Tigerdreamの上州まったり紀行

上毛かるたと群馬県内の神社仏閣、遺跡・史跡・古墳、資料館などの紹介。

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渋川市祖母島(おばしま)の武内神社。

武内神社 (1)
武内神社の創建は文安元年(1444年)と伝わる。明治2年(1869年)村内他社を合祀し改称するまでは宿禰神社(大明神)と呼ばれていた。

武内神社 (2)
武内神社 (3)
一ノ鳥居は昭和60年(1985年)の建立。

武内神社 (4)
二ノ鳥居というか旧鳥居(と思われる)。

武内神社 (5)
石段の石灯籠には延享(1744~48年)の文字が見えた。

武内神社 (6)
拝殿前の岩を削った手水舎。

武内神社 (7)
武内神社 (8)
武内神社 (9)
こじんまりとしているが千鳥破風唐破風で、木鼻・獅子などの彫刻が施された拝殿。中を覗くとこけら葺きの本殿が見えた。

武内神社 (10)
県道から見ると丘自体が木々で鬱蒼としており、もしかしたら大古墳などとも思える威容だ。

バス停
県道のバス停は「祖母島神社前」。

ところで、武内神社が甲波宿禰神社の論社ということから、三社並立(川島・箱島との島つながり)では? とか、宿禰から連想される武内となったのでは? とか、諸説あるようだが、いずれも「そうだろうか?」。まず、ご祭神が違う。明治に入って宿禰から連想される武内宿禰を突然祀って武内神社にしたわけではないだろうし。

当地と武内宿禰のつながりとしては、和銅元年(708年)に上野国守に任じられた田口益人は武内宿禰の末裔とされており、渋川市の隣の東吾妻町・吉岡神社は田口益人の創建と伝わる(「源頼義・頼朝も参拝した古社 -吉岡神社-」参照)。それを考えれば、当地に武内宿禰を祀る神社が創建されたとしても、おかしくはないのでは?

もちろん、素人考えです。ご了承を。

ついでに、武内神社には日本武尊も祀られている。日本武尊が東征のおり当地で儲けたのが大若宮彦(大宮や巌鼓尊と呼ばれた)。その祖母の墓を祖母塚と呼び、地名の島の郷と合わさり祖母塚になったといわれる。大若宮彦を祀ったのが東吾妻町の大宮巌鼓神社(「東吾妻町・大宮巌鼓神社」参照)。

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渋川市金井の八坂神社。

金井八坂神社 (1)
金井八坂神社 (2)
金井八坂神社は観応2年(1351年)白井城主・長尾清景の創建と伝わる。ちなみに、清景は白井長尾氏の祖とされる。また、観応は北朝側の年号で、同時期の南朝は正平。

金井八坂神社 (3)
金井八坂神社 (4)
金井八坂神社 (5)
現在の社殿は文政4年(1821年)の建立。昭和51年(1976年)に屋根の葺き替え(銅板葺き)を行った際に、棟札が見つかったという。

金井八坂神社 (6)
神輿庫は平成23年(2011年)の新築。旧神輿庫と並んで建つ。

金井八坂神社 (7)
金井八坂神社 (8)
神輿庫には新旧の神輿が保存されている。旧神輿の前にある鬼瓦は、旧神輿庫のものかな。

ところで、群馬郡誌(大正14年:1925年刊行)によると「嘉永6年(1853年)の水害で社殿は灰燼に帰す(後に再建)」とあるが、先に記したように昭和51年に文政4年の棟札が見つかっている。この辺の事実関係は、よく分からない。(当時は群馬郡金島村大字金井と言った)
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渋川市、吉岡町、榛東村

