Tigerdreamの上州まったり紀行

上毛かるたと群馬県内の神社仏閣、遺跡・史跡・古墳、資料館などの紹介。

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甘楽郡下仁田町宮室の宮室山常光寺。

常光寺 (1)
常光寺は明応元年(1492年)に慈光阿闍梨が開山したと伝わる。

常光寺 (2)
石段の途中には、檀家の方を偲んだ不動明王が鎮座している。

常光寺 (3)
常光寺 (4)
度重なる火災に見舞われたが、現在の本堂は文政元年(1818年)の
再建。昭和期に大改修が行われている。
本尊は阿弥陀如来で、天保13年(1842年)に日光・養源院から寄贈
されている。(ちなみに養源院は明治期に廃寺となっている)

常光寺 (5)
常光寺 (6)
境内はあまり広くないが、観音様が参拝客を迎える配置になっている。

常光寺は「鏑川七福神」の寿老人を祀っている。


甘楽郡下仁田町下仁田の安養山清泉寺。

清泉寺 (1)
清泉寺は、鎌倉時代の有力御家人・畠山重忠の弟である重俊が、兄の
菩提を弔うために開山した。重忠の没年は元久2年(1205年)なので、
この辺りの創建と思われる。

清泉寺 (2)
山門の天井絵。

清泉寺 (3)
清泉寺 (4)
現在の本堂は文政11年(1828年)の再建。

清泉寺 (5)
清泉寺 (6)
梵鐘は安永9年(1780年)、地元の鋳物師・太田長左衛門尉藤原順本に
よって鋳造された。高さ142.5cm、口径75cm。
寺の概略と畠山家先祖の追福のために鋳造された旨、銘文が刻まれている。

鋳物師名として「太田長左衛門尉藤原順本」と下仁田町のHPに書かれて
いるのでそのまま書いたが、これはどう解釈すればいいの?
左衛門尉って官名(後世は受領名が多い)だと思うが・・・。それとも太田
長左衛門と藤原順本の2人?

清泉寺 (7)
清泉寺 (8)
墓地にある宝篋印塔。この宝篋印塔は、基礎と塔身の間に須弥壇をかた
どった軸部と中台を置く形式のもの。
富岡・甘楽地域では唯一の須弥壇式宝篋印塔である。
造立は明徳2年(1391年)で、下仁田町では最古の宝篋印塔。

ちなみに、明徳は北朝の年号。明徳2年は南朝では元中8年。
富岡・甘楽地区に残る石塔は、そのほとんどが北朝の年号を用いている。
この地区が北朝側の影響下にあった証拠である。


甘楽郡下仁田町馬山の勝馬山栄命寺。

栄命寺 (1)
栄命寺は安和元年(968年)慈恵大師の開基である。
慈恵大師は、一般的には元三大師の名で知られる。第18代の天台
座主。延暦寺の中興の祖とされている。

栄命寺 (2)
栄命寺 (3)
本堂は平成16年(2004年)に改修されている。

栄命寺 (4)
墓地の入口には奪衣婆と思われる像があった。
奪衣婆は三途川の渡し賃である六文銭を持たずにやってきた、亡者の
衣服を剥ぎ取る老婆である。

生前に死後の裁きを軽くしてもらえるよう、また身内で不幸があった時
など、良い判決がくだされるよう、墓地の入り口に置いて拝んだりなでたり
する風習がある。像の擦り減り方から奪衣婆かなと思ったということ。

栄命寺の山号である勝馬山とは、この地の産業である馬の飼育と、その
売買の繁盛を願ったものといわれている。地名も馬山というくらいだから、
古来から馬の飼育が行われていたんだと思う。

現在、馬山地区は下仁田ネギの主産地として名を馳せている。


甘楽郡下仁田町馬山の馬山神社。

馬山神社 (1)
馬山神社 (2)
馬山神社は、明治10年(1877年)に稲荷神社が若宮に遷座したことに
伴い、その跡地に旧馬山村に散在していた神社を合祀し創建された。
合祀した神社以外にも当地へ移転安置した末社は30社にのぼる。

