Tigerdream の上州まったり紀行

上毛かるたと群馬県内の神社仏閣、遺跡・史跡・古墳、資料館などの紹介。

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太田市安養寺町の呑嶺山明王院安養寺。

明王院

明王院2
明王院は「新田触不動(にったふれふどう)」とも言われる。創建は康平4年(1061年)で、源頼義が開基である。後に新田義貞が、七堂伽藍十二坊を有する大寺院へ再建したという。

明王院3
明王院4
明王院5
不動堂には二体の不動明王が納められている。そのうち一体が義貞鎌倉攻め(旗揚げ)の際、山伏に化身し越後方面の新田一族に一夜にして触れまわったという。それで「新田触不動」と言うそうな。

二天門には、持国天と多聞天があるとのことだったが、修理中との表示が。

明王院6
明王院7
明王院8
境内には、江戸時代建立のピラミッド型の千体不動尊がある。これは、高さが6mもあり、合計で千体の不動明王像が彫られている(陽彫)。

小川宇兵衛重政という人が、延亨4年(1747年)に江戸の石工に85両で造らせたという記録があるとか。ところで、小川宇兵衛重政って誰?? その後、この方のご子孫が昭和32年(1957年)に修復もしているらしい。

尊敬の念に堪えない。

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太田市亀岡町の新田義貞・駒つなぎの松。

新田義貞 駒つなぎの松 (1)
新田義貞 駒つなぎの松 (2)
生品神社で旗揚げた義貞は、鎌倉を目指して進軍を開始した。とは言っても、このときわずか150騎。

進軍経路は諸説あるようだが、生品神社から南進し、国境を流れる利根川を渡る前にこの地で休したという。そのとき愛馬をつないだのが、この松といわれている。

西に向かい、前橋あたりで利根川を渡り、高崎経由で鎌倉に向かったとの説もある。今も残っている鎌倉街道を見ると、こっちの方が正しいような気も・・・。

松じたいは立派であるが、樹齢1000年には見えないので、何度か植え替えられているようだ。

こういう伝説じたいが、この地の人々が新田義貞を慕っていたことの表れかな。

そう言えば、松につないだ愛馬にも伝説がある。義貞が討ち死にする戦に出陣する際、義貞が乗れないほど大きく暴れ、主人の死を予感していたという逸話が太平記に出てくる。

ちなみに、埼玉県狭山市の八幡神社にも、義貞が愛馬をつないだという松がある。

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安中市安中の安中教会。

安中教会 (1)
明治11年(1878年)新島襄より地元求道者30名が洗礼を受け、安中教会が創立された。群馬県で最初の教会であり、同時に日本人の手により創立された最初の教会でもある。

安中教会 (2)
安中教会 (3)
安中教会 (4)
安中教会 (5)
安中教会の教会堂(新島襄記念会堂)。新島襄召天30周年を記念して建てられた会堂。信徒及び日本中から募った献金により大正8年(1919年)に竣工。

中の見学は予約が必要みたいなので、外(敷地外)から写真を撮らせてもらった。門はいつも閉じられている?

まあ、日本のお寺や神社のように、常に解放しておく訳にはいかないってことかな。機会があったら、中に入って(特に教会堂)厳かな雰囲気を味わってみたい。

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桐生市広沢町の彦部家住宅。
国の重要文化財に指定されている。

彦部家住宅 (4)
彦部家住宅 (3)
彦部家住宅 (5)
彦部家の歴史は古く、その祖は天武天皇の第一皇子・高市皇子だそうな。室町時代は足利将軍家に仕え、3代義満から金閣寺造営の作業奉行に任じられるほどの地位にいたらしい。

戦国時代、時の当主・彦部信勝が関東に下向し、この地に留まったという。時に永禄4年(1561年)のこと。

屋敷は山麓に配置した典型的な中世の城の形態をなしている。規模は東西130m、南北110mで、堀と土塁に囲まれている。

彦部家住宅 (2)
彦部家住宅 (1)
主屋は、入母屋造り・かやぶきで、正面18m、奥行き11mと大きい。建築年代は江戸初期であり、約400年の歴史を誇る。スッゲエ~の一言。

長屋門は、屋敷の表門で正面16.2m・奥行き3.8mで、屋根は茅葺・寄棟造りとする細長い建物である。長屋門は江戸中期の建物。

それ以外にも、冬住(別宅)、文庫蔵、穀蔵等の建屋がある。また、主屋裏には竹ヶ岡八幡宮がある。御神橋もあった。屋敷神様なんだろうけど。裏門は搦め手口と名がついている通り、立派な石垣がある。