旧長尾村吹屋地区の総鎮守 -白井愛宕神社-
豊城入彦命の創建? -中村早尾神社-
小林源八作の本殿彫刻 -半田早尾神社-
渋川市・辰巳稲荷神社
白井城主・長尾憲景の開基 -玄棟院-
渋川市・満行山泰叟寺
上野国五之宮? -若伊香保神社-
渋川市有馬・渠口神社
恵心僧都作の聖観音像 -神宮寺-
渋川市埋蔵文化財センター
渋川市北橘町・厄除け観音別所堂
江戸時代の年貢貯蔵庫 その3 -小室郷蔵-
男性助産師・石田伍助の供養塔
渋川市北橘町・応永15年の宝篋印塔
渋川市赤城町・いなり塚古墳
円形の句碑・齋坊塔(花塚) -御前神社-
渋川市・大宮姫神社
渋川市白井・玉椿の道祖神
渋川市・松原の道しるべ
利修仙人伝説 -鳳来寺峯薬師堂-
溝呂木の大ケヤキ -溝呂木諏訪神社-
渋川市北橘町・上箱田の大クワ
白井長尾氏累代の墓 -空恵寺 その2-
角田無幻道人の遺髪塚
盗品除けの神 -千石稲荷神社-
特殊機構の廻り舞台 -上三原田の歌舞伎舞台-
旧子持村最古の神社建築 -中郷菅原神社-
渋川市・中ノ峯古墳
渋川市・人助けのカヤ
賑貸感恩碑 -興福寺-
絵師・根本常南の墓
群馬県最古の竪穴式住居 -八木沢清水縄文時代住居跡-
白井長尾氏家臣・飯塚大学の石堂
宮大工・岸豊後守積保の墓
渋川市・如意山良珊寺
永享の五輪塔 -千音寺跡-
漢学者・堀口藍園の墓
高橋蘭斎の墓 -遍照寺-
渋川郷学の祖・吉田芝渓の墓
渋川市・下郷の子育地蔵
渋川市・下郷の大クワ
文安の薬師石堂 -渋川・延命寺-
金島の浅間石 & 中村の浅間石
山寄せ式円墳 -金井古墳-
渋川市北橘町・赤城山雙玄寺
渋川市北橘町・八崎の立石
天井の間引き絵 -角谷戸薬師堂-
渋川市北橘町・東円山観音堂
渋川市北橘町・小室敷石住居跡
渋川市北橘町下南室・赤城神社
木曽義仲の首塚(?)上に鎮座 -木曽三柱神社-
首飾りの古墳人 -群馬県埋蔵文化財調査センター・発掘情報館 その2-
葛原親王の創建? -小出神社-
馬場重久の顕彰碑 -北下諏訪神社-
桃井尚義の創建? -大藪八幡宮-
伝・桃井直常の墓 その2 -金剛寺跡-
伝・桃井直常の墓 -桃井塚-
石原流の社殿彫刻 -宿稲荷神社-
十二神将が護る厨子 -榛東村・東光寺-
榛東村・御堀地蔵堂の板碑
桃井氏の居城 -桃井(西)城跡-
最澄の創建、真雅の改宗 -字輪寺-
弁慶の遺書 -黒髪山神社 その2-
鬼面石祠 -下八幡宮-
雨乞い祈願の霊験碑 -大宮神社-
旧新井村の守護神 -榛東村・新井八幡宮-
道元の典座教訓像 -宮昌寺-
奈良時代の創建 -聖宮神社-
渋川市津久田・人形舞台
敷島のキンメイチク(金明竹) -上の森八幡宮-
渋川市津久田・赤城護国神社
渋川市津久田・鏡の森歌舞伎舞台
関口文次郎の本殿彫刻 -渋川市津久田・赤城神社-
静寂の古社 -子持神社-
新田一門・大島氏の墓 -大島家墓地の石堂墓石-
非思量庭(えもいわれぬ◯◯◯のお庭) -福増寺-
永岡形部左衛門の墓 -興禅寺 その2-
三原田の宝篋印塔群 -興禅寺-
北牧の氏神様 -若子持神社-
山崎石燕の墓と鳥酔翁塚 -雙林寺 その2-
江戸時代初期の農家造り -旧入沢家住宅-
渋川市・虚空蔵塚古墳
渋川市・横堀宿の三国街道一里塚
有栖川熾仁親王がご祭神 -有栖川宮神社-
相馬山信仰 -黒髪山神社-
養蚕家・馬場重久の墓
渋川金井宿の分水石と滝不動
旧塩川温泉・湯前薬師石堂
大自然の芸術作品 -かに石甌穴-
三国街道金井宿本陣跡
里見義秀の供養塔? -金蔵寺-
断崖の懸崖造り御堂 -岩井堂観世音御堂-
群馬の創作こけし -卯三郎こけし-
伊香保 おもちゃと人形 自動車博物館 
日本のポンペイ その2 -中筋遺跡-
三国街道の一里塚
武田信玄の愛馬を供養 -駒形社-
日本のポンペイ -黒井峯遺跡-
群馬県埋蔵文化財調査センター 発掘情報館
甲(よろい)を着た古墳人 -群馬県埋蔵文化財調査センター-
平(千葉)常将を祀る -常将神社-
伊香保(水沢)街道野田宿・森田宗家
上野国四之宮 -渋川・甲波祝禰神社-
伊香保森林公園・わしの巣風穴
佐渡奉行街道の道しるべ その2
五重塔がある! -柳沢寺-
佐渡奉行街道の道しるべ
空から飛来した観音様 -矢落観音-
葺石がすご過ぎ(笑) -滝沢古墳-
珍しい正八角形墳 -三津屋古墳-
吉岡・南下古墳群 その4 -E号古墳&F号古墳-
吉岡・南下古墳群 その3 -C号古墳&D号古墳-
吉岡・南下古墳群 その2 -B号古墳-
吉岡・南下古墳群 その1 -A号古墳-
伊香保神社の里宮 -三宮神社-
滝沢石器時代遺跡
勝保沢の十一面観音堂 -宗玄寺-
渋川市赤城歴史資料館
名泉・湧玉が滾々と -木曽三社神社-
意外に楽しめる -榛東村耳飾り館-
北橘のシンボルタワー -佐久発電所-
渋川市北橘歴史資料館
渋川市上白井・空恵寺
雙林寺の七不思議 -雙林寺-
本多氏ゆかりの寺 -源空寺-
真光寺の重要文化財
聖獣が一番印象に残った -真光寺-
渋川氏の祖・義顕の創建 -渋川八幡宮-
水澤観音 -水澤寺-
閉館中でした -旧ハワイ王国公使別邸-   
伊香保御関所(伊香保口留番所)
断崖絶壁の山城 -長井坂城跡-
用水路にある発電所 -天狗岩水力発電所-
伊香保温泉の石段を最後まで登ると・・・ -伊香保神社- 

