Tigerdreamの上州まったり紀行

上毛かるたと群馬県内の神社仏閣、遺跡・史跡・古墳、資料館などの紹介。

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富岡市妙義町八木連の弘法の井戸。

弘法の井戸 (1)
弘法の井戸 (2)
弘法の井戸 (3)
弘法の井戸は、その名の通り弘法大師(空海)が見つけた水源。
と言うか、湧き出させたと言うべきか。

当地区(大久保地区)は水がなく困っていたところに弘法大師が来て、
錫杖を立てたところ、そこから水が湧き出したという。そしてその水が
涸れないように、金の独鈷を埋めたといわれる。

実際の場所は、この水場から100mほど離れたところだそうだ。

弘法の井戸 (4)
弘法の井戸 (5)
平成11年(1999年)に現在の形に整備されている。

弘法の井戸 (6)
弘法の井戸 (7)
隣には東屋風の休憩所と池があった。水源は一緒なのだろう。

昭和25年(1950年)の水道施設に伴い、水源を広げる工事をした
ところ、石の下から独鈷が出てきたという(また埋め戻している)。
昭和46年(1971年)の群馬県史跡調査では、独鈷の形状から
鎌倉時代のものと推定されるようなことが説明板に書いてあった。

弘法の井戸と呼ばれる水源は全国各地にある。県内にもいくつかある。
また弘法大師が開湯したといわれる温泉も多数ある。修善寺温泉や
県内では法師温泉。

ついでに、伝教大師(最澄)や行基にも同様の伝説が多く残っている。
古来から仏教の高僧には、不思議な力が備わっていると信じられて
いたということか。


甘楽郡下仁田町東野牧の西牧関所跡。

西牧関所跡 (1)
西牧関所は文禄2年(1593年)、旧藤井村の下仁田道に設置された関所。

西牧関所跡 (2)
下仁田道は本庄宿から追分宿を結ぶ街道。中山道の裏街道として、
女人も容易に通れるので姫街道とも言われた。
今も富岡市から下仁田町にかけての国道254号線には「姫街道」の
表示がある。

