Tigerdream の上州まったり紀行

上毛かるたと群馬県内の神社仏閣、遺跡・史跡・古墳、資料館などの紹介。

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藤岡市白石の稲荷山古墳。

先に紹介した七輿山古墳からほど近い場所にある。ここも藤岡市が整備している毛国白石丘陵公園の一部である。但し、まだ七輿山古墳周りほど整備が進んでいない。

藤岡 稲荷山古墳 (3)
藤岡 稲荷山古墳 (2)
藤岡 稲荷山古墳
白石稲荷山古墳は全長175mで七輿山古墳をしのぐ大きさである。推定造営は5世紀前半で、七輿山古墳より約1世紀古い古墳である。

古墳写真は前方部から後円部を撮ったものだが、円墳にしか見えない。なんでこんなアングルになってるかと言うと、写真の右側にネットが写ってるが、真ん前にゴルフ練習場(打ちっぱなし)があるから。国指定の史跡の真ん前に・・・。まあ、公有地じゃないからしょーがないが。

藤岡歴史館
藤岡歴史館 (3)
藤岡歴史館 (4)
近くには藤岡歴史館がある。七輿山古墳や白石稲荷山古墳等、白石古墳群からの出土品が保存・展示されている。あんまり広くないけど、タダってところがいい。

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藤岡市上落合の七輿山古墳。
現在、藤岡市により毛国白石丘陵公園として整備中。

藤岡 七輿山古墳 (9)
「史跡 七輿山古墳」の表示は、錆と落書きでほとんど読めない。

藤岡 七輿山古墳 (7)
藤岡 七輿山古墳 (3)
藤岡 七輿山古墳 (6)
七輿山古墳は、6世紀の古墳としては東日本最大級の全長145mを誇る。

藤岡 七輿山古墳 (8)
後円部には五百羅漢像があるが、みな首を取られている。これは明治時代の廃仏毀釈の爪痕である。首は古墳の堀に捨てられたと言う。

七輿山の由来は、多胡郡郡吏・羊太夫が謀反の疑いで朝廷から討伐をかけられた際、その7人の姫(他説では女房)を金の輿に乗せて逃がした。しかし逃げ切れずこの地で自害。ここに輿とともに厚く葬ったからと言われている。
(羊太夫は、上毛かるた紀行「昔を語る 多胡の古碑」参照。)

でも、多胡郡が設置され羊太夫が郡吏に任命されたと言われているのは和銅4年(711年)に対し、七輿山古墳は6世紀の前半の造営と推定され、年代が全く合わない。

まあ、伝説ってことかな。

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上毛かるた紀行の「しのぶ毛の国二子塚」では、前橋市総社町と高崎市井出町の二子山古墳を紹介したが、実はもういくつかの前方後円墳巡りをしていた。せっかくなので、上州まったり紀行のこちらで紹介しておく。ネタ的にも、もったいないので。

高崎市綿貫町にある観音山古墳。全長97m。

観音山古墳 (9)
観音山古墳 (4)
観音山古墳
石室からは、人骨の一部の他、太刀、鏡、金銅製大帯、銀製水瓶、馬具等貴重な副葬品が多数出土している。これは奇跡的に、盗掘を免れていたためらしい。

すぐ近所にある、群馬の森・県立歴史博物館には、観音山古墳出土品が多数展示されている。専用コーナーあり。

観音山古墳 (2)
観音山古墳 (3)
1個の台上に3人の童女が並んでいる埴輪や、貴婦人が正座する埴輪は、日本の多くの人物埴輪の中でも、きわめて稀なものみたい。

観音山古墳 (10)
このように日本でも有数の古墳であるが、一般の人の認知度は余り高くない。ある学者さんが、高崎駅からタクシーに乗って、「観音山古墳まで」と言ったら、観音山に連れて行かれた、という笑い話がある。