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渋川市白井の愛宕神社。

白井愛宕神社 (1)
白井愛宕神社 (2)
白井愛宕神社の創建は不詳だが、白井城の雷神・防火神として祀られたと考えられる。白井城の築城時期の詳細は不詳だが、室町時代中期(1450年前後)と推定されている。

白井愛宕神社 (3)
白井愛宕神社 (4)
白井愛宕神社 (5)
社殿は比較的新しく、近年に改修されたと思われる。

白井愛宕神社 (6)
拝殿の彫刻。鶴と松の彫刻で縁起が良い。

白井愛宕神社 (7)
ご神木の大ケヤキ。樹齢約600年と推定され、神社創建と同時に植樹されたと考えると年代的にも辻褄が合う。

白井愛宕神社は、住所は白井だが吹屋地区が管理している。以前紹介した峯薬師も、住所は白井だが吹屋地区が管理していた(現在は源空寺が管理)。
(「利修仙人伝説 -鳳来寺峯薬師堂-」参照)

吹屋地区は旧長尾村、白井地区は旧白郷井(しらごうい)村(両村が合併して子持村)なので、合併時の地割りの関係かな。

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渋川市中村の早尾神社。

中村早尾神社 (1)
中村早尾神社 (2)
中村早尾神社の創建は不詳だが、上野国神名帳に記載の「家尾明神」とされる古社である。「家尾」が「早尾」に訛ったといわれる。これは前回紹介した半田早尾神社と同様(「小林源八作の本殿彫刻 -半田早尾神社-」参照)。どちらが本社だろう?

また伝承によると、豊城入彦命が当地を治めた際、上村・中村・下村と名付け中村の地に自ら勧請したともいわれる。豊城入彦命は第10代・崇神天皇の皇子で、東国を平定し上毛野氏の始祖とされている。

その他にも、創建は白鳳3年(674年)との伝承もある。この白鳳という年号は私年号(日本書紀に出てこない年号)。

中村早尾神社 (3)
中村早尾神社 (4)
中村早尾神社 (5)
社殿は平成20年(2008年)の改築。正徳3年(1713年)に「奉再興遷宮正一位早尾大明神」の祈祷札が現存しているので、このとき再建されているようだ。

中村早尾神社 (6)
中村早尾神社 (7)
ご神木の大ケヤキは根元周り11m、目通り7.3m、高さ19m。以前はもっと高かったが、幹の空洞化が進み危険になったので平成8年(1996年)に、9mのところから伐採し治療を行っている。樹齢は600年とも1000年ともいわれる。実はこのケヤキは2代目で、初代は枯れてしまい切り倒されている。なお、初代は豊城入彦命が当社を勧請した際に、手植えしたとの伝承がある。

社宝として武田信玄が白井城攻略の際に奉納したという備前光忠作(とされる)刀一口が残されている(実際に白井城攻略にあたったのは真田氏)。

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渋川市半田の早尾神社。

半田早尾神社 (1)
半田早尾神社 (2)
半田早尾神社 (3)
半田早尾神社の創建は不詳だが、上野国神名帳に記載の「家尾明神」とされる古社である。「家尾」が「早尾」に訛ったといわれる。

半田早尾神社 (4)
池の水は干上がっていた。

半田早尾神社 (5)
半田早尾神社 (6)
拝殿前には昭和11年(1936年)建立の獅子山がある。

半田早尾神社 (7)
本殿は文化4年(1817年)の建立で、こけら葺き。見事な彫刻は熊谷の小林源八正信の作といわれる。小林源八は石原流2代目・石原常八の弟子。

半田早尾神社 (8)
半田早尾神社 (9)
上は孔子の故事かな。孔子が陽虎と間違われた場面。下は坂田公時。金時が母と別れる場面。ガラス越しなので、ちょっと写りが悪くて申し訳ないです。

半田早尾神社 (10)
境内にはいろいろな碑が建っている。明治天皇が行幸された際に、休憩されたようだ。

半田早尾神社 (11)
夫婦ケヤキ。樹齢500年を超えるとされ、2本のケヤキが繋がったもの。夫婦がてをつないでこの間を通ると子供が授かるといわれる。全体を撮ろうとして、逆に分かりづらい写真になってしまった(手前の木の方が目立っている)。

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渋川市渋川(辰巳町)の辰巳稲荷神社。

辰巳稲荷神社 (1)
辰巳稲荷神社は明治27年(1894年)に、羽鳥安五郎氏が屋敷神様として京都伏見稲荷の分霊を勧請。大正15年(1926年)に旧渋川町東南部の鎮守として公衆化。

辰巳稲荷神社 (2)
辰巳稲荷神社 (3)
辰巳稲荷神社 (4)
社殿は大正15年の建立。昭和42年(1967年)に現在地の遷座。昭和54年(1974年)に改修されている。

