Tigerdream の上州まったり紀行

上毛かるたと群馬県内の神社仏閣、遺跡・史跡・古墳、資料館などの紹介。

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当ブログを始めて早10年になり今さら感もありますが、最近いくつかのご指摘・ご指導などをいただいたこともあり、改めて当ブログのスタンスを示しておきたいと思います。

【当ブログのスタンス】
当ブログは趣味の範疇でやっているものなので、記事や写真の説明に誤りがある可能性もあります。学術的に裏取りができていない異説・風説・噂話や勝手な推論なども多数書いてますので、そこはご理解の上、読んでください。現地で「えぇ~、違ぁ~う!」と感じられても、ご勘弁を。

以下、ちょっと堅苦しいですが一応書いておきます。

1.著作権に関して
当ブログで提供されるすべての情報や画像などの著作権はTigerdream(以下、「当ブログ管理人」)に帰属します。それら著作権保護対象物の取り扱い、及び使用に関しては下記の通りとします。

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以上、よろしくお願いします。

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高崎市町屋町と高崎市楽間町の宝塔。

町屋の宝塔
町屋の宝塔は高さ230cm、幅62cmと比較的大型の宝塔。安山岩製でその塔身は壺型をしている。一般に赤城塔と呼ばれる宝塔。永享11年(1439年)の銘がある。

町屋の宝塔は宝福寺参道の町屋公民館脇にある。気づかないで境内から墓地まで行ってしまった。

楽間の宝塔
町屋町から烏川を挟んで北東にあたる楽間町の宝塔。3基の宝塔はいずれも高さ160cmほどで、塔身が短く下部が細くなる壺型(半球形)をしている。向かって左から永享9年(1437年)、嘉吉3年(1443年)、正長3年(1430年)の銘がある。

楽間の宝塔は、元々近くの笹藪の中にあったが、現在は井野家の墓地内に移されている。

町屋・楽間の宝塔は、いずれも同年代(室町時代)の造立で、当地一帯(烏川の両岸)に真言密教と結びついた榛名山信仰の影響があったと考えられる。

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高崎市下佐野町の漆山古墳。

漆山古墳 (1)
漆山古墳 (2)
漆山古墳は全長約70mの前方後円墳であったと推定されるが、現在は前方部が大きく削平され、墳丘は東西38m、南北31m、高さ7.5mほどになっている。6世紀後半の築造と推定される。

漆山古墳 (3)
漆山古墳 (4)
漆山古墳 (5)
埋葬施設は横穴式石室で後円部南側に開口している。凝灰岩を加工して造られており、全長7.8m、玄室長3.7m。内部から刀、鉄鏃の破片、金銅製の馬具などが出土している。

当地には6世紀後半に「佐野屯倉」が設置されており、その管理者が被葬者ではないかと考えられている。山名町の山ノ上碑や金井沢碑に刻まれる「佐野屯倉」「三家子◯」の文字との関連が窺われる。

漆山古墳は佐野古墳群の中心的古墳で、周りが住宅地になるなか地主さんの意向で何とか保存されてきた。平成28年(2016年)に高崎市へ寄贈されている。

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高崎市寺尾町の太白山永福寺。

永福寺 (1)
永福寺 (2)
永福寺は新田氏の祖・義重が開創した永福庵が始まりと伝わる。

永福寺 (3)
永福寺 (4)
永福寺 (5)
堂宇は大正7年(1918年)に火災により焼失。昭和3年(1928年)に再建されている。但し、山門のみ火災を免れ天明3年(1783年)の建立時の姿を残している。本堂屋根には新田氏の家紋「大中黒」が。

永福寺 (6)
永福寺 (7)
梵鐘は享保7年(1722年)に鋳物師・中林儀右衛門惟貞の鋳造。総高106cm、口径64cm、撞座には菊のご紋が使用され、池の間には仏語などが刻まれている。先の大戦時に供出を免れている。

永福寺 (8)
永福寺 (9)
境内の観音堂。永福寺は昭和55年(1980年)に開創された新選高崎33観音の8番札所になっている。

永福寺 (10)
永福寺 (11)
墓地には新田義重の墓がある。

源頼朝が挙兵した際、義重はすぐに参陣せず日和見的な態度をとったため、鎌倉幕府内で新田氏が冷遇される原因となった。頼朝挙兵時、義重は寺尾城(館)に籠もっていたとされ、その「寺尾」には太田・新田荘説と高崎寺尾説がある。どちらも決め手に欠けるのだが、どちらにも地元有志が建てた碑や説明板などがある。

なお、永福寺には義重の法号を記した位牌が残されている。

新田義重の墓関連
太田金山 子育呑龍」(太田市金山町・大光院新田寺)
畑の中の古墓 -伝新田義重夫妻の墓-」(太田市徳川町・義季館跡)
新田氏累代の墓 -円福寺-」(太田市別所町・円福寺の五輪塔・石塔群の中に義重の墓があるとする説もある)

