Tigerdream の上州まったり紀行

上毛かるたと群馬県内の神社仏閣、遺跡・史跡・古墳、資料館などの紹介。

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上毛かるた紀行、第16弾!

さ
(さ) 三波石と共に 名高い冬桜

桜山公園
桜山公園 (3)
藤岡市鬼石町にある桜山公園。冬桜とはその名の通り、冬に咲くので冬桜。冬桜は木の下の方の枝から咲いていき、上の枝が咲くまでには1箇月くらいかかる。上が咲くころには、下の方は散っているので、よく2度咲くと言われる。11月中旬から12月初旬が見ごろ。ちなみに、寒桜とは別物。

季節的に、桜と紅葉が同時に楽しめるという、2度おいしい状態。

桜山公園 (8)
公園内には三波石を使った日本庭園がある。三波石とは、群馬県と埼玉県の県境を流れる神流川の支流である三波川流域で取れる変成岩。庭石としてよく使われている。

桜山公園 (9)
桜山公園 (10)
展望台へは、日本庭園のわきから階段を登って行く。これが結構つらい。

桜山公園 (5)
桜山公園 (7)
10月上旬という、こんな季節外れに行ったにもかかわらず、1輪の桜がお出迎えしてくれた。とは言え、当然あとは何にも咲いてない。上の写真も12月には満開になってるんだろうなぁ~。

じゃあ、12月の咲いてる頃に行けばいいのに? ごもっともです。でも、オレは暑いのも嫌いだけど、寒いのも嫌いなの。さらに、田舎もんなので、人混みはもっと嫌いときている。だから、こんな季節外れの誰もいない時に行ったのさ。(本当に誰もいなかった・・・。)

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高崎市榛名山町の榛名神社。
榛名湖から高崎市側へ下って行くと10分くらい。

榛名神社
榛名神社 (5)
榛名神社 (6)
榛名神社は上野国六宮で、約700mの参道は大杉と巨岩・奇岩に囲まれている。ただ、この700mが結構足にくる。基本的に上りで、石段も多い。

榛名神社 (8)
双竜門(上の写真)をくぐる頃には歩くことに必死で、その後ろにそびえる鉾岩(別名ろうそく岩)をゆっくり眺める余裕もなし。

榛名神社 (10)
榛名神社 (9)
社殿に着くと、その奥(後ろ)にある巨岩に目が行く。これは御姿岩と言って上の方に洞窟があり、実はそこに御祭神が祀られている。

ところで、榛名神社には何回か行ってるが、今回あまりの混雑にビックリ。若い人が多かったのにも驚いた。最近のパワースポットばやりの影響??

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上毛かるた紀行、第15弾!

へ
(へ) 平和の使徒(つかい) 新島襄

新島襄旧宅 (2)
新島襄旧宅 (7)
新島襄旧宅
安中市にある新島襄の旧宅。新島襄自身は安中藩の江戸屋敷で生まれており、ここに居住していたのは、後に3週間という。居住というよりは滞在。

もともとは50m離れた場所にあったものを、地域の方々の保存運動により、市が買い上げ移築したとのこと。部屋は7畳半の2間。昔の長屋はこんなもんなのかな。

新島襄旧宅 (3)
新島襄旧宅 (4)
移築した時、西側半分が記念館になった。遺品や関係書類、写真が多数展示されている。

これ、ただ見ただけでは多分何にも分かんない。外国の方の写真もあるのだが、新島襄との関係とか説明文がないので。

オレが行った時は管理人さんが細かく説明してくれたので(オレしかいなかった)、非常によく理解できた。生まれから、国外脱出、帰国、布教活動、同志社創立等。管理人さん、すごくいい人。

でもここ行きずらい。旧国道18号から、すごく細い路地を行かないといけないので。

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上毛かるた紀行、第14弾!

つ
(つ) つる舞う形の 群馬県

巡れない上毛かるたにノミネートしたけど、良い方法を思いついた。

歴史博物館
群馬の森
ここは高崎市綿貫町にある群馬の森。市民の憩いの広場(公園)になっており、その敷地内には県立歴史博物館と県立近代美術館がある。

歴史博物館 (6)
この県立歴史博物館は群馬県の歴史が縄文時代から近世まで、各種の展示物で綴られている。県内の古墳から出土した貴重な刀剣や埴輪等も。まあ、本当に重要なものは東京の国立歴史博物館に貯蔵されているので、レプリカが多いが・・・。

歴史博物館 (7)
そんな中、明治初期の群馬県の変遷が図示されている。これこそが「つる舞う形の群馬県」の誕生である。明治維新後の廃藩置県、合併・消滅等を経て、1876年(明治9年)だいたい現在の形になった。

まあ、こんなもんでご勘弁を!