辰巳稲荷神社 (5)
社殿前の石碑は大正10年(1921年)に羽鳥家で建立した屋敷神様当時のもの。

渋川駅近くの一角にあるので境内含め広くはないが(と言うか非常に狭い)、地域の方々に崇敬されている。

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上州まったり紀行の中から「石仏・宝塔・板碑・塔婆」などに関するものをリスト化したもの。板碑・宝塔(宝篋印塔)・塔婆などは、元々お墓や供養塔の意味合いも強いが、「お墓・供養塔」に分類したものは除く。なお、分類はいい加減。


前橋市(旧郡部を除く)

稲荷新田の薬師さま
亀里町・阿内宿の石幢
正法寺の六地蔵石幢
笠薬師塔婆(丁間稲荷神社)
石造阿弥陀如来三尊像(後閑円満寺)
阿弥陀三尊仏(浄土院)
公田の岩舟地蔵
小島田の阿弥陀如来坐像
小島田の供養碑
江木の宝塔
旧普蔵寺供養塔(最善寺)
富田の宝塔
笠欠け三猿塔(熊野神社)
鳥羽の大日如来および笠塔婆
大福寺の宝塔
阿弥陀三尊画像板碑と宝塔(乗明院)
善光寺の石幢
龍興寺の多宝塔


前橋市(旧大胡町、旧宮城村、旧粕川村、旧富士見村)

粕川町・石造馬頭観音立像と笠かぶり地蔵尊
横沢の石塔婆
大前田町・世良田薬師の石造阿弥陀如来坐像
あ・うん石仏と馬頭観音(馬場稲荷神社)
石造薬師如来坐像と宝塔(東昌寺)
大前田の地蔵菩薩石像
龍性寺の石幢
月田の石造仏群
石像六地蔵塔と宝塔(月田近戸神社)
金剛寺の六地蔵石幢
六地蔵石幢と種子十三仏塔(赤城寺)


伊勢崎市、佐波郡(玉村町)

上西根の五輪塔
常清寺の変形板碑
上蓮の阿弥陀・地蔵石仏
五輪塔と宝篋印塔(宝存寺)
正観寺・義経馬殿塔
浅間山大噴火の供養地蔵(夜泣き地蔵)
玉村町・文安銘の五輪塔
花台寺・五智如来石仏
泉龍寺・延命地蔵と薬師如来石像
観照寺の板碑
徳蔵寺の宝塔
宮子の笠塔婆
西光寺の馬頭観音
長安寺・宝篋印塔
下植木赤城神社の石造美術群
大国神社の石幢
同聚院・文明の石幢
天増寺の宝塔
権現山の宝塔


渋川市、北群馬郡(吉岡町、榛東村)

長尾憲景の護持仏・閻魔大王像(玄棟院)
大日如来坐像(神宮寺)
応永15年の宝篋印塔
永享の五輪塔(千音寺跡)
下郷の子育地蔵
東円山観音堂の石造物群
御堀地蔵堂の板碑
宮昌寺・穴薬師
渋川金井宿の滝不動
真光寺の聖徳太子塔


高崎市(旧郡部を除く)

山ノ上地蔵尊
高崎市山名町・来迎阿弥陀画像板碑
妙典寺の板碑と五輪塔
玄頂寺の五輪塔
光台寺の線刻地蔵菩薩立像石仏
安楽寺の異形板碑
洞窟観音
養報寺の石仏群
永泉寺の幽霊石


高崎市(旧群馬町、旧箕郷町、旧榛名町、旧吉井町、旧新町、旧倉渕村)

橋場の地蔵尊
馬庭の薬師如来坐像
安養寺跡の笠塔婆
本庄辻の地蔵尊
岩井堂の石幢
全透院の閻魔大王と奪衣婆
折茂観蔵院の板碑
小暮の穴薬師
天久沢陣城跡の石造地蔵菩薩坐像
地勝寺の薬師如来坐像と一石阿弥陀三尊像
玄太寺の阿弥陀三尊坐像
多胡碑


安中市

五料の地蔵さん(夜泣き地蔵)
聖不動威怒明王像
観音三尊碑
八城の八塔石紅地蔵
自性寺の宝篋印塔
全性寺の悟留譜(ゴルフ)観音


富岡市、甘楽郡(甘楽町、下仁田町、南牧村)

田篠の石造如来三尊坐像
女神像碑と十一面観音菩薩碑
圓通閣の地蔵菩薩坐像
清泉寺の宝篋印塔
富岡市・仁治の碑
甘楽町・仁治の板碑
甘楽町・建長の板碑
城町下薬師堂の石仏
今宮寺の阿弥陀三尊石仏
宝勝寺の地蔵菩薩と薬師如来
永隣寺の奪衣婆像
額部神社・石造地蔵菩薩像
西方寺・元応の板碑・貞治の板碑
金剛院の名号塔
星田虚空蔵堂の名号塔
天引の笠塔婆 その2
下仁田町安楽地の板碑
天引の笠塔婆と板碑
天引中宿の薬師如来像
小野の塩薬師
不動寺の石塔婆
宝泉寺の薬師如来石像


藤岡市、多野郡(神流町、上野村)