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渋川市、吉岡町、榛東村

渋川市内最古の石鳥居 -八木原諏訪神社-
旧子持村最古の道しるべ -三国街道の道しるべ-
利根川の断崖上に鎮座 -上白井厳島神社-
藤原季長の屋敷神 -作間神社-
小野金善の天之御中主像を祀る -七社神社-
渋川市・祖母島のキンモクセイ
武内宿禰がご祭神 -武内神社-
白井長尾氏の祖・長尾清景の創建 -金井八坂神社-
旧長尾村吹屋地区の総鎮守 -白井愛宕神社-
豊城入彦命の創建? -中村早尾神社-
小林源八作の本殿彫刻 -半田早尾神社-
渋川市・辰巳稲荷神社
白井城主・長尾憲景の開基 -玄棟院-
渋川市・満行山泰叟寺
上野国五之宮? -若伊香保神社-
渋川市有馬・渠口神社
恵心僧都作の聖観音像 -神宮寺-
渋川市埋蔵文化財センター
渋川市北橘町・厄除け観音別所堂
江戸時代の年貢貯蔵庫 その3 -小室郷蔵-
男性助産師・石田伍助の供養塔
渋川市北橘町・応永15年の宝篋印塔
渋川市赤城町・いなり塚古墳
円形の句碑・齋坊塔(花塚) -御前神社-
渋川市・大宮姫神社
渋川市白井・玉椿の道祖神
渋川市・松原の道しるべ
利修仙人伝説 -鳳来寺峯薬師堂-
溝呂木の大ケヤキ -溝呂木諏訪神社-
渋川市北橘町・上箱田の大クワ
白井長尾氏累代の墓 -空恵寺 その2-
角田無幻道人の遺髪塚
盗品除けの神 -千石稲荷神社-
特殊機構の廻り舞台 -上三原田の歌舞伎舞台-
旧子持村最古の神社建築 -中郷菅原神社-
渋川市・中ノ峯古墳
渋川市・人助けのカヤ
賑貸感恩碑 -興福寺-
絵師・根本常南の墓
群馬県最古の竪穴式住居 -八木沢清水縄文時代住居跡-
白井長尾氏家臣・飯塚大学の石堂
宮大工・岸豊後守積保の墓
渋川市・如意山良珊寺
永享の五輪塔 -千音寺跡-
漢学者・堀口藍園の墓
高橋蘭斎の墓 -遍照寺-
渋川郷学の祖・吉田芝渓の墓
渋川市・下郷の子育地蔵
渋川市・下郷の大クワ
文安の薬師石堂 -渋川・延命寺-
金島の浅間石 & 中村の浅間石
山寄せ式円墳 -金井古墳-
渋川市北橘町・赤城山雙玄寺
渋川市北橘町・八崎の立石
天井の間引き絵 -角谷戸薬師堂-
渋川市北橘町・東円山観音堂
渋川市北橘町・小室敷石住居跡
渋川市北橘町下南室・赤城神社
木曽義仲の首塚(?)上に鎮座 -木曽三柱神社-
首飾りの古墳人 -群馬県埋蔵文化財調査センター・発掘情報館 その2-
葛原親王の創建? -小出神社-
馬場重久の顕彰碑 -北下諏訪神社-
桃井尚義の創建? -大藪八幡宮-
伝・桃井直常の墓 その2 -金剛寺跡-
伝・桃井直常の墓 -桃井塚-
石原流の社殿彫刻 -宿稲荷神社-
十二神将が護る厨子 -榛東村・東光寺-
榛東村・御堀地蔵堂の板碑
桃井氏の居城 -桃井(西)城跡-
最澄の創建、真雅の改宗 -字輪寺-
弁慶の遺書 -黒髪山神社 その2-
鬼面石祠 -下八幡宮-
雨乞い祈願の霊験碑 -大宮神社-
旧新井村の守護神 -榛東村・新井八幡宮-
道元の典座教訓像 -宮昌寺-
奈良時代の創建 -聖宮神社-
渋川市津久田・人形舞台
敷島のキンメイチク(金明竹) -上の森八幡宮-
渋川市津久田・赤城護国神社
渋川市津久田・鏡の森歌舞伎舞台
関口文次郎の本殿彫刻 -渋川市津久田・赤城神社-
静寂の古社 -子持神社-
新田一門・大島氏の墓 -大島家墓地の石堂墓石-
非思量庭(えもいわれぬ◯◯◯のお庭) -福増寺-
永岡形部左衛門の墓 -興禅寺 その2-
三原田の宝篋印塔群 -興禅寺-
北牧の氏神様 -若子持神社-
山崎石燕の墓と鳥酔翁塚 -雙林寺 その2-
江戸時代初期の農家造り -旧入沢家住宅-
渋川市・虚空蔵塚古墳
渋川市・横堀宿の三国街道一里塚
有栖川熾仁親王がご祭神 -有栖川宮神社-
相馬山信仰 -黒髪山神社-
養蚕家・馬場重久の墓
渋川金井宿の分水石と滝不動
旧塩川温泉・湯前薬師石堂
大自然の芸術作品 -かに石甌穴-
三国街道金井宿本陣跡
里見義秀の供養塔? -金蔵寺-
断崖の懸崖造り御堂 -岩井堂観世音御堂-
群馬の創作こけし -卯三郎こけし-
伊香保 おもちゃと人形 自動車博物館 
日本のポンペイ その2 -中筋遺跡-
三国街道の一里塚
武田信玄の愛馬を供養 -駒形社-
日本のポンペイ -黒井峯遺跡-
群馬県埋蔵文化財調査センター 発掘情報館
甲(よろい)を着た古墳人 -群馬県埋蔵文化財調査センター-
平(千葉)常将を祀る -常将神社-
伊香保(水沢)街道野田宿・森田宗家
上野国四之宮 -渋川・甲波祝禰神社-
伊香保森林公園・わしの巣風穴
佐渡奉行街道の道しるべ その2
五重塔がある! -柳沢寺-
佐渡奉行街道の道しるべ
空から飛来した観音様 -矢落観音-
葺石がすご過ぎ(笑) -滝沢古墳-
珍しい正八角形墳 -三津屋古墳-
吉岡・南下古墳群 その4 -E号古墳&F号古墳-
吉岡・南下古墳群 その3 -C号古墳&D号古墳-
吉岡・南下古墳群 その2 -B号古墳-
吉岡・南下古墳群 その1 -A号古墳-
伊香保神社の里宮 -三宮神社-
滝沢石器時代遺跡
勝保沢の十一面観音堂 -宗玄寺-
渋川市赤城歴史資料館
名泉・湧玉が滾々と -木曽三社神社-
意外に楽しめる -榛東村耳飾り館-
北橘のシンボルタワー -佐久発電所-
渋川市北橘歴史資料館
渋川市上白井・空恵寺
雙林寺の七不思議 -雙林寺-
本多氏ゆかりの寺 -源空寺-
真光寺の重要文化財
聖獣が一番印象に残った -真光寺-
渋川氏の祖・義顕の創建 -渋川八幡宮-
水澤観音 -水澤寺-
閉館中でした -旧ハワイ王国公使別邸-   
伊香保御関所(伊香保口留番所)
断崖絶壁の山城 -長井坂城跡-
用水路にある発電所 -天狗岩水力発電所-
伊香保温泉の石段を最後まで登ると・・・ -伊香保神社- 