実際の関所跡は鏑川沿いの畑の中にあり、表示板が立っている(らしい)。


甘楽郡下仁田町西野牧の鏑神社。

鏑神社 (1)
鏑神社 (2)
鏑神社の創建年は不詳だが、京都・御霊神社の分霊を勧請し創建された
と伝わる。

明治43年(1910年)に西野牧村内の浅間神社、榛名神社などを
合祀し、鏑神社となっている。

鏑神社 (3)
鏑神社 (4)
拝殿は入母屋造り、本殿は神明造り。

鏑神社 (5)
例大祭では獅子舞が奉納され、山車や露店が出て賑わうという。

境内は余り広くないが、木立に囲まれ良い雰囲気である。


渋川市、吉岡町、榛東村

葛原親王の創建? -小出神社-
馬場重久の顕彰碑 -北下諏訪神社-
桃井尚義の創建? -大藪八幡宮-
伝・桃井直常の墓 その2 -金剛寺跡-
伝・桃井直常の墓 -桃井塚-
石原流の社殿彫刻 -宿稲荷神社-
十二神将が護る厨子 -榛東村・東光寺-
榛東村・御堀地蔵堂の板碑
桃井氏の居城 -桃井(西)城跡-
最澄の創建、真雅の改宗 -字輪寺-
弁慶の遺書 -黒髪山神社 その2-
鬼面石祠 -下八幡宮-
雨乞い祈願の霊験碑 -大宮神社-
旧新井村の守護神 -榛東村・新井八幡宮-
道元の典座教訓像 -宮昌寺-
奈良時代の創建 -聖宮神社-
渋川市津久田・人形舞台
敷島のキンメイチク(金明竹) -上の森八幡宮-
渋川市津久田・赤城護国神社
渋川市津久田・鏡の森歌舞伎舞台
関口文次郎の本殿彫刻 -渋川市津久田・赤城神社-
静寂の古社 -子持神社-
新田一門・大島氏の墓 -大島家墓地の石堂墓石-
非思量庭(えもいわれぬ◯◯◯のお庭) -福増寺-
永岡形部左衛門の墓 -興禅寺 その2-
三原田の宝篋印塔群 -興禅寺-
北牧の氏神様 -若子持神社-
山崎石燕の墓と鳥酔翁塚 -雙林寺 その2-
江戸時代初期の農家造り -旧入沢家住宅-
渋川市・虚空蔵塚古墳
渋川市・横堀宿の三国街道一里塚
有栖川熾仁親王がご祭神 -有栖川宮神社-
相馬山信仰 -黒髪山神社-
養蚕家・馬場重久の墓
渋川金井宿の分水石と滝不動
旧塩川温泉・湯前薬師石堂
大自然の芸術作品 -かに石甌穴-
三国街道金井宿本陣跡
里見義秀の供養塔? -金蔵寺-
断崖の懸崖造り御堂 -岩井堂観世音御堂-
群馬の創作こけし -卯三郎こけし-
伊香保 おもちゃと人形 自動車博物館 
日本のポンペイ その2 -中筋遺跡-
三国街道の一里塚
武田信玄の愛馬を供養 -駒形社-
日本のポンペイ -黒井峯遺跡-
群馬県埋蔵文化財調査センター 発掘情報館
甲(よろい)を着た古墳人 -群馬県埋蔵文化財調査センター-
平(千葉)常将を祀る -常将神社-
伊香保(水沢)街道野田宿・森田宗家
上野国四之宮 -渋川・甲波祝禰神社-
伊香保森林公園・わしの巣風穴
佐渡奉行街道の道しるべ その2
五重塔がある! -柳沢寺-
佐渡奉行街道の道しるべ
空から飛来した観音様 -矢落観音-
葺石がすご過ぎ(笑) -滝沢古墳-
珍しい正八角形墳 -三津屋古墳-
吉岡・南下古墳群 その4 -E号古墳&F号古墳-
吉岡・南下古墳群 その3 -C号古墳&D号古墳-
吉岡・南下古墳群 その2 -B号古墳-
吉岡・南下古墳群 その1 -A号古墳-
伊香保神社の里宮 -三宮神社-
滝沢石器時代遺跡
勝保沢の十一面観音堂 -宗玄寺-
渋川市赤城歴史資料館
名泉・湧玉が滾々と -木曽三社神社-
意外に楽しめる -榛東村耳飾り館-
北橘のシンボルタワー -佐久発電所-
渋川市北橘歴史資料館
渋川市上白井・空恵寺
雙林寺の七不思議 -雙林寺-
本多氏ゆかりの寺 -源空寺-
真光寺の重要文化財
聖獣が一番印象に残った -真光寺-
渋川氏の祖・義顕の創建 -渋川八幡宮-
水澤観音 -水澤寺-
閉館中でした -旧ハワイ王国公使別邸-   
伊香保御関所(伊香保口留番所)
断崖絶壁の山城 -長井坂城跡-
用水路にある発電所 -天狗岩水力発電所-
伊香保温泉の石段を最後まで登ると・・・ -伊香保神社- 


北群馬郡吉岡町陣場の小出神社。

小出神社 (1)
小出神社は延暦18年(799年)葛原親王東征の際に、この地に陣所を
置き、武運長久を祈願し勧請されたと伝わる。
(小字に御所という地名も残っている)

葛原親王は桓武天皇の第3皇子。延暦18年はまだ13歳(翌年元服)で、
とても東征に出たとは考えられない。
この頃は坂上田村麻呂が征夷大将軍に任じられ(延暦16年)、東征を
繰り返していた(延暦20~23年)時代。

ちなみに、葛原親王の子供が臣籍降下し「平」を名乗ったのが平氏の
始まりである。

小出神社 (2)
小出神社 (3)
小出神社 (4)
鳥居には正徳3年(1713年)の文字が見えた。

小出神社 (5)
明治20年(1887年)吉岡町陣場が雹害に襲われ、桑の木も大被害を
受け、蚕に与える桑の葉がなく蚕を地中に埋めざるを得なくなった。
その時の蚕の霊を慰めるため明治21年(1884年)に建立されたもの。

小出神社 (6)
雷神宮は安政2年(1856年)の建立。その名の通り落雷除け。
秋葉宮は安永2年(1773年)の建立で、火防の神。
他にも多数の末社・合祀社が鎮座している。

小出神社 (7)
陣場出身の国学者・石関黒山の顕彰碑。

小出神社 (8)
三国街道に設置されていた常夜燈。文化5年(1808年)の建立。
平成6年(1994年)に小出神社境内に移されている。

小出神社 (9)
境内に水準点があった。
標高197.5m、北緯36度25分50秒、東経139度0分12秒。


北群馬郡吉岡町北下の諏訪神社。

北下諏訪神社 (1)
北下諏訪神社 (2)
北下諏訪神社の創建は不詳だが、桃井直常が京都より勧請したと
伝わる。直常が勧請したのなら八幡宮では? と思うのだが・・・。
(桃井氏は源氏の一族であり、桃井郷(吉岡町、榛東村あたり)に
多数の八幡宮を勧請・創建している)