藤岡市篠塚・道標付笠石四角塔
福持寺の板碑
藤岡市譲原・文明の板碑
神流町・阿弥陀三尊画像板碑
保美の子育て地蔵尊
応永の板碑
医光寺の板碑
平井七地蔵尊
神流町・閻魔大王像と奪衣婆像
葵八幡宮の板碑


太田市(旧郡部を除く)

富若の名号角塔婆
大円寺の徳本行者名号
矢田堀勘兵衛屋敷の名号角塔婆
永福寺の名号角塔婆
成願寺の石造地蔵菩薩像
教王寺の五輪塔群


太田市(旧新田町、旧尾島町、旧藪塚本町)

新井家の五輪塔
中江田の辻地蔵尊
旧来迎寺の宝篋印塔
旧常楽寺の石塔群
西野の層塔
西福寺・赤子地蔵
木崎宿の色地蔵
清泉寺の宝篋印塔
二体地蔵塚


桐生市

栖松寺の石幢
後閑の五輪塔
久昌寺・金八地蔵
光明寺・「宝珠型仏塔」の弁財天
東禅寺の角塔「建武の碑」
千手寺の石幢
龍真寺の鶏亀地蔵
関の磨崖仏
瀧興寺の虚空蔵菩薩石像
観音寺の石幢
山上多重塔


みどり市

南光寺の五輪塔群
大間々・浅原の百観音
大間々の角地蔵
穴原薬師堂の馬鳴菩薩像
岩穴観音・地蔵菩薩坐像と阿弥陀如来坐像
浅原馬場の大日如来像


館林市、邑楽郡(大泉町、板倉町、邑楽町、千代田町、明和町)

安勝寺・光明真言金亀宝篋印塔
十王十仏板碑(淨蓮院)
建武の板碑(大林寺)
千代田町・弘安の板碑
日向義民地蔵
五宝寺・不動まんだら板碑
愛宕神社・青色地蔵板碑
東光寺の馬頭観音
舞木円満寺・元応の板碑


沼田市、利根郡(みなかみ町、片品村、川場村、昭和村)

禅定院の宝篋印塔
岩室神社の石造五重塔


吾妻郡(中之条町、長野原町、草津町、嬬恋村、東吾妻町、高山村)

岩井の背高地蔵
柏原の宝篋印塔
北向三十三番観世音
浅間山大噴火の供養石地蔵(雲林寺)
泉龍寺の閻魔大王像
宗本寺の宝篋印塔
仙人窟の石仏
国定忠治地蔵

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渋川市白井の金光山玄棟院春日寺。

玄棟院 (1)
玄棟院は天正3年(1575年)白井城主・長尾憲景が開基、雙林寺10世・操芝英旭禅師の開山。寺名は憲景の法名・梁雄玄棟院殿から。

玄棟院 (2)
玄棟院 (3)
本堂と庫裏が合体したような造りになっている。本堂部分は平成24年(2012年)、庫裏部分は平成16年(2004年)に大改修が行われている。

玄棟院 (4)
玄棟院 (5)
鐘楼は昭和58年(1983年)の建立。

玄棟院 (6)
本堂脇の閻魔大王は、長尾憲景の護持仏と伝えられる。

玄棟院 (7)
玄棟院 (8)
玄棟院 (9)
境内の山水庭園はきれいに整備されており、池には立派な錦鯉がわんさと泳いでいる。ところで、長尾憲景の築園とされる「信玄造り」といわれる枯山水庭園があるということだが、どこにあるのだろう。