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渋川市八木原の諏訪神社。

八木原諏訪神社 (1)
八木原諏訪神社は、天正8年(1580年)に信州諏訪大社の分霊を勧請し創建されたと伝わる。

鳥居は元禄15年(1702年)の建立で、渋川市内最古の石鳥居である。明治22年(1889年)の暴風雨で破損したが、修理・再建されている。

八木原諏訪神社 (2)
狛犬や常夜灯は比較的新しく、近年の奉納のようだ。

八木原諏訪神社 (3)
八木原諏訪神社 (4)
八木原諏訪神社 (5)
社殿は彫刻も含め重厚で、大きくはないが威厳が感じられる。

八木原諏訪神社 (6)
手水石は元禄8年(1695年)北村九兵衛の寄進との銘がある。県内の手水石の中でも古い部類に入る。

八木原諏訪神社 (7)
境内社・金毘羅宮の常夜灯。文政4年(1821年)高遠石工・保科徳次郎珍宜の作。

八木原諏訪神社 (9)
境内社の菅原社(天満宮)。寛永7年(1630年)の銘があり、渋川市内の天満宮・石祠としては最古のものである。

八木原諏訪神社 (10)
神楽殿。毎年4月12日の春の例大祭に太々神楽が奉納される。大正11年(1922年)に桃井村(現榛東村)から指導をを受けた「須佐之男命の八岐大蛇退治」など男舞21座、乙女舞15座の計36座が舞われる。渋川市の重文に指定されている。

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渋川市北牧の三国街道の道しるべ。

三国街道の道しるべ (1)
横堀方面から来た道が左右に分岐する三叉路に、石仏を刻んだ形の道しるべがある。高さ60cm、幅40cmほどの本体が、北向に台石上に据えられている。明和3年(1766年)の銘がある。

三国街道の道しるべ (2)
舟形光背の中央に半肉彫りで地蔵菩薩が彫られており、向かって右に「右 江戸道」と書かれている。

江戸への道のみを記すのは、右の道(三国街道)の方が細い道なので、間違わない配慮だという。現在の道路事情と比べることに意味はないが、現在も右の方が狭く急な下り坂になっている(写真はないが)。