馬山神社 (3)
鳥居をくぐると、社殿へは下って行く。

馬山神社 (4)
馬山神社 (5)
社殿はこじんまりとしているが、厳かな良い雰囲気である。

馬山神社 (6)
神楽殿。毎年、秋の例祭には獅子舞が奉納される。
馬山地区は獅子舞が盛んな地域で、白山、鎌田、四村、若宮、蒔田の
5つの組で伝統が残っている。

馬山神社 (7)
神饌舎と思われる建物。神饌とは神様へのお供え物のこと。

実は別の場所に行こうとして迷ってしまい、車を回そうと入り込んだら
馬山神社だった。結果的にラッキーだった。


渋川市、吉岡町、榛東村

鬼面石祠 -下八幡宮-
雨乞い祈願の霊験碑 -大宮神社-
旧新井村の守護神 -榛東村・新井八幡宮-
道元の典座教訓像 -宮昌寺-
奈良時代の創建 -聖宮神社-
渋川市津久田・人形舞台
敷島のキンメイチク(金明竹) -上の森八幡宮-
渋川市津久田・赤城護国神社
渋川市津久田・鏡の森歌舞伎舞台
関口文次郎の本殿彫刻 -渋川市津久田・赤城神社-
静寂の古社 -子持神社-
新田一門・大島氏の墓 -大島家墓地の石堂墓石-
非思量庭(えもいわれぬ◯◯◯のお庭) -福増寺-
永岡形部左衛門の墓 -興禅寺 その2-
三原田の宝篋印塔群 -興禅寺-
北牧の氏神様 -若子持神社-
山崎石燕の墓と鳥酔翁塚 -雙林寺 その2-
江戸時代初期の農家造り -旧入沢家住宅-
渋川市・虚空蔵塚古墳
渋川市・横堀宿の三国街道一里塚
有栖川熾仁親王がご祭神 -有栖川宮神社-
相馬山信仰 -黒髪山神社-
養蚕家・馬場重久の墓
渋川金井宿の分水石と滝不動
旧塩川温泉・湯前薬師石堂
大自然の芸術作品 -かに石甌穴-
三国街道金井宿本陣跡
里見義秀の供養塔? -金蔵寺-
断崖の懸崖造り御堂 -岩井堂観世音御堂-
群馬の創作こけし -卯三郎こけし-
伊香保 おもちゃと人形 自動車博物館 
日本のポンペイ その2 -中筋遺跡-
三国街道の一里塚
武田信玄の愛馬を供養 -駒形社-
日本のポンペイ -黒井峯遺跡-
群馬県埋蔵文化財調査センター 発掘情報館
甲(よろい)を着た古墳人 -群馬県埋蔵文化財調査センター-
平(千葉)常将を祀る -常将神社-
伊香保(水沢)街道野田宿・森田宗家
上野国四之宮 -渋川・甲波祝禰神社-
伊香保森林公園・わしの巣風穴
佐渡奉行街道の道しるべ その2
五重塔がある! -柳沢寺-
佐渡奉行街道の道しるべ
空から飛来した観音様 -矢落観音-
葺石がすご過ぎ(笑) -滝沢古墳-
珍しい正八角形墳 -三津屋古墳-
吉岡・南下古墳群 その4 -E号古墳&F号古墳-
吉岡・南下古墳群 その3 -C号古墳&D号古墳-
吉岡・南下古墳群 その2 -B号古墳-
吉岡・南下古墳群 その1 -A号古墳-
伊香保神社の里宮 -三宮神社-
滝沢石器時代遺跡
勝保沢の十一面観音堂 -宗玄寺-
渋川市赤城歴史資料館
名泉・湧玉が滾々と -木曽三社神社-
意外に楽しめる -榛東村耳飾り館-
北橘のシンボルタワー -佐久発電所-
渋川市北橘歴史資料館
渋川市上白井・空恵寺
雙林寺の七不思議 -雙林寺-
本多氏ゆかりの寺 -源空寺-
真光寺の重要文化財
聖獣が一番印象に残った -真光寺-
渋川氏の祖・義顕の創建 -渋川八幡宮-
水澤観音 -水澤寺-
閉館中でした -旧ハワイ王国公使別邸-   
伊香保御関所(伊香保口留番所)
断崖絶壁の山城 -長井坂城跡-
用水路にある発電所 -天狗岩水力発電所-
伊香保温泉の石段を最後まで登ると・・・ -伊香保神社- 


