Tigerdream の上州まったり紀行

上毛かるたと群馬県内の神社仏閣、遺跡・史跡・古墳、資料館などの紹介。

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利根郡みなかみ町湯原の水上歴史民俗資料館。

水上歴史民俗資料館 (6)
江戸時代末から昭和初期にかけての、群馬北部の農具や民具、祭事の道具、古文書など約2000点を収蔵。また地元出土の土器の展示も。

水上歴史民俗資料館 (1)
入ってすぐに、クマやシカ、キツネのはく製が。群馬県北部って感じ。

水上歴史民俗資料館 (5)
古いそりが展示されているのを見て、改めてここは雪国!

水上歴史民俗資料館 (3)
水上歴史民俗資料館 (4)
民俗系の展示、まあ昔のってだけかな。これは!っては、ないようだ。

水上歴史民俗資料館 (2)
北部は意外と縄文関係の遺跡が多いのだが、土器関係の展示は少なかった。

このての資料館の特徴である、地域密着の実践展示ってところ。

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利根郡みなかみ町の諏訪峡遊歩道中にある、与謝野晶子歌碑公園。

与謝野晶子歌碑公園 (1)
与謝野晶子歌碑公園 (2)
与謝野晶子の温泉への足跡は全国に残っているが、水上温泉には昭和6年(1931年)から昭和14年(1939年)までに、計4回ほど訪れている。

そんなことからか、平成21年(2009年)に、諏訪峡に歌碑公園が作られた。

与謝野晶子歌碑公園 (3)
与謝野晶子歌碑公園 (4)
与謝野晶子歌碑公園 (5)
夫・与謝野鉄幹(寛)の歌碑も含めて、計9つの歌碑がある。

東屋とベンチがあるくらいだけど、天気が良い日にのんびり利根川でもながめていれば、心地いいかも。

そう言えば猿ヶ京温泉にも、与謝野晶子記念館みたいなのがある。伊香保温泉の石段には、歌(詩?)が刻まれていた。(「伊香保温泉 日本の名湯」参照)

調べてみたら、水上温泉以外にも、法師、猿ヶ京、湯宿、湯檜曽、伊香保、草津、川原湯、四万、霧積の各温泉を訪れているようだ。

温泉好きだったということ?

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利根郡みなかみ町湯原、小日向、高日向にまたがる諏訪峡。
水上を代表する奇岩、怪石が連続する利根川の峡谷。吊り橋の笹笛橋、坊岩や玉簾の滝、紅葉公園などが見どころ。遊歩道も整備されている。

諏訪峡 (1)
諏訪峡 (2)
遊歩道を歩いてみたんだけど、あんまり峡谷っぽくなかった。2日続けての雨のあとで、しかも上流のダムが放流していたんで、水量が多かったので、そのせい?

利根川の激流を撮るには、もってこいだったが・・・。

諏訪峡 (3)
諏訪峡 (4)
結局、往復1kmくらい歩いたと思うけど、あんまり感激もなく戻る。

諏訪峡大橋
途中にあった諏訪峡大橋には、バンジージャンプ用と思われるステップが。これは高いよ。30~40mくらいありそう。

自分はやりたくないけど、1度実物を見てみたいね。

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利根郡みなかみ町湯原の道の駅「水紀行館」。

水紀行館 (1)
まあ、よそと一緒で土産物屋さん、レストランと情報コーナーとか。

ちょっと特別なのが、中に水産学習館という、淡水魚の水族館がある。ここでは、利根川に生息する淡水生物を観察することができる。

水紀行館 (2)
水紀行館 (3)
川の中から魚を見上げるようなトンネル水槽は、このクラスの水族館にしては珍しい。群馬県には、水族館自体がほとんどないので貴重。でも、はっきり言ってインパクトはない。

水紀行館 (4)
特別展示(?)なのか、チョウザメもいたけど・・・。入場料は高くはないけど、それでも見合ってるかは疑問だね。

水紀行館 (5)
隅っこの方に、ロッククライミング用の壁があった。この日はインストラクターが不在で、開店休業中だった。

まあ、道の駅ってオレにとっては休憩所でしかないので、ちょこっと寄ってみたけど、こんなもんだろうね。

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上毛かるた紀行、第37弾!