玄棟院 (10)
玄棟院 (11)
探してみると、本堂裏にこぢんまりとした枯山水庭園があった。これが長尾憲景築園の庭園なのかは不明。

玄棟院 (12)
玄棟院は高台にあるため、吾妻川や市街地を下に、背景には榛名山という素晴らしい景色が見られる。

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中之条町、長野原町、草津町、嬬恋村、東吾妻町、高山村

富豪・加部安左衛門寄進の石灯籠 -畔宇治神社-
源頼義・頼朝も参拝した古社 -吉岡神社-
東吾妻町・平五良観音の大杉
東吾妻町・四戸の古墳群
東吾妻町・行沢の木造馬頭観音立像
東吾妻町・新巻菅原神社
東吾妻町・岩井の背高地蔵
東吾妻町・三島鳥頭神社
神代杉 -矢倉鳥頭神社-
東吾妻町・福聚山応永寺
東吾妻町・太田神社
東吾妻町・へそ岩
東吾妻町・小泉白鳥神社
東吾妻町・奥田白鳥神社
東吾妻町・柏原の宝篋印塔
代官・岡上景親の創建 -岩久保観音堂-
岡上生祠 -岡崎榛名神社-
高山村「田んぼアート」2018
ハート形土偶出土地
高山村「田んぼアート」2017
中之条町・北向三十三番観世音
若山牧水の歌碑 -旧大岩学校-
僧・空閑の墓
明治時代の小学校建築 -旧五反田学校-
伊勢の森 -中之条町・伊勢神宮-
東吾妻町・大宮巌鼓神社
立派な天文台だ! -ぐんま天文台-
「ぐんまちゃんと」と「くまモン」 -高山村・田んぼアート-
茅葺の本堂 -長徳寺-
小渕恵三元首相の銅像 -中之条町ツインプラザ-
富豪・加部安左衛門の屋敷跡 -大運寺-
吾妻太郎行盛の首級を祀る -川戸神社-
斎藤憲広の怨念? 善導寺の怪火 -東吾妻町・善導寺-
武田勝頼の御殿を移築? -顕徳寺-
県内最古の教会建築 -名久多教会-
三国街道中山宿
北向観世音 -福蔵寺-
中之条町・桃瀬の水牢跡
妙全杉 -龍沢寺-
浅間山天明の大噴火の供養石地蔵 -雲林寺-
現在も残る草軽電鉄の駅舎 -北軽井沢駅舎-
北軽の滝 -浅間大滝 & 魚止めの滝-
吾妻太郎行盛の墓 -長福寺-
日本名水百選「箱島湧水」
草津温泉・伊勢宇橋の碑
草津温泉・泣き燈籠
日本国道最高地点 -国道292号渋峠付近-
エメラルドグリーンの酸性湖 -草津白根山・湯釜-
藤原秀郷(俵藤太)が戦勝祈願に植えた杉 -中山三島神社-
高山村・中山敷石住居跡
源頼朝が植えた高野槇 -泉龍寺-
小渕恵三元首相の墓 -林昌寺-
観音を巨木が囲む清見寺 -清見寺-
中之条祇園の絵馬 -稲荷石稲荷神社-
南北朝期の宝篋印塔 -宗本寺-
日本武尊を祀る その2 -吾嬬神社-
第四十五番の金銅善光寺三尊仏 -善福寺-
明治時代の旅人宿 -白井屋-
通称「カクイチ」 -町田家住宅-
嵩山を祀る里宮 -吾妻神社-
八ッ場ダム広報センター -やんば館-
未来のエネルギー? -吾妻バイオパワー-
東吾妻町・甲波宿禰神社
歌人若山牧水 ここに休む -高山村・牧水歌碑-
甦るヨーロッパの古城 その3 -ロックハート城-
甦るヨーロッパの古城 その2 -ロックハート城-
甦るヨーロッパの古城 -ロックハート城-
草津温泉・白旗源泉と頼朝宮
平九塚と皇大神宮
木曽義仲の「残党」の伝説 -武具脱の池-
草津温泉の碑 その3
草津温泉の碑 その2
草津温泉の碑
草津ビジターセンター
草津温泉・西の河原公園   
芸術家ねぇ~(笑) -片岡鶴太郎美術館-
日本相撲協会・草津相撲研修道場
日本武尊を祀る -白根神社-
酸性河川の中和施設 -草津中和工場-
草津温泉の動物園 -草津熱帯園-
日本温泉三大薬師 -光泉寺-
草津温泉の学習 -草津温泉資料館-
草津の恩人・ベルツ博士 -ベルツ記念館-
イチロー・松井の実使用品を展示 -ベースボールスター博物館-
日本最古の養蚕農家住宅 -冨澤家住宅-
眠る男??? -伊参スタジオ公園-
嵩山(たけやま)が御神体 -親都神社-
中之条のシンボル -嵩山(たけやま)-
見事なまでの廃れっぷり -薬王園-
変化する水面(みなも) -四万川ダム/奥四万湖-
病魔退散の薬王水 -薬王寺-
四万温泉・日向見薬師堂
水量が多くて良く見えませんでした -四万の甌穴-
中之条町・歴史と民俗の博物館Musee(ミュゼ)
埋没した寺院 -延命寺跡-
生死を分けた15段 -鎌原観音堂-
嬬恋郷土資料館
火山について楽しく学べる? -浅間火山博物館-
澄んだ水とは裏腹に・・・ -水牢跡-
残念ながら枯死寸前 -原町の大ケヤキ-
日本武尊が植えた? -神代杉-
苦労して登ったわりには・・・ -仙人窟-
国定忠治終焉の地 その3 -とまどいの松-
国定忠治終焉の地 その2 -処刑場跡-
国定忠治終焉の地 -大戸関所跡-

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吾妻郡東吾妻町大戸の畔宇治(くろうじ)神社。

畔宇治神社 (1)
畔宇治神社は文永元年(1264年)に近江国(滋賀県)堅田郷の白鬚神を勧請したといわれる。ちなみに、畔宇治は地名。

畔宇治神社 (2)
畔宇治神社 (3)
畔宇治神社 (4)
畔宇治神社 (5)
鳥居前の石灯籠は、文政9年(1826年)に大戸の大富豪・加部安左衛門が寄進したもの。(加部家については「富豪・加部安左衛門の屋敷跡 -大運寺-」参照)

畔宇治神社 (6)
畔宇治神社 (7)
鳥居をくぐり石段を下ると、そこは国道406号線。

畔宇治神社 (8)
畔宇治神社 (9)
旧道に面していた神社だったが、新道の開通により鳥居と社殿が分かれてしったということ。国道を渡り細い道に入って行く。

畔宇治神社 (10)
社殿は木々に覆われ、いかにも鎮守の森と言った感じの趣き。

畔宇治神社 (11)
畔宇治神社 (12)
二ノ鳥居は比較的新しく、平成12年(2000年)の建立。

畔宇治神社 (13)
畔宇治神社 (14)
社殿は文永10年(1273年)に建立され、天正10年(1582年)には真田信之が改修している。現在の社殿は寛政6年(1794年)の再建。