旧子持村内で最古の道しるべである。

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藤岡市、神流町、上野村

藤岡市神田・五智山高倉寺
藤岡市金井・薬師堂
日野のお天狗 -上日野鹿島神社-
藤岡市下日野・瀧向山示春院
藤岡市上日野・実大山養浩院
血のり神社? -野宮神社-
平維盛の子・維基の末裔? 小柏氏の開基 -養命寺-
藤岡市上日野・大弘山千手院
義民・馬之助の墓 -興春寺-
行基作の不動明王像を祀る板倉不動尊 -大聖峯寺-
藤岡市下日野・弘法井戸
藤岡市金井・稲荷神社
藤岡市藤岡(芦田町)・神明宮
日本武尊の妃・弟橘媛の髪を祀る -乃久里神社-
大蛇の棲む滝 -龍神の滝-
上野村新羽・新羽神社
藤岡市譲原・子宝神社
藤岡市三波川・琴平神社
行基の開基 -堅固山金剛寺-
藤岡市三波川・子育日切地蔵尊
藤岡市三波川・妹ヶ谷不動尊
三波川村の総鎮守 -姥神社-
藤岡市保美濃山・抜鉾神社
藤岡市浄法寺・日枝神社
緑埜屯倉の守護 -御倉御子神社-
日本武尊伝説 -野栗神社-
室町幕府13代将軍・足利義輝の孫が開山? -光源院-
酒井雅楽頭忠清の念持仏 -立石寺-
藤岡市下栗須・稲荷神社
小林重義の守本尊を祀る -大慈悲山千手寺-
平井城の鬼門除け -美国神社-
奈良時代創建の古社 -高山御霊神社-
2つの白狐伝説 -金光寺-
藤岡市立石新田・伊勢島神社
武田信玄奉納の石灯籠(竿石) -御巡部神社-
高山社2代目社長・町田菊次郎の墓 -龍田寺-
神流町・鯉のぼり祭り
藤岡市・日航機事故の碑
藤岡市・清涼山西蓮寺
芦田康国の開基 -龍源寺-
赤穂浪士・神崎与五郎を祀る -与五郎殿-
新田義貞四天王・篠塚伊賀守重廣を祀る -篠塚神社-
芦田康勝の創建 -良信寺-
藤岡市岡之郷・温井熊野神社
藤岡市・無量山光蓮寺
芦田康勝の室・了源院の墓 -天龍寺-
日蓮の聖跡・長源寺跡 -祖師堂-
罔象女神を祀る -水宮神社-
藤岡市・神明山源水寺
藤岡市・天田山水宮寺
藤岡市・瑠璃光山西勝寺
葵御前伝説 -葵八幡宮 その2-
文覚上人の創建? -椿社神社-
藤岡市・小林山寿楽寺
藤岡市小林・大塔寺天満宮
失せ物稲荷 -藤岡市保美・稲荷神社-
藤岡市篠塚・道標付笠石四角塔
神流町・お蝶ヶ穴
石材のみの古墳 -原古墳-
藤岡市下戸塚・水沼神社
藤岡市中栗須・神明宮
藤岡市宮本町・子育て地蔵尊
立派な本殿彫刻 -土生神社-
天保4年の鳥居扁額 -丹生神社-
梶原景時の創建? -万場八幡宮-
255年間土中に埋まっていた銅鑼 -大林寺-
道忠禅師の供養塔 -浄法寺 その2-
藤岡市・高山社情報館
文永銘の板碑 -福持寺-
南毛観音霊場第三番札所 -浄雲寺-
藤岡市譲原・文明の板碑
木地師の墓 その2 -上野村・泉龍寺-
火渡りの護摩行 -中正寺-
木地師の墓 -上野村・宝蔵寺-
土屋山城守高久の墓
月舟宗胡の墨蹟 -東福寺-
二間社造りの本殿 -中山神社-
神流町・岩壺観音堂
丸岩のほとりに鎮座 -神流川鮎神社-
樹齢350年のしだれ桜 -龍松寺-
神流町・阿弥陀三尊画像板碑
弘法大師作の観音様? -藤岡・観音寺-
松井宗直の墓 その2 -光徳寺 その3-
松井宗直の墓 -源性寺-
緑埜精糸社跡
南毛観音霊場第8番札所 -藤岡市・大雲寺-
久しぶりに獅子舞を観た -藤岡市神田・浅間神社-
藤岡市保美・子育て地蔵尊
藤岡市・山崎の古碑(応永の板碑)
藤岡市・平成の道祖神
藤岡市山崎地区の鎮守様 -山崎神社-
藤岡市・天保飢饉の碑
延慶の板碑 -医光寺-
藤岡市東平井・秋葉神社
神流川の合戦の戦死者を祀る -胴塚稲荷神社-
吉良上野介の父・義冬の創建 -龍泉寺-
足腰守護の神仏 -藤岡市高山・子之権現宮-
山内上杉家の守り本尊・薬師如来を祀る -藤岡市高山・薬師堂-
鮎川の両岸に鳥居がある -地守神社-
参道真ん中を国道が横断する神社 -藤岡市白石・飯玉神社-
福島式桑刻機を発明 -福島元七顕彰碑-
高山社2代目社長・町田菊次郎生家
高山遠江守重栄の墓 -興禅院 その2-
高山長五郎の墓 -興禅院-
浅間山の火山灰を集めた丘に鎮座 -藤岡市保美・稲荷神社-
南蛮画・泰西王侯図 -満福寺-
藤岡市体験学習館MAG(マグ)
平井城から移築の山門 -藤岡市・光明寺-
ゼロ戦の生みの親・堀越二郎展 -藤岡歴史館-
藤岡市・霊符殿古墳
鬼が投げた石 -鬼石神社-
池泉式鑑賞庭園と言うけど・・・ -永源寺-
藤岡・諏訪神社と諏訪古墳
藤岡という地名の由来 -富士浅間神社-
道端に鎮座 -藤岡・平井七地蔵尊-
関東管領・山内上杉顕定の菩提寺 -常光寺-
関東管領・山内上杉氏ゆかりの神社 -藤岡・三嶋神社-
蝸牛石(だいろいし) -仙蔵寺-
藤岡・上杉乳母神社
山内上杉氏累代の墓 -円満寺-
瓦屋根の洋風建築 -旧多野会館-   
舟形石棺が保存されている -宗永寺-
巴御前ゆかりの聖観音 -一行寺-
小さな仏像がたくさん -金井千体仏-
涅槃釈迦像 -清見寺-
菊川英山の墓 -成道寺-
江戸時代の道標 -増信寺-
立派な土塁が残っている -芦田城(藤岡城)址-
算聖・関孝和の墓 -光徳寺 その2-
芦田氏の菩提寺 -光徳寺-
武田家家臣・長井正實の開基 -天陽寺-
神流町・閻魔大王像と奪衣婆像
神流川にゴロ~ン -丸岩-
上野村・全国郷土玩具館
3つの玄関がある旧家 -旧黒澤家住宅-
上野村森林科学館
江戸時代からの景勝地 -三波石峡-
520名の御霊を祀る -慰霊の園-
葵御前を祀る? -葵八幡宮-
藤岡・戸塚神社古墳
藤岡・平地神社古墳
浅間山・天明の大噴火の記録 -千部供養塔-
藤岡市中大塚・縄文時代敷石遺構
藤岡・平井地区1号古墳
藤岡・皇子塚古墳
義民・堀越三右衛門の墓
藤岡譲原・石器時代住居跡
秘仏(?)ご開帳! -虚空蔵堂-
美麗な石室 -伊勢塚古墳-
養蚕群馬の牽引者 -高山長五郎/高山社跡-
藤岡市本郷・埴輪窯跡-
日本三辻のひとつ -土師神社-
伝教大師ゆかりの寺 -浄法寺-
ただの川原? -蛇喰渓谷-
関東一の鍾乳洞 -不二洞-
恐竜の足跡!? -神流町恐竜センター-
珍しい資料館 -譲原・地すべり資料館-
関東管領・山内上杉氏の居城 -平井城址-
藤岡市・白石稲荷山古墳
藤岡市・七輿山古墳
藤岡市・吉良上野介の産湯を汲んだ井戸

