Tigerdream の上州まったり紀行

上毛かるたと群馬県内の神社仏閣、遺跡・史跡・古墳、資料館などの紹介。

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藤岡市上日野の小柏山養命寺。

養命寺 (1)
養命寺 (2)
養命寺は天正年間(1573~92年)小柏氏がその先祖と家臣の菩提寺として開基、宝積寺(甘楽町)10世・魯獄林誉禅師を招いて開山。小柏氏は江戸時代に上日野村の名主を務めた名家。

養命寺 (3)
養命寺 (4)
天和年間(1681~84年)に宝積寺21世・祥山寂瑞禅師が中興開山。

小柏氏は平清盛の嫡孫・維盛の末裔といわれる。維盛は源平の合戦の中で、平家が没落する原因となった富士川の合戦と倶利伽羅峠の合戦の総大将で、後に一ノ谷の合戦前後に逃亡。その後の消息には諸説あるが不明。平家物語では那智の沖で入水自殺したとされるが、相模国で病没説や、生き延びて子をなしたなど様々ある。

この維盛の子・維基が上日野村小柏に土着し小柏姓を名乗ったとされる。戦国時代には高政・定重父子が武田家家臣として武功をあげ、武田勝頼から甲冑・武具を添えて感状が贈られたという。

どういう経緯で小柏氏が維盛の子孫ということになったのかは不明だが、山深い(失礼!)日野地区に平家の落ち武者伝説っぽい伝承があるのは、何となく分かるような気もする。

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藤岡市上日野の大弘山千手院法輔寺。

千手院 (1)
千手院は永禄年間(1558年~70年)柴崎松之助の開基。松之助は下日野村名主・柴崎家の分家で、子もなく無常を感じて出家、居宅を寺としている。

千手院 (2)
千手院 (3)
千手院の本寺は藤岡市浄法寺の浄土院で、本寺にあった千手院を移し寺号を授かったといわれる。

ちなみに、浄土院は天文年間(1532~55年)に兵火にかかり焼失、北条氏に寺領を没収されたため、現在は明暦年間(1655~58年)開創の戒禅寺の境内となっている。

千手院 (4)
千手院 (5)
本堂は昭和17年(1942年)の焼失、昭和48年(1973年)に再建されている。けっこう長い期間仮本堂だったんだね。

千手院 (6)
境内の子育て地蔵。昭和63年(1988年)の建立。

千手院 (7)
千手院近くの道ばたに庚申塔・道祖神が集められていた。昭和63年(1988年)に整備されたらしい。

千手院 (8)
千手院のあるところは、上日野の尾根という地区。その名の通り、けっこう高い場所。山に囲まれ緑がきれいだ。

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上州まったり紀行の中から「お墓・供養塔」に関するものをリスト化したもの。一応、有名人・著名人、歴史的な人物(氏族)が対象。中には、「伝」・「?」も多いけどね(笑)。


前橋市(旧郡部を除く)

大室太郎の墓(観昌寺)
岩佐直治中佐の墓(松竹院)
前橋藩酒井家家老・高須隼人の墓(正幸寺)
平敦盛の供養塔(泉蔵寺)
石田玄圭の墓
静御前のお墓?
赤穂浪士・矢頭右衛門七の母の墓(大蓮寺)
新田義貞の首級を持ち帰った(?)「覚明」の墓(宝禅寺)
中臣羽鳥連の墓(釈迦尊寺)
名馬・磨墨の墓(祝昌寺)
酒井忠世家臣・本城氏の墓(長昌寺)
初代前橋市長・下村善太郎の墓(龍海院)
剣聖・上泉信綱の墓(西林寺)
石川氏の墓(最善寺)
常盤御前のお墓?(極楽寺)
静御前のお墓?(養行寺)
萩原朔太郎のお墓(政淳寺)
淀君のお墓?(元景寺)
秋元氏歴代の墓所
德川譜代・酒井家累代の墓(龍海院)


前橋市(旧大胡町、旧宮城村、旧粕川村、旧富士見村)