北下諏訪神社 (3)
北下諏訪神社 (4)
天明元年(1781年)に社殿を増築した記録があるようだ。

北下諏訪神社 (5)
境内にある養蚕家・馬場重久の顕彰碑。

重久は寛文3年(1663年)に桃井荘(現在の吉岡町)に生まれた
農学者、医者。若いころから科学的に養蚕を研究し、その著書である
「蚕養育手鑑」は、民間の蚕書としては国内で最も古い。
(「養蚕家・馬場重久の墓」参照)

顕彰碑は昭和33年(1958年)に北下地区住民の寄付により建立
されている。


北群馬郡吉岡町南下の大藪八幡宮。

大藪八幡宮 (1)
大藪八幡宮 (2)
桃井尚義が源氏の氏神である八幡神を祀ったのが始まりという。

桃井尚義は同じ吉岡町の下八幡宮を創建した義胤の曾孫で、新田義貞の
鎌倉攻めに参陣し、化粧坂の戦いで戦死したといわれる。他説では、
その後の越前・藤島の合戦(延元3年・暦応元年:1338年)で討ち
死にしたとも。なので、西暦1300~30年頃の創建か?
(下八幡宮は「鬼面石祠 -下八幡宮-」参照)

大藪八幡宮 (3)
大藪八幡宮 (4)
明治元年(1868年)に当地に遷座し、石祠を木造の社殿を建立した。

大藪八幡宮として書いた由緒は、実は「上八幡宮」の由緒とされるもの
である。大藪八幡宮と上八幡宮は、同一神社の別称なのか別神社なの
か不明。まあ不明というか、オレの知識がないということ。

大藪八幡宮には獅子舞が伝わっている。
大永3年(1523年)桃井播磨守が守刀とともに、八幡神社に奉納した
のが始まりといわれる。威勢の良さと振りの多さは近隣にないものである。

桃井播磨守が誰なのか不明。直常かと思ったが、時代が合わなかった。
直常の没年は永和2年(1376年)とされる。


上毛かるた紀行、上州まったり紀行の中から、「お墓・供養塔」に関する
ものをリスト化したもの。
一応、有名人・著名人、歴史的な人物(氏族)が対象。
中には、「伝」・「?」も多いけどね(笑)。


前橋市(旧郡部を除く)

平敦盛の供養塔 -泉蔵寺-
石田玄圭の墓
静御前のお墓??
赤穂浪士・矢頭右衛門七の母の墓 -大蓮寺-
新田義貞の首級を持ち帰った(?)「覚明」の墓 -宝禅寺-
中臣羽鳥連の墓 -釈迦尊寺-
名馬・磨墨の墓 -祝昌寺-
酒井忠世家臣・本城氏の墓 -長昌寺-
初代前橋市長・下村善太郎の墓 -龍海院 その2-
剣聖・上泉信綱の墓 -西林寺-
石川氏の墓 -最善寺-
常盤御前のお墓? -極楽寺-
静御前のお墓? -養行寺-
萩原朔太郎のお墓 -政淳寺-
淀君のお墓? -元景寺-
秋元氏歴代の墓所 -宝塔山古墳-
德川譜代・酒井家の菩提寺 -龍海院-


前橋市(旧大胡町、旧宮城村、旧粕川村、旧富士見村)

大前田英五郎の墓 その2
牧野家家老・山本帯刀の墓 -長興寺 その2-
伊勢崎藩主・稲垣長茂両親の墓 -長興寺-
満蒙開拓移民の父・東宮鐡男陸軍大佐の墓 -金剛寺 その2-
北爪将監の供養塔 -赤城寺-
梶原景時父子の墓? -珊瑚寺-
牧野家の菩提寺 -養林寺-
大胡太郎(藤原重俊)の墓 -長善寺-
関東一の大親分 -大前田英五郎の墓-
老農 船津傳次平


伊勢崎市、佐波郡(玉村町)

俳人・栗庵似鳩の墓
板垣信方の墓 -常清寺-
伊勢崎藩の藩校教授・浦野神村の墓
沼田景義のご子孫の墓 -泉龍寺 その2-
那波宗広の墓 -泉龍寺-
大谷義継の孫・大谷隆昌の墓 -龍昌院-
跡部氏の菩提寺 -紅厳寺跡 その2-
弥勒寺音次郎・音八父子の墓
福島泰蔵大尉の墓 -天人寺-
村上随憲の墓 -長光寺-   
那波教元の墓? -富塚円福寺-
駒井政直・親直の墓 -宝幢院-
駒井氏累代の墓 -竹芳寺-
斎藤宜義の墓 -宝蔵寺-
小畠武堯の墓 -善応寺-
伊勢崎藩主・稲垣長茂の屋敷門 -同聚院- (関當義・重嶷父子の墓)
那波小太郎・小次郎の墓 -天増寺 その2-
稲垣氏累代の墓 -天増寺-
藤原秀郷(俵藤太)の供養塔 -宝珠寺-
国定忠治の墓 -養寿寺-