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藤岡市神田の五智山高倉寺。

高倉寺 (1)
高倉寺は大永2年(1522年)同市高山地区に開創。元和2年(1616年)火災により焼失、元禄4年(1691年)僧・勧海が再興している。明治42年(1909年)に神田・光明寺と合併し、同寺に移り高倉寺として存続している。

高倉寺 (2)
高倉寺 (3)
本堂の建立年は不詳だが、平成5年(1993年)に大改修を行っている。

高倉寺 (4)
六地蔵は本堂落慶(改築)時の奉納(平成5年)。

高倉寺 (5)
境内の延命観音。由緒などは不明。そう古くはなさそう。

高倉寺 (6)
高倉寺 (7)
境内から墓地にかけて、多くの庚申塔がある。庚申信仰が盛んだった地区なのかな。

高倉寺は「上毛国風土記」(平安時代?)にもその名が見えることから、開創は相当古く、大永2年は中興ではないかとの説もあるようだ。

また、高山地区にある薬師堂(山内上杉家の守り本尊・薬師如来を祀る)は、旧高倉寺の良山和尚が建立したもの。関東管領・上杉憲政が北条氏に攻められ越後の長尾景虎(上杉謙信)を頼って落ち延びる際、家来に背負わせ旧高倉寺に避難させたと伝えられている。
(「山内上杉家の守り本尊・薬師如来を祀る -藤岡市高山・薬師堂-」参照)

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藤岡市金井の薬師堂。

金井薬師堂 (1)
金井薬師堂の由緒は不詳だが、元禄16年(1703年)に高山氏により当地に移築されている。享保12年(1731年)に山崩れにより倒壊、高山半兵衛重寛が再建。現在のお堂は平成4年(1992年)の新築建立。

高山氏は桓武平氏・平良文の流れをくむ秩父氏の一族。秩父三郎が武蔵国高麗郡高山邑(埼玉県飯能市にある高山不動)に住して高山三郎を名乗り、初代・高山三郎重遠となる。重遠は後に上野国緑野郡高山(藤岡市高山)を本拠とした。

高山社を興した高山長五郎や、江戸期の寛政三奇人のひとり・高山彦九郎はその末裔にあたる。

金井薬師堂 (2)
金井薬師堂 (3)
境内には石仏・宝塔、供養塔などが並ぶ。

金井薬師堂 (4)
金井薬師堂 (5)
本尊の薬師如来像。

金井薬師堂 (6)
薬師堂の前には藤岡市の重文を示す解説板がある。重文は「伝山内上杉顕定公愛用の碁盤」。上杉顕定は平井城主の関東管領。碁盤は室町時代の作で、現存する碁盤の中では全国でも古い部類に入るという。

ところで、この碁盤の所有者は仙蔵寺になっている。仙蔵寺は藤岡市西平井にあるお寺。ただ、碁盤の所在地はこの薬師堂の住所になっているので堂内にある? このお堂の管理も仙蔵寺なのかな。