大前田英五郎の墓 その2
牧野家家老・山本帯刀の墓(長興寺)
伊勢崎藩主・稲垣長茂両親の墓(長興寺)
満蒙開拓移民の父・東宮鐡男陸軍大佐の墓(金剛寺)
北爪将監の供養塔(赤城寺)
梶原景時父子の墓?(珊瑚寺)
牧野家の菩提寺(養林寺)
大胡太郎(藤原重俊)の墓(長善寺)
大前田英五郎の墓
船津傳次平の墓


伊勢崎市、佐波郡(玉村町)

金井烏洲と一族の墓
国定忠治の墓 その2(善応寺)
俳人・栗庵似鳩の墓
板垣信方の墓(常清寺)
伊勢崎藩の藩校教授・浦野神村の墓
沼田景義のご子孫の墓(泉龍寺)
那波宗広の墓(泉龍寺)
大谷義継の孫・大谷隆昌の墓(龍昌院)
跡部氏累代の墓(紅厳寺跡)
弥勒寺音次郎・音八父子の墓
福島泰蔵大尉の墓(天人寺)
村上随憲の墓(長光寺)   
那波教元の墓?(富塚円福寺)
駒井政直・親直の墓(宝幢院)
駒井氏累代の墓(竹芳寺)
斎藤宜義の墓(宝蔵寺)
小畠武堯の墓(善応寺)
伊勢崎藩家老・関當義・重嶷父子の墓(同聚院)
那波小太郎・小次郎の墓(天増寺)
稲垣氏累代の墓(天増寺)
藤原秀郷(俵藤太)の供養塔(宝珠寺)
国定忠治の墓(養寿寺)


渋川市、北群馬郡(吉岡町、榛東村)

男性助産師・石田伍助の供養塔
白井長尾氏累代の墓(空恵寺)
角田無幻道人の遺髪塚
絵師・根本常南の墓
白井長尾氏家臣・飯塚大学の石堂
宮大工・岸豊後守積保の墓
堀口藍園の墓
高橋蘭斎の墓(遍照寺)
吉田芝渓の墓
伝・桃井直常の墓 その2(金剛寺跡)
伝・桃井直常の墓
新田一門・大島氏の墓
永岡形部左衛門の墓(興禅寺)
三原田城主・永井氏累代の墓(興禅寺)
山崎石燕の墓と鳥酔翁塚(雙林寺)
養蚕家・馬場重久の墓
里見義秀の供養塔?(金蔵寺)
本多廣孝の墓(源空寺)
木暮足翁の墓(真光寺)


高崎市(旧郡部を除く)

熊の墓(妙音寺)
高崎五万石騒動中総代・山田勝弥の墓
高崎五万石騒動大総代・小島文次郎の墓(大森院)
高崎五万石騒動大総代・佐藤三喜蔵の墓(普門寺)
高崎五万石騒動大総代・高井喜三郎の墓
七士殉職供養塔
小栗上野介忠順の養嗣子・又一忠道の墓
軍師・山本勘助の子孫の墓(大雲寺)
稲川政右衛門の墓(常安寺)
根津政直の墓(常安寺)
お染の墓(木部町安楽寺)
木部範虎の墓(心洞寺)
木部白満の墓(光台寺)
岩鼻代官・吉川栄左衛門の墓(岩鼻町観音寺)
内村鑑三家の墓(若松町光明寺)
飯盛り女の墓(九品寺)
江原源衛左門重久の墓(慈眼寺)
井上保三郎の墓(荘厳寺)
長野氏累代の墓 その2(来迎寺)
徳川忠長の墓(大信寺)
元ロシア人兵士の墓(龍廣寺)
村上鬼城の墓(龍廣寺)
倉賀野城主・金井秀景の墓(永泉寺)


高崎市(旧群馬町、旧箕郷町、旧榛名町、旧吉井町、旧新町、旧倉渕村)

