Tigerdreamの上州まったり紀行

上毛かるたと群馬県内の神社仏閣、遺跡・史跡・古墳、資料館などの紹介。

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高崎市山名町の山ノ上碑。
多胡碑、金井沢碑とならんで「上野三碑」と呼ばれている。

山ノ上碑 (2)
山ノ上碑(7)
多胡碑、金井沢碑に続いて、これで上野三碑制覇である。
(多胡碑:「昔を語る 多胡の古碑」参照)
(金井沢碑:「上野三碑 金井沢碑」参照)
681年の建碑で、三碑の中では最古になる。681年は天武天皇の御代になる。

山ノ上碑 (3)
ここも、結構急な石段を登って行く。遺跡・史跡ってのは、だいたいこういう場所にあるね。身体がなまってるのを自覚するにはいい?

山ノ上碑 (4)
山ノ上碑 (6)
多胡碑、金井沢碑同様、碑は覆屋の中に。金井沢碑よりかは、マシな写真が撮れた。でも、ガラス越しの写真は反射して見ずらい。

山ノ上碑
ということで、多胡碑記念館にある山ノ上碑のレプリカ。

山ノ上古墳
隣には円墳があり、山ノ上碑はこの古墳の墓誌と考えられている。内容は、僧長利が山ノ上古墳に葬られた母のために建てたことと、一族の系譜が書かれている。ちなみに、長利は前橋にあった山王廃寺の僧らしい。

女性でこれだけ立派な古墳(墓)に葬られるということは、その夫はかなりの豪族だったんだろうね。

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富岡市妙義町の妙義神社。
ちなみに、妙義山とは白雲山、金洞山、金鶏山とか、いくつかの山の総称。

妙義神社
けっこう急坂の参道を登っていく。総門には立派な仁王像が。

妙義神社 (2)
境内に入り、さあ本殿に向かおうと思ったら、通行止め。台風の被害(土砂崩れ?)があったみたいで、修理中でした。残念!! (しかし、いつの台風だ。)

そう言えば、外国の方が参拝に来ていた。神社の方(?)が通訳さんを介して、神社の由来みたいなことを説明していた。理解できるんかねぇ?

この中の女性の脚(ふくらはぎ横)に、見事なタトゥーが。絵柄はよく分かんなかったけど、肌が非常に白かったので、目立っていた。

一緒に写真撮ってもらえば良かった。

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上毛かるた紀行、第19弾!

な
(な) 中山道しのぶ 安中杉並木

安中杉並木
旧中山道(旧国道18号線)は、ほとんど通ることはないため、杉並木は初めて見たと思う。今も残ってるんだぁ~が感想。

ご存知のように、中山道は江戸を起点とする五街道のひとつで、江戸と京都を結ぶ重要な街道だった。

杉の植樹には諸説あるが、だいたい1600年代初頭である。天保15年(1844年)には732本あったという。それが、昭和7年(1932年)には321本、昭和57年(1982年)には57本、現在は16本という。

モータリゼーションの発達や工業の進歩により、排ガスや工場排出物による環境汚染は、江戸時代とは比較にならない。江戸時代どころか、高度経済成長期(昭和40年以降)以前とも比較にならない。

枯れる、植えるを繰り返しながらも、よく現存していると、感心してしまう。(現在の杉がいつの植樹か知らないが。)先人や関係者の方々のご苦労の賜物と思う。

写真が1枚しかないのは、車を停める場所がなく、交通量も意外に多く、さらに歩くのが面倒くさかったので。

*「なかせんどう」の表記に関して
江戸時代(1716年)に幕府通達により、「中山道」に統一されているため、本ブログでは中山道と表記している。しかし、理由は定かではないが、上毛かるたの詠み札は「中仙道」となっている。決して誤記している訳ではないので。

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藤岡市西平井の平井城址。
室町幕府の関東管領・山内上杉氏の居城として有名。永享10年(1438年)の築城といわれる。