最後にボツネタを。

さちの池
これは、前橋公園内にある「さちの池」。群馬県の形をしている。県庁の展望ホールから良く見える。これでは、あんまり面白くないので、ボツ!!

ついでに、県庁内に群馬県の形をした、小さい噴水(?)がある。これも同様の理由で。ボツ!!

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高崎市岩鼻町の岩鼻陣屋跡。
岩鼻陣屋は江戸幕府の関東直轄地を管理する代官所が置かれていたところ。代官所の設置は寛政5年(1793年)。

岩鼻陣屋址 (2)
その後、慶応4年(1868年)に岩鼻県が設置され、その県庁となった。岩鼻県は廃藩置県以前に設置されたが、その後の合併・分割等を経て明治4年(1871年)に消滅。わずか3年の歴史であった。

岩鼻陣屋址 (3)
岩鼻陣屋址
いまは、その一角に天神山を残すのみ。山上には天満宮の社がある。

岩鼻陣屋址 (4)
天満宮の臥牛も。牛は天満宮において、神使とされていることはご存知の通り。

石垣の一部もあったけど、当時のものとは思わなかったので、写真撮ってこなかった(残念!)。当時の建物等は一切ないが、芝が植えられ広場となっている。

ところが、現在ここはある会社の社有地になっていて、部外者お断りになってる。なんで写真があるかというと、勝手に入ったからなんだけど・・・。(ゴメンなさい。)

ちなみに、新国劇の「赤城の山も今宵限り・・・」のセリフで有名な国定忠治が殴り込んだ代官所は、ここである。(殴り込み自体は、作り話らしいけど。)

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藤岡市白石の稲荷山古墳。

先に紹介した七輿山古墳からほど近い場所にある。
ここも藤岡市が整備している、毛国白石丘陵公園の一部である。
但し、まだ七輿山古墳周りほど整備が進んでいない。

藤岡 稲荷山古墳 (3)
藤岡 稲荷山古墳 (2)
藤岡 稲荷山古墳
白石稲荷山古墳は、全長175mで七輿山古墳をしのぐ大きさである。
推定造営は5世紀前半で、七輿山古墳より約1世紀古い古墳である。

古墳写真は、前方部から後円部を撮ったものだが、円墳にしか見えない。
なんで、こんなアングルになってるかと言うと、写真の右側にネットが
写ってるが、真ん前にゴルフ練習場(打ちっぱなし)があるから。
国指定の史跡の真ん前に・・・。まあ、公有地じゃないからしょーがないが。

藤岡歴史館
藤岡歴史館 (3)
藤岡歴史館 (4)
近くには、藤岡歴史館がある。七輿山古墳や白石稲荷山古墳等、白石古墳群
からの出土品が保存・展示されている。
あんまり広くないけど、タダってところがいい。

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藤岡市白石の稲荷山古墳。

先に紹介した七輿山古墳からほど近い場所にある。ここも藤岡市が整備している毛国白石丘陵公園の一部である。但し、まだ七輿山古墳周りほど整備が進んでいない。

藤岡 稲荷山古墳 (3)
藤岡 稲荷山古墳 (2)
藤岡 稲荷山古墳
白石稲荷山古墳は全長175mで七輿山古墳をしのぐ大きさである。推定造営は5世紀前半で、七輿山古墳より約1世紀古い古墳である。

古墳写真は前方部から後円部を撮ったものだが、円墳にしか見えない。なんでこんなアングルになってるかと言うと、写真の右側にネットが写ってるが、真ん前にゴルフ練習場(打ちっぱなし)があるから。国指定の史跡の真ん前に・・・。まあ、公有地じゃないからしょーがないが。

藤岡歴史館
藤岡歴史館 (3)
藤岡歴史館 (4)
近くには藤岡歴史館がある。七輿山古墳や白石稲荷山古墳等、白石古墳群からの出土品が保存・展示されている。あんまり広くないけど、タダってところがいい。

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藤岡市上落合の七輿山古墳。
現在、藤岡市により毛国白石丘陵公園として整備中。

藤岡 七輿山古墳 (9)
「史跡 七輿山古墳」の表示は、錆と落書きでほとんど読めない。

藤岡 七輿山古墳 (7)
藤岡 七輿山古墳 (3)
藤岡 七輿山古墳 (6)
七輿山古墳は、6世紀の古墳としては東日本最大級の全長145mを誇る。

藤岡 七輿山古墳 (8)
後円部には五百羅漢像があるが、みな首を取られている。これは明治時代の廃仏毀釈の爪痕である。首は古墳の堀に捨てられたと言う。

七輿山の由来は、多胡郡郡吏・羊太夫が謀反の疑いで朝廷から討伐をかけられた際、その7人の姫(他説では女房)を金の輿に乗せて逃がした。しかし逃げ切れずこの地で自害。ここに輿とともに厚く葬ったからと言われている。
(羊太夫は、上毛かるた紀行「昔を語る 多胡の古碑」参照。)