何よりすごいのは、この主屋に子孫の方々が最近まで住んでいたということ。不便だったと奥さんが言っておられた。

彦部家梅干し (1)
彦部家屋敷周りでとれた梅から作った、「彦部家秘伝 冬漬けの梅」を買ってきた。美味かった。

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安中市安中の旧碓氷郡役所。

旧碓氷郡役所 (5)
旧碓氷郡役所 (4)
明治11年(1878年)、「郡区町村編成法」が公布され、群馬県に17郡が置かれた。そのひとつが碓氷郡。明治21年(1888年)に、現在の地に役所ができている。

しかし明治43年(1910年)に焼失してしまい、翌年竣工したのが現在も残る旧碓氷郡役所である。建築費は5000円。

旧碓氷郡役所 (1)
旧碓氷郡役所 (2)
旧碓氷郡役所 (3)
当時の会議室が、常設展示場となっており、当時をしのぶ様々なものが展示されている。

天覧の絵・天覧の書ってのがあったけど、昭和天皇の巡幸のおり見ていただいた?

郡って結局は、大正10年(1921年)に「郡制廃止に関する法律」の公布により、行政区画になった。つまり自治体じゃなく、地理的な名称ってこと。

最近では平成の大合併によって、郡の名前も消えつつある。思いつくだけでも、碓氷郡、新田郡、山田郡、勢多郡、群馬郡が消滅した。

由緒ある名称がどんどん消えていき、つまんない名前の市や町ができてるよね。どことは言わないけどさ。

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安中市安中の旧碓氷郡役所。

旧碓氷郡役所 (5)
旧碓氷郡役所 (4)
明治11年(1878年)、「郡区町村編成法」が公布され、群馬県に17郡が置かれた。そのひとつが碓氷郡。明治21年(1888年)に、現在の地に役所ができている。

しかし、明治43年(1910年)に焼失してしまい、翌年竣工したのが現在も残る旧碓氷郡役所である。建築費は5000円。

旧碓氷郡役所 (1)
旧碓氷郡役所 (2)
旧碓氷郡役所 (3)
当時の会議室が常設展示場となっており、当時をしのぶ様々なものが展示されている。

天覧の絵・天覧の書ってのがあったけど、昭和天皇の巡幸のおり見ていただいた?

郡って結局は、大正10年(1921年)に「郡制廃止に関する法律」の公布により、行政区画になった。つまり自治体じゃなく、地理的な名称ってこと。

最近では平成の大合併によって、郡の名前も消えつつある。思いつくだけでも、碓氷郡、新田郡、山田郡、勢多郡、群馬郡が消滅した。

由緒ある名称がどんどん消えていき、つまんない名前の市や町ができてるよね。どことは言わないけどさ。

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安中市中秋間の瑞林山全性寺(ぜんしょうじ)。

全性寺 (1)
全性寺 (2)
見た目は普通のお寺さんなんだけど、ここには世界で一つしかない(と思われる)観音様がある。「悟留譜観世音菩薩」。ひらがなにすると、「ごるふかんぜおんぼさつ」。そう、ゴルフ観音。

全性寺 (3)
全性寺 (4)
光背部には13本のゴルフクラブが、そしてパターを手にしている。13本のクラブはウッドとアイアンが、きちんと彫り分けられている。

観音様が持っている14本のクラブ(ウッド、アイアン、パター)は、ゴルフのルール上限という以外に、お釈迦様が悟りを開いたときの根本原理、八正道と六波羅蜜(8と6をたして14)を表しているんだそうな。

この悟留譜観世音菩薩に八正道を唱え、ゴルフボールを絵馬に見立て奉納祈願すれば、必ず願い事が成就するとのこと。

オレも、スコアアップとホールインワン達成! を祈願してきたぞ。

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安中市東上秋間の長野新幹線・安中榛名駅。

安中榛名駅 (2)
安中榛名駅 (1)
1997年の長野新幹線開業と同時にできた、新幹線専用駅。

なんで「駅」に行くことが紀行なんだ、と言われそうだが、ここは山奥にあるので、行くだけでも大変なんだよ。ウソウソ、利用者の方に怒られちゃう。(山奥にあるのは本当だけどね)

新聞に、乗車客の少ない新幹線駅が載っていて、安中榛名駅が下から2番目にランクインしていたので、見に来たのさ。ちなみに、2009年度は1日平均261人! 開業当初の2000年度の169人/日に比べれば、増えているけど・・・。

安中榛名駅 改札
駅舎に入ると、すぐそこに改札が・・・。右に小さな待合室。左にはお店が2軒あった。そのうちひとつは、釜めしの「おぎのや」さんだった。売れているとは思えない。人いないもん。