義民・三木市右衛門の墓
竹本百合太夫の墓
竹本土佐太夫の墓
長野業盛夫人・藤鶴姫の墓
榛名山座主・快尊、忠尊、快承の墓
長野業正の長男・吉業の墓(善龍寺)
由良国繁の墓?(金龍寺)
木部姫の供養塔(御沼オカミ神社)
織田信長、細川興秋の供養塔(弥勒寺)
火打金鍛冶職人・中野孫三郎の墓
土師清大夫の墓(浄泉寺)
大和郡山藩柳沢家2代・柳沢信鴻の継室の墓(宝勝寺)
福田赳夫元首相の墓(徳昌寺)
小串氏の墓所(地勝寺)
吉井藩代官・橳島家3代の墓(法林寺)
菅沼定利の墓(玄太寺)
奥平貞訓の墓(仁叟寺)
井伊直政の継父・松下源太郎の墓(龍門寺)
内藤昌豊・昌月父子の墓(善龍寺)
伝・長野業盛の墓
長野業正の墓(長純寺)
長野氏累代の墓(長年寺)
小栗上野介の墓(東善寺)


安中市

中山道坂本宿 下の本陣・金井家の墓(青松寺)
金井忠兵衛の墓
安中忠政の墓(全性寺)
医学者・荒木寅三郎の墓
山田三川の墓(龍昌寺)
新島襄の祖父と弟の墓(妙光院)
安中草三郎の妻・歌の墓?(東光院)
安中忠親の墓(桂昌寺)
安中忠清の墓(久昌寺)
下曽根氏累代の墓(信照寺)
詩人・大手拓次の墓
伊勢義盛の墓?(常楽寺)
碓氷定光の供養塔(金剛寺)
依田政知と後閑信純の墓(長源寺)
磯貝雲峰の墓(自性寺)
高崎藩主松平康長の娘・露姫の墓(実相寺)
大道寺政繁の墓(補陀寺)
簗瀬八幡平の首塚
太山融斉と柏木義圓の墓(西廣寺)
妖怪・チャンコロリンの墓(大泉寺)
小野栄重の墓(南窓寺)
井伊直政正室・唐梅院の墓(大泉寺)
伝佐々木盛綱夫妻の墓(松岸寺)
伝赤穂藩士・大野九郎兵衛の墓(松岸寺)


富岡市、甘楽郡(甘楽町、下仁田町、南牧村)

下仁田戦争・水戸天狗党戦死者の墓
小幡氏歴代の墓(興巌寺)
小幡藩織田家家老・吉田玄番家累代の墓(宝勝寺)
横尾丹波守吉泉の墓
稲部市五郎種昌の墓(金剛院)
橋本暮村の墓(伝宗寺)
高田大和守憲頼の墓(陽雲寺)
伝・庭屋氏累代の墓
七日市藩主・前田家御宝塔
富岡製紙工女の墓 その2(海源寺)
高橋道斎の墓(常住寺)
お菊の墓 その2
前田利家側室・明運尼の墓(永心寺)
長岡家歴代党首のの墓
お菊の墓(宝積寺)
小幡氏歴代の墓(宝積寺)
七日市藩歴代藩主の墓(長学寺)
富岡製紙工女の墓(龍光寺)
織田信雄の墓


藤岡市、多野郡(神流町、上野村)

義民・馬之助の墓(興春寺)
僧・実相の墓(光源院)
伝足利義輝の孫・木喰覚海上人の墓(光源院)
高山社2代目社長・町田菊次郎の墓(龍田寺)
芦田康勝の室・了源院の墓(天龍寺)
長谷川長源夫妻の墓(祖師堂)
道忠禅師の供養塔(浄法寺)
木地師の墓 その2(泉龍寺)
木地師の墓(宝蔵寺)
土屋山城守高久の墓
松井宗直の墓 その2(光徳寺)
松井宗直の墓(源性寺)
高山遠江守重栄の墓(興禅院)
高山長五郎の墓(興禅院)
山内上杉氏累代の墓(円満寺)
菊川英山の墓(成道寺)
算聖・関孝和の墓(光徳寺)
芦田氏累代の墓(光徳寺)
長井正實の墓、依田信守・信政の墓(天陽寺)
義民 堀越三右衛門の墓