北群馬郡吉岡町南下の下八幡宮。

下八幡宮 (1)
下八幡宮 (2)
下八幡宮 (3)
下八幡宮 (4)
下八幡宮は嘉禄元年(1225年)足利義胤が桃井郷の地頭に任命され、
鎌倉(鶴岡)八幡宮の分霊を勧請し創建。
足利義胤はこのとき、桃井義胤を名乗るようになった。
(義胤の父・義助が山子田に桃井城(桃井西城)を築いた際に、桃井を
名乗ったともいわれる)

下八幡宮 (5)
下八幡宮 (6)
社殿裏にある石祠。
石祠は高さ102cm、棟幅86cm、奥行き99cm。棟の両側に鬼面が
彫刻されている。寛永12年(1635年)の銘がある。

下八幡宮 (7)
鬼面というわりには、風化が進んでいるせいか柔和な表情をしている。
解説版には「能面の翁のような顔立ち」と書いてあった。

下八幡宮 (8)
下八幡宮 (9)
境内の大ケヤキ。樹齢などは分からないが、中央部に大きな樹洞が
できている。樹洞と言うにはえぐれ過ぎかな。
後ろの桜の花が重なってしまっているが、桜の木ではなにので為念。

下八幡宮には関白竜天流の獅子舞が伝わっており、室町時代からとも
いわれている。獅子頭は大きく、螺旋状に彫刻された角を持つ珍しい
形状をしている。


北群馬郡榛東村長岡の大宮神社。

大宮神社 (1)
大宮神社 (2)
大宮神社は武列天皇がこの郷に行幸された際、随行していた大伴氏の
一族・大伴森多が武烈天皇を祀り創建したといわれる。
大伴森多は当地に土着し、森田氏の祖となったという。
榛東村や吉岡町には森田姓が多いが、その代表格が吉岡町上野田の
森田宗家である。
(「伊香保(水沢)街道野田宿・森田宗家 」参照)

また、御諸別王の子・賀袁真雅命が有馬一族の先祖を祀ったともいわ
れている。ちなみに、御諸別王は豊城入彦命の孫・彦狭島王の子で、
上毛野氏の祖といわれる。景行天皇の御代の人物。

いずれにしても、大宮神社はの由緒は凄いと言うこと(真偽は別として)。

大宮神社 (3)
大宮神社 (4)
現在の社殿は大正10年(1921年)の再建。

大宮神社 (5)
境内のご神石。由来などは分からず。

大宮神社 (6)
大宮神社には獅子舞が伝わっており、寛永年間(1624~45年)の
創設ともいわれる。獅子頭は左甚五郎の作との伝承がある。

獅子舞は五穀豊穣、天下太平などを祈願して行われたが、雨乞い祈願
の霊験も強い。
大正15年(1926年)の大干ばつの際には、船尾滝瀑布下での獅子舞
奉納により大雷雨をもたらし、榛名山一帯を救ったといわれる。
写真はその旨記載された「雨乞い祈願の霊験碑」。

大宮神社 (7)
雨乞い成功の喜びは歌にも詠まれ、歌碑として残っている。
「うぢ子らの 心づくしの 獅子舞を 神もうけてや 雨降らしむ」

獅子舞は春秋の例大祭に奉納される。


北群馬郡榛東村新井の八幡宮。

新井八幡宮 (1)
新井八幡宮 (2)
新井八幡宮は嘉禄2年(1226年)桃井義胤が鎌倉八幡宮を勧請し、
桃井八幡神社として創建されたという。
鎌倉八幡宮とは鶴岡八幡宮のこと。

新井八幡宮 (3)
新井八幡宮 (4)
社殿は応永34年(1427年)に洪水により流出した記録が残る。
現在の社殿は明治41年(1908年)の再建。

新井八幡宮 (5)
新井八幡宮に伝わる太々神楽は、明治のはじめに前橋・総社神社
から伝承されたもの。現在も例大祭時に15座程度が奉納される。

新井八幡宮 (6)
新井八幡宮 (7)
新井八幡宮 (8)
八幡宮の近傍は「八幡ほたるの郷」として整備されている。

もともと、この湧き水を八幡宮参拝の手洗いに使用したことが新井村の
由来となっている。


北群馬郡榛東村広馬場の医王山宮昌寺。

宮昌寺 (1)
宮昌寺は伝教大師(最澄)創建の船尾山坊のひとつ。
養和元年(1181年)に千葉(平)常将により船尾山系が焼失した際、
薬師如来がここの池に飛来したので、寺を建て祀ったのが始まりという。