渋川市、北群馬郡(吉岡町、榛東村)

伝・桃井直常の墓 その2 -金剛寺跡-
伝・桃井直常の墓 -桃井塚-
新田一門・大島氏の墓 -大島家墓地の石堂墓石-
永岡形部左衛門の墓 -興禅寺 その2-
三原田の宝篋印塔群 -興禅寺- (永井氏累代の墓)
山崎石燕の墓と鳥酔翁塚 -雙林寺 その2-
養蚕家・馬場重久の墓
里見義秀の供養塔? -金蔵寺-
本多氏ゆかりの寺 -源空寺- (本多廣孝の墓)
真光寺の重要文化財 (木暮足翁の墓)


高崎市(旧郡部を除く)

高崎五万石騒動中総代・山田勝弥の墓
高崎五万石騒動大総代・小島文次郎の墓 -大森院-
高崎五万石騒動大総代・佐藤三喜蔵の墓 -高崎・普門寺-
高崎五万石騒動大総代・高井喜三郎の墓
七士殉職供養塔
小栗上野介忠順の養嗣子・又一忠道の墓
軍師・山本勘助の子孫の墓 -大雲寺-
稲川政右衛門の墓 -常安寺 その2-
豊岡藩陣屋跡 -常安寺- (根津政直の墓)
お染の墓 -高崎市木部町・安楽寺-
木部範虎の墓 -心洞寺-
木部白満の墓 -光台寺 その2-
岩鼻代官・吉川栄左衛門の墓 -高崎岩鼻・観音寺-
内村鑑三家の墓 -高崎若松町・光明寺-
飯盛り女の墓 -九品寺-
江原源衛左門重久の墓 -慈眼寺-
井上保三郎の墓 -荘厳寺-
長野氏累代の墓 その2 -来迎寺-
徳川忠長の墓 -大信寺-
元ロシア人兵士の墓 -龍廣寺 その2-
高崎という地名の由来 -龍廣寺- (村上鬼城の墓)
倉賀野城主・金井秀景の墓 -永泉寺-


高崎市(旧群馬町、旧箕郷町、旧榛名町、旧吉井町、旧新町、旧倉渕村)

高崎市倉渕町・榛名山座主の森  (快尊、忠尊、快承の墓)
長野業正の長男・吉業の墓 -善龍寺 その2-
由良国繁の墓? -箕郷町・金龍寺-
木部姫伝説 -御沼オカミ神社- (木部姫の供養塔)
細川興秋の末裔・長岡家の供養施設 -弥勒寺- (織田信長、細川興秋の供養塔)
火打金鍛冶職人・中野孫三郎の墓
土師清大夫の墓 -浄泉寺-
大和郡山藩柳沢家2代・柳沢信鴻の継室の墓 -宝勝寺 その2-
福田赳夫元首相の墓 -徳昌寺-
小串氏の墓所と南北朝時代の石仏 -地勝寺-
吉井藩代官・橳島家3代の墓 -法林寺-
菅沼定利の墓 -玄太寺-
県内屈指の大伽藍 -仁叟寺- (奥平貞訓の墓)
井伊直政の開基 -龍門寺- (井伊直政の継父・松下源太郎の墓)
内藤塚 -善龍寺- (内藤昌豊の墓)
伝・長野業盛の墓
長野業正の墓 -長純寺-
長野氏累代の墓 -長年寺-
小栗上野介の墓 -東善寺-


安中市

安中忠政の墓 -全性寺 その2-
医学者・荒木寅三郎の墓
山田三川の墓 -龍昌寺 その2-
新島襄の祖父と弟の墓 -妙光院-
安中草三郎の妻・歌の墓? -東光院-
安中忠親の墓 -安中・桂昌寺-
安中忠清の墓 -安中・久昌寺-
下曽根氏累代の墓 -信照寺-
詩人・大手拓次の墓
伊勢義盛の墓? -安中市岩井・常楽寺-
源頼光四天王・碓井定光の開基 -松井田・金剛寺- (碓氷定光の供養塔)
依田信濃守政知の開基 -長源寺- (依田政知と後閑信純の墓)
磯貝雲峰の墓 -自性寺-
高崎藩主松平康長の娘・露姫の墓 -実相寺-
大道寺政繁の墓 -補陀寺-
戦国時代の戦死者? -簗瀬八幡平の首塚-
太山融斉と柏木義圓の墓 -西廣寺-
妖怪・チャンコロリンの墓 -大泉寺 その2-
小野栄重の墓 -南窓寺-
井伊直政正室・唐梅院の墓 -大泉寺-
伝佐々木盛綱夫妻の墓 -松岸寺 その2-
伝赤穂藩士・大野九郎兵衛の墓 -松岸寺-