太田市(旧郡部を除く)

勾当内侍の墓(太田市・大圓寺)
新田義興の供養塔(太田・東光寺)
矢場氏累代の墓(恵林寺)
新田義忠の墓?(浄光寺)
新田義興の墓?(威光寺)
新田氏累代の墓(円福寺)
新田義貞の供養塔(金龍寺)
呑龍上人の墓・新田義重の墓(大光院)


太田市(旧新田町、旧尾島町、旧藪塚本町)

石田三成の娘・辰姫の墓(東楊寺)
初代古河公方・足利成氏の墓(東雲寺)
岩松守純・豊純父子の供養塔(長楽寺)
栄朝禅師の無縫塔(長楽寺)
世良田義季の墓?(長楽寺)
長楽寺5世・月船琛海の墓所(普光庵跡)
「日本の飛行機王」中島知久平の墓(徳性寺)
横瀬泰繁の墓?(龍得寺)
茂呂権蔵の墓(太田・普門寺)
長慶天皇の陵墓?(長慶寺)
伝・藪塚氏の墓
津軽藩代官・足立氏の墓(東楊寺)
勾当内侍の墓と新田義貞の首塚(花見塚公園)
悪源太義平の墓?(清泉寺)
岩松尚純夫妻の墓(尚純萩公園)
源義国の墓所?(義国神社)
伝・新田義重夫妻の墓
世良田義季累代の墓(長楽寺)


桐生市

大関・秀ノ山(9代横綱)の墓(定善寺)
高山彦九郎の長男・儀助の墓(定善寺)
楳本法神の墓(桐生市黒保根町・医光寺)
小田原の機利者・山上郷右衛門の供養塔(常廣寺)
桐生市名誉市民・森喜作氏の墓(大蔵院)
由良氏四天王・高橋英元の墓(祥雲寺)
下村昌伯の墓(龍泉院)
細川内膳の墓(文昌寺)
桐生氏累代の墓(西方寺)
由良成繁の墓(鳳仙寺)
彦部家の墓所(福厳寺)
伝・新田義貞の首塚(善昌寺)


みどり市

名誉県民・長谷川四郎元衆議院の墓(世音寺)
岡登景能の墓(国瑞寺)
山田氏および里見兄弟の墓


館林市、邑楽郡(大泉町、板倉町、邑楽町、千代田町、明和町)

初代・紫峰庵夫雪の墓(授楽寺)
大谷休泊の墓
原田種政の墓?(龍興寺)
館林騒動・三義人の供養碑(教学院)
浮世絵師・北尾重光の墓(覚応寺)
徳川四天王・榊原康政の墓(善導寺)
榊原康政の孫・松平忠次の生母の墓(善長寺)
戸泉鋼作の墓(大道寺)
生田萬父祖の墓(大道寺)
田山花袋の姉の墓(常光寺)
新田義貞四天王・篠塚伊賀守重廣の墓(大信寺)
千代田町長・大谷典三氏の墓(舞木円福寺)
赤井照光の墓(光恩寺)
伝・児島高徳の墓(高徳寺)
富岡秀信の供養塔(龍泉院)
田中正造の墓(雲龍寺)
楠木正成の首塚?(楠木神社)
徳川四天王・榊原康政の墓(善導寺)
「お辻」の供養塔(善長寺)


沼田市、利根郡(みなかみ町、片品村、川場村、昭和村)

加沢平次左衛門の墓
海野輝幸と嫡男・幸貞の墓(海野塚)
会津藩白虎隊・町野久吉の墓
伝・真田熊之助の墓 その2(天桂寺)
伝・真田熊之助の墓
上杉謙信の供養塔(如意寺)
土岐家旧藩主の墓石(東禅寺)
発智為時の墓(東光禅寺)
薄幸の女流歌人・江口きちの墓(桂昌寺)
伝・真田信利の墓(弥勒寺)
名胡桃城代・鈴木重則の墓?(正覚寺)
真田信政三男・信武の墓(成孝院)
真田信政二男・信守の墓(舒林寺)
沼田平八郎景義の墓(沼田大明神)
真田信政側室・浜松の局の墓(東源寺)
加藤清正の孫・藤枝正良の墓(妙光寺)
真田信吉側室・慶寿院の墓(妙光寺)
真田信吉の墓(天桂寺)
真田信之正室・小松姫の墓(正覚寺)
新田義宗の墓?(雲谷寺)


