜかすべて「使用禁止」になっている。

谷中観音には子宝と安産のご利益があるとされる。地元の皆さんの手により、現在も「お腰」が作られている。「お腰」とは腹巻きのことで、赤と白がある。赤いお腰を巻いて寝ると女の子、白いお腰を巻いて寝ると男の子が生まれるという言い伝えがある。

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