でも、多胡郡が設置され羊太夫が郡吏に任命されたと言われているのは和銅4年(711年)に対し、七輿山古墳は6世紀の前半の造営と推定され、年代が全く合わない。

まあ、伝説ってことかな。

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上毛かるた紀行の「しのぶ毛の国二子塚」では、前橋市総社町と高崎市井出町の二子山古墳を紹介したが、実はもういくつかの前方後円墳巡りをしていた。せっかくなので、上州まったり紀行のこちらで紹介しておく。ネタ的にも、もったいないので。

高崎市綿貫町にある観音山古墳。全長97m。

観音山古墳 (9)
観音山古墳 (4)
観音山古墳
石室からは、人骨の一部の他、太刀、鏡、金銅製大帯、銀製水瓶、馬具等貴重な副葬品が多数出土している。これは奇跡的に、盗掘を免れていたためらしい。

すぐ近所にある、群馬の森・県立歴史博物館には、観音山古墳出土品が多数展示されている。専用コーナーあり。

観音山古墳 (2)
観音山古墳 (3)
1個の台上に3人の童女が並んでいる埴輪や、貴婦人が正座する埴輪は、日本の多くの人物埴輪の中でも、きわめて稀なものみたい。

観音山古墳 (10)
このように日本でも有数の古墳であるが、一般の人の認知度は余り高くない。ある学者さんが、高崎駅からタクシーに乗って、「観音山古墳まで」と言ったら、観音山に連れて行かれた、という笑い話がある。

ちなみに観音山とは、上毛かるた紀行で紹介した、白衣観音がある山。観音山古墳とは、まるっきり反対方向。

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高崎市保渡田町の土屋文明記念文学館。

土屋文明
県立土屋文明記念文学館HPより

土屋文明記念館 (3)
土屋文明記念館 (4)
アララギは、日本を代表する短歌結社誌。土屋文明は昭和5年(1930年)斎藤茂吉からアララギの編集発行人を引き継ぎ、アララギ派の指導的存在となる。平成2年(1990年)100歳でなくなるまで、文化功労者、文化勲章等、受章している。

記念館の中には書斎が復元されていたり、万葉集とかいろんな歌集が展示されていて、趣は非常にあるのだが、いかんせんこちらの知識不足・興味不足から重苦しく感じてしまった。

土屋文明記念館
土屋文明記念館 (5)
記念館の庭(?)はちょっと憩いの場っぽくなっていて、その中に文明の歌碑が建っている。

申し訳ないけど、あんまり歌とか文学には興味がなく、良く分かんなかった、と言うのが本音。

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上毛かるた紀行、第13弾!

け
(け) 県都前橋 生糸の市(いとのまち)

県庁 (5)
県庁 (2)
まあ、県都というくらいだから、県庁に行って来れば充分。永いこと群馬に住んでるけど、初めて県庁に行った。あまりに立派すぎて・・・。これなら、もう少し県民税安くできるんじゃないの?(話しがズレた。)

県庁 (4)
32階の展望ホールからは、東西南北が眺望でき、良い眺めだった。初めて来た記念に、スタンプも押して。

ところで、県庁は高さ153.8mで群馬県で1番高い。2番目は高崎市役所。県内の1位2位がお役所って、ちょっと引っかかるのはオレだけ?

さっ、帰えろっと思ったのだが、生糸の市の方も巡らないとかな。ということで、次に行ったのが、前橋蚕糸記念館。敷島公園のばら園内にある。1番奥の隅っこだけど。

前橋蚕糸記念館 (3)
前橋蚕糸記念館 (4)
前橋蚕糸記念館 (7)
前橋蚕糸記念館 (2)
まあ、前橋の養蚕の歴史や、古い書物や機械等。前回の日本絹の里と展示の趣旨は近い。
(日本絹の里は、「繭と生糸は 日本一」参照。)

ただ、この建物は歴史があって、元々は国立原蚕種製造所前橋支所で、明治44年(1911年)のもの。全国に6箇所造られたが、現存するのはここだけ。

歩くたびに床がミシミシ・ギシギシいって、踏み抜いちゃうんじゃないかとヒヤヒヤ。

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上毛かるた紀行、第13弾!

け
(け) 県都前橋 生糸の市(いとのまち)

県庁 (5)
県庁 (2)
まあ、県都というくらいだから、県庁に行って来れば充分。永いこと群馬に住んでるけど、初めて県庁に行った。あまりに立派すぎて・・・。これなら、もう少し県民税安くできるんじゃないの?(話しがズレた。)

県庁 (4)
32階の展望ホールからは、東西南北が眺望でき、良い眺めだった。初めて来た記念に、スタンプも押して。

ところで、県庁は高さ153.8mで群馬県で1番高い。2番目は高崎市役所。県内の1位2位がお役所って、ちょっと引っかかるのはオレだけ?