吾妻郡(中之条町、長野原町、草津町、嬬恋村、東吾妻町、高山村)

僧・空閑の墓
富豪・加部家の墓(大運寺)
吾妻太郎行盛の墓(長福寺)
小渕恵三元首相の墓(林昌寺)
平九の墓(皇大神宮)

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藤岡市下日野の猪田山興春寺。

興春寺 (1)
興春寺 (2)
興春寺は興禅院2世・雪山東天和尚の開山。創建年は定かではないが、雪山東天の没年が寛永18年(1641年)なので、江戸初期の創建と考えられる。興春寺はちょっと山中にあり、山門もなくお寺らしくない佇まい。本堂は比較的新しく、近年の建立と思われる。

興春寺 (3)
興春寺 (4)
お寺らしいものはと言うと、石仏が数基見られるくらい。

興春寺 (5)
本堂脇から山道を登ると狭い墓地がある。そこにある義民・馬之助の墓。

馬之助は下日野村の農民で「御荷鉾山一件」の農民総代。訴願により目的を達したが、所払い(追放)となった。後に赦免されたが帰村せず、嘉永2年(1849年)奥州白河で没している。

「御荷鉾山一件」とは、文政・天保年間(1818~45年)に上日野・下日野・金井3村の農民による哀訴事件。3村の役人と吉井藩役人が共謀し、吉井宿商人に御荷鉾山(土地)を売却、入会権を守るため3村農民が幕府に強訴したもの。

総代4名(上日野村・常吉、下日野村・馬之助、金井村・作右衛門と繁右衛門)と、金井村の幸右衛門(繁右衛門の子)、寅五郎の6名が捕縛・入牢。幸右衛門と寅五郎は獄死。繁右衛門は宿預け後に病死。常吉、馬之助、作右衛門は所払いとなった(後に赦免)。

一般にはまったく知られてない農民の強訴事件。群馬県では茂左衛門が有名だけど、他にも数多くの義民が命がけで強訴している。

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藤岡市緑埜の厳上山大聖峯寺。

大聖峯寺 (1)
大聖峯寺 (2)
大聖峯寺の創建は不詳。大正3年(1914年)に正福寺、西福寺、板倉不動尊を合併している。

大聖峯寺 (3)
大聖峯寺 (4)
石段脇の大ケヤキ。樹高18m、幹周り8m、推定樹齢500年(平成2年:1990年データ)。落雷により樹心部が空洞となっているが、石段が波打つほど根がはっており樹勢は良い。

大聖峯寺 (5)
大聖峯寺 (6)
境内の六地蔵と慈母観音。

大聖峯寺 (7)
大聖峯寺 (8)
大聖峯寺の寺域手前に鳥居がある。扁額は「板倉不動尊」。鳥居は平成27年(2015年)の建立。大正3年に合併された板倉不動尊の鳥居である。

大聖峯寺 (9)
大聖峯寺の境内にある板倉不動尊。由緒は不明だが、奥州ヘ安倍氏討伐に向かう源義家が戦勝祈願を行い、勝利後の康平5年(1062年)に7堂伽藍を造営したといわれる。その後、建久8年(1197年)には源頼朝が伽藍を修理、応永4年(1397年)に関東管領・上杉憲実が鳥居7基を奉納している。

上記の逸話は多野藤岡地方誌(昭和51年:1976年刊行)によるが、いくつが誤りがある。康平5年だと前九年の役になり源義家ではなく父の頼義になる。義家ならば後三年の役で寛治元年(1087年)。