碁盤には後世の加筆による「西平井村 平岩山 文殊院」という墨書があるというが、現在の西平井には同名の寺院はない。平岩山文殊院が廃寺にでもなったので、仙蔵寺に移されたのか。でも、上杉顕定の菩提寺といわれる常光寺もあるので、なぜそちらではないのかとの疑問もあるけど。

関連
 「蝸牛石(だいろいし) -仙蔵寺-
 「関東管領・山内上杉顕定の菩提寺 -常光寺-

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藤岡市上日野の鹿島神社。

上日野鹿島神社 (1)
上日野鹿島神社は建久7年(1196年)に平維盛の子・維基が小柏と改姓した際に建立し、所蔵の甲冑や武具を納めたという。
(平維基に関しては「平維盛の子・維基の末裔? 小柏氏の開基 -養命寺-」参照)

上日野鹿島神社 (2)
上日野鹿島神社 (3)
参道を進むと山すそ(北麓)に鳥居と割拝殿(瓦屋根の幅広の建物)が見えてくる。

上日野鹿島神社 (4)
上日野鹿島神社 (5)
割拝殿は懸崖造りで、床下には藁を巻き付けた筒状の物が多数ある。何だろう?

上日野鹿島神社 (6)
上日野鹿島神社 (7)
社殿は延享元年(1744年)火災により焼失、翌年に再建されている。再建の中心になったのは地元の豪族・酒井興惣左衛門。社殿は割拝殿をから境内に入ると右手にある。境内は狭いので、再建時に社前を広く取るために移されたと考えられている。

上日野鹿島神社 (8)
拝殿内にはきれいな絵馬が掲げられていた。題材は分からない。

上日野鹿島神社 (9)
拝殿の掲額。天狗の絵が描かれているが、当社は「日野のお天狗」と呼ばれている。新井左京という人物が安政2年(1855年)に秋熱病に罹り、大山石尊に祈願したところ全快した。それから右京には天狗が乗り移り、呪占師のようなことを行っていた。その弟子や神職も同様に境内で呪占をやっていたことから。

この風習は昭和初期まで続いていたといから、ちょっと驚き。(額の内容は薄れていて読み切れないが、第二次世界大戦がどうのとある)

上日野鹿島神社 (10)
上日野鹿島神社 (11)
神楽殿。社殿のすぐ隣にある。春の例祭時に奉納されていた(現在は行われていない)。

上日野鹿島神社 (12)
上日野鹿島神社 (13)
境内社の鳥居。ちょっとエッチな雰囲気を醸し出す。

上日野鹿島神社 (14)
金精さま(左)。右は分からないが、女陰関係かな。金精さまは子宝、安産、縁結びのご利益があるので、昔から各地に祀られている。

上日野鹿島神社 (15)
上日野鹿島神社 (16)
リアルなオブジェがある。平成2年(1990年)地元の方々の奉納。

ところで、上日野鹿島神社には天正18年(1590年)の国峰城落城時に、国峰城を守っていた小幡信秀(城主・小幡信貞の養嗣子)が社殿内に隠れ、難を逃れたという伝承が残っている。同じような話が甘楽町の向陽寺(「甘楽町天引・向陽寺」参照)にも伝わっている。

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藤岡市下日野の瀧向山示春院。

示春院 (1)
示春院 (2)
示春院は元和元年(1615年)柴崎氏の開基、正室曇栄和尚の開山。柴崎氏は下日野村の名主で、「日野の名主5家」のひとつ。他は上日野村・小柏氏、小柴氏、下日野村・黒澤氏、金井村・高山氏。

鮎川にかかる金属製の橋を渡っていく。

示春院 (3)
昔の橋だろうか。木橋らしきものが見えた。

示春院 (4)
山門は昭和50年(1975年)の新築建立。

示春院 (5)
示春院 (6)
本堂は明治33年(1900年)に火災により焼失。同年に再建されている。本尊の如意輪観音を祀る。

示春院 (7)
平成14年(2002年)建立の聖観音。

示春院 (8)
示春院 (9)
由緒などは分からないが、地蔵尊が祀られていた。

ところで、地図を見る限り川に架かる橋以外示春院へ行く道がないんだよね。橋は車は通れないので、お寺の人はどうしてるんだろう。川の手前に1階が駐車場になっている仮家みたいのがあるので、これがお寺のものかもね。

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上州まったり紀行の中から「石仏・宝塔・板碑・塔婆」などに関するものをリスト化したもの。板碑・宝塔(宝篋印塔)・塔婆などは、元々お墓や供養塔の意味合いも強いが、「お墓・供養塔」に分類したものは除く。なお、分類はいい加減。


前橋市(旧郡部を除く)

稲荷新田の薬師さま
亀里町・阿内宿の石幢
正法寺の六地蔵石幢
笠薬師塔婆(丁間稲荷神社)
石造阿弥陀如来三尊像(後閑円満寺)
阿弥陀三尊仏(浄土院)
公田の岩舟地蔵
小島田の阿弥陀如来坐像
小島田の供養碑
江木の宝塔
旧普蔵寺供養塔(最善寺)
富田の宝塔
笠欠け三猿塔(熊野神社)
鳥羽の大日如来および笠塔婆
大福寺の宝塔
阿弥陀三尊画像板碑と宝塔(乗明院)
善光寺の石幢
龍興寺の多宝塔