なんで乗車客がこんなに少ないかといえば、駅の地理的な要素以外に新幹線の停まる本数が非常に少ない。

時刻表
上り(高崎・東京方面)は基本的に、1時間に1本。朝7時台は2本あるが、8時台は0本。下り(軽井沢・長野方面)も同様。上りより空白の時間帯が多い。13時24分の次は16時04分! なんと2時間40分もない。

安中榛名駅前
駅前通り(というのかな?)の道は立派だけど、車は走ってないわ人も歩いてないわ。

コンビニ
駅前にはコンビニが1軒あるだけ。しかも、夜8時には閉まってしまうみたいだし。

オレが行ったときも、駅の外にも中にも人がひとりもいなかった。タクシーも1台も停まってなかった。

ある意味、すごく立派なローカル線の駅といった感じ。

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高崎市上滝町の高崎市歴史民俗資料館。

高崎歴史民俗資料館
いろんな町に歴史民俗資料館はあるが、地元から出土した考古資料の展示が多い。ここは民俗系の資料展示に特化しているイメージ。江戸末期・明治から昭和初期くらいのものが多いかな。

高崎歴史民俗資料館 (2)
昭和初期の教室が再現されていて、当時の教科書も展示されていた。

高崎歴史民俗資料館 (3)
礼儀作法。

高崎歴史民俗資料館 (4)
日本史。

高崎歴史民俗資料館 (5)
数学。

礼儀作法なんてあったんだね。今の子どもたちにも、教えた方がいいんじゃないの?

高崎歴史民俗資料館 (6)
通知票まで展示されていた。実名が入っているけど、いいのかな?
昭和19年(1944年)で小学生なら、この方まだご存命じゃないの。まあ、ご本人が寄付したんだろうからいいのか?

この他、戦時中のものや(軍服等)、明治から昭和初期の日用品、昔の商店や宿屋の帳場が再現されていた。駄菓子屋もあった。

高崎歴史民俗資料館 (7)
毎週水曜には機織りが体験できるそうだ。そう言えば、機織り機が10台くらいあった。来場記念スタンプは機織り機だ。

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太田市大舘町の大舘氏館跡。

大館氏館跡 (3)
大館氏館跡 (1)
大館氏館跡 (2)
大舘氏は、新田政義の次男・家氏を祖とする。政義は、例の政義である。過去記事を見てね。(「古墳の中にある神社 -十二所神社-」参照。)

大舘は「おおだち」と読む。大館と書いて「おおだて」と読む場合もあるようだが、今回は大舘(おおだち)で通す。

家氏の子・宗氏は、新田義貞の鎌倉攻めに右大将として参戦している。残念ながら極楽寺坂で戦死している。稲村ケ崎に大舘氏主従十一人塚という慰霊碑がある。

その大舘氏の館があったと言われている場所。

大館氏館跡 (4)
今は何にも残っておらず、小さな諏訪神社が建ってる。ほんとうに何もない。

大館氏館跡 (5)
大館氏館跡 (6)
幹線道路からちょっと入ったところにあるんだけど、辺り一面畑ばっかり。レタス畑の向こうに、何か社が見えるなって感じ。まあ、昔は大きな館があったんだろうけど・・・。

ちなみに、幹線道路にはきちんと案内標識がある。最近太田市(含む旧新田町、旧尾島町)を巡っているが、案内標識が整備されていて本当に助かっている。

さすが、歴史の街!

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太田市世良田町の二体地蔵塚。

二体地蔵塚 (1)
二体地蔵塚 (3)
元弘3年(1333年)、鎌倉幕府執権・北条高時は、西国(近畿地方)の乱を鎮めるため、10万の兵を京都に派遣することになった。その戦費を調達するため、関東各国から臨時の税金を取り立てた。ちなみに、西国で乱を起こしたのは楠木正成。

その際に、新田荘世良田は裕福な者が多いという理由で、特に莫大な税金を課した。その使者を新田義貞が「ふざけんなっ!!」って、斬って首を晒したのがここ。

使者を斬ったのは、新田館(総持寺)であるといわれている。ここから1kmくらい。
(「新田館跡 -総持寺-」参照。)

二体地蔵塚 (2)
出雲介親連と黒沼彦四郎入道の2人が使者できたんだけど、何故か斬られたのは黒沼ひとり。なので、黒沼彦四郎入道梟首遺跡となっている。二体地蔵塚の二体のもう一体は、後で別のお寺から移した。

この一件により、義貞は鎌倉幕府討幕へ進んでいくことになる。

でもかわいそうなのは、執権殿の命令を伝えにきただけなのに、斬首されてしまった黒沼彦四郎入道さん。権力をかさに、いろいろやったのかな?