は
(は) 花山公園 つつじの名所

つつじが岡公園 (1)
つつじが岡公園 (2)
館林市花山町のつつじが岡公園。公園付近一帯は、古くからから山つつじが自生していて、「つつじが崎」と呼ばれていた。

つつじが岡公園 (12)
5月15日でつつじ祭りも終わり、無料開放中。もちろん、つつじはすっかり旬を過ぎ、終わっている。まあ、しょうがない。人混み嫌いなので、空いていてよかったと逆に思う。

つつじが岡公園 (3)
つつじが岡公園 (10)
つつじが岡公園 (9)
つつじって言う名は、花びらの元が筒状になっていて、花の形が筒咲きと呼ばれることから、つつじになったといわれている(他説あり)。

公園内にはいろんな謂れのつつじがある。そのひとつが、勾当内侍遺愛のつつじ。新田義貞が、勾当内侍のために植えていたつつじを、第9代館林城主・榊原忠次が、新田郡武蔵島村(現在の尾島町)から移植したと伝えらるもの。

実は、これだけを見に行ったようなもんなのだが・・・。一生懸命探したんだけど、迷路のようになっていて、結局見つからず。けっこう歩いたんだけどね。

クツ変えたばかりだったので、クツずれで足が痛い!!

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上毛かるた紀行、第36弾!

ほ
(ほ) 誇る文豪 田山花袋

田山花袋旧居 (3)
明治4年(1872年)館林町(当時)に生まれる。尾崎紅葉のもとで修業し、後に国木田独歩、柳田国男と交わる。「蒲団」「田舎教師」などの自然主義派の作品を発表し、その代表的な作家のひとり。

田山花袋旧居 (1)
田山花袋旧居 (2)
館林市城町の館林市第2資料館敷地内に、田山花袋の旧居が移築されている。田山花袋が14歳まで約8年間住んだ家。

木造平屋建て茅葺屋根で、面積は約22.5坪(74.25平方m)。もともとは、江戸時代末の秋元藩時代に、館林城内にあった武家屋敷らしい。

田山花袋記念文学館 (1)
旧居のある第2資料館と道を挟んで反対側に、田山花袋記念文学館がある。「蒲団」「田舎教師」といった有名な作品をはじめ、初版本、書簡、日記、愛用品なども展示されている。

田山花袋記念文学館 (2)
若い時の写真を見ると、イメージがだいぶ違う。

田山花袋記念文学館 (3)
龍土会メンバーの写真。龍土会は西欧文学に傾倒する青年たちが、各々の
文学論を自由に語り合う場であった。日本の自然主義文学の成立に大きな役割を果たした。島崎藤村、柳田国男、小山内薫、蒲原有明らの顔が見る。

病に倒れた花袋のもとに島崎藤村が見舞いに訪れた際、「この世を辞してゆくとなると、どんな気持ちがするものかね」と聞かれ、「なにしろ、誰も知らない暗いところへ行くのだから、なかなか単純な気持ちではない」と答える。

昭和5年(1930年)58歳の生涯を閉じる。

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上毛かるた紀行、第36弾!

ほ
(ほ) 誇る文豪 田山花袋

田山花袋旧居 (3)
明治4年(1872年)館林町(当時)に生まれる。尾崎紅葉のもとで修業し、後に国木田独歩、柳田国男と交わる。「蒲団」「田舎教師」などの自然主義派の作品を発表し、その代表的な作家のひとり。

田山花袋旧居 (1)
田山花袋旧居 (2)
館林市城町の館林市第2資料館敷地内に、田山花袋の旧居が移築されている。田山花袋が14歳まで約8年間住んだ家。

木造平屋建て茅葺屋根で、面積は約22.5坪(74.25平方m)。もともとは、江戸時代末の秋元藩時代に、館林城内にあった武家屋敷らしい。

田山花袋記念文学館 (1)
旧居のある第2資料館と道を挟んで反対側に、田山花袋記念文学館がある。「蒲団」「田舎教師」といった有名な作品をはじめ、初版本、書簡、日記、愛用品なども展示されている。

田山花袋記念文学館 (2)
若い時の写真を見ると、イメージがだいぶ違う。

田山花袋記念文学館 (3)
龍土会メンバーの写真。龍土会は西欧文学に傾倒する青年たちが、各々の文学論を自由に語り合う場であった。日本の自然主義文学の成立に大きな役割を果たした。島崎藤村、柳田国男、小山内薫、蒲原有明らの顔が見る。

病に倒れた花袋のもとに島崎藤村が見舞いに訪れた際、「この世を辞してゆくとなると、どんな気持ちがするものかね」と聞かれ、「なにしろ、誰も知らない暗いところへ行くのだから、なかなか単純な気持ちではない」と答える。

昭和5年(1930年)58歳の生涯を閉じる。

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桐生市新里町武井の武井廃寺塔跡。

武井廃寺塔跡 (1)
武井廃寺塔跡 (3)
古代寺院の跡と伝えられており、昭和16年(1941年)に、国の史跡に指定された。

武井廃寺塔跡 (2)
武井廃寺塔跡 (4)
土を盛って作られた基壇上に直径107cmの安山岩製加工石があり、その中央部に直径42cm、深さ38cmの穴が開けられている。この加工石を塔の礎石とみなし、寺院跡とされた。

ところが、これ以外に礎石が発見されず、また地形が傾斜していて寺院が建っていたにしては不自然なため、以前から寺院遺跡であることが疑問視されていた。

昭和44年(1969年)の調査の結果、基壇は一辺約7.8mの8角形で、斜面に化粧石が施された特殊な構築物であることが判明した。ということは古墳??