関連
 「空から飛来した観音様 -矢落観音-
 「五重塔がある! -柳沢寺-
 「平(千葉)常将を祀る -常将神社-

当初は天台宗・真珠山医王寺といい、薬師信仰霊場として栄えたが、
戦国期に荒廃。文禄2年(1593年)井伊直政が寺を再興。
その後、寛永8年(1631年)に曹洞宗に改宗した際に、宮昌寺と改称
している。

宮昌寺 (2)
門前にある「道元禅師と老典座の出会い」像。
道元とは曹洞宗の開祖、典座は食事を作る係(僧)。

道元 「如何ぞ行者、人を使はざる」
    (なぜ若い者を使わないのか)
典座 「他は是れ吾にあらず」
    (自分が与えられた仕事を他人に任せては、自分の修行にならない)
道元 「天日且つ恁のごとく熱し、如何ぞ恁地にする」
    (炎天下でなぜそれほどなさるのか)
典座 「更に何れの時をか待たん」
    (今を外して一体いずれの時を待つのか)

中国で修行中の若き道元が、老典座の自己に対する厳しい修行態度に
深く感銘を受けたという逸話(だそうだ)。

宮昌寺 (3)
宮昌寺 (4)
宮昌寺 (5)
宮昌寺 (6)
楼門(仁王門)は平成17年(2005年)の建立。

宮昌寺 (7)
通用門との表示があったが、旧山門かな。

宮昌寺 (8)
宮昌寺 (9)
本尊の釈迦如来を祀る。
寺歴からすると薬師如来が本尊のような気もするが、戦国期荒廃した際
寺宝は散逸したとされている。ちなみに、飛来した薬師如来像は行基作
といわれる。

宮昌寺 (10)
本堂脇に六角堂がある。位牌堂と思われる。

宮昌寺 (11)
境内にある「穴薬師」。
室町から江戸にかけての像立といわれる(時期が広いな)。丘の中腹に
ある洞穴内に祀られていたが、昭和57年(1982年)に境内に遷された。

ところで、道元の典座教訓像見て、仏教に詳しい訳ではないが「更に何れの
時をか待たん」は真理だと思った。


北群馬郡榛東村広馬場の聖宮(ひじりぐう)神社。

聖宮神社 (1)
聖宮神社 (2)
聖宮神社は宝亀3年(772年)京都から勧請したと伝えられる。
事実なら奈良時代の創建ということになる。

聖宮神社 (3)
聖宮神社 (4)
文亀元年(1501年)に社殿を再建した記録が残る。

聖宮神社 (5)
聖宮神社には太々神楽が伝わる。
時の領主・桃井直常が社殿再建を祝い参拝した際に、神前に馬上武術を
奉納、村人は神楽を奉納したことから、例祭に神楽を奉納するのが慣わし
となったという。

明治に入り、南和重朗氏が舞を工夫し、従来のものに加え新しい神楽を
考案している。これが三宮神社(吉岡町)などに伝承されている。

ところで、榛東村役場HPによると、
「慶長6年、井伊備前守が田畑八反歩を寄進し、寛永2年(1625年)
安中藩主板倉土佐守が神饌幣帛料を納めたという」
とあるのだが・・・。

慶長6年は1602年なので、井伊備前守は井伊直勝と思われる。直勝が
備前守だったとはあまり聞かない。また、寛永2年(1625年)の
安中藩主はまだ井伊直勝。寛延2年(1749年)なら板倉勝清が藩主。
寛永と寛延の間違い? (広馬場は旧安中藩領)

まあ、あまり細かいことは置いておこう(笑)。


高崎市(旧群馬町、旧箕郷町、旧榛名町、旧吉井町、旧新町、旧倉渕村)