富岡市、甘楽郡(甘楽町、下仁田町、南牧村)

下仁田戦争・水戸天狗党戦死者の墓
小幡氏歴代の墓 その2 -興巌寺-
文永5年銘の小幡型板碑 -甘楽町・宝勝寺- (小幡藩織田家家老・吉田玄番家累代の墓)
横尾丹波守吉泉の墓
稲部市五郎種昌の墓 -富岡市・金剛院-
橋本暮村の墓 -伝宗寺-
高田大和守憲頼の墓 -陽雲寺-
伝・庭屋氏累代の墓 -甘楽町・庭谷の五輪塔-
七日市藩前田家の元祖廟 -前田家御宝塔-
富岡製紙工女の墓 その2 -海源寺-
高橋道斎の墓 -常住寺-
お菊の墓が旧妙義町にもあった
前田利家側室・明運尼の墓 -永心寺-
組石造りの地蔵像 -法華経供養遺跡- (長岡家墓所)
お菊伝説 -宝積寺 その2- (お菊の墓)
小幡氏歴代の墓 -宝積寺-
七日市藩主の菩提寺 -長学寺-
富岡製紙工女の墓 -龍光寺-
織田家7代の墓碑


藤岡市、多野郡(神流町、上野村)

松井宗直の墓 その2 -光徳寺 その3-
松井宗直の墓 -源性寺-
高山遠江守重栄の墓 -興禅院 その2-
高山長五郎の墓 -興禅院-
山内上杉氏累代の墓 -円満寺-
菊川英山の墓 -成道寺-
算聖・関孝和の墓 -光徳寺 その2-
芦田氏の菩提寺 -光徳寺-
武田家家臣・長井正實の開基 -天陽寺- (長井正實の墓、依田信守、信政の墓)
義民 堀越三右衛門の墓


太田市(旧郡部を除く)

勾当内侍の墓 -太田市・大圓寺-
新田義興の供養塔 -太田・東光寺-
矢場氏墓石群 -恵林寺-
新田義忠の墓? -浄光寺-
新田義興の墓? -威光寺-
新田氏累代の墓 -円福寺-
新田義貞の供養塔 -金龍寺-
太田金山 子育呑龍 (呑龍上人の墓/新田義重の墓)


太田市(旧新田町、旧尾島町、旧藪塚本町)

初代古河公方・足利成氏の墓 -東雲寺-
岩松守純・豊純父子の供養塔 -長楽寺 その4-
開山・栄朝禅師の無縫塔 -長楽寺 その3-
世良田義季の墓? -長楽寺 その2-
長楽寺5世・月船琛海の墓所 -普光庵跡-
「日本の飛行機王」中島知久平の墓 -徳性寺-
横瀬泰繁の墓? -龍得寺-
茂呂権蔵の墓 -太田・普門寺-
長慶天皇の陵墓?? -長慶寺-
気まずい場所にある・・・ -伝・藪塚氏の墓-
津軽藩代官・足立氏の墓 -東楊寺-
勾当内侍の墓と新田義貞の首塚 -花見塚公園-
悪源太義平の墓? -清泉寺-
岩松尚純夫妻の墓 -尚純萩公園-
源義国の墓所? -義国神社-
畑の中の古墓 -伝新田義重夫妻の墓-
天海が住職をしていたらしい -長楽寺- (世良田義季累代の墓)


桐生市

楳本法神の墓 -桐生市黒保根町・医光寺 その2-
小田原の機利者・山上郷右衛門の創建 -常廣寺-  (山上郷右衛門の供養塔)
伝教大師・最澄の開山 -大蔵院- (森喜作氏の墓)
由良氏四天王・高橋英元の開基 -祥雲寺- (高橋英元の墓)
桐生厄除け薬師霊場 -泉龍院- (下村昌伯の墓)
細川内膳の墓 -文昌寺-
桐生氏累代の墓 -西方寺-
由良成繁の墓 -鳳仙寺-
彦部家の菩提寺 -福厳寺-
伝新田義貞の首塚 -善昌寺-


みどり市

名誉県民・長谷川四郎元衆議院議員が眠る -世音寺-
岡登景能の墓 -国瑞寺-
山田氏および里見兄弟の墓


館林市、邑楽郡(大泉町、板倉町、邑楽町、千代田町、明和町)