平井城址 (10)
平井城址 (6)
土塁が復元されており、上にも登れるが、城址という雰囲気はない。城の他の施設とかは何も残ってないので。まあ、天守閣があってという城のイメージになるのは、もうちょい後の時代の話し。この頃は砦・大きな館と言う方があってるのかな。

平井城址 (8)
平井城址 (7)
一応、関東管領・山内上杉氏と平井城の繋がりや由来が分かる掲示もある。

平井城址 (2)
平井城址 (4)
天文21年(1552年)に小田原の北条氏康に攻められ、関東管領・山内上杉憲政は越後に亡命。越後と言えば、そう上杉謙信。この時は、まだ長尾景虎だけど。義に厚い上杉謙信は、永禄3年(1560年)関東出兵の際に平井城を奪還。平井城にいた北条幻庵長綱を追い出した。でも、同年平井城は廃城に。

何でかって言うと、関東の拠点を厩橋城に移しちゃったから。厩橋城とは後の前橋城で、現在の県庁・前橋公園の辺り。

一説によると、平井城は1500年代初めには、人口10万人(!)の城下町として、おおいに栄えたという。今はのどか過ぎるくらいだけど。

そのままの栄華が続けば、藤岡市に県庁が置かれたかもね。

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上毛かるた紀行、第18弾!

fuda_ti
(ち) 力あわせる 200万

上毛かるた紀行、最難関の札!
実は前から考えていた案があって、もう少し膨らまそうと温めていたけど、これ以上ムリと思うので、もうUPしちゃいます。

県庁 (2)
ここは県庁31階、特産展示室。
群馬県全市町村の観光パンフレットがある。確認したわけではないが、多分あると思う・・・。

現在群馬県には、35の市町村がある。(五十音順)
安中市、伊勢崎市、太田市、桐生市、渋川市、高崎市、館林市、富岡市、沼田市、藤岡市、前橋市、みどり市
板倉町、邑楽町、大泉町、神流町、甘楽町、草津町、下仁田町、玉村町、千代田町、中之条町、長野原町、東吾妻町、みなかみ町、明和町、吉岡町
上野村、片品村、川場村、昭和村、榛東村、高山村、嬬恋村、南牧村
(合併等で、万が一違っていたら、ゴメンなさい。)

ということで、特産展示室から、片っぱしから各市町村の観光パンフを持ってきた。有形のもので、群馬県、市町村をあらわすものってなかなかないので。力あわせるってイメージとは、ちょっと違うかも・・・。

観光パンフ (4)
中毛。あれ、前橋と伊勢崎がない? 忘れたかな? ゴメン。

観光パンフ (3)
西毛。安中は3冊もあるんだよね。合併で碓氷峠の方まで安中だからね。1冊しか載せてないけど。

観光パンフ (5)
東毛。良く知らないので、じっくり見るようにする。

観光パンフ (2)
北毛。赤い長野原が超目立ってる!でも遠いイメージが・・・。

まあ、こんなもんでいかがでしょう。

ところで、ちゃんとまた県庁に行ってきたんだよ(机上の空論じゃないよ)。紀行なんだから、実践実践。(前回行ったのは、「県都前橋 生糸の市」の時。)

県庁スタンプ
はい、証拠写真。「県都前橋 生糸の市」にもスタンプ載せてるので、日付を見てね。ちゃんと違うから。

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上毛かるた紀行、第17弾!

う
(う) 碓氷峠の 関所跡

碓氷峠の関所跡 (3)
碓氷峠の関所跡 (2)
碓氷峠の関所跡 (5)
もっと碓氷峠寄りにあるのかと思ってたけど、意外と下の方。でも、これは現代人の感覚かな。昔は歩きだから、この辺でも結構登って来たイメージかも。

歴史は古く、昌泰2年(899年)に群盗を取り締まるため、碓井坂に設けられた、そうな。現在の地に移ったのは、江戸幕府開府後の元和6年(1620年)ころ。有名な「入り鉄砲に出女」を取り締まった。明治2年(1869年)に閉門されるまで、中山道の要所となっていた。