前橋市(旧大胡町、旧宮城村、旧粕川村、旧富士見村)

粕川町・石造馬頭観音立像と笠かぶり地蔵尊
横沢の石塔婆
大前田町・世良田薬師の石造阿弥陀如来坐像
あ・うん石仏と馬頭観音(馬場稲荷神社)
石造薬師如来坐像と宝塔(東昌寺)
大前田の地蔵菩薩石像
龍性寺の石幢
月田の石造仏群
石像六地蔵塔と宝塔(月田近戸神社)
金剛寺の六地蔵石幢
六地蔵石幢と種子十三仏塔(赤城寺)


伊勢崎市、佐波郡(玉村町)

頼光塚
上植木の建長石仏
上西根の五輪塔
常清寺の変形板碑
上蓮の阿弥陀・地蔵石仏
五輪塔と宝篋印塔(宝存寺)
正観寺・義経馬殿塔
浅間山大噴火の供養地蔵(夜泣き地蔵)
玉村町・文安銘の五輪塔
花台寺・五智如来石仏
泉龍寺・延命地蔵と薬師如来石像
観照寺の板碑
徳蔵寺の宝塔
宮子の笠塔婆
西光寺の馬頭観音
長安寺・宝篋印塔
下植木赤城神社の石造美術群
大国神社の石幢
同聚院・文明の石幢
天増寺の宝塔
権現山の宝塔


渋川市、北群馬郡(吉岡町、榛東村)

長尾憲景の護持仏・閻魔大王像(玄棟院)
大日如来坐像(神宮寺)
応永15年の宝篋印塔
永享の五輪塔(千音寺跡)
下郷の子育地蔵
東円山観音堂の石造物群
御堀地蔵堂の板碑
宮昌寺・穴薬師
渋川金井宿の滝不動
真光寺の聖徳太子塔


高崎市(旧郡部を除く)

明徳元年銘の宝篋印塔(西福寺跡)
円福寺の宝篋印塔
山ノ上地蔵尊
高崎市山名町・来迎阿弥陀画像板碑
妙典寺の板碑と五輪塔
玄頂寺の五輪塔
光台寺の線刻地蔵菩薩立像石仏
安楽寺の異形板碑
洞窟観音
養報寺の石仏群
永泉寺の幽霊石


高崎市(旧群馬町、旧箕郷町、旧榛名町、旧吉井町、旧新町、旧倉渕村)

吉井町・黒熊山延命寺の宝篋印塔・五輪塔
橋場の地蔵尊
馬庭の薬師如来坐像
安養寺跡の笠塔婆
本庄辻の地蔵尊
岩井堂の石幢
全透院の閻魔大王と奪衣婆
折茂観蔵院の板碑
小暮の穴薬師
天久沢陣城跡の石造地蔵菩薩坐像
地勝寺の薬師如来坐像と一石阿弥陀三尊像
玄太寺の阿弥陀三尊坐像
多胡碑


安中市

五料の地蔵さん(夜泣き地蔵)
聖不動威怒明王像
観音三尊碑
八城の八塔石紅地蔵
自性寺の宝篋印塔
不動寺の石塔婆
全性寺の悟留譜(ゴルフ)観音


富岡市、甘楽郡(甘楽町、下仁田町、南牧村)

田篠の石造如来三尊坐像
女神像碑と十一面観音菩薩碑
圓通閣の地蔵菩薩坐像
清泉寺の宝篋印塔
富岡市・仁治の碑
甘楽町・仁治の板碑
甘楽町・建長の板碑
城町下薬師堂の石仏
今宮寺の阿弥陀三尊石仏
宝勝寺の地蔵菩薩と薬師如来
永隣寺の奪衣婆像
額部神社・石造地蔵菩薩像
西方寺・元応の板碑・貞治の板碑
金剛院の名号塔
星田虚空蔵堂の名号塔
天引の笠塔婆 その2
下仁田町安楽地の板碑
天引の笠塔婆と板碑
天引中宿の薬師如来像
小野の塩薬師
長厳寺の磨崖仏
宝泉寺の薬師如来石像


藤岡市、多野郡(神流町、上野村)

実大山養浩院の地蔵菩薩像
藤岡市三波川・子育日切地蔵尊
保美濃山抜鉾神社の板碑
龍田寺の宝篋印塔
藤岡市篠塚・道標付笠石四角塔
福持寺の板碑
藤岡市譲原・文明の板碑
神流町・阿弥陀三尊画像板碑
保美の子育て地蔵尊
応永の板碑
医光寺の板碑
平井七地蔵尊
神流町・閻魔大王像と奪衣婆像
葵八幡宮の板碑


太田市(旧郡部を除く)

富若の名号角塔婆
大円寺の徳本行者名号
矢田堀勘兵衛屋敷の名号角塔婆
永福寺の名号角塔婆
成願寺の石造地蔵菩薩像
教王寺の五輪塔群


太田市(旧新田町、旧尾島町、旧藪塚本町)