また、上杉憲実が出てくるが、憲実の生年は応永17年(1410年)とされており、応永4年ではまだ生まれていない。応永4年時の関東管領は上杉朝宗で、まだ在鎌倉。憲実が関東管領になり、平井城へ下ったのは永享10年(1438年)のこと。

まっ、細かいことはいいか。

大聖峯寺 (10)
大聖峯寺 (11)
大聖峯寺 (12)
不動堂は元禄13年(1700年)僧・祐意が建立したとされる。扁額は中央に「大聖堂」、脇に「不動堂」。

大聖峯寺 (13)
ご本尊の不動明王像は厨子の中のようだ。この不動明王像は行基の作とされ、行基がノミ1本で彫刻したといわれる。

板倉不動尊が中心となり寺院が形成され、その中のひとつが大聖峯寺に発展したということかな。

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藤岡市下日野の弘法井戸。

弘法の井戸 (3)
弘法の井戸 (4)
弘法井戸は弘法大師(空海)が山越えをしようとしたが、喉が渇いて進めなくなった。そこで、ある家に行き水を所望したところ、出てきた女性は「しばらくお待ちください」と言って水を汲みに行った。ところがなかなか戻ってこない。やっと戻ってきたので、大師が「どこまで汲みに行っていたのか」と尋ねると、「半里ほど離れた下方の川から汲んできました」。

気の毒に思った大師は、持っていた錫杖で岩の間を突くと、きれいな水がこんこんと湧き出したという。

弘法の井戸 (5)
何の写真だか分からないと思うが、井戸(覆屋の中)の写真。写真下部は澄んだ水がなみなみとしている。

弘法の井戸 (6)
弘法の井戸 (7)
井戸の手前には石塔・石仏が並んでいる。

弘法の井戸 (8)
これは弘法大師像かな。

弘法の井戸 (1)
弘法の井戸 (2)
県道175号線に入口の案内板が立っている。どころが、そこから登っていく道はナビに表示されない(ナビデータが古いわけではない)。ナビ上では右から入る道は表示されるのだが、この道も相当狭く心配になって、いったん県道に戻って案内板の入口から入った。結果的には、どっちもどっちだった・・・。

山間部などで水の便が悪い地域では、この手の伝説が残っている。弘法大師以外にも、伝教大師(最澄)や行基にもあるね。

関連
 「富岡市妙義町・弘法の井戸

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藤岡市金井の稲荷神社。

金井稲荷神社 (1)
金井稲荷神社 (2)
金井稲荷神社は享禄年間(1528~38年)に関東管領・山内上杉氏の平井城笹曲輪の守護神として創建された。笹曲輪は平井城二の丸南に永享10年(1438年)に築かれたとされる。

平井城在城最後の関東管領・憲政が北条氏の追われ越後・長尾景虎(上杉謙信)の元へ逃れた後は荒廃したが、江戸時代に入ると高山氏が再興している。

金井稲荷神社 (3)
金井稲荷神社 (4)
一の鳥居、二の鳥居とも扁額は「正一位 稲荷大明神」。どちらも平成4年(1992年)の建立。

金井稲荷神社 (5)
石段下の灯籠は平成9年(1997年)の奉納。石段上部脇には古い灯籠も残っているが、紀年銘は読み取れなかった(元年しか読めなかった)。

金井稲荷神社 (6)
金井稲荷神社 (7)
金井稲荷神社 (8)
幣殿、本殿は白壁に囲まれている。余り見ない構造だ。

金井稲荷神社 (9)
金井稲荷神社 (10)
金井稲荷神社 (11)
境内社の宗像神社。県内ではあまり見たことがない(同じ市杵嶋姫命をご祭神とする厳島神社はあるけど)。

宗像神社の総本山である宗像大社は、「宗像・沖ノ島と関連遺産群」として平成29年(2017年)に世界遺産に登録されたことは記憶に新しい。特に宗像大社・沖津宮の沖ノ島が、島全体がご神体で神の島だと話題になった。