ちなみに観音山とは、上毛かるた紀行で紹介した、白衣観音がある山。観音山古墳とは、まるっきり反対方向。

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高崎市保渡田町の土屋文明記念文学館。

土屋文明
県立土屋文明記念文学館HPより

土屋文明記念館 (3)
土屋文明記念館 (4)
アララギは、日本を代表する短歌結社誌。土屋文明は昭和5年(1930年)斎藤茂吉からアララギの編集発行人を引き継ぎ、アララギ派の指導的存在となる。平成2年(1990年)100歳でなくなるまで、文化功労者、文化勲章等、受章している。

記念館の中には書斎が復元されていたり、万葉集とかいろんな歌集が展示されていて、趣は非常にあるのだが、いかんせんこちらの知識不足・興味不足から重苦しく感じてしまった。

土屋文明記念館
土屋文明記念館 (5)
記念館の庭(?)はちょっと憩いの場っぽくなっていて、その中に文明の歌碑が建っている。

申し訳ないけど、あんまり歌とか文学には興味がなく、良く分かんなかった、と言うのが本音。

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上毛かるた紀行、第13弾!

け
(け) 県都前橋 生糸の市(いとのまち)

県庁 (5)
県庁 (2)
まあ、県都というくらいだから、県庁に行って来れば充分。永いこと群馬に住んでるけど、初めて県庁に行った。あまりに立派すぎて・・・。これなら、もう少し県民税安くできるんじゃないの?(話しがズレた。)

県庁 (4)
32階の展望ホールからは、東西南北が眺望でき、良い眺めだった。初めて来た記念に、スタンプも押して。

ところで、県庁は高さ153.8mで群馬県で1番高い。2番目は高崎市役所。県内の1位2位がお役所って、ちょっと引っかかるのはオレだけ?

さっ、帰えろっと思ったのだが、生糸の市の方も巡らないとかな。ということで、次に行ったのが、前橋蚕糸記念館。敷島公園のばら園内にある。1番奥の隅っこだけど。

前橋蚕糸記念館 (3)
前橋蚕糸記念館 (4)
前橋蚕糸記念館 (7)
前橋蚕糸記念館 (2)
まあ、前橋の養蚕の歴史や、古い書物や機械等。前回の日本絹の里と展示の趣旨は近い。
(日本絹の里は、「繭と生糸は 日本一」参照。)

ただ、この建物は歴史があって、元々は国立原蚕種製造所前橋支所で、明治44年(1911年)のもの。全国に6箇所造られたが、現存するのはここだけ。

歩くたびに床がミシミシ・ギシギシいって、踏み抜いちゃうんじゃないかとヒヤヒヤ。

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上毛かるた紀行、第13弾!

け
(け) 県都前橋 生糸の市(いとのまち)

県庁 (5)
県庁 (2)
まあ、県都というくらいだから、県庁に行って来れば充分。永いこと群馬に住んでるけど、初めて県庁に行った。あまりに立派すぎて・・・。これなら、もう少し県民税安くできるんじゃないの?(話しがズレた。)

県庁 (4)
32階の展望ホールからは、東西南北が眺望でき、良い眺めだった。初めて来た記念に、スタンプも押して。

ところで、県庁は高さ153.8mで群馬県で1番高い。2番目は高崎市役所。県内の1位2位がお役所って、ちょっと引っかかるのはオレだけ?

さっ、帰えろっと思ったのだが、生糸の市の方も巡らないとかな。ということで、次に行ったのが、前橋蚕糸記念館。敷島公園のばら園内に
ある。1番奥の隅っこだけど。

前橋蚕糸記念館 (3)
前橋蚕糸記念館 (4)
前橋蚕糸記念館 (7)
前橋蚕糸記念館 (2)
まあ、前橋の養蚕の歴史や、古い書物や機械等。前回の日本絹の里と展示の趣旨は近い。
(日本絹の里は、「繭と生糸は日本一」参照。)

ただ、この建物は歴史があって、元々は国立原蚕種製造所前橋支所で、明治44年(1911年)のもの。全国に6箇所造られたが、現存するのはここだけ。

歩くたびに床がミシミシ・ギシギシいって、踏み抜いちゃうんじゃないかとヒヤヒヤ。

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上毛かるた紀行、第12弾!