碓氷峠の関所跡 (6)
碓氷峠の関所跡 (7)
碓氷峠の関所跡
この門は東門らしく、昭和34年(1959年)に復元されたとのこと。門柱、門扉、屋根や台座は当時のもので、ここには番所があったらしい。

でも、これしかないんだよね。しょーがないので、後ろから、左から、正面からと、角度を変えて写真を撮って枚数稼ぎ。後で調べたら、おじぎ石という、通行人が手をついて手形を出した、という石があったらしいのだが、気がつかず・・・。

あと思ったのは、貴重な史跡なんだから、もうちょっとPRしてはいかが?せめて国道18号線に案内看板くらい出して欲しい。ナビにも出ないし。オレは道に迷ったぞ!

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高崎市山名町の金井沢碑。

金井沢碑
金井沢碑 (4)
多胡碑、山ノ上碑と並んで「上野三碑」と呼ばれている。
(多胡碑は、上毛かるた紀行「昔を語る 多胡の古碑」参照。)
(山ノ上碑は、近日中にUP予定。)

金井沢碑は、高崎佐野にあった屯倉の管理者の子孫が、先祖の冥福を祈るため、仏教に入信するという誓いが刻まれている。これは、奈良時代における民間の、仏教信仰の浸透を知ることができる。西暦726年建碑。

金井沢碑 (5)
金井沢碑 (8)
うっそうとした細い山道を登って行くと、覆屋が見えてくる。多胡碑同様、劣化防止のため覆屋(碑の入っている小屋)の中。相変わらずガラス越しの撮影が下手だなぁ~。(ストロボを発光させなければ、多少マシになることに気づかなかった。)

金井沢碑 (7)
ということで、多胡碑記念館にある金井沢碑のレプリカ。

碑は江戸時代、農家で洗濯石(!)として使われていたが、不幸が続いたため現在の地へ持ってきて祀られたという。

あんまり訪れる人もいないのか、道はクモの巣だらけで結構難渋した。

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前橋の敷島公園ばら園内に、萩原朔太郎記念館がある。

萩原朔太郎
(鎌倉文学館HPから)

萩原朔太郎記念館 (3)
萩原朔太郎記念館 (7)
萩原朔太郎記念館 (2)
これは朔太郎の生家(前橋市北曲輪町:現千代田町)の、書斎、離れ座敷、土蔵を移築したものである。

萩原朔太郎記念館 (6)
このうち、土蔵の中にノートや原稿、書簡等の資料が展示されている。

朔太郎は北原白秋に師事し、26歳のとき『夜汽車』他5編の詩で、中央文壇にデビュー。大正6年に処女詩集『月に吠える』で、一躍全国に名を知らしめ、その後も『青猫』『純情小曲集』『氷島』などを次々に発表。日本近代詩に不滅の金字塔を打ち立てた。(前橋市HPから)

ところで、この記事のタイトルの意味が分かんないと思うが、資料が展示されている、土蔵の入口にこういう表示が。

萩原朔太郎記念館 (8)
土蔵の戸は昔のままで、手で開けるんだけど、開けっ放しにしとくとネコが入るんだろうね。資料はガラスケースに入ってるから、荒らされることはないんだろうが、絨毯が汚れるのかな。

ここは、入館者もクツを脱いで入るんだよ。

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前橋の敷島公園ばら園内に萩原朔太郎記念館がある。

萩原朔太郎
(鎌倉文学館HPから)

萩原朔太郎記念館 (3)
萩原朔太郎記念館 (7)
萩原朔太郎記念館 (2)
これは朔太郎の生家(前橋市北曲輪町:現千代田町)の、書斎、離れ座敷、土蔵を移築したものである。

萩原朔太郎記念館 (6)
このうち、土蔵の中にノートや原稿、書簡等の資料が展示されている。

朔太郎は北原白秋に師事し、26歳のとき『夜汽車』他5編の詩で、中央文壇にデビュー。大正6年に処女詩集『月に吠える』で、一躍全国に名を知らしめ、その後も『青猫』『純情小曲集』『氷島』などを次々に発表。日本近代詩に不滅の金字塔を打ち立てた。(前橋市HPから)