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藤岡市藤岡の神明宮。旧町名は芦田町。

芦田町神明宮 (1)
藤岡(芦田町)神明宮は、天正18年(1590年)に藤岡に移封された芦田康勝が、その祖・芦田光玄の霊を祀った信州芦田・神明神宮を遷し、芦田大明神と称したのが始まり。神明宮になったのは明治時代。

芦田町神明宮 (2)
芦田大神宮ともいわれていたようで、社殿がある山を「大神宮山」と言う。

芦田町神明宮 (3)
芦田町神明宮 (4)
芦田町神明宮 (5)
領主の祖先を祀った神社なので、創建当初は荘厳な社殿だったと考えられるが、現在は屋根の修理もままならい地域の神社になっている。

芦田氏が藤岡領主だったのは慶長5年(1600年)までのたった10年。康勝が不始末を犯し改易され後は、幕末まで諸小領に細分統治された(主に旗本領)。忠臣蔵の悪役で有名な吉良義央も藤岡(白石)に領地を持っていた。

芦田町神明宮 (6)
立派な境内社。社名は不明。

芦田町神明宮 (8)
境内の「神明宮昇格之碑」。裏側には説明ではなく寄付者名が記されているだけなので詳細不明。当初は芦田光徳を祀っていたのだろうが、後にご祭神を天照大神に変更し、神明宮として認可された記念なのかな。

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多野郡上野村新羽の乃久里神社。

乃久里神社 (1)
乃久里神社の創建は不詳だが、日本武尊の妃・弟橘媛の髪の毛を祀っている。

当地で日本武尊は今ままで身につけていた弟橘姫の遺髪を祀り、重臣を残してこれを護らせた。当地に留まった重臣は「残りの臣」と称したが、後に「のこり」が「のぐり」と変じ、「野栗郷」と呼ばれるようになったといわれる。当社も野栗神社と呼ばれるようになったが、現在は乃久里と表記している。この理由は分からない。

乃久里神社 (2)
鬱蒼とした森の中に鎮座しており、いかにも鎮守の森といった雰囲気。

乃久里神社 (3)
乃久里神社 (4)
社殿前の灯籠には寛政(1789~1801年)の元号が見て取れた。社殿も寛政の頃の建立かも。

乃久里神社 (5)
神楽殿。乃久里神社の神楽は、旧中里村(現神流町)の産泰神社から伝わった説と、同じく旧中里村の中山神社から伝わった説の2説ある。面や衣装は中山神社の神楽と共通している。

乃久里神社 (6)
乃久里神社 (7)
境内社の根之権現とえびす(と思われる)像が置かれている社。山間部なので足腰の神(子の権現)が祀られている? また、えびすさんは漁業の神でもあり上野村とは不釣り合いのように思えるが、実は神流川での漁が盛んだった。

乃久里神社 (8)
山々に囲まれたのどかないい場所だ。

乃久里神社には「お川瀬下げ」の神事が伝わっており、毎年8月に行われる。神事で神流川に小麦団子を流すが、弟橘媛には77人の子どもが有り(伝説)、それを祀っている各社に捧げるためという。

ちなみに神流川の名前の由来は、野栗郷で疫病が流行った際に野栗の神の怒りと感じた住民たちが、ご神体(遺髪)の穢れを浄めるために川に流したことから髪流川、神流川となったといわれる(諸説あり)。

かなり川下だが、藤岡市浄法寺の野栗神社にも似たような伝説が残っている。
(「日本武尊伝説 -野栗神社-」参照)

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多野郡上野村新羽の龍神の滝。

龍神の滝
龍神の滝は野栗沢川にある落差約20m(上段15m・下段5m)の2段の滝。大蛇が棲むとの伝説のあり、大蛇が龍となって昇天する姿に見えることからその名がついている。

上野村には大小多くの滝があるが、一番お気楽に行けるところだと思う。すぐ手前の野栗キャンプ場までクルマで行けて、しかもそこから徒歩1分! しかも滝壺脇まで降りられ、中間の崖にも上がれる。でも、やっぱり危険もあるので、写真くらいのところからのんびり眺めるのがいいね。