初代・紫峰庵夫雪の墓 -授楽寺-
大谷休泊の墓
原田種政の墓? -龍興寺-
館林騒動・三義人の供養碑 -教学院-
浮世絵師・北尾重光の墓 -覚応寺-
徳川四天王・榊原康政の墓 再訪 -善導寺-
榊原康政の孫・松平忠次の生母の墓 -善長寺 その2-
戸泉鋼作の墓 -大道寺 その2-
生田萬父祖の墓 -大道寺-
田山花袋の姉の墓 -常光寺-
新田義貞四天王・篠塚伊賀守重廣の菩提寺 -邑楽町・大信寺-
元応の板碑 -舞木円福寺- (千代田町長・大谷典三氏の墓)
関東屈指の古刹 -光恩寺- (赤井照光の墓)
伝・児島高徳の墓 -高徳寺-
富岡氏の菩提寺 -龍泉院-
田中正造の墓 -雲龍寺-
楠木正成の首塚? -楠木神社-
徳川四天王・榊原康政の墓 -善導寺-
「お辻」の供養塔 -善長寺-


沼田市、利根郡(みなかみ町、片品村、川場村、昭和村)

加沢平次左衛門の墓
海野輝幸と嫡男・幸貞の墓 -海野塚-
会津藩白虎隊・町野久吉の墓
伝・真田熊之助の墓 その2
伝・真田熊之助の墓
上杉謙信の供養塔 -如意寺-
土岐家の祈願所・勝軍地蔵雨宝殿 -東禅寺-
発智為時の墓 -東光禅寺-
薄幸の女流歌人・江口きちの墓 -桂昌寺-
伝・真田信利の墓 -迦葉山弥勒寺 その2-
名胡桃城代・鈴木重則の墓?? -正覚寺 その2-
真田信政三男・信武の墓 -成孝院-
真田信政二男・信守の墓 -舒林寺-
沼田平八郎景義の墓 -沼田大明神-
真田信政側室・浜松の局の墓 -東源寺-
加藤清正の孫・藤枝正良の墓 -妙光寺 その2-
真田信吉側室・慶寿院の墓 -妙光寺-
真田信吉の菩提寺 -天桂寺-
真田信之正室・小松姫の墓 -正覚寺-
新田義宗の墓? -雲谷寺-


吾妻郡(中之条町、長野原町、草津町、嬬恋村、東吾妻町、高山村)

僧・空閑の墓
富豪・加部安左門の屋敷跡 -大運寺- (加部家の墓)
吾妻太郎行盛の墓 -長福寺-
小渕恵三元首相の墓 -林昌寺-
平九塚と皇大神宮


北群馬郡吉岡町南下の金剛寺跡。

金剛寺跡 (1)
金剛寺跡 (2)
金剛寺の創建、廃寺などの由緒は不明だが、現在は不動堂のみが
残っている(不動堂のみ後の再建かも)。

金剛寺跡 (3)
金剛寺跡は桃井(東)城の南面にあり、桃井氏ゆかり寺院とされる。
境内の宝篋印塔は桃井直常の墓とも供養塔ともいわれる。
吉岡町には桃井直常の墓と伝わる五輪塔もある。
(「伝・桃井直常の墓」参照)

宝篋印塔の基礎正面には「浄眼大禅定門應永13年(1408年)」の
刻字があるが、基礎や塔身部は後世のもののようである。
ただ、笠部などは室町初期の形態を備えている。

直常の墓や供養塔とするには異論もあり、吉岡町の案内板にはその
旨は一言も書かれていない。
しかし、直常の墓(供養塔)との伝承から、後に基礎や塔身をそれに
合わせたとも考えられる(個人的意見、根拠なし)。

金剛寺跡 (4)
不動堂脇にある五輪塔群。直常に従って討ち死にした人々の墓・
供養塔ともいわれている。


北群馬郡吉岡町南下の桃井塚。
桃井直常の墓との伝承がある。

桃井直常の墓
桃井直常の墓と伝わる五輪塔(向かって右)。
左は直常夫人の供養塔とされる。

直常は元弘3年(1333年)足利尊氏の六波羅探題攻めに従い、室町
幕府開府後は若狭守護、伊賀守護、越中守護に任じられている。

観応擾乱(足利直義派と高師直派の対立)では直義側に付き奮闘。
その後も反幕府的な軍事行動をおこなっていたが、応安4年(1371年)
五位荘の合戦(現在の富山県高岡市)で敗れて消息不明となっている。