国道406号を走っていると、東吾妻町の重文である石灯籠を示す案内板が見える。これを頼りに行くと、鳥居と石灯籠しかない。事前に調べて行ったので社殿は国道の反対側にあることを知っていたが、知らなかったら神社はどこだ? ってなっていたかな。

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吾妻郡東吾妻町本宿の吉岡神社。

吉岡神社 (1)
吉岡神社 (2)
吉岡神社の創建は不詳だが、口碑では和銅元年(708年)に田口朝臣益人の勧請と伝わる。田口益人は武内宿禰の末裔とされる貴族・歌人で、上野国守に任じられ赴任してきたといわれる。

吉岡神社 (3)
吉岡神社 (4)
鳥居前の太鼓橋。彫刻は虎かな。だいぶ風化してきている。

吉岡神社 (5)
石灯籠は天保4年(1833年)の奉納。

鳥居の先に社殿らしきものが見えなかったが、そんなに遠くないだろうと歩いて進む。ところが、これが大失敗だった。

吉岡神社 (6)
田んぼの中を数百m歩いても何も見えない。それどころか、どんどん山道になってくる。

吉岡神社 (7)
吉岡神社 (8)
しばらくすると、参道らしき石段が見えてきた。しかし、ちょっときつそうだったので。下の写真の道をそのまま進む。行かれる場合は、クルマで登って行くことをお勧めする。すれ違えない(と思われる)が、道はしっかりしているので。

吉岡神社 (9)
吉岡神社 (10)
息が切れかかったころに、やっと神門が見えてきた。随神像はなく、ご神体を表すような御幣と言うか紙垂と言うかがあるだけ。

吉岡神社 (11)
吉岡神社 (12)
吉岡神社 (13)
吉岡神社 (14)
社殿は戦火で荒れ、野火で全焼していたが、天正7年(1579年)に加辺半左衛門が再建している。加辺半左衛門って、大戸の大富豪・加部家の人かな?

吉岡神社 (15)
大正12年(1923年)建立の神楽殿。

吉岡神社 (16)
弘法大師が杖を刺したのが育ったといわれるホオノキ。

永承7年(1052年)源頼義が陸奥征討(前九年の役と思われる)の途上に、建久4年(1193年)には源頼朝一行が浅間巻狩りの際に参拝している。また、頼朝が「美しき岡なり」と言ったので、吉岡山となったという。ちなみに、源頼義は有名な八幡太郎義家の父親。

神仏混淆時代は「吉岡薬師」と呼ばれていた。それは、源頼朝の守り本尊である薬師如来像が納められているから。ただ拙い記憶だと、頼朝の守り本尊は「聖観音」だった気がする(自信はない)。

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吾妻郡東吾妻町五町田の平五良(へいごろう)観音の大杉。

平五良観音の大杉 (1)
平五良観音堂境内にそびえる大杉は、高さ約30m、目通り約5mで、樹齢は約400年と推定される。

平五良観音の大杉 (2)
以前の大杉は、その根元から2本に分かれた「夫婦杉」の様相を呈していたが、大正時代に落雷により片方の根元が痛み傾いてしまったので、残念ながら伐採されている。残った1本の幹は現在も樹勢・枝振りが良く、ひときわ美しい姿を保っている。

平五良観音の大杉 (3)
平五良観音の大杉 (4)
平五良観音の大杉 (5)
観音堂・観音様の由緒は分からないが、お堂を囲むように石仏・仏塔がまとめられている。

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上州まったり紀行の中から「古墳・遺跡」に関するものをリスト化したもの。古墳に行くのが(見学するのが)主目的でない場合も含んでるけどね。


前橋市(旧郡部を除く)

今井神社古墳
正円寺古墳
桂萱大塚古墳
新田塚古墳
金冠塚古墳
亀塚山古墳
天神山古墳
天川二子山古墳
遠見山古墳
愛宕山古墳
荒砥富士山古墳
大室公園・前二子古墳
大室公園・中二子古墳
大室公園・後二子古墳
大室公園・小二子古墳
大室公園・M-1号古墳
八幡山古墳
蛇穴山古墳
宝塔山古墳
総社二子山古墳・保渡田二子山古墳


前橋市(旧大胡町、旧宮城村、旧粕川村、旧富士見村)

鏡手塚古墳
壇塚古墳
堀越古墳
上庄司原2号古墳&4号古墳
上庄司原1号古墳
九十九山古墳


伊勢崎市、佐波郡(玉村町)

十二所古墳
玉村町15号墳
一ノ関古墳
台所山古墳石棺
梨ノ木山古墳
お富士山古墳
雷電神社古墳
鶴巻古墳
権現山
軍配山古墳


渋川市、北群馬郡(吉岡町、榛東村)

いなり塚古墳
中ノ峯古墳
八木沢清水縄文時代住居跡
金井古墳
小室敷石住居跡
将軍塚古墳
虚空蔵塚古墳
中筋遺跡
黒井峯遺跡
滝沢古墳
三津屋古墳
南下古墳群・E号古墳&F号古墳
南下古墳群・C号古墳&D号古墳
南下古墳群・B号古墳
南下古墳群・A号古墳
滝沢石器時代遺跡