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多野郡上野村新羽の新羽神社。

新羽神社 (1)
新羽神社 (2)
新羽神社は元八幡神社で、その創建は不詳。明治42年(1909年)に地区内他社を合祀し新羽神社となっている。

新羽神社 (3)
岩をくり抜いた手水鉢。

新羽神社 (4)
新羽神社 (5)
新羽神社 (6)
春日造りの拝殿など、社殿の建立年は不明。

新羽神社 (7)
灯籠の建っている場所が、鳥居からの参道とずれている。鳥居を新しく建立する際に位置をずらしたみたいだ。それとも灯籠の方をずらしたのか。

新羽神社 (8)
鳥居横に文字の刻まれた岩があったが、読めなかったので何か分からない。

新羽神社には「お川瀬下り」の神事が伝わっている。これは日本武尊妃・弟橘媛が入水された様子を遺すものとの説もある。

神流町(旧中里村地域)から上野村にかけては、いくつかの神社に「お川瀬下げ」の神事が伝わっている。旧中里村の中山神社、上野村の乃久里神社、乙父(おっぷ)神社の3件は、群馬県の無形重文に指定されている。

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高崎市(旧郡部を除く)

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上野三碑 -金井沢碑-
社有地なので入れない? -岩鼻陣屋跡-
高崎市・観音山古墳

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高崎市井野町の井野神社。

井野神社 (1)
井野神社 (2)
井野神社は元亀2年(1571年)に熊野神社として創建。明治40年(1907年)に諏訪神社、石上神社を合祀し井野神社と改称している。

現在の鳥居は平成16年(2004年)の建立。

井野神社 (3)
井野神社 (4)
井野神社 (5)
社殿は諏訪神社などを合祀した際に改築されたが(明治40年)、昭和34年(1959年)に倒木により倒壊。昭和42年(1967年)に再建されている。

井野神社 (6)
境内の大銀杏。高さ20m、目通り9mで、樹齢350年と推定される。

根元よりホラ貝とされる貝類が出て、参拝者はこれを魔除けのお守りとして持ち帰ったという。太古、この辺りは貝塚だったのかなぁ。

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高崎市日高町の富士神社。

富士神社 (1)
富士神社は永禄2年(1559年)の創建と伝わる。

富士神社 (2)
灯籠は平成14年(2002年)の奉納。

富士神社 (3)
富士神社 (4)
社殿前の狛犬は昭和59年(1984年)の奉納。社殿の建立年などは分からない。

富士神社 (5)
境内の片隅にあまり見かけない像容の石仏があった。自信はなののだが、似た石仏を渋川市北橘町分郷八崎の東円山観音堂で見かけたのを思い出した。東円山観音堂の石仏は地蔵菩薩像だったので、これも地蔵菩薩かな。(「渋川市北橘町・東円山観音堂」参照)

富士神社 (6)
富士神社 (7)
余り広くない境内だが、子ども達のための遊具(ブランコ・鉄棒・滑り台)が設置されている。

富士神社のご祭神は木之花咲久夜毘嬪命(木花咲耶姫)なので、富士浅間神社の富士だけが残ったのだと思う。群馬県内では富士浅間神社・浅間神社は多いが、富士神社の名称は少ない。昔は富士塚もあったのかな。

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高崎市新保田中町の八幡神社。

新保田中八幡神社 (1)
新保田中八幡神社は、天正18年(1590年)八幡八幡宮より分霊を勧請。

新保田中八幡神社 (2)
新保田中八幡神社 (3)
社殿の建立年などは不明だが、明治期かな。

新保田中八幡神社 (4)
新保田中八幡神社 (5)
明治41年(1908年)に近隣の稲荷神社、諏訪神社を合祀している。

新保田中八幡神社 (6)
八幡神社の傍らには井野川(?)が流れており、趣のある橋も架かっている。川にはちょっとした堰があるが、ペットボトルなどのゴミが大量に引っかかっている。川にゴミを捨てるのはやめよう!

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