その後の行方は分からず、富山市近在で没したとも桃井郷へ帰郷後没した
ともいわれる。没年は永和2年(1376年)とされるが、定かではない。


館林市、大泉町、板倉町、邑楽町、千代田町、明和町

邑楽郡長良神社の本宮 -千代田町・長良神社-
亀田三先生の筆跡 -上五箇愛宕神社-
初代・紫峰庵夫雪の墓 -授楽寺-
建武の板碑 -大林寺-
藤原秀郷生誕地の碑 -舞木城址-
千代田町・弘安の板碑
B-29・グラマン搭乗員の慰霊碑 -清岩寺-
源義経が休んだ塚 -千塚の判官塚-
生祠 秋元宮 -館林市・永明寺-
足腰の神様 -子神社-
徳川家康ゆかりの寺? -普済寺-
秋元春朝像 -秋元別邸 その2-
榊原康政の守護仏・十一面観音 -遍照寺-
ペッタンコ祭 -富士嶽神社-
新田義重の勧請 -足次赤城神社-
館林市・日向義民地蔵
繁栄の松 -旧大了庵跡-
大谷休泊の墓
館林市高根町・大山祇神社
原田種政の墓? -龍興寺-
永明寺のキンモクセイ -永明寺-
北条泰家の創建? -恩林寺-
志士之碑(竹岸武兵衛の顕彰碑) -神光寺-
館林騒動・三義人の供養碑 -教学院-
館林市・外池商店
館林市・旧二業見番組合事務所
分福酒造店舗 -毛塚記念館-
青龍の井戸 -青龍神社-
城沼の竜神伝説 -竜の井-
浮世絵師・北尾重光の墓 -覚応寺-
徳川四天王・榊原康政の墓 再訪 -善導寺-
榊原康政の孫・松平忠次の生母の墓 -善長寺 その2-
戸泉鋼作の墓 -大道寺 その2-
生田萬父祖の墓 -大道寺-
日本四社 青梅天満宮
英霊を祀る -邑楽護国神社-
館林の総鎮守 -長良神社-
不動まんだら板碑 -五宝寺-
青色地蔵板碑 -愛宕神社-
館林城の鐘 -応声寺-
関東88ヶ所霊場第14番霊場 -観性寺-
田山花袋の姉の墓 -常光寺-
石打こぶ観音 -明言寺-
山門の閻王殿 -慶徳寺-
新田義貞四天王・篠塚伊賀守重廣の菩提寺 -邑楽町・大信寺-
玉眼嵌入彩色仁王像 -木崎東光寺-
元応の板碑 -舞木円福寺-
田山花袋の歌碑 -赤岩八幡神社-
行基の開創 -千代田町・安楽寺-
荻野吟子の生家の長屋門 -光恩寺 その2-
関東屈指の古刹 -光恩寺-
大泉町・城之内の百庚申
多々良沼の岬に鎮座 -浮島弁財天-
邑楽町のシンボルタワー -未来MiRAi-
同向式画文帯神獣鏡 -古海原前1号古墳-
徳川綱吉ゆかりの梵鐘 -寶林寺-
伝・児島高徳の墓 -高徳寺-
民俗資料館 -大泉町文化むら その3-
埋蔵文化財常設展示室 -大泉町文化むら その2-
裕福な自治体はいいね -大泉町文化むら-
富岡氏の菩提寺 -龍泉院-
大泉町・城之内古墳
西邑楽の総社 -小泉神社-
富岡氏の居城 -小泉城址-
田中正造の墓 -雲龍寺-
楠木正成の首塚? -楠木神社-
向井千秋記念 子ども科学館
きつねの尾曳伝説 その2 -尾曳稲荷神社-
徳川四天王・榊原康政の墓 -善導寺-
「お辻」の供養塔 -善長寺-
館林市・山王山古墳
つつじが岡第2公園 その2 -館林城出土墓石群-
つつじが岡第2公園 -旧秋元別邸-
明治の擬洋風建造物 -旧上毛モスリン事務所-
きつねの尾曳伝説 -館林城址-
館林市第1資料館
旧館林藩の武家屋敷 -武鷹館-
白鳥の舞 -多々良沼-


邑楽郡千代田町瀬戸井の長良神社。

千代田町・長良神社 (1)
千代田町・長良神社 (2)
千代田町瀬戸井の長良神社は、赤井良遠が春日大社の末社に列祀
されていた藤原長良を勧請した。
赤井良遠は後の館林城主・赤井輝光に関係すると思われる。

この長良神社から邑楽郡各地に分社されたことから、邑楽郡長良神社の
本宮とされている。

千代田町・長良神社 (3)
参道は樹木の覆われ、心地よく参拝することができる。

千代田町・長良神社 (4)
千代田町・長良神社 (5)
社殿は平成7年(1995年)に改修されている。

千代田町・長良神社 (6)
千代田町・長良神社 (7)
千代田町・長良神社 (8)
参道脇に境内社と思われる碑が建っている(祠や社ではなく)。
錚々たる神々が祀られている。向かって左端は日本武尊。