井伊直政の伯母・恵徳院の開基? -萬松寺-
高崎市箕郷町・松山寺
果売箱が狛犬代わり? -高崎下室田・大森神社-
高崎市中室田町・岩井堂の石幢
高崎市倉渕町・石上神社
高崎市倉渕町・榛名山座主の森
室田之滝不動 -高崎市室田・大福寺-
羊太夫を祀る その2 -多胡神社-
高崎市吉井町・恩行寺古墳
鎌倉時代の創建 -恩行寺-
長根氏の居城 -長根城址-
権田栗毛の観音像を祀る -岩窟観音-
大戸浦野氏の中興開基 -全透院-
高崎市吉井町・南高原1号古墳
高崎市吉井町・片山1号古墳
羊太夫が乗ってきた舟? -舟石-
高崎市・金古愛宕山古墳
高崎市吉井町・御穴塚古墳
羊太夫の龍馬伝説 -随雲寺-
高崎市吉井町・馬庭飯玉神社
吉井藩陣屋跡(春日社跡)
吉井藩主・菅沼定利の氏神 -吉井八幡宮-
福田赳夫元首相の銅像
高崎市吉井町・馬庭念流道場
利根川100景 -東谷渓谷-
高崎市吉井町・住吉神社
剣聖・塚原卜伝の勧請? -卜神諏訪神社-
延文の板碑 -折茂観蔵院-
萌え系絵馬 -白山神社-
長野業正の長男・吉業の墓 -善龍寺 その2-
箕輪城水の手曲輪 -法峰寺-
柏木沢の蚕影碑
由良国繁の墓? -箕郷町・金龍寺-
吉井町・小暮の穴薬師
天久沢陣城跡の石造地蔵菩薩坐像
武田信玄の陣城跡 -天久沢観音堂-
榛名富士に登ったぞ! ロープウェイでだけど
榛名公園ビジターセンター
木部姫伝説の井戸 -長年寺 その2-
木部姫伝説 -御沼オカミ神社-
細川興秋の末裔・長岡家の供養施設 -弥勒寺-
日本三妙見 -妙見寺/妙見社-
木曽義仲の父・源義賢の館跡 -多胡館跡-
火打金鍛冶職人・中野孫三郎の墓
高崎市新町・神流川合戦の供養塔
土師清大夫の墓 -浄泉寺-
元禄と享保の石鳥居が保存されている -高崎市新町・諏訪神社-
小林一茶も寄進 -新町宿見透し灯籠-
遊女奉納の絵馬 -高崎市新町・八幡宮-
大和郡山藩柳沢家2代・柳沢信鴻の継室の墓 -宝勝寺 その2-
小判供養塔 -宝勝寺-
高崎市新町・明治天皇行在所
遊女・於菊物語 -於菊稲荷神社-
福田赳夫元首相の墓 -徳昌寺-
高崎市榛名歴史民俗資料館
情緒のある佇まい -延命密院-
小串氏の墓所と南北朝時代の石仏 -地勝寺-
奥平氏発祥の地 -奥平神社-
多胡郡の総鎮守 -辛科神社-
吉井藩代官・橳島家3代の墓 -法林寺-
菅沼定利の墓 -玄太寺-
県内屈指の大伽藍 -仁叟寺-
義民・白田六右衛門の顕彰碑 -龍源寺-
吉井・多胡薬師塚古墳
里見城址に行ってきた?? -里見城址-
里見氏ゆかりの神社 -郷見神社-
里見義俊の菩提寺 -光明寺-
伝・権田栗毛 終焉の地
小栗上野介忠順 終焉の地  
井伊直政の開基 -龍門寺-
ちょっと荒れ過ぎ・・・ -石上寺-
石棺が剥き出しで保存されてます -保渡田薬師塚古墳-
立派な前方後円墳なんだけど・・・ -保渡田八幡塚古墳-
白岩観音 -長谷寺-
内藤塚 -善龍寺-
伝・長野業盛の墓
長野業盛の墓があるって聞いたけど・・・ -大円寺-
長野業正の墓 -長純寺-
長野氏累代の墓 -長年寺-
堀部安兵衛の設計・築造の庭園 -旧下田邸書院&庭園-
吉井藩陣屋の表門
吉井藩の歴史を勉強しました -吉井郷土資料館-
合併記念の碑だった -入野碑-
埋もれた名城 -箕輪城-
見晴らしはいいけど・・・ -吉井・牛伏山-
戦国時代に想いをはせる -神流川の合戦-
あれっ? 何でこんなに混んでるの? -榛名神社-
アララギ派って? -土屋文明記念文学館-
あたり一面草ぼうぼう -上野国分寺跡-
小栗上野介の墓 -東善寺-