ところで、この記事のタイトルの意味が分かんないと思うが、資料が展示されている、土蔵の入口にこういう表示が。

萩原朔太郎記念館 (8)
土蔵の戸は昔のままで、手で開けるんだけど、開けっ放しにしとくとネコが入るんだろうね。資料はガラスケースに入ってるから、荒らされることはないんだろうが、絨毯が汚れるのかな。

ここは、入館者もクツを脱いで入るんだよ。

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上毛かるた紀行、第16弾!

さ
(さ) 三波石と共に 名高い冬桜

桜山公園
桜山公園 (3)
藤岡市鬼石町にある桜山公園。冬桜とはその名の通り、冬に咲くので冬桜。冬桜は木の下の方の枝から咲いていき、上の枝が咲くまでには1箇月くらいかかる。上が咲くころには、下の方は散っているので、よく2度咲くと言われる。11月中旬から12月初旬が見ごろ。ちなみに、寒桜とは別物。

季節的に、桜と紅葉が同時に楽しめるという、2度おいしい状態。

桜山公園 (8)
公園内には三波石を使った日本庭園がある。三波石とは、群馬県と埼玉県の県境を流れる神流川の支流である三波川流域で取れる変成岩。庭石としてよく使われている。

桜山公園 (9)
桜山公園 (10)
展望台へは、日本庭園のわきから階段を登って行く。これが結構つらい。

桜山公園 (5)
桜山公園 (7)
10月上旬という、こんな季節外れに行ったにもかかわらず、1輪の桜がお出迎えしてくれた。とは言え、当然あとは何にも咲いてない。上の写真も12月には満開になってるんだろうなぁ~。

じゃあ、12月の咲いてる頃に行けばいいのに? ごもっともです。でも、オレは暑いのも嫌いだけど、寒いのも嫌いなの。さらに、田舎もんなので、人混みはもっと嫌いときている。だから、こんな季節外れの誰もいない時に行ったのさ。(本当に誰もいなかった・・・。)

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高崎市榛名山町の榛名神社。
榛名湖から高崎市側へ下って行くと10分くらい。

榛名神社
榛名神社 (5)
榛名神社 (6)
榛名神社は上野国六宮で、約700mの参道は大杉と巨岩・奇岩に囲まれている。ただ、この700mが結構足にくる。基本的に上りで、石段も多い。

榛名神社 (8)
双竜門(上の写真)をくぐる頃には歩くことに必死で、その後ろにそびえる鉾岩(別名ろうそく岩)をゆっくり眺める余裕もなし。

榛名神社 (10)
榛名神社 (9)
社殿に着くと、その奥(後ろ)にある巨岩に目が行く。これは御姿岩と言って上の方に洞窟があり、実はそこに御祭神が祀られている。

ところで、榛名神社には何回か行ってるが、今回あまりの混雑にビックリ。若い人が多かったのにも驚いた。最近のパワースポットばやりの影響??

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上毛かるた紀行、第15弾!

へ
(へ) 平和の使徒(つかい) 新島襄

新島襄旧宅 (2)
新島襄旧宅 (7)
新島襄旧宅
安中市にある新島襄の旧宅。新島襄自身は安中藩の江戸屋敷で生まれており、ここに居住していたのは、後に3週間という。居住というよりは滞在。

もともとは50m離れた場所にあったものを、地域の方々の保存運動により、市が買い上げ移築したとのこと。部屋は7畳半の2間。昔の長屋はこんなもんなのかな。

新島襄旧宅 (3)
新島襄旧宅 (4)
移築した時、西側半分が記念館になった。遺品や関係書類、写真が多数展示されている。

これ、ただ見ただけでは多分何にも分かんない。外国の方の写真もあるのだが、新島襄との関係とか説明文がないので。

オレが行った時は管理人さんが細かく説明してくれたので(オレしかいなかった)、非常によく理解できた。生まれから、国外脱出、帰国、布教活動、同志社創立等。管理人さん、すごくいい人。

でもここ行きずらい。旧国道18号から、すごく細い路地を行かないといけないので。

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上毛かるた紀行、第14弾!

つ
(つ) つる舞う形の 群馬県

巡れない上毛かるたにノミネートしたけど、良い方法を思いついた。

歴史博物館
群馬の森
ここは高崎市綿貫町にある群馬の森。市民の憩いの広場(公園)になっており、その敷地内には県立歴史博物館と県立近代美術館がある。

歴史博物館 (6)
この県立歴史博物館は群馬県の歴史が縄文時代から近世まで、各種の展示物で綴られている。県内の古墳から出土した貴重な刀剣や埴輪等も。まあ、本当に重要なものは東京の国立歴史博物館に貯蔵されているので、レプリカが多いが・・・。

歴史博物館 (7)
そんな中、明治初期の群馬県の変遷が図示されている。これこそが「つる舞う形の群馬県」の誕生である。明治維新後の廃藩置県、合併・消滅等を経て、1876年(明治9年)だいたい現在の形になった。

まあ、こんなもんでご勘弁を!

最後にボツネタを。

さちの池
これは、前橋公園内にある「さちの池」。群馬県の形をしている。県庁の展望ホールから良く見える。これでは、あんまり面白くないので、ボツ!!

ついでに、県庁内に群馬県の形をした、小さい噴水(?)がある。これも同様の理由で。ボツ!!

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高崎市岩鼻町の岩鼻陣屋跡。
岩鼻陣屋は江戸幕府の関東直轄地を管理する代官所が置かれていたところ。代官所の設置は寛政5年(1793年)。

岩鼻陣屋址 (2)
その後、慶応4年(1868年)に岩鼻県が設置され、その県庁となった。岩鼻県は廃藩置県以前に設置されたが、その後の合併・分割等を経て明治4年(1871年)に消滅。わずか3年の歴史であった。

岩鼻陣屋址 (3)
岩鼻陣屋址
いまは、その一角に天神山を残すのみ。山上には天満宮の社がある。

岩鼻陣屋址 (4)
天満宮の臥牛も。牛は天満宮において、神使とされていることはご存知の通り。

石垣の一部もあったけど、当時のものとは思わなかったので、写真撮ってこなかった(残念!)。当時の建物等は一切ないが、芝が植えられ広場となっている。

ところが、現在ここはある会社の社有地になっていて、部外者お断りになってる。なんで写真があるかというと、勝手に入ったからなんだけど・・・。(ゴメンなさい。)

ちなみに、新国劇の「赤城の山も今宵限り・・・」のセリフで有名な国定忠治が殴り込んだ代官所は、ここである。(殴り込み自体は、作り話らしいけど。)

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藤岡市白石の稲荷山古墳。

先に紹介した七輿山古墳からほど近い場所にある。
ここも藤岡市が整備している、毛国白石丘陵公園の一部である。
但し、まだ七輿山古墳周りほど整備が進んでいない。

藤岡 稲荷山古墳 (3)
藤岡 稲荷山古墳 (2)
藤岡 稲荷山古墳
白石稲荷山古墳は、全長175mで七輿山古墳をしのぐ大きさである。
推定造営は5世紀前半で、七輿山古墳より約1世紀古い古墳である。

古墳写真は、前方部から後円部を撮ったものだが、円墳にしか見えない。
なんで、こんなアングルになってるかと言うと、写真の右側にネットが
写ってるが、真ん前にゴルフ練習場(打ちっぱなし)があるから。
国指定の史跡の真ん前に・・・。まあ、公有地じゃないからしょーがないが。

藤岡歴史館
藤岡歴史館 (3)
藤岡歴史館 (4)
近くには、藤岡歴史館がある。七輿山古墳や白石稲荷山古墳等、白石古墳群
からの出土品が保存・展示されている。
あんまり広くないけど、タダってところがいい。

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