館林・邑楽地区には長良神社(長柄神社含む)が多数ある。
藤原長良が東国平治のため当地に下向し、仁恵を施したことを偲んでの
ことといわれるが、長良は藤原北家の長男という身分。
3男・基経は長良の弟・良房(摂政・太政大臣)の養子となり、後に人臣
初の関白になっている。これほどの家柄。
藤原北家の関係者が上野国に下向することは基本的にはあり得ない。

とは言え、藤原長良の大蛇退治伝説まである。
長良は瀬戸井の大沼に棲んでいた大蛇を退治しその身体を18切りにし、
頭を瀬戸井にその他を近隣に分け与えた。これが「十八長良」の由来
という。「十八長良」は18社の長良神社のことだが、現在はもっと多数
ある。


邑楽郡千代田町上五箇の愛宕神社。

千代田町・愛宕神社 (1)
千代田町・愛宕神社 (2)
愛宕神社の創建は不詳。

千代田町・愛宕神社 (3)
境内の一角に「亀田鵬斎翁誕生の地碑」が建っている。

亀田鵬斎は、宝暦2年(1752年)千代田町上五箇に生まれだが、父が
江戸に出たため江戸で育つ(江戸生まれという説もある)。
6歳にして三井親和に書を、飯塚肥山に素読を習う。14歳の時、儒学者・
井上金峨に入門。才能は弟子の中でも群を抜いていたという。

天明3年(1783年)の浅間山大噴火の際は、難民救済のためすべての
蔵書を売り払い、それに充てたという。また、赤穂浪士のために私財を
投じて泉岳寺に顕彰碑を建てている。

文政9年(1826年)75年の生涯を閉じる。

千代田町・愛宕神社 (4)
千代田町・愛宕神社 (5)
扁額の「愛宕祠」のは亀田鵬斎の筆による。

千代田町・愛宕神社 (6)
拝殿内の扁額「伊勢大々御神楽」は、鵬斎の子・綾瀬の筆。

千代田町・愛宕神社 (7)
境内の芭蕉の句碑。
「子規ま年久か(ほととぎすまねくか) 麦のむら尾花」
(写真まったく見えず申し訳ないです)

千代田町・愛宕神社 (8)
句碑の碑陰(裏)は、紫峰庵夫雪を顕彰する「夫雪翁誌碑」になって
いる。碑の撰文と書は、綾瀬の養子・鶯谷による。碑の建立は慶応2年
(1866年)。

ちなみに、紫峰庵夫雪は金子得斎の俳号で、紫峰庵夫雪の三世になる。
綾瀬に漢学を学んでいる。
(初代に関しては、「初代・紫峰庵夫雪の墓 -授楽寺-」参照)

亀田鵬斎(扁額)、綾瀬(拝殿内扁額)、鶯谷(撰文書)を合わせ、「亀田
三先生の筆跡」と呼ばれている。


邑楽郡千代田町上中森の天徳山授楽寺。

授楽寺 (1)
授楽寺は文禄3年(1594年)鷹山廣俊の開創と伝わる。

授楽寺 (2)
授楽寺 (3)
江戸末の文化15年(1818年)に伽藍が再建されたが、明治43年
(1910年)利根川の氾濫により大きな被害を受ける。
昭和初期(4~12年にかけ)に檀家・地元の方々の浄財にて再建。

現在の本堂は平成6年(1994年)の新築。

授楽寺 (4)
授楽寺 (5)
無縁墓の一角に初代・紫峰庵夫雪の墓がある。
初代・紫峰庵夫雪は江戸後期の俳人で、常陸国(茨城県)筑波郡の
出身。5世太白堂に学び諸国を巡った後、当地に庵を結び多くの弟子
を得ている。
弘化2年(1854年)97歳で没している。

紫峰庵夫雪の俳号は、確認できただけで4世まで引き継がれている。

授楽寺 (6)
慈母観音像。
この観音像の足をなでたところ、足や腰の痛みが和らいだことから、
「足なで観音」と呼ばれている。


邑楽郡千代田町舞木の大林寺。

大林寺 (1)
大林寺 (2)
大林寺の由緒は不明。

大林寺 (3)
境内にある板碑。南北朝初期の建武5年(1338年)の銘がある。
緑泥片岩製で、高さ107cm、幅32cm、厚さ4cm。
阿弥陀如来の下に観音菩薩・勢至菩薩を種子で刻む阿弥陀三尊種子
板碑である。

足利のすぐ近所で南朝の年号が記されているのが面白い。
建武5年は新田義貞が討死した年なので、まだ渡良瀬川西岸・南岸は
新田氏の強い勢力圏であったことが分かる。まあ、当然か。

ちなみに当時(から数年後には)、富岡・甘楽では既に北朝の影響下に
あったことが諸々の遺構で分かっている。

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