さらにこのあたりでは、8世紀代以降の石製骨蔵器を伴う、火葬墓が多数発見されており、古墳説を裏付ける証拠となっている。

つまり、礎石と思われていた加工石は、火葬したお骨を入れる「骨壺」ということ。

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桐生市新里町新川の新光太平山妙珠院善昌寺。
ここには、新田義貞の首塚と伝えられる五輪塔がある。

善昌寺 (5)
善昌寺 (1)
大同元年(806年)伝教大師・最澄が上野へ下向の際、弟子の宥海によって創建され、大同寺と称したとされる。

善昌寺 (3)
善昌寺 (6)
短めの石段を上っていくと山門、本堂。義貞の首塚は本堂裏手にある。

善昌寺 (4)
善昌寺 (2)
越前で無念の最期を遂げた義貞の首級を、桃井次郎が密かに持ち帰り、義貞執事の船田長門守善昌に託した。善昌は義貞の首級を手厚く葬り、供養のためこの寺で生涯を終えたといわれている。大同寺はそれ以降、善昌にちなみ善昌寺と称するようになったという。

上記は、主に桐生市のHPから引用したが、実は船田善昌は建武3年(1336年)に、京都での足利勢との戦闘で戦死している。これは太平記にも記載されている。新田義貞の戦死が建武5年(1338年)なので、義貞より早く死んでいるのだ。

なぁ~んだ、根拠のない伝説か、と言うと終わっちゃうけどね。

太田市武蔵島町の花見塚公園内に、勾当内侍が京都から持ち帰ったという義貞の首塚があることは以前紹介した。(「勾当内侍の墓と新田義貞の首塚 -花見塚公園-」参照。)

まあ、どっちも根拠は確かにないけど、こういう伝説が残るところが、新田義貞の偉大さ、ってとこかな。

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利根郡みなかみ町後閑の月夜野びーどろパーク。

月夜野びどろパーク (5)
月夜野びどろパーク (6)
上越クリスタル硝子(株)のガラス工場に、ガラス体験工房、美術館、ショップ等から構成されている。月夜野クラフトビール(株)の地ビール販売所もあった。

月夜野びどろパーク (2)
時間帯によるが、ガラス製品製造工程の見学ができる。ガラスを熱して、飴のように伸ばしたり曲げたり、といったアレ。初めて見た。

月夜野びどろパーク (1)
本格的な吹きガラスから、ステンドガラス、オルゴールなどの小物まで、オリジナルのガラス製品が作れる。

月夜野びどろパーク (3)
月夜野びどろパーク (4)
ガラス製品って綺麗だね。でも値段もそれなり。小さなおちょこがウン千円!うへっ!

置物・インテリア品から実用食器・装飾品・アクセサリーまで、何でもあった。虎の置物があって、目を引かれたんだけど、値札を見て断念。

月夜野びーどろパーク (7)
ガラス工場の一角にある、掘出物市場。見慣れた金額で安心。

知ってのとおり、ビードロとはポルトガル語でガラスのこと。室町時代末に、長崎に渡来したオランダ人が、その製法を伝えてくれた。今では、生活に欠かせないアイテムになってる。オランダに感謝!?

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利根郡みなかみ町須川(旧新治村)のたくみの里。

みなかみ たくみの里 (7)
道の駅「たくみの里」を中心に、木工や竹細工、そば打ち体験などができる約30軒の「たくみの家」が点在している。それ以外には、食堂や観光農園も多数ある。

みなかみ たくみの里 (2)
みなかみ たくみの里 (4)
みなかみ たくみの里 (6)
宿場通りという通りしか歩かなかったので、全体像はよく分かんなかったけど、いろんな「家」があることは分かった。エリア的にはけっこう広いみたい。レンタルサイクルも用意されていた。