ま
(ま) 繭と生糸は 日本一

群馬県は養蚕業が盛んで、絹織物等の名産が各地にある。群馬の養蚕業に関して、いろいろ学べるのが高崎市金古町にある県立日本絹の里(博物館)。

日本絹の里 (11)
日本絹の里 (7)
館内は群馬県の養蚕業の歴史や昔の機織り機から、遺伝子組み換えによる群馬オリジナルの繭等、新旧合わさった展示となっており意外と楽しめる。

日本絹の里 (4)
日本絹の里 (8)
日本絹の里 (9)
古い繭が保存されていたり、伝統産業の絹織物の展示もある。

日本絹の里 (10)
日本絹の里 (3)
機織りも体験できる。この日は女性が実際に体験していた。説明・指導役のおばさんも丁寧だった。

オレが物心ついたころ、うちも養蚕をやっていた。カイコに桑の葉をあげたりして、遊んでいた記憶がかすかにある。近所では、最近まで養蚕をやっていた農家があった。でも今はどうなんだろう。あんまり見なくなったような気がする。

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天平13年(741年)聖武天皇の発願により、全国に国分寺と国分尼寺が建立された。上野国分寺は天平21年(749年)頃できたらしい。これは、奈良の都の国分寺である東大寺が、天平勝宝4年(752年)の建立であることを考えると、当時の上野国が豊かな国であったことの証である。

その上野国の国分寺跡が、前橋市元総社町、高崎市東国分町・引間町にまたがって残っている。

上野国分寺址 (5)
まあ、よく草が生い茂っていて、とても貴重な文化財には見えない。ふくらはぎの中あたりまである雑草を踏みわけ、やっとたどり着いたのが、この碑。マムシがいそうで、ほんと怖かった。

上野国分寺址 (6)
上野国分寺址 (7)
七重の塔が建っていたという跡。柱の基礎石の配列で、塔の規模が分かる。60mあったという。

上野国分寺址 (8)
上野国分寺址 (10)
隣には資料館もあるが、非常に地味。オレが行った時も、他に見学者がいないのは当然として、管理人さんも暇なのか、近所のおばちゃんとのおしゃべりに夢中で、オレに気づいていたかも微妙。

上野国分寺址 (3)
まあ、案内看板も相当疲れているみたいだし・・・。

そのうち(秋になれば)、草刈りしてきれいにするのかな?

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小栗上野介忠順(ただまさ)は、江戸幕府の外国奉行や勘定奉行を歴任し、横須賀造船所を建設したことでも知られている。

小栗上野介
その小栗上野介のお墓が、高崎市倉淵町の東善寺にある。

小栗上野介 (2)


東善寺
東善寺 (2)
小栗上野介は、当時にしては珍しく、世界の見えた人物であった。そのため、罪もないのに薩長軍に処刑されてしまった。

小栗の先見性は、後に日露戦争でバルチック艦隊を破った東郷平八郎元帥が、小栗の遺族に謝辞を述べたことからも分かる。(横須賀造船所を造ってくれたおかげだと。)

そんな小栗が、幕末の薩長軍との戦争のさなか、江戸城にあった大量の軍資金を、群馬県の赤城山麓に隠したのではないか? と言う風聞(噂)がある。360万両、現在のお金で数十兆円! 赤城山のふもとで、親子3代にわたり発掘を続けている人がいるのは、有名である。

もう15年くらい前に、TBSの番組で大発掘調査をやったのを、記憶している人もいるかな。糸井重里が出てたやつ。番組では、結局何も出てこなかったが、見方によっては一大ロマン?