高崎市箕郷町東明屋の育王山萬松寺。

萬松寺 (1)
萬松寺 (2)
萬松寺 (3)
萬松寺は大永年間(1521~27年)井伊直政の伯母・恵徳院の開基、
大光普照禅師の開山と伝わる。
恵徳院の没年は大永元年(1521年)とされているので、大永元年の
創建か?

萬松寺 (4)
萬松寺 (5)
本堂は平成14年(2002年)の新築。

萬松寺 (6)
萬松寺 (7)
境内の如意輪堂。如意輪観音が祀られているのだろうが、中は覗け
なかった。

萬松寺 (8)
なぜか六地蔵がヘルメットを被っている(笑)。なんとなくかわいく見える
から不思議だ。

井伊直政が恵徳院の菩提を弔うために創建した恵徳寺は、直政の高崎
転封の際に市内に移っている。恵徳寺と萬松寺の関係性は、あるのか
ないのかも含め、知識がなく分からない。
(「井伊直政の伯母のお寺 -恵徳寺-」参照)


富岡市、甘楽町、下仁田町、南牧村

富岡市・鳴沢不動尊の霊泉
富岡市最古の板碑 -仁治の碑-
鬼子母神御取子 -本城寺-
小幡氏歴代の墓 その2 -興巌寺-
織田の御馳走門 -長岡家の薬医門と四脚門-
那須与一所縁のお社 -与一八幡社-
甘楽町最古の板碑 -仁治の板碑-
甘楽町で2番目に古い板碑 -建長の板碑-
甘楽町・城町下薬師堂の石仏
上野蔵屋敷跡 -吉田家の土塁・濠跡-
天引石の阿弥陀三尊 -今宮寺-
庭木盆栽式アカマツ -鍛冶屋沢の松-
甘楽町天引・向陽寺
奉行ザクラ -天引諏訪神社-
文永5年銘の小幡型板碑 -甘楽町・宝勝寺-
力士・柳川子之吉の碑
大隅流素木造りの山門 -最興寺-
元磨墨神社の大絵馬 -伏見神社-
奪衣婆がお出迎え -永隣寺-
万葉集東歌の歌碑 -丹生神社-
横尾丹波守吉泉の墓
建治銘の石造地蔵菩薩像 -額部神社-
元応2年・貞治2年銘の板碑 -富岡市・西方寺-
富岡市・北山茶臼山古墳
稲部市五郎種昌の顕彰碑
稲部市五郎種昌の墓 -富岡市・金剛院-
橋本暮村の墓 -伝宗寺-
満願虚空蔵菩薩 -星田の虚空蔵堂-
甘楽町・天引の笠塔婆 その2
仮面ライダーゴーストの大天空寺! -光厳寺-
高田大和守憲頼の墓 -陽雲寺-
千鳥破風の鬼面彫刻 -富岡市妙義町・菅原神社-
鏑川上流の渓谷 -不通渓谷-
下仁田町・安楽地の板碑
いろいろな碑が建っている -貫前神社前公園-
ゆかりは古し貫前神社 再訪
平安時代の創建 -高太神社-
彦狭島王の墳墓? その3 -天王塚古墳-
富岡市・田篠しの塚古墳
黒岩の大日堂 -遍照寺-
甘楽町・天引の笠塔婆と板碑
庭屋氏の居城 -庭谷城址-
伝・庭屋氏累代の墓 -甘楽町・庭谷の五輪塔-
樹齢800年の大杉 -宮崎神社-
富岡市上高瀬の薬師堂
富岡市・横瀬八幡宮
世界遺産・荒船風穴
群馬自由民権の碑 -光明院-
富岡市・堂山稲荷古墳
七日市藩前田家の元祖廟 -前田家御宝塔-
昭和初期の近代和風建築 -富岡市社会教育館-
甘楽古代館再訪
本殿の修理が完了しました -妙義神社 その2-
荒船・妙義山系山岳信仰 -黒瀧山不動寺-
生物の進化が分かる -群馬県立自然史博物館-
富岡製紙工女の墓 その2 -海源寺-
高橋道斎の墓 -常住寺-
下仁田町・山際稲荷神社
下仁田戦争の碑 -義烈千秋の碑 & 維新之礎碑-
驚き!の空堀 -麻場城址-
甘楽町・天引中宿の薬師様
小野小町所縁の薬師様 -小野の塩薬師-
ナニコレ珍百景に登場 -夫婦岩-
地方商人の家宝(?) -岡部温故館-
「おのれの滝」の水源 -曽木神社-
昭憲皇后(明治天皇妃)の歌碑とおのれの滝
お菊の墓が旧妙義町にもあった
前田利家側室・明運尼の墓 -永心寺-
上野国十二之宮 -宇芸神社-
小野小町の開基 -得成寺-
組石造りの地蔵像 -法華経供養遺跡-
笹森稲荷神社と笹森古墳
日本一大きい磨崖仏・・・ -長厳寺-
お菊伝説 -宝積寺 その2-
小幡氏歴代の墓 -宝積寺-
無料こんにゃく料理バイキング -こんにゃく博物館-
日本最古の一般住宅? -旧茂木家住宅-
七日市藩主の菩提寺 -長学寺-
七日市前田家の崇敬社 -蛇宮神社-
県立富岡高校内にあります -七日市藩陣屋跡-
富岡製紙工女の墓 -龍光寺-
甘楽町・松井家住宅
拝殿の天井絵がみたい! -小幡八幡宮-   
中世の薬師如来像 -宝泉寺-
土日・祭日は休館って・・・ -甘楽古代館-
下仁田町ふるさとセンター歴史民俗資料館
学問のすすめの意外な事実 -甘楽町歴史民俗資料館-
唯一残る大名公園 -楽山園-
織田家7代の墓碑
富岡市・もみじ平総合公園
本殿は修理中でした・・・ -妙義神社- 
日本一の大黒様 -中之嶽神社-