みなかみ たくみの里 (5)
みなかみ たくみの里 (3)
ここは須川宿といって、三国街道の宿場町だったところ。水路があり、水車も回っていた。

みなかみ たくみの里 (1)
みなかみ たくみの里 (8)
須川宿資料館。もともとは、この資料館に行くのが目的だったのだ。

展示品は書画、古文書、武具、調度品など約1000点、旧本陣の上段の間も再現されている。須川宿は、越後長岡藩・牧野家の常宿だったとかで、宿札もあった。

管理人さんに説明してもらったんだけど、非常に丁寧で詳しくて、分かりやすかった。

観光客がいっぱい来ていて、ところ狭しと歩いていた。でもよく見ると、一般の家もけっこうあり、休日は自分の家に出入りするのも、大変そうな雰囲気だった。

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根郡みなかみ町月夜野の梨の木平敷石住居跡。

梨の木平敷石住宅跡 (1)
梨の木平敷石住宅跡 (2)
昭和51年(1976年)、県道工事に伴う調査で発見された。床に石を敷いた縄文時代中期(約4000年前)の住居跡。

梨の木平敷石住宅跡 (3)
平らな石を12平方mほど6角形に敷き詰めて、中央に河原石で囲った4角形の囲炉裏があり、南側には石を並べた張り出しがある。敷石の隙間には小石が詰められ、左右対称の形をしている。

住居内には5本の主柱穴と2本の支柱穴があり、また埋められた甕も発見されているとか。上から見る格好になるので、構造が分かりやすい。

梨の木平敷石住宅跡 (4)
梨の木平敷石住宅跡 (5)
解説板は写真やイラスト入りで、丁寧に作られていると思う。また、バックライトで光っているので、覆屋内が暗くてもちゃんと読める。

それにしても、覆屋の中は暗くて怖い。そんなに頻繁に見学者が来るとは思わないが、ひとりで見ているときにドアが開いたら、ゾッとするだろうな。

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利根郡みなかみ町月夜野の深沢遺跡配石遺構。
深沢はこの配石遺構が発掘された地名。

深沢遺跡配石遺構 (1)
深沢遺跡配石遺構 (4)
深沢遺跡配石遺構 (2)
昭和55年(1980年)、上越新幹線開通前の文化財調査で発見された。約1kmほど場所を移し、ここに保存されている。

深沢遺跡配石遺構 (3)
深沢遺跡配石遺構 (5)
今から3500年前の、縄文時代後期の墓地跡。東西約20m・南北約17mの範囲に、石棺状配石20基・中型配石4基・大型配石2基・集石状配石28基・列石1基から構成されていたらしい。

ここには、これだけの数が見当たらないので、すべてが移された訳ではないようだ。

深沢遺跡配石遺構 (6)
鉄骨屋根とフェンスで覆われており、一応覆屋なのかな?これだと風雨にさらされるので、風化しちゃうんじゃないの。予算の関係?

どうせなら、しっかり覆ってあげればいいのに・・・・・。

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利根郡みなかみ町月夜野の歴史郷土資料館。

月夜野歴史郷土館 (1)
月夜野の歴史・風土を語る「考古資料」「民俗資料」「歴史資料」「美術資料」を中心に、あまり人の目に触れたことのない貴重な品々を展示している、とのことだったが、行った日(土曜)は休館だった。

事前に調べたところでは、土日・祭日のみ開館となっていたのだが・・・・・。入口に開館日が変更になりました、と表示があったので、最近変わった??(開館は日曜のみ。)

月夜野歴史郷土館 (2)
月夜野歴史郷土館 (3)
また、何かの機会に月夜野まで行くことがあったら。日曜にね。

でも、週1日しか開館しないなんて・・・。相当来館者が少ないってこと?

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渋川市赤城町(旧赤城村)の長井坂城跡。

長井坂城跡 (1)
長井坂城跡 (4)
長井坂城は、旧沼田街道の長井坂にあり、北も西も断崖という囲郭式の山城。南北260m、東西180mほど。

永禄3年(1560年)年、上杉謙信が関東出兵の際、この地に陣を張ったのが始まりとされる。現在残っている遺構は、後に北条氏が改修したもの。

長井坂城跡 (2)
長井坂城跡 (3)
二の丸跡、三の丸跡は、現在畑になっているが、二の丸には土塁や堀が巡っている。

利根川 昭和村
二の丸西側から利根川を臨むことができる。写真は、綾戸ダム。こっち側は、ものすごい断崖絶壁!

しかも断崖側に遊歩道(?)が作られており、歩くのが怖いのなんの。一応、柵もあるのだが、小さいというか低いというか(一部ないところもある)。ここから落ちたら、ひとたまりもないね。本当に危ない!!

長井坂城跡付近の関越道
長井坂城は、関越自動車道の長井坂トンネルの真上にある。なんでも関越道通す際に、長井坂城の遺構を保存するために、トンネルを掘ったとか。

関越道の長井坂橋がよく見える。上り車線(右側)は大渋滞。帰りが非常に大変だった。

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