でも、小栗は戦う意思のない、徳川慶喜に嫌気がさしており、幕府復興のために資金を持ち出して隠した、と言うのはあり得ない気がする・・・。

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上毛かるた紀行、第11弾!

し
(し) しのぶ毛の国 二子塚

二子塚って、どこかの古墳の固有名詞かと思っていたけど、いろいろ調べた結果、前方後円墳を示す普通名詞みたい。つまり、群馬県は古墳がいっぱいあることを詠んでいるらしい。

ということで、前方後円墳ならどこでも良かったのかもしれないが、一応二子山(二子塚)と名の付いている古墳にした。

まず思いついて行ってみたのが、前橋市総社町にある二子山古墳。

総社二子山古墳 (2)
総社二子山古墳
総社二子山古墳 (4)
全長86mあるのだが、住宅街の真ん中にあるので、全景は良く分かんなかった。太刀、勾玉、長頸壺、高杯等、多数の出土品あり。これだけ住宅地の中にあると、これ以上の整備は難しいかな。

総社二子山古墳 (3)
被葬者は祟神天皇の第一皇子・豊城入彦命(推定)で、後円部にその名を記した碑が建っている。

次にいろいろ調べているうちに見つけたのが、高崎市井出町にある保渡田古墳群の二子山古墳。墳丘全長108m、墓域だと213mと巨大。

二子山古墳 (4)
二子山古墳 (9)
二子山古墳 (6)
こちらは上毛野はにわの里公園として良く整備されていて、非常にきれいになっている。

かみつけの里博物館
記念館も併設されており、保渡田古墳群から出土したはにわを中心に展示している。

群馬県は約8000もの古墳が確認されており、いたる所で前方後円墳とかを見ることができる。ただ、横からだと普通の丘にしか見えない場合が多く、やっぱり古墳は上から(空から)見ないと、その雄大さは分かんない、ということを痛感。

まあ、横からだと塚がふたつあるように見えるので、二子塚というらしいけど。

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上毛かるた紀行、第10弾!

わ
(わ) 和算の大家 関孝和

関孝和 (3)
関孝和 (2)
藤岡市の市民ホール駐車場の片隅(ほんとに隅っこ)に、算聖と呼ばれる関孝和の銅像がひっそりと建っている。

関孝和
隣には算聖の碑も。碑の土台はカエル?

関孝和は江戸時代の数学者で、筆算による代数の計算方法(点鼠術)を発明し、和算が高等数学として発展する基礎を作った。それまでは、算盤(そろばん)を使用する算術と、算木を使用する点元術だった。

また、正131,072角形(2の17乗)を使って、少数第11位までの円周率を正確に計算したことでも有名。まあ、難しいことはよく分かんないけど、すごい数学者だと言うこと。

関孝和はニュートン、ライプニッツと並んで、世界3大数学者とも言われている。外国での評価も非常に高い。なのに、藤岡市の扱いはちょっとひどいんじゃないの?

銅像が市民ホールの隅っこにあるのはまだ許せるとして、周りの草木は刈ってないからよく銅像が見えない。さらに、銅像の真ん前まで駐車スペースになっているので、そこに車が停まっていると銅像に近ずけもしない。算聖の碑も同様。草が枯れる冬に来いってことか?

まあ、藤岡市出身と言われているけど(江戸の生まれと言う説もある)、その生涯を藤岡市で過ごした訳ではないのでしょーがない??

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上毛かるた紀行、第9弾!