高崎市(旧郡部を除く)

五霊神社古墳
桜塚古墳
少林山薬師塚古墳
少林山天頭塚古墳
八幡原A号及びB号石槨
剣崎長瀞西古墳
将軍塚古墳
上小塙稲荷山古墳
普賢寺裏古墳
不動山古墳
浅間山古墳
大鶴巻古墳
安楽寺古墳
三島塚古墳
若田原遺跡
観音塚古墳
山ノ上古墳
観音山古墳


高崎市(旧群馬町、旧箕郷町、旧榛名町、旧吉井町、旧新町、旧倉渕村)

長井石器時代住居跡
恩行寺古墳
南高原1号古墳
片山1号古墳
金古愛宕山古墳
御穴塚古墳
多胡薬師塚古墳
保渡田薬師塚古墳
保渡田八幡塚古墳
総社二子山古墳・保渡田二子山古墳


安中市

龍的塚古墳
簗瀬二子塚古墳


富岡市、甘楽郡(甘楽町、下仁田町、南牧村)

高瀬26号古墳
粘土山古墳
伊勢塚古墳
太子堂塚(旅寝塚)古墳
北山茶臼山古墳
天王塚古墳
田篠しの塚古墳
堂山稲荷古墳
笹森古墳


藤岡市、多野郡(神流町、上野村)

原古墳
胴塚稲荷古墳
霊符殿古墳
諏訪古墳
戸塚神社古墳
平地神社古墳
中大塚縄文時代敷石遺構
平井地区1号古墳
皇子塚古墳
譲原石器時代住居跡
伊勢塚古墳
白石稲荷山古墳
七輿山古墳


太田市(旧郡部を除く)

巌穴山古墳
稲荷山古墳
塚廻り古墳群第4号古墳
茶臼山古墳
茶臼山古墳


太田市(旧新田町、旧尾島町、旧藪塚本町)

長楽寺遺跡1号墳跡
中原生品神社・敷石住居跡
長円寺古墳
北山古墳
西山古墳


桐生市

愛宕塚古墳
天神古墳
中塚古墳
普門寺遺跡


みどり市

岩宿遺跡


館林市、邑楽郡(大泉町、板倉町、邑楽町、千代田町、明和町)

筑波山古墳
米山薬師古墳
堂山古墳
古海原前1号古墳
城之内古墳
山王山古墳


沼田市、利根郡(みなかみ町、片品村、川場村、昭和村)

梨の木平敷石住居跡
深沢遺跡配石遺構
矢瀬遺跡


吾妻郡(中之条町、長野原町、草津町、嬬恋村、東吾妻町、高山村)

四戸の古墳群
中山敷石住居跡

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吾妻郡東吾妻町三島の四戸の古墳群。

四戸の古墳群 (1)
三島四戸地区には20基以上の古墳が点在し、昭和39年(1964年)にそのうち4基の調査がなされている。高麗尺を使用した6世紀末から7世紀前半の築造と推定されている。

四戸の古墳群 1号墳 (1)
四戸の古墳群 1号墳 (2)
1号墳は天井石はなく、細長い石室が剥き出しの状態。

四戸の古墳群 1号墳 (3)
全長約6m、埋葬部長さ約2.5m、幅約1m。安山岩を用いた乱石積の袖無型横穴式石室。

四戸の古墳群 2号墳 (1)
2号墳。横から見ると円墳と思われるが規模は不明。

四戸の古墳群 2号墳 (2)
四戸の古墳群 2号墳 (3)
石室は全長約5.2m、玄室約2.3m、幅1.3m、高さ1.6m。安山岩を用いた乱石積の袖無型横穴式石室。

四戸の古墳群 4号墳 (1)
四戸の古墳群 4号墳 (2)
4号墳は天井石はなく、石室が剥き出しの状態。全長約4.2m、埋葬部長さ約2m、幅約70cm。安山岩を用いた乱石積の袖無型横穴式石室。

四戸の古墳群 3号墳 (1)
四戸の古墳群 3号墳 (2)
3号墳は盛り土が失われ、天井石が剥き出しの状態。右側の側壁は崩れそうだ。天井石や奥壁は安山岩の巨岩を使用しており、1号・2号・4号より規模が大きい円墳。石室は全長約7m、埋葬部長さ3.5m、幅1.2m、高さ1.6m。

四戸の古墳群 3号墳 (3)
南側から見ると背後に岩櫃山がよく映えている。

1号、2号、4号はほぼ隣接しているが、3号墳は少し離れた1段高い所に位置しており、基本的にはすべて同構造と思われる。3号墳は道沿いにあるので見つけやすいが、他は道が細く分かりづらいところにある。

また、平成30年(2018年)に上信自動車道吾妻西バイパス建設事業に伴う埋蔵文化財の発掘調査が行われ、弥生時代終わりから古墳時代にかけての住居跡や新たに1基の古墳が発見されている。直刀や鉄鏃の副葬品も確認されている。

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