富岡市上丹生の鳴沢不動尊。

鳴沢不動尊 (1)
鳴沢不動尊 (2)
鳴沢不動尊 (3)
鳴沢不動尊は、空海が全国の名滝、霊山に安置した不動尊60体の
うちの1体といわれる。
とすると、創建は弘仁(810~24年)、天長(824~34年)
あたりか。

鳴沢不動尊 (4)
御堂の裏手には大桁山から湧き出す「霊泉」が流れ落ちている。
水量が多く、滝行ができそうな勢い。

鳴沢不動尊 (5)
鳴沢不動尊 (6)
石垣上には不動明王が鎮座している。

鳴沢不動尊 (7)
左側の石垣から水汲み用と思われるパイプが出ている。手ですくって
飲んでみたらおいしかった。

「霊泉」には様々な伝説があるとのことだが、調べても分からなかった。



富岡市下高尾の仁治の碑。

仁治の碑 (1)
仁治の碑は高さ276cm、最大幅96cmの緑泥片岩製。仁治4年
(1243年)の銘がある。富岡市最古の板碑で、県内でも3番目に古い。

仁治の碑 (2)
上部に五智如来(大日如来、阿閦如来、宝生如来、阿弥陀如来、不空
成就如来)と薬師如来を表す梵字が刻まれている。
天台密教系の信仰に基づいている。

造立者として、「壬生・六人部(むとべ)・小野・藤原・春日・物部・
大宅・安部」など20数人の名前が列記されている。
これらの人物は当時の有力者と考えられ、当地の歴史を知るうえでも
貴重な資料となっている。

甘楽町にある「仁治3年の板碑」と基本的に同一構成だが、こちらは
県の重文指定。甘楽町は1年古いが、風化が進んでいるためか、
甘楽町の重文とまり。
(「甘楽町最古の板碑 -仁治の板碑-」参照)

ちなみに、群馬県内の板碑では、前橋市・小田島の供養碑が仁治元年
(1240年)で1番古い。甘楽町の仁治3年、この仁治4年と続く。

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