に
(に) 日本で最初の 富岡製糸

富岡製糸
富岡製糸 (2)
現在、世界遺産への登録を目指していろいろ活動中。日本国内の暫定リストには登録されている。

富岡製糸 (6)
富岡製糸 (4)
建物の外観とか、フランスから来ていた指導者の居住館なんかは、歴史を感じて残すべきものだなぁ~とは思う。木造建築で外壁はレンガ貼りは珍しい和洋折衷。明治5年のレンガなんて、趣あっていいねぇ~。

富岡製糸 (17)
富岡製糸 (3)
でも、中まで見学できるのは操糸場(工場)だけ。その操糸場には、昭和60年頃まで稼働していた機械が置いてあり、ちょっと幻滅。建屋そのものは明治のままだし、造りも非常に立派なのに。一角のみでいいので、昔を再現したレプリカを置けばって思った。

あと、1時間毎に解説付き見学引率があるので、深く富岡製糸を知りたい人には良いシステムかも。解説なしでどんどん歩くと、10分くらいで見終わっちゃうので。

居住館や女工さんの寄宿舎とかにも、入れるといいんだけど・・・。

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伊香保温泉の石段を登って行くと伊香保神社に行きつく。

伊香保神社 (4)
伊香保神社
伊香保神社3
伊香保神社は、上野国三之宮と呼ばれている。上毛かるた紀行の貫前神社編でも紹介したが、三之宮とはその地域で3番目の格式の神社、と言うこと。

上野国では、貫前神社が一之宮。ちなみに、二之宮は赤城神社。

ついでに、吉岡町に三宮神社というのがあるが、ここは伊香保神社の里宮らしい。(細かい経緯はいろいろあるみたいだが、ここでは省略。)

伊香保神社 (2)
境内には、松尾芭蕉の句碑がある。
 初しぐれ 猿も小蓑を ほしげなり

隣には、万葉集の歌碑もあったのだが、写真はない。調べた現代語訳では、
伊香保の山裾にある水門の、ほとばしる水しぶきに朝日があたって虹が見えるまで、お前と一緒にいられたら、どんなに楽しいことか

つまり、夜を一緒にすごしたいと言っている。昔の人の方が慕情的だねぇ~。

伊香保温泉に行く機会があったら、是非石段を最後まで登り(疲れるけど)、参拝してきて。

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上毛かるた紀行、第8弾!

ゆ
(ゆ) ゆかりは古し 貫前神社

貫前神社 (2)
貫前神社 (5)
参道を含め、登って行く神社は多いが、ここは本殿に向けて下って行く。この写真は桜門。この奥に拝殿と本殿があるのだが、現在平成の大修復中のため参拝できず。残念!!

ちなみに、御神座は仮殿にお遷り中。上州まったり紀行で紹介したように、妙義神社の本殿も修復中で参拝できず。オレは運のないヤツだ。いや、調査・確認不足かな。(上州まったり紀行「本殿は修理中でした -妙義神社-」参照)

貫前神社 (3)
貫前神社 (4)
まあ、鳥居へは結構な石段を登るので、足してチャラかな。オレは不心得者なので、総門横まで車で行っちゃったから石段を上ってない。

継体天皇25年(531年)の創建と言うから、もう1500年近い歴史がある。現在、一之宮貫前神社と言うが、この一之宮とはその地域で1番格式の高い神社と言うこと示したもの。つまり上野国で1番。昭和20年(1945年)に社格制度が廃止されても、その格式を名にとどめている。

貫前神社


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上毛かるた紀行、第7弾!

む
(む) 昔を語る 多胡の古碑

多胡碑 (5)
多胡碑
和銅4年(711年)に多胡郡が設置され、その郡吏に羊太夫と言う人物が任命されたのを記念して造られたという説が有力。碑は劣化防止のため小屋の中に。

多胡碑 (2)
ガラス越しで光が反射しちゃって、見づらいけど。

多胡碑 (4)
記念館が併設されていて、多胡碑のレプリカもあり。けっこう展示物もあってオレ的には面白く飽きなかった。

でも、土曜の午後だというのに、入館者はオレ1人のみ。(帰り間際に、もうひとり来たけど。)シーンとし過ぎていて、足音が響くのなんのって。

これで多胡碑の保存や、記念館の維持ができるのか心配になった。

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