さっ、帰えろっと思ったのだが、生糸の市の方も巡らないとかな。ということで、次に行ったのが、前橋蚕糸記念館。敷島公園のばら園内に
ある。1番奥の隅っこだけど。

前橋蚕糸記念館 (3)
前橋蚕糸記念館 (4)
前橋蚕糸記念館 (7)
前橋蚕糸記念館 (2)
まあ、前橋の養蚕の歴史や、古い書物や機械等。前回の日本絹の里と展示の趣旨は近い。
(日本絹の里は、「繭と生糸は日本一」参照。)

ただ、この建物は歴史があって、元々は国立原蚕種製造所前橋支所で、明治44年(1911年)のもの。全国に6箇所造られたが、現存するのはここだけ。

歩くたびに床がミシミシ・ギシギシいって、踏み抜いちゃうんじゃないかとヒヤヒヤ。

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上毛かるた紀行、第12弾!

ま
(ま) 繭と生糸は 日本一

群馬県は養蚕業が盛んで、絹織物等の名産が各地にある。群馬の養蚕業に関して、いろいろ学べるのが高崎市金古町にある県立日本絹の里(博物館)。

日本絹の里 (11)
日本絹の里 (7)
館内は群馬県の養蚕業の歴史や昔の機織り機から、遺伝子組み換えによる群馬オリジナルの繭等、新旧合わさった展示となっており意外と楽しめる。

日本絹の里 (4)
日本絹の里 (8)
日本絹の里 (9)
古い繭が保存されていたり、伝統産業の絹織物の展示もある。

日本絹の里 (10)
日本絹の里 (3)
機織りも体験できる。この日は女性が実際に体験していた。説明・指導役のおばさんも丁寧だった。

オレが物心ついたころ、うちも養蚕をやっていた。カイコに桑の葉をあげたりして、遊んでいた記憶がかすかにある。近所では、最近まで養蚕をやっていた農家があった。でも今はどうなんだろう。あんまり見なくなったような気がする。

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天平13年(741年)聖武天皇の発願により、全国に国分寺と国分尼寺が建立された。上野国分寺は天平21年(749年)頃できたらしい。これは、奈良の都の国分寺である東大寺が、天平勝宝4年(752年)の建立であることを考えると、当時の上野国が豊かな国であったことの証である。

その上野国の国分寺跡が、前橋市元総社町、高崎市東国分町・引間町にまたがって残っている。

上野国分寺址 (5)
まあ、よく草が生い茂っていて、とても貴重な文化財には見えない。ふくらはぎの中あたりまである雑草を踏みわけ、やっとたどり着いたのが、この碑。マムシがいそうで、ほんと怖かった。

上野国分寺址 (6)
上野国分寺址 (7)
七重の塔が建っていたという跡。柱の基礎石の配列で、塔の規模が分かる。60mあったという。

上野国分寺址 (8)
上野国分寺址 (10)
隣には資料館もあるが、非常に地味。オレが行った時も、他に見学者がいないのは当然として、管理人さんも暇なのか、近所のおばちゃんとのおしゃべりに夢中で、オレに気づいていたかも微妙。

上野国分寺址 (3)
まあ、案内看板も相当疲れているみたいだし・・・。

そのうち(秋になれば)、草刈りしてきれいにするのかな?

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小栗上野介忠順(ただまさ)は、江戸幕府の外国奉行や勘定奉行を歴任し、横須賀造船所を建設したことでも知られている。

小栗上野介
その小栗上野介のお墓が、高崎市倉淵町の東善寺にある。

小栗上野介 (2)


東善寺
東善寺 (2)
小栗上野介は、当時にしては珍しく、世界の見えた人物であった。そのため、罪もないのに薩長軍に処刑されてしまった。

小栗の先見性は、後に日露戦争でバルチック艦隊を破った東郷平八郎元帥が、小栗の遺族に謝辞を述べたことからも分かる。(横須賀造船所を造ってくれたおかげだと。)

そんな小栗が、幕末の薩長軍との戦争のさなか、江戸城にあった大量の軍資金を、群馬県の赤城山麓に隠したのではないか? と言う風聞(噂)がある。360万両、現在のお金で数十兆円! 赤城山のふもとで、親子3代にわたり発掘を続けている人がいるのは、有名である。

もう15年くらい前に、TBSの番組で大発掘調査をやったのを、記憶している人もいるかな。糸井重里が出てたやつ。番組では、結局何も出てこなかったが、見方によっては一大ロマン?

でも、小栗は戦う意思のない、徳川慶喜に嫌気がさしており、幕府復興のために資金を持ち出して隠した、と言うのはあり得ない気がする・・・。

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