新井家の五輪塔
中江田の辻地蔵尊
旧来迎寺の宝篋印塔
旧常楽寺の石塔群
西野の層塔
西福寺・赤子地蔵
木崎宿の色地蔵
清泉寺の宝篋印塔
二体地蔵塚


桐生市

栖松寺の石幢
後閑の五輪塔
久昌寺・金八地蔵
光明寺・「宝珠型仏塔」の弁財天
東禅寺の角塔「建武の碑」
千手寺の石幢
龍真寺の鶏亀地蔵
関の磨崖仏
瀧興寺の虚空蔵菩薩石像
観音寺の石幢
山上多重塔


みどり市

南光寺の五輪塔群
大間々・浅原の百観音
大間々の角地蔵
穴原薬師堂の馬鳴菩薩像
岩穴観音・地蔵菩薩坐像と阿弥陀如来坐像
浅原馬場の大日如来像


館林市、邑楽郡(大泉町、板倉町、邑楽町、千代田町、明和町)

安勝寺・光明真言金亀宝篋印塔
十王十仏板碑(淨蓮院)
建武の板碑(大林寺)
千代田町・弘安の板碑
日向義民地蔵
五宝寺・不動まんだら板碑
愛宕神社・青色地蔵板碑
東光寺の馬頭観音
舞木円満寺・元応の板碑


沼田市、利根郡(みなかみ町、片品村、川場村、昭和村)

禅定院の宝篋印塔
岩室神社の石造五重塔


吾妻郡(中之条町、長野原町、草津町、嬬恋村、東吾妻町、高山村)

岩井の背高地蔵
柏原の宝篋印塔
北向三十三番観世音
浅間山大噴火の供養石地蔵(雲林寺)
泉龍寺の閻魔大王像
宗本寺の宝篋印塔
仙人窟の石仏
国定忠治地蔵

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藤岡市上日野の実大山養浩院。

養浩院 (1)
養浩院は永正年間(1504~21年)酒井氏の開基。埼玉県児玉郡の大興寺・章室祖文の開山。酒井氏は地元の郷氏だったが、現在は絶家している。

養浩院 (2)
山門(鐘楼門)への石段は急すぎて怖い。写真は上から撮ったが、ほぼ垂直(まあ言い過ぎだけど)。それくらいに感じる。

養浩院 (3)
石段横の地蔵菩薩像は文化7年(1810年)の建像。

養浩院 (4)
お地蔵さまの隣には松尾芭蕉の句碑がある。「志ばらくは 花のうえなる 月夜かな」。明治3年(1870年)に当地の俳人たちが芭蕉の墓に参詣し、金2円を寄進して墓土をもらい受け、明治5年(1872年)に俳塚の形式で建立したもの。

養浩院 (5)
養浩院 (6)
享和3年(1803年)鋳造の梵鐘は先の大戦時に供出。近年鋳型の一部が発見され、それを元に昭和49年(1974年)に再鋳造されている。

養浩院 (7)
養浩院 (8)
本堂は天保年間(1831~45年)の建立。明治期に小学校校舎として利用されている。明治42年(1909年)以降、数度の渡り改修が行われている。

鐘楼門から本堂までの距離が短く、どうやっても本堂の全景写真が撮れなかった・・・。

養浩院 (9)
養浩院 (10)
弘法大師石像。

養浩院 (11)
養浩院 (12)
子育て地蔵(左)と水子地蔵(右)。

養浩院 (13)
養浩院 (14)
養浩院は県道71号線から少し山側に入るが、入口に六地蔵がある。県道にかかる小さな橋は「六地蔵橋」というらしい。

養浩院には明治40年(1907年)に陸軍大将・寺内正毅が奉納した砲弾4個(日露戦争紀年)が宝物として遺されている。奉納の経緯は分からない。

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藤岡市上日野の野宮神社。

野宮神社 (1)
野宮神社の創建は不詳。永禄年間(1558~70年)に当社から半里(約2km)ほどの谷合で、小柏左馬助高政が武田氏に属し北条氏と戦い、敵十数人を滝に斬り落としたという。このとき、大谷川下流の鮎川との合流地点に七日七夜に渡り血が流れ着いたので、血のりの宮となり、後に野宮となったとされる。

野宮神社 (2)
大谷川と鮎川の合流地点。ここが真っ赤になった? ところで、大谷川の上流に「千が滝」という滝があり、ここが高政が敵を切り落とした場所とされる。千が滝の名は、高政が千人の敵を斬り落としたことから名付けられたという。千人とは大きく出たな(笑)。

野宮神社 (3)
野宮神社 (4)
参道は木々が覆い、ちょっと不安な状態。この先に神社があるのか、すごく心配してしまったが、すぐに鳥居(1枚目の写真)が見え一安心。

野宮神社 (5)
野宮神社 (6)
野宮神社 (7)
社殿内に祀られているご本尊は日本武尊。他に鹿屋野比売命。こちらは草(萱)の女神。

野宮神社 (8)
舞台があるが、神楽が伝わっているのな。

ところで、社名の由来ともなっている登場人物・小柏高政は、平清盛の嫡孫・維盛の子・維基の末裔といわれる。高政は維基から17世といわれる。
(「平維盛の子・維基の末裔? 小柏氏の開基 -養命寺-」参照)

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