まあ、しょうーがないね。

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太田市世良田町の八坂神社。

八坂神社 (1)
八坂神社 (3)
八坂神社 (2)
上野国新田祇園牛頭天王縁起によると、貞観18年(876年)の創建とあるので約1200年の歴史。

夏祭りは「世良田祇園」として知られ、11台の屋台が繰り出して競う祇園ばやしは、関東の三大祭りのひとつに数えらたとか。

八坂神社(4)
近年は、規模は縮小されたものの、神輿の渡御などの伝統が受け継がれている。どんなお祭りか、見てみたい気もする。

芭蕉句碑 (1)
芭蕉句碑 (2)
境内には、芭蕉の句碑がある。文政9年(1826年)建立で、仁井田碓嶺(にいたたいれい)とかいう俳人の筆らしいんだけど、何で芭蕉の句なの? 当時の俳人にとって、松尾芭蕉ってのはすごい存在だったんだろうけど。

明治になっての神仏分離以前は新田天王社と言われており、新田氏代々の崇敬社だった。

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上毛かるた紀行、第29弾!

り
(り) 理想の電化に 電源群馬

上毛かるたが作られた昭和22年(1947年)当時は、水力発電が電力供給量の70%以上を占めていた。群馬県は山がちな地域で、急流には事欠かなかったので、水力発電用のダムがたくさん造られた。

まあ、そんなことから、群馬県が電力供給を担っているんだということで、この札ができたんだと思う。

下久保ダム
これは下久保ダム。群馬県と埼玉県の県境を流れる神流川にある。昭和43年(1968年)の完成。藤岡市鬼石町になるのかな。

堤高129mの重力式コンクリートダム。利根川水系のダムの中でも2番目に大規模なものである。

神流湖 (1)
神流湖 (2)
ダム湖は、神流川からとって神流湖。そのまんまだけど。

利根川上流の方には、八木沢ダム、奈良俣ダム、藤原ダム等、もっと名の知れたダムが多いのに、何で下久保ダムなの?

理由は2つ。
ひとつは、利根川上流まで行くのは、遠くて大変だということ。
まあ、これは分かりやすい。で、ふたつめの理由が、本当は重要なのだ。
(り)の絵札にダムが描かれてるが、実は建設中の下久保ダム。

上毛かるたができたのと(1947年)、下久保ダムができた(1968年)のが合わないと思うかもしれないが、絵札は何回か変更されてるんだよね。1968年に改定されたとき、建設中だった下久保ダムをモデルにした。

本当だよ!

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上毛かるた紀行、第28弾!

き
(き) 桐生は日本の 機どころ

桐生は、奈良時代から絹織物の名産地として知られている。桐生織と呼ばれる高級織物で、京都・西陣と並び称された。

桐生織記念館 (1)
桐生織記念館 (2)
桐生織記念館 (3)
行ったのは桐生市永楽町にある、桐生織物記念会館。昭和9年(1934年)の建設。建物には趣がある。

ただ、直営店も含めて、ちょっと地味だったので、もう1ヶ所行ってみた。

桐生織物観光センター (1)
桐生市広沢町の桐生織物観光センター。群馬県内最大の織物展示即売所。レストランもあり、ドライブインといった感じ。観光バスも停まっていた。

桐生織物観光センター (4)
桐生織物観光センター (5)
桐生織物観光センター (6)
広い展示・販売スペースに、伝統の桐生織物(きものや繊維製品、藍染め品)がいっぱい!!民芸品やお菓子といったお土産の定番も、もちろんいっぱい!

お土産
桐生織のコースターと大黒様の開運宝くじ入れを買ってきた。宝くじ入れには、早速購入済みの宝くじ(関中東)を入れたぞ。


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太田市世良田町の威徳山総持寺。

総持寺 (2)
総持寺 (4)
総持寺は、新田館の一角に建てられたお寺で、中世の堀跡と掘立建物、井戸などが確認されている。新田館は、その規模から新田一族の総領クラスの居住館とみられている。

調べると、保元元年(1157年)に新田義重が築いたと言われているらしい。その後代々新田氏の総領が住んでいたってことかな。新田義貞は、ここから生品神社に向かい、鎌倉に出陣したという説もある。

総持寺 (3)
吾妻鏡に出てくる、源頼朝が那須に狩りに行った帰りに立ち寄った「新田館」は、ここだという。また、太平記に出てくる、新田義貞が鎌倉幕府からの使者を斬首した、「わが館」もここだという。

総持寺 (5)
総持寺

鐘楼と鐘。解説板もあったんだけど、よく読んでこなかった。太田市の重文みたいだけど。

今の総持寺境内には、当時を偲ばせるものは残っておらず、ちょっと残念。申し訳ないけど